【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「サウスバウンド」:神宮前一丁目バス停付近の会話

2007-10-06 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

なんだ、この月と星のマークは?
ここにトルコ大使館があるのよ。
なるほど。月と星がトルコのシンボルってわけか。
トルコとまでは言わないけど、月や星がきれいに見える場所に行ってみたいなあ。
たとえば?
たとえば、沖縄とか。
お、たそがれ映画の「めがね」に影響されたか。
ううん、森田芳光の「サウスバウンド」に影響されたのかも。
たしかに、このところ、「めがね」「サウスバウンド」と沖縄を舞台にした映画が続いているけど、かなり趣は違うんじゃないのか。
めがね」はなぜみんな沖縄をめざすのか全く語らないけど、「サウスバンド」は沖縄をめざす背景が明快だもんね。
かつて過激派の闘士だった豊川悦司と女闘士だった天海祐希が東京で夫婦になっているんだけど、小六の息子が問題を起こしたのを契機に、豊川悦司の先祖が住んでいた沖縄に移住して、そこでまた新たな問題を起こしていくって話だ。
この豊川悦司が、闘争からは身を引いているんだけど、世の中の曲がったことが大嫌いっていう態度は変わらず、あっちこっちで衝突を起こす。けれど、天海祐希は何があろうと彼のよき理解者で、最後まで夫と行動をともにする。
三人いる子どもたちも、この夫婦にあきれ果てながらも、一方で信念を曲げない姿勢をかっこいいとも思っている。
無理が通って道理が通らない世の中に暮らす私たちからみても、小気味いいわよね。
やんちゃな森田芳光監督だから、またいろいろ凝った仕掛けをしてくるのかと思ったら、意外にストレートに描いているんでびっくりした。
微妙に人の気をそらす間の取り方がトレードマークなんだけど、今回それもあまりなかったしね。
比べてみると、むしろ荻上直子監督の「めがね」のほうがいつもの森田芳光に近いくらいだ。
たしかに、あの映画のほうがギミックがいっぱいあったし、どこか人工的な感じのする画面も森田監督の感触に近いかもしれないわね。
前作の「間宮兄弟」がいつもの森田節絶好調だったから、今回はちょっとおとなの余裕を見せましたってところなのかもな。
豊川悦司が、言ってることはアジテーションなのに、始終ニタニタしてるから妙に人間味があって、余計好感持っちゃうのよね。
受ける天海祐希も度量の大きさを見せる。
たしかに、あの背筋の伸び方は、かつて女闘士だったって言われたら納得するしかないもんね。
二人が自分たちの信念を守るために海の彼方へ旅立つシーンなんて、テオ・アンゲロプロスの映画みたいで、ちょっとした感動さえ覚える。
うーん、それはさすがにオーバーだと思うけど、たしかに「めがね」のほうは感動するっていう映画ではなかったからね。
疲れた都会人にとって「めがね」は癒される映画、「サウスバウンド」は元気をもらえる映画ってとこかな。
私のひいきの松山ケンイチ君もお茶目な役で出ていたしね。
トルコは遠すぎるが、ときには俺たちも東京を出たほうが、世界の大きさがわかっていいかもな。
でも、そしたらこのブログ、どうなるの?
ナンセンス!この際、そんな小さなこと言うなよ。


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神宮前一丁目バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<池86系統>
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「人が人を愛することのどうしようもなさ」:千駄ヶ谷小学校前バス停付近の会話

