長らくご無沙汰してしまいました。にもかかわらず、毎日たくさんの皆さんのご来訪いただいており、感謝申し上げます。人事関係という仕事柄、3月4月となかなかに多忙な毎日を過ごしておりますが、大学院の新学期も始まり、仕事はそこそこ(笑)に、学習もなんとか時間をみつけて、それぞれに取り組んでおります。
さて今日は、社会的にちょっとしたブームとなっている将棋の話題と、そこからの「気になる日本語」について。
将棋を自分では指さないけれども、観戦して楽しむ人のことを「観る将」と言うのだそうですね。次々と最年少記録を塗り替える藤井聡太さん(この記事を書いている時点では六段)の登場などもあって、急速に増えているとのこと。そういう言葉ができたのだとすると、私もまさに「観る将」の一人なのですが、自分は昔からそうであったのにあとから言葉ができて、「あなたは『観る将』ですね」などと言われる(誰からも言われてはいませんが)と、なんだか背中がむず痒いような気分になりますね。 ^^;;
最近の将棋の話題の中で、羽生善治さんが今期の名人戦第一局に勝ち、プロ入り通算1,400勝を達成したとのニュースがありました。プロ棋士になって以来、32年余りにわたって勝利を積み上げてきた結果で、これも大変な偉業です。
ここからがきょうの記事の本題の「気になる日本語」なのですが、羽生さんが成し遂げたこの偉業を、「史上最速・最年少・最高勝率での達成」であると報じた記事が多数ありました。1,400勝達成は故大山康晴十五世名人に次いで史上二人目のことで、達成に要した期間、達成した時点での年齢と勝率のすべてで大山十五世名人を上回ったという主旨です。
このこと自体、事実としてはもちろんその通りなのですが、二人の比較の結果で上位であることを、『最』という文字を使って『最速・最年少・最高勝率』と表現することについては、個人的にはかなり違和感を感じます。例えば数学の世界で『最大値』という概念は、たとえデータが2つしか存在しない集合においてもやはり『最大値』でしょうし、「2つのうちで最大」と表現しても、言葉として間違いとは言えないと思いますが、『最』は本来、少なくとも3つ以上のデータを比較しての表現であって、2データ間の比較の結果に対して用いるのはおかしい、と私は感じてしまいます。皆さんはどうでしょうか。
まったく違う世界の話ですが、スポーツで0対0の状況から一方のチームが1点を獲得することを「勝ち越し」と表現する記事や実況を時折見聞きします。これも確かに「勝ち越し」には違いないかもしれませんが、個人的には「勝ち越し」とは互いに点を取り合って同点となった状態から、どちらかが追加点を取ったことを言うべき表現なのではないかと感じます。
最近気になった日本語のお話でした。