Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

METライブビューイング「ボリス・ゴドゥノフ」

2022年01月27日 | 音楽
 METライブビューングで「ボリス・ゴドゥノフ」をみた。おもしろかった。久しぶりにオペラらしいオペラをみたという手ごたえがあった。

 当公演は1869年のオリジナル・ヴァージョンを使用している。わたしはいままでこのオペラを3度みているが、すべてオリジナル・ヴァージョンだ。念のために書いておくと、1999年9月にチューリヒ歌劇場で指揮はウェルザー=メスト、演出はデイヴィッド・パウントニー、2002年8月にロンドンのプロムスでゲルギエフ指揮マリインスキー劇場の演奏会形式上演、2005年12月にベルリン国立歌劇場で指揮はバレンボイム、演出はチェルニアコフ。実感としては、その頃からオリジナル・ヴァージョンによる公演が増えている気がする。

 身も蓋もないことをいえば、オリジナル・ヴァージョンのほうが、上演時間が短いし、用意する歌手も少なくて済むが、それらの劇場側の都合は別にして、観客の側からすれば、オリジナル・ヴァージョンのほうが求心的な演劇性が高まり、また音楽的な統一性もある。逆にいえば1872年の改定版は、ドラマに遠心力が働き、また音楽的にはムソルグスキーのデクラメーション様式以外の要素が入りこむ。

 今回のMETライブビューイングでは、タイトルロールをルネ・パペが歌った。重厚な歌唱と演技が感銘深かった。わたしがみた上記のベルリン国立歌劇場の公演でも、タイトルロールはルネ・パペだったが、歌唱も演技も今回のほうが格段に深まっているように思う。また、これはライブビューイングの利点だが、巧妙なカメラワークにより、絶妙の角度からルネ・パペの表情がクローズアップされる。そこに浮かぶ苦悩と恐怖が迫真的だ。

 指揮はセバスティアン・ヴァイグレだ。スピーカーから流れる音では、オーケストラの音の質やアンサンブルの精妙さはわからないが、少なくとも音楽的な様式感は統一されていた。そのデクラメーション様式はドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」やプーランクの「カルメル会修道女の対話」につながるものを感じさせた。

 演出はスティーヴン・ワズワース。人々の動かし方など、とてもわかりやすかった。演出上とくに変わったことをするわけではないが、あえてひとつあげれば、第1幕冒頭の群衆の場面から聖愚者を登場させ、人々のあいだをウロウロさせていた。ワズワースだけではなく、他の演出家もやっていることかもしれないが、理にかなっている。

 メトロポリタン歌劇場の観客も全員マスクを着用しているようだ。ただ、日本とちがうのは、終演後、歓声が上がったことだ。その気持ち、よくわかる。
(2022.1.26.109シネマズ二子玉川)

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