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【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「子供の情景」:新宿一丁目バス停付近の会話

2009-05-16 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

ここ、文芸社って、いろんな本を出版しているのよね。
子供の情景を描いた本もたくさんあるんだろうな。
そういえば、文芸社とはなんの関係もないと思うけど、「子供の情景」という映画もあったわね。
あったわね、じゃなくて、いま現在も上映中だ。東京ではひっそりと一館でしか上映していないけど。
そう、そう。つい過去形になっちゃったけど、この映画で描かれた深刻な状況は、いまも変わっていないのよね。
映画の舞台は、アフガニスタン。
タリバンに破壊されたバーミヤンの石仏の近くで暮らす子供たちの物語。
ちょっと待て。バーミヤンの石仏は破壊されたんじゃない。お前みたいに世界の状況に無関心な人々の魂を嘆いて自ら崩れ落ちたんだぞ。
そういえば、「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」っていう本が話題になったこともあったわね。
だから、過去形で話すなって。その本も、そういう無関心さに腹を立てて、イランの映画監督、モフセン・マフマルバフが出版した本なんだぞ。
ま、待って。「子供の情景」の監督は、ハナ・マフマルバフっていう名前だけど、ひょっとして「カンダハール」の監督モフセン・マフマルバフの親戚?
娘だ。マフマルバフは親子二代に渡ってアフガニスタンの状況に怒りを発しているんだ。この映画の原題は「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」。父親の書物のタイトルそのものだ。
なあるほど。「子供の情景」は6歳の女の子が学校に行こうとする、たったそれだけの映画なんだけど、ストーリーのシンプルさに比較してものすごい熱いメッセージが含まれているように感じるのは、そういうことだったのね。
学校へ行くっていったって、まずは自分でノートと鉛筆を手に入れなきゃならない。
やっとの思いで手に入れたノートも、タリバンごっこをする少年たちに取り上げられたりして、学校へ行くだけのことがものすごい一大事になってくる。
平和の象徴のノートが破かれ、折られ、白い戦闘機になって宙を舞っていくときのせつなさ、悲しさ。
見つめる少女のいたいけな瞳、赤いほっぺ。
少年たちも、無邪気におとなの真似をしているだけなんだけど、幼い子供たちがそういう遊びをしている姿は、無邪気どころか、何にも増して冷酷非情に感じられる。
全身に寒気が走るほどよね。戦乱の地に生きることの悲劇。
そういうドラマが、無残に破壊された石仏の前で演じられるものだから、いっそう痛々しい。
よく、あんなところのロケが許されたわね。
そんな中でも、救いは、6歳の女の子が一向にへこたれないところだ。ずうずうしいほどの生活力で難題を乗り越えていく。
ウェディング・ベルを鳴らせ!」もそうだったけど、戦乱の地に住む人々の活力には、ほんとうに圧倒されるわ。
でも、最後には、力尽き倒れていく。
アフガニスタンの仏像が、恥辱のあまり自ら崩れ落ちたように。
グラン・トリノ」の主人公が自ら倒れこんでいったように。
え、それはまた、ずいぶん飛躍した比較。大胆すぎない?
だって、イーストウッドが78歳なら、この映画の監督はまだ19歳だぜ。
エエーッ。
ほんと、映画の才能に年齢は関係ないってことを思い知らされたんだよ、俺は。
父親やそのスタッフも全面的に協力したとは思うけど、それにしてもすごい才能。
こういう映画がほとんど話題にもならず、そっと封切りされてしまうという日本の状況がやるせないよ、せつないよ。
恥辱のあまり、あなたも崩れ落ちたら?
ドテッ。
あー、みにくい男の情景。



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「ウェディング・ベルを鳴らせ!」:四谷四丁目バス停付近の会話