2007-10-03 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

いまどき、桜が満開とは珍しいこともあるもんだ。
狂い咲きっていうのかしら。
狂い咲きっていやあ、喜多嶋舞だよな。
石井隆監督の最新作「人が人を愛することのどうしようもなさ」の主演女優のことでしょ。
主演も主演、ひとり芝居のような映画だ。
喜多嶋舞の、喜多嶋舞による、喜多嶋舞のための映画。最初から最後まで、スクリーンの中を桜のように舞っては踊り、舞っては堕ちる。
昔アイドルだった女優が堕ちて、堕ちて、どん底まで堕ちていく、なんとも救いのない物語だ。
喜多嶋舞自身、最初はアイドルで売り出されたんだもんね。まるで本人の地をいくような話、って言っちゃあ失礼かしら。
どこまで演技でどこからが演技じゃないのか、わからないくらいの迫力に圧倒されっぱなしだ。
アイドルだっただけあって、可憐な顔立ちをしているんだけど、それとはうらはらに精神的、肉体的に崩れていく姿が、見ていてあられもなく、凄まじい。化粧の崩れ方なんて尋常じゃないわよ。
あんまり、テレビにも映画にも出ていないし、正直いまひとつの感じがあった女優なんだけど、それだけに、いきなり花開いちゃったな。
満開を通り越して、狂い咲きだもんね。
ここまで、なりふりかまわずというか、すべてをさらけ出しちゃうと、他の女優の立つ瀬がないんじゃないか。
いくら「スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ」で木村佳乃が捨て身でがんばりましたって言っても、これを観ちゃうと、まだまだ全然覚悟が違うと言いたくなっちゃうわよね。
その女優の姿を写し撮る石井隆監督の映像がまた、妥協を許さないというか緊張感を絶やさないというか、一瞬の隙も逃さない覚悟にあふれているから、鳥肌が立つ。
あの闇を切り裂くナイフのような照明の使い方。自然光なんてひとつもない。いかにも石井監督らしいと言ってしまえばそれまでだけど、他の人の追随を許さないわね。
内容が内容だけに、あーんなシーンやこーんなシーンの連続で、R-18になっちゃうのはしょうがないし、本当に素晴らしい部分を具体的に喋るわけにはいかないのももどかしいけど、この手の映画がもしきちんと評価されないとしたら残念としか言いようがないな。
でも、映画館には女の人もチラホラと観にきてたわよ。
うん、お前と一緒で覚悟がある。
覚悟がいるわよ、女性が観るには。
それにしても、ここまで来ちゃって、喜多嶋舞はこれからどこ行っちゃうのかな。楽しみといえば楽しみだし、恐ろしいといえば恐ろしい。
ほんと。一瞬の狂い咲きで散らないで、これをきっかけに大女優になっていってほしいわよね。
とはいえ、ほんとにいまの季節、満開の桜が咲いてるのか。
あら、やだ。いま咲いてるわけないじゃない。
なんだ、やっぱり、そういうことか・・・。
すべての話には裏があるのよ。この映画のラストみたいにね。
おっと、それは言わぬが花ってもんだ。


