【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「猿の惑星:創世記」

2011-10-28 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

サルに人類の存在が脅かされる壮大な話かと思ったら、思ったより小じんまりした、ひとつの町の中の話だった。
まだまだ、ジェネシス、創世記だからね。本番はこれからよ。
でも、人類とサルが存在を賭けて対決するのかと思ったら、人類が滅亡するのはサルのせいじゃないって暗示される。
オリジナルの「猿の惑星」だって、そんなこと言ってないわよ。
そういえば、あれは核戦争のせいだったな。
見どころはやっぱりサルの表情かな。
オリジナルもあの時代にしては相当表情豊かだったんだけど、人間が被り物をしてた感は否めなかった。
あれから43年。ここまでCGで綿密にサルの表情をつくりこめるほど、人類は進化したってことね。
その割にサルの閉じ込められるところが、もろ、チープな刑務所みたいなところだったけど。
動物園とか保護施設みたいな、いま風のところにしちゃまずかったのかしら。そういう現実味のあるところで虐待を受ければ、サルが蜂起するのもリアリティを帯びてくるのかもしれないけど、ああいういかにもの施設でああいういかにも悪徳看守のいるところで蜂起すると、典型的なアクション映画になってしまう。
前半のサルと人間のからみとか、サルの哲学的な表情がいたって印象的なだけに、もっと根源的な文明論にできた可能性もあるけど、製作者たちがめざしたのはもう少し単純明快な娯楽映画だったってことだろう。
東映任侠映画ってところかしら。サルは、忍耐に忍耐を重ねた末、決起に走る高倉健か鶴田浩二。
おいおい。例えが失礼だぞ。鶴田浩二はもういないし。
それくらいの演技力、存在感があったってことよ。
だからって、日本映画界の大スターを持ってくることはないだろう。
クライマックスのサルと人間の戦いもすさまじい限り。でも、まだまだ地球の覇権争いをするスケールにまで行っていなかったなあ。
本番はこれからだ、って自分で言ってたじゃないか。
そう、今後のお楽しみっていうところね。
期待させるだけの切れの良さはある映画だった。