2009-05-13 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

ここ、四谷区民ホールではいろいろな演奏会が開かれているんだって。
ひえっ、すごいね、この建物。でも、こんな立派な建物でなくたって、青空の下の演奏っていうのも楽しいもんだぜ。
エミール・クストリッツァ監督の「ウェディング・ベルを鳴らせ!」のように?
ああ。セルビアの片田舎で繰り広げられる、音楽と色彩にあふれた物語。
画面の隅々からマークが立ち上ってくるような楽しい映画よね。
もう、3つ!
いえいえ、5つ!
ミュージカルじゃないから、正面切って歌ったり踊ったりはしないんだけど、とんだりはねたりしっぱなし。
物を壊そうが傷だらけになろうがおかましなし。「黒猫・白猫」や「ライフ・イズ・ミラクル」の監督だから、突拍子もない映画であることは予想していたけど、いやはや、ここまで突き抜けるとは。
最初から最後までブンチャカ、ブンチャカ。
生きる歓びが、画面から噴き出すほどの勢い。
それだけで、もう頭のてっぺんからつま先まで、くるくるぱあ!って感じ。
そのなんとも素朴でエネルギッシュな音楽に乗せて展開する話がまた、腰を抜かすほどいい加減
この上ない。
小さな村の少年がおじいちゃんに言われて町に花嫁を探しに行くだけの、実にたわいのない物語。
でも、へんなキャラクターがいっぱいで、圧倒されちゃう。
エミール・クストリッツァのトレードマークになっている動物はもちろん出てくるし、悪者たちと
の古典的とも言えるドタバタ劇もあるんだけど、それがまた無声映画のように無邪気で楽しい。
舞台になったセルビアといえば、長い戦乱にまみれた土地なんだけど、そんなものクソくらえ、
っていうほどに生きる活力にあふれている。
いつもながら、エミール・クストリッツァの独壇場。
重火器さえ出てきたりするんだけど、そんなもの人間的な生のエネルギーの前では、いかほどの
ものかってことよね。
小さなことにクヨクヨするなと言わんばかりに、物語はすべてを蹴散らし、前へ前へと進んでいく。
悩む前に、生を楽しめ。
ヨーロッパの小国に生きる監督が行き着いた究極の結論とも受け取れる。
そして、意味もなく青空を舞う飛行青年。
意味がないのに、映画にとって絶妙なアクセントになって、出てくるだけで気持ちいい。
ふと思ったんだけど、この映画って、背景といい、ギャグといい、ストーリーといい、宮崎駿がアニメにしてもおかしくない題材のような気がしない?
あ、そう言われるとそんな気もする。でも、やっぱりこの開き直ったような感覚は、ヨーロッパの辺境に生きるエミール・クストリッツァ独特なものだろう。何が素晴らしい、って、一歩間違えれば、ただのおバカ映画になりそうなところを、自分の映画にしてしまう、そのエミール・クストリッツァの手腕にこそ、祝福のベルを鳴らせ!だ。
したたかで、痛快。
世界広しといえど、彼以外にこんな映画撮れる監督はいない。
ほんとうはこんな話している時間があったら、そのぶん映画の世界に浸っていたいくらい。
ブンチャカ、ブンチャカ。青空の下で楽しもうぜ。
でも、この辺の都心で楽しむなら、やっぱり区民ホールとかじゃないと迷惑じゃない?
ああ、これだから都会人はヤだねえ。人間が小さい!



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「レイチェルの結婚」:四谷三丁目バス停付近の会話

2009-05-09 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

ここ四谷消防署には、女性防火組織があるのよ。
女性防火組織?
そう。四谷消防署管内に住む女性の自主防災組織で、家庭の安全と地域の安全を女性の立場から推進している組織。
じゃあ、レイチェルの結婚式にもぜひ出動してほしかったな。
なんで?
家庭の安全と地域の安全を女性の立場から推進してほしかったから。
まあ、たしかにアメリカ映画の「レイチェルの結婚」は、結婚式を通して家庭の崩壊していくさまをまざまざと見せつけて、誰かに助けに来てほしいほどだったけどね。でも、デザスター映画じゃないんだから、自主防災組織が出動しても役に立たないでしょう。
家庭のゴタゴタは家庭で解決しろってことか。冷たいやつめ。
だから、そういうことじゃなくて、家族の問題は家族でなきゃ解決できないのよ。
だけど、「レイチェルの結婚」は深刻だぜ。姉レイチェルの結婚式に、麻薬依存症で入院中の妹がやってくるんだから。
しかもこの妹は以前、家族にとって取り返しのつかない過ちを犯している。
徐々に明らかになっていく過去の傷、家族の亀裂、深刻な溝。
昔からアメリカ映画が得意とする、濃密な家庭劇の世界。
そうなんだけど、花婿を音楽家に設定するとか、ふるえるカメラがドキュメンタリータッチで俳優の生の表情を捕らえるとか、ジョナサン・デミのシャープな演出がツボにはまっていて不覚にも堪能してしまった。
いちばんの見どころは、お皿を片付ける競争をするたわいのない場面。みんなでなごやかな時間を過ごしていたのに、あるお皿の存在から、その場が一気に凍りつく。
傍から見ると幸せそうな一家なのに、一皮むけば内部にはドロドロを抱えている。そのマグマが一気に噴出する。
壊れていく家庭。いや、すでに壊れていた家族。その負の側面を一心に背負った麻薬依存症の妹を演じるのが、アン・ハサウェイ。
お姫様のようにかわいかったのに、いつのまにこんなハスッパな役をやるようになってしまったんだろう。
あれ、嘆いてる?
嘆いてない。ただ、汚れを知らないピュアな笑顔が見たかっただけ。
このロリータめ!
ンなわけないだろう。アン・ハサウェイ、立派な26歳だぜ。彼女にイカれてどこがロリータだ?
そ、とっくにお肌の曲がり角を曲がっちゃった。汚れを知らないなんてムリな年齢。この年齢にふさわしい、すばらしい演技を見せて、アカデミー賞候補になっちゃったじゃない。「プラダを着た悪魔」なんて、まだお姫様のしっぽが残っているようなキャラクターだったけど、いまや本格俳優になっちゃった。
彼女が庭のプールに灯篭のような灯をそっと浮かべる瞬間。あれは美しかった。
ヒリヒリと息詰まるような展開が続く中に、ああいう息を飲むほど幻想的なシーンがはさまると、救われた思いになる。うまい演出よねえ。
サリーを身にまとったアン・ハサウェイ、やっぱり、絵になるねえ。
でも、ちょっと煙草吸い過ぎだった。あれじゃ、体に良くない。
そういやあ、痛々しいほどに、やたら吸ってた。
まるで自分の体をいじめているみたいに。
自分の存在が、姉の結婚式にとって災難みたいなもんだって自覚している証拠かもしれない。
災難・・・残酷なことばね。
そういう災難を回避するという意味では、やっぱり必要かもしれないな。
何が?
自主防災組織。
だから、そういう問題じゃないってば。