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千駄ヶ谷小学校前バス停



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「陸に上った軍艦」:北参道バス停付近の会話

2007-09-29 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

ここが明治神宮の北参道。この奥に明治天皇がまつられているのよね。
うーん、天皇陛下って聞くと複雑な気持ちになる人たちもいるかもしれないな。
どうして?
太平洋戦争では、天皇陛下の名のもとに多くの庶民が兵隊にとられていったんだ。
それは「陸に上った軍艦」を観ても実感できるわね。シナリオライターや監督として有名な新藤兼人の体験の映画化なんだけど、彼といっしょに兵隊に入ったのが、洋服屋とか床屋とかつつましい暮らしをしている庶民ばっかり。そういう人たちがいきなり軍隊に取られて、理不尽極まりない仕打ちを受けるんだから。
幸いなことに、彼らは終戦を迎えるまで戦地には行かず、国内の基地を転々とするんだけど、それはそれで悲惨なんだよな。戦場の悲惨さを描いた映画はたくさんあっても、こういう戦場には行かなかった兵隊の悲惨さを描いた映画ってあまりないんじゃないか。
ばかばかしくも悲惨さな日々。
理由もなくリンチを受けて、食べられる大きさになるまで5年も6年もかかるような鯉を池に放ち、その鯉のえさとしてハエたたきで黒いハエを1000匹も捕まえて池に放したら、鯉はどこへ行ったか全然わからなくなっていました、っていう笑えない笑い話みたいな日常・・・。
靴を前後さかさまに履けば、前進していても後退しているように見えて敵を欺けるだろうっていう、へたなコントも真っ青の訓練・・・。
命じられる側も、バカじゃないの、と思っているんだけど、おそらく命じる側も、こんなことで勝てるなんて本気で思ってない。
こんなあきれることしてるようじゃ勝てるわけないだろうって、みんなが薄々感じているのに、そんなこと言えないから、「必勝の作戦だ」なんて言いながら、マンガみたいなことばかりやっている。
結構、みんな冷静に見てたんだよな、当時の兵隊さんも。最後まで、「お国のためだ、勝つまでは」って信じていたのかと思ったら、そんなこと全然ない。
むしろ、みんながみんな、くだらないって思っているのに、ピラミッドのいちばん上にいる偉い人たちがやめるって言わないから、しかたなくやっている。
そのしわよせが全部、底辺でつつましく暮らしていた庶民にくる。
戦争の構造が手に取るようにわかるわね。
じゃあ、ピラミッドの頂点は誰だったんだろうって考えながらこの参道を歩くと、フクザツな気持ちになってくるわけよ。
でも、ここにまつられているのは明治天皇でしょ。太平洋戦争とは、関係ないじゃない。
俺が言いたいのは、個人じゃなくて、そういう仕組みが問題だってこと。ところが、仕組みが問題だっていうとまた個人の責任があいまいになるしな。
新藤兼人が実際に体験したことらしいけど、こういうみんなが知っておいたほうがいいような話、戦争が終わってすぐにシナリオにしなかったのはどうしてかしらね。
当事者だけに、記憶から消してしまいたいとか、死んだ人間に合わせる顔がない、とか複雑な心情があるんじゃないのか。
そういう思いを押しのけても、戦後60年経って、いま、語っておかなきゃいけないって思い立った何かが新藤監督にはあったのよね、きっと。
だから、いまは平和な参道を歩くとフクザツな思いにとらわれるわけよ、いつもは単純な俺にしても。


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「プラネット・テラーinグラインドハウス」:千駄ヶ谷五丁目バス停付近の会話

2007-09-26 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

ギョギョ、東京のこんなところにエンパイヤステートビルが・・・。
ニセモノだよ、ニセモノ。
やっぱりね。どんな懸命に真似したってしょせんは真似。本物の風格にはかなわないわね。
ところがどっこい、昔グラインドハウスというアメリカの三流映画館で上映していた映画を真似した「プラネット・テラー」は本物以上の風格がある。
そんなこと言って、あなた、本物のグラインドハウス映画、見たことあるの?
ないけど、三流映画がこんなにおもしろかったら、アメリカだって三流映画のままにしてはおかないんじゃないか。
画面に傷をつけたり、わざとピントをぼやかしたり、薄汚い色を再現したり、三流感を一生懸命出してるんだけど、たしかにおもしろすぎるわね。
失った右足の代わりにマシンガンをつけてぶっ放す女なんて、画としてあまりにも決まりすぎだろう。オリジナリティありすぎだぜ。
って、ほめてるの、けなしてるの?
ほめてるんだよ。全篇、血わき、肉踊る映画だ。
比喩じゃなく、ほんとに、血がわいて、肉が踊るのよね。これでもか、これでもかって調子で、ドバドバ、ビロビロ。まいった、まいった。
同じグラインドハウス映画の「デス・プルーフ」もおもしろかったが、あっちが映画オタク丸出しの映画だとすれば、こっちはプロ根性丸出しの映画だったな。
そうね、「デス・プルーフ」はタランティーノの趣味丸出し、やりたい放題、小ネタも満載っていう映画だったけど、ロバート・ロドリゲスの「プラネット・テラー」はぶっ飛んでるわりに、話としてちゃんとまとまりがあったもんね。
アメリカじゃあ、この二つの映画を二本立てで公開したっていうんだから、ごちそうだよなあ。
日本でいえば、「スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ」と「女王陛下の草刈正雄」を二本立てて公開するようなものかしら。
おいおい、「女王陛下の草刈正雄」はまだ観てないぞ。観てない映画の話は厳禁だ。
はい。
それにしても、毛色の違った一流の三流映画を二本続けて観られるなんて、アメリカの映画ファンにはたまらなかっただろうな。
一流の三流映画なんて、形容矛盾もいいとこだけど、そうとしか表現しようがないもんね。
たとえば、エンパイヤステートビルに登った「キングコング」はもともと三流映画だったのに「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソンが再現した新しい「キングコング」なんて一流映画に成り下がってしまった。それに比べて、タランティーノとロバート・ロドリゲスの映画には三流映画の精神が流れていてみごととしか言いようがない。
彼らに「キングコング」をつくらせたら、この東京のニセ・エンパイヤステートビルに登らせるかもね。
なるほど、それも一興だな。タラちゃんなんか、日本に来たくてしょうがないみたいだしな。
登れ、っていえば、アゴでこのビル登っちゃいそう。
たしかに。娯楽映画監督の鑑だな。


