漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0093

2020-01-31 19:56:51 | 古今和歌集

はるのいろの いたりいたらぬ さとはあらじ さけるさかざる はなのみゆらむ

春の色の いたりいたらぬ 里はあらじ 咲ける咲かざる 花の見ゆらむ


よみ人知らず

 

 花の風情が行き渡っている場所とそうでない場所などはあるまい。それなのになぜ花は咲いていたり咲いていなかったりするのだろうか。

 春という季節は場所を問わず一様に訪れるのに、花の開花は場所によって一様でないことに興趣を覚えての歌。

 

 


古今和歌集 0092

2020-01-30 19:53:21 | 古今和歌集

はなのきも いまはほりうゑじ はるたてば うつろふいろに ひとならひけり

花の木も いまは掘りうゑじ 春立てば うつろふ色に 人ならひけり


素性法師

 花の木も、今はもう掘って植えるのはやめよう。春になれば、咲いてはすぐに色うつろい、人もそれにならって心変わりするものだから。


 人が移り気になるのは花の色がうつろうのにならうためだと想定し、それならばもう花が咲く木を植えるのをよそうという発想。花が落ちる時期に愛しい人の心変わりに会い、実際は関係ないともちろんわかってはいても、それを花のせいにして自身の心を慰めるという心情でしょうか。歌合せの場で歌われたものですから、実体験というより空想の歌でしょうか。

 


古今和歌集 0091

2020-01-29 19:13:59 | 古今和歌集
はなのいろは かすみにこめて みせずとも かをだにぬすめ はるのやまかぜ

花の色は 霞にこめて 見せずとも 香をだにぬすめ 春の山風


良岑宗貞


 
 
 霞が花の色を隠して見せないとしても、春の山風よ、せめて花の香りだけでも盗んできておくれ。
 
 主語が上三句では「霞」、それが下二句では「山風」に変わって、ちょっとちぐはぐな感じですね。
 作者の良岑宗貞(よしみねのむねさだ)は、僧正遍昭の俗名です。出家するより前に詠まれたということなのでしょう。
 
 

古今和歌集 0090

2020-01-28 19:13:59 | 古今和歌集

ふるさとと なりにしならの みやこにも いろはかはらず はなはさきけり

ふるさとと なりにしならの 都にも 色は変らず 花は咲きけり


ならのみかど

 旧都となってしまった奈良の都にも、色も変わらずに花が咲くことだ。

 作者の「ならのみかど」は第51代平城天皇のこと。即位は806年と平安遷都後ですが、在位わずか3年で嵯峨天皇に譲位し、自身は上皇となって旧都である平城京に移り住みました。その後、再度政権の掌握に動きましたが嵯峨天皇側との権力争いに敗れ(810年「薬子の変」)ました。ただその後も「太上天皇」の称号は維持され、一定の処遇は受けていたようです。824年没。

 


古今和歌集 0089

2020-01-27 19:49:12 | 古今和歌集

さくらばな ちりぬるかぜの なごりには みづなきそらに なみぞたちける

桜花 散るぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞたちける


紀貫之


 

 風で桜花が散ってしまったあとのなごりに、まるで水のない空に波が立っているかのようだ。

 散って空を舞っている桜の花びらの残像がまだ目に残っていて、もちろん水などない空にまるで波が立っているように見える(感じられる)。すべて散り切ってしまって、実際にはもう花びらは舞っていないとの解釈が普通のようですが、私には、まさに名残を惜しむかのように最後のひとひら、ふたひらがちらちらと舞っていて、そこにたくさんの花びらの残像が重なって見えている情景のように思えました。いずれにしても、詩人の豊かな感受性が凝縮した一首。貫之を代表する名歌の一つだと思います。

 0049 からここまでが桜を詠んだ歌。次の 0090 からは、種類が特定されない「花」の歌群が続きます。