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「チェイサー」:左門町バス停付近の会話

2009-05-06 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

ここがお岩稲荷。四谷怪談で有名なお岩さんを祀ってある神社だ。
お岩さんて、あの、顔に無残な傷跡ができちゃった女の人でしょ。
ああ、「チェイサー」の売春婦のようにな。
「チェイサー」?韓国映画の?
ああ、猟奇的な男に連れ去られた売春婦のボスが犯人を追っていくサスペンス・スリラー。
四谷怪談も怖いけど、「チェイサー」も怖かったなあ。
「オールド・ボーイ」とか「殺人の追憶」といった韓国映画独特の世界がしばらくぶりに戻ってきた感じだ。
明快にこういう映画だって言い切れない、なんとも思わせぶりな、心を宙吊りにさせられるような世界。
そもそも、“サスペンス”って、“宙吊り”っていう意味だからな。
こういう猟奇的な映画って、どういうわけ韓国映画の独壇場なのよね。
朝鮮半島の不安定な状況が、遠くこういう映画にまで影響を与えているのかな。
もちろん、そんな政治的な映画ではこれっぽちもないんだけど、なんというか、この切羽詰まった恐怖感はどこから生まれるんだろうと考えるとね。
舞台になる坂道が、へびの寝床のようにのたのたと狭く長く伸びて、またリアルなサスペンスを漂わせる。
しとしととすべてを溶かすような雨なんか降ると、いちだんとスリルが盛り上がる。
そこで起こる、理由なき猟奇殺人。
犯人がまた、ニヤニヤと人を小ばかにしたように笑うばかりの、コミュニケーション不可能な若者。最近ほんとに多いわねえ、こういう人間性のかけらもないような犯人。
ちゃんとした理由のある四谷怪談が、お行儀のいい物語に思えてくるほどだ。
売春婦のボスになる男がまた、韓国映画らしい、風采の上がらない中年男。
その中年男が、犯人を追っかけ、坂道を全速力で走るシーンが何度も出てくるんだけど、意外や、人間的な疾走感が目を奪う。
止むに止まれる思いから出た疾走だからね。
はしるー、はしるー、おれーたちー。
って、爆風スランプか!
というより、桑田佳祐にちょっと似てた。
うらぶれた桑田佳祐。
そして、孤軍奮闘の末、ボスは無事に売春婦を取り戻せたか。
ハリウッド映画ならここでハッピーエンドが待っているのかもしれないけど、韓国映画には二重の残酷さが待ち構えている。
一難去ってまた一難。その結果があれかよっていう、恐怖の極致。ハリウッド映画とは一番遠い世界だ。
そういえば、この映画、ディカプリオがリメイクするらしいわよ。
デ、ディカプリオ?
宣伝でもそう言ってる。
イーストウッドならまだしも、ディカプリオかよ。「インファナル・アフェア」の二の舞にならないことを祈るのみだな。
ディパーテッド」のこと?
あのリメイクは、オリジナルの「インファナル・アフェア」が持っていた深みをすべてそぎ落として、筋書きをなぞっただけのハリウッド犯罪映画になっちゃった。今回も同じ轍を踏まないとは限らない。
うん。「チェイサー」も、映画後半の冷酷無残な展開、あれが単純大好きのハリウッドに受け入れられるかどうかは、ちょっと疑わしいわね。
そもそも、見ようによってはひどく地味な映画なんだけど、そこにこそ、この映画の核心があるんだと思わないか。
たしかに、セピアっぽい映像は決して派手とはいえない。アクションシーンも暴力的な割には派手という印象とは肌触りが違う。
だからこそ、つくりごとじゃない迫真感が出て、ただのスリラーじゃなくなったのに、つくりごと大好きのハリウッドじゃあ、この迫真感は出ないだろう。
まあまあ、そう先の心配ばかりしないで、いまはこの映画の余韻を味わいましょうよ。
いいや、不安だ。
じゃあ、リメイクも傑作になりますように、ってお岩稲荷に祈ったら?
ああ、そうだな。もし傑作にならなかったら、お岩のように亡霊になって呪い殺してやる!
こわっ。