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「めがね」:新宿四丁目バス停付近の会話

2007-09-23 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

お、高島屋か。めがね売場行かなくちゃ。
どうして?
めがね買うんだ。
だから、どうして?
だって、映画の「めがね」の出演者はみんなめがねかけてたぜ。
だから、どうしてみんなめがねかけてたの?
どうして、って・・・どうしてだろうな。沖縄の離島に来て心が癒されていく女性の話なんだけど、めがねと関係が深い話じゃ全然ないしな。
荻上直子監督の前作「かもめ食堂」は北欧が舞台だったんで、こんどは南の島を舞台に癒しの映画をつくろうという意図はわかるんだけどね。
都会の暮らしで近視眼的な心になってしまった人たちが南の島にやってきてほんとうの生き方を見る目を回復するって意味で、みんなめがねをかけてるのかな。
でも、映画では何も説明しない。みんな、どこで何をしていた人々なのか全然説明しないのよね。
なんか「かもめ食堂」よりさらに純度の高い癒し映画になってきた印象だよな。
とにかく、「何も考えず、ここでたそがれてください」って言うね。
映画の中では「たそがれる」っていうことばがたくさん出てくるけど、そもそも「たそがれる」なんて日本語あるのか。
まあ、あるにはあるんだけど、「日が暮れて薄暗くなる」とか「盛りを過ぎて衰える」とかいう意味なのよねえ。
うーん、この映画の中で使われている意味とはちょっと違うような気がするな。
もっと何か、心地いいというか、人間的な状態を指している感じだもんね。
そうそう。よけいなものがどんどん抜け落ちていって、残ったのは心地よさだけという、ある意味、実に幸福な二時間だった。
なんだか、荻上監督ならではの映画の世界を確立しちゃったわね。
しかし、「かもめ食堂」は一応仕事としての食堂があったけど、この映画のかき氷屋はもう仕事の範疇を超えている。このまま純度をあげていったら浮世離れするぎりぎりの線だぜ。
いいじゃない、どうせ現実には浮世離れできないんだから、映画の中でひととき浮世離れしちゃったって。
ああ、いい夢見させてもらったよ。
世の中に疲れたら何度でも観たくなる映画よね。
ああ、どこで上映しているんだっけ?
テアトル・タイムズスクエア。
って、高島屋の入っているこのビルじゃないか。
そう、桃源郷は案外目の前にあるものなのよ。曇っためがねじゃ見えないかもしれないけどね。


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