【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「ディパーテッド」:都立高専前バス停付近の会話

2007-01-17 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

なんだ、あそこに立っている人は?
子どもたちがちゃんと横断歩道を渡れるよう、旗を持って注意しているのよ。
いや。あんなかっこうしてるけど、ほんとはマフィアの構成員で俺たちを見張ってるんじゃないか。
あなた、映画の観過ぎじゃないの?
ああ、「ディパーテッド」なんていう映画を観ちゃうと、誰も信じられなくなる。
マフィアのスパイが警察にいて、一方、警察のスパイがマフィアにいるっていうマーチン・スコセッシの映画ね。知ってると思うけど、「ディパーテッド」って香港映画の傑作「インファナル・アフェア」のリメイクなのよ。香港の原題は「無間道」。
無間道って、どういう意味だ?
生きながらにしてこの上ない苦しみを味わう“無間地獄”にいるかのような人生のことよ。
へえ、それがリメイクでは「ディパーテッド」ってタイトルに変わるのか。
「ディパーテッド」ってどういう意味だっけ?
死体。「インファナル・アフェア」は生き地獄で、「ディパーテッド」は死体か。ニュアンスがちょっと違うな。
ははあ、それでラストがああいうふうに改変された意味がわかったわ。かたや生き地獄、かたや死体・・・。
おいおい、いきなりラストの話に行く前に、ファーストシーンから話しようぜ。
あのファーストシーンはよかったわね。アイルランド移民の話に言及していて、なるほど香港返還前後という「インファナル・アフェア」に陰影を与えていた政治的緊張状態というのを「ディパーテッド」ではアメリカが抱える移民問題にスライドさせているんだと、感心したんだけど。
ところがあとが続かない。どうしてもっと移民問題を通底音として持続させなかったのかわからないけど、話が進むにつれてそういう影がいつのまにか消えて、単なるサスペンスものになってしまった。ジャック・ニコルソンがいつものジャック・ニコルソン、デカプリオがいつものデカプリオになってしまった。
やっぱり、香港の俳優たちに比べると、軽いというか陰影が足りないというか、男の色気が足りないというか。
どうしてスコセッシって、いつまでも子どもみたいなデカプリオが好きなんだろうな。
あとは「インファナル・アフェア」を無難にリメイクしました、で終わっちゃうのよね。
無難というか、わかりやすい、というか、緊張感足りない、というか、孤独感足りない、というか、なんというか。もういちど「インファナル・アフェア」を観て口直ししたくなっちゃうぜ。スコセッシには「グッドフェローズ」なんていうマフィアものの大傑作があるのに、今回はいい題材を惜しいことした。
でも、アメリカでは評判がいいようよ。スコセッシはゴールデングローブ賞で監督賞を受賞したくらいなんだから。
そりゃ、アメリカ映画は口で説明しがたい陰影とかニュアンスなんてないほうが喜ばれるからな。
でも、ラストには、オリジナルにはない意外などんでん返し。
オリジナル版にもちゃんとひとつどんでん返しがあるのに、それじゃ工夫が足りないと思われるから、もうひとつ、どんでん返しをくっつけてみましたって感じだな。
どんでん返しに次ぐどんでん返し、ってよくある宣伝文句だけど、そういうのもアメリカ映画好み。
オリジナル版にあったどんでん返しだけで十分なのにな。2つも入れたら品がなくなるぜ。
それはそうかも。
おかげで「インファナル・アフェア」にあった余韻がきれいに消えてしまった。
無間地獄につながる余韻。それって東洋的な余韻なのかもね。アメリカ映画には余韻なんていらないのかも。
じゃあ、俺たちの会話も余韻なく終わるか。
そうね。結論だけってことで。
結論。「インファナル・アフェア」を観ていない人にはおもしろい。「インファナル・アフェア」を観た人は、「インファナル・アフェア」と比べなければおもしろい。
以上。


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