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「バーン・アフター・リーディング」:信濃町駅前バス停付近の会話

2009-05-02 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

ここは、文学座のアトリエ。
文学座といえば、江守徹、加藤武、角野卓造、渡辺徹。名だたる役者を輩出している劇団じゃない。
アメリカ映画でいえば、「バーン・アフター・リーディング」に出演している役者たちみたいなものだな。
それって、なんか比較にムリがない?
そんなことはないだろう。出演者はジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、フランシス・マクドーマンド、ジョン・マルコビッチ。文学座も真っ青の、そうそうたる顔ぶれだ。
まあ、たしかに名だたる役者が出演はしているけどね。
大スターが、役者魂をかけてバッチバッチと演技の火花を散らす。
というにはほど遠い。ゲロンチョリー、ゲロンチョリーっていう印象だけど。
どういう意味だよ。
鴨川ホルモー」の栗山千明並みの異様な演技ってことよ。
そんなことはないだろう。「オーシャンズ」シリーズのジョージ・クルーニーだぜ。「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」のブラッド・ピットだぜ。「ファーゴ」のフランシス・マクドーマンドだぜ。「チェンジリング」のジョン・マルコビッチだぜ。どうだ、まいったか。
ところがどっこい、彼らが演じるのはしょうーもない連中ばかり。ジョージ・クルーニーは、色狂いで2マタ、3マタの下ネタ男。ブラッド・ピットはお調子者のいかれポンチ。フランシス・マクドーマンドは、美容整形・命の皺皺中年、ジョン・マルコビッチはCIAをクビになったアル中。みんな、よく、こんなしょーもない役を受けたわね。
そこがコーエン兄弟のすごいところだ。ゲロンチョリー。
まあ、たしかにすごいわよね。なにしろ、「ノーカントリー」でアカデミー賞を獲ったあとにこういう気の抜けたビールのようなコメディを撮れるんだから。
そりゃ認識が間違ってる。もともとこういう気の抜けたビールのようなコメディが、コーエン兄弟の持ち味なんだ。
そんなことないでしょ。「ミラーズ・クロッシング」なんて、硬質な緊張感にあふれたサスペンスだったわよ。
あれは特別。
ノーカントリー」も特別?
特別。コーエン兄弟にしては肩に力が入りすぎ。それが一般受けしちゃってたまたまアカデミー賞を獲っちゃったけど、ほんとはそういう万人受けのする監督じゃないはずなんだ。
万人受けじゃなくて、誰に受けるの?
気の抜けたビールが好きなヤツ。
そんな人いるの?
なに言ってるんだよ、ノンアルコールビールが売れてる時代だぜ。
そんなこと言ったって、しょせん、ビール風味の発泡飲料じゃない。
そう、あのニセのシュワシュワ感がたまらないんだよ。
じゃあ、「バーン・アフター・リーディング」もシュワシュワ感を楽しむ映画ってこと?
そう。感動を求めてはいけない。充実感を求めてはいけない。心酔してはいけない。ただただ、彼らのはしゃぎっぷりを楽しめばよい。
それじゃあ、文学からは、はるかに遠いじゃない。
そう。文学とははるかに遠い。だから、読後焼却。バーン・アフター・リーディング。
やっぱり、文学座と比べるにはムリがある。
そんなことはないだろう。江守徹、加藤武、角野卓造、渡辺徹といった連中で「バーン・アフター・リーディング」をやったら、これはこれで傑作になると思うぜ。
うーん、たしかに笑っちゃうけどね。
それでいいんだ。



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