Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

イェンセン/読響

2015年05月14日 | 音楽
 読響定期。アンドレアス・シュタイアーがモダン・ピアノを弾いてモーツァルトを演奏するというので、楽しみに出かけた。

 1曲目はそのモーツァルトのピアノ協奏曲第17番。吉田秀和の好きな曲で、何度か「名曲のたのしみ」で聴かせてもらった。あの番組で音楽の聴き方を学んだわたしには、懐かしい曲だ。最近は聴いていなかったので、楽しみにしていた。

 第1楽章のオーケストラによる提示部で、ピアノが自由自在に入ってきた。思わず微笑んだ。和音をアルペッジョで入れるというよりも、オーケストラのメロディー・ラインをピアノで縁取るような入り方だ。控えめだけれど、耳目を集めた。

 独奏ピアノの出番になると、音型の崩し方も、装飾音の入れ方も、シュタイアーの独壇場だ。しかも、しなやかで、しっとりしている。チェンバロやフォルテピアノで聴いているときには、リズムの粒立ちのよさが際立っているが、モダン・ピアノだと印象が違う。使用楽器はスタインウェイだった。

 第2楽章の透明な音の美しさは特筆ものだ。会場は静まりかえって、その音に耳を傾けた。シュタイアーの音は、演奏が進むにつれて、透明な世界に沈潜していくようだった。最後は水の一滴、一滴のように聴こえた。

 第3楽章はいかにもシュタイアーの演奏だった。主題と変奏からなるこの楽章の、各変奏のテンポ設定が、シュタイアー主導だったことは間違いない。各変奏の対比が、今まで聴いたことがないほど鮮烈で、それぞれ個性を主張していた。

 当然アンコールを期待した。指揮者(エイヴィン・グルベルグ・イェンセンという1972年生まれのノルウェー人)もステージ後方で耳を傾けたそのアンコールは、少々意外に感じたが、モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330の第2楽章だった。

 ハッとした。この曲のクララ・ハスキルの演奏(古いモノラル録音)は、わたしの愛聴盤だ。その演奏では、第2楽章の短調への転調の部分で、深い淵を覗くような感覚になるが、シュタイアーのこの演奏では、さっと触れただけだ。でも、不思議なほど鮮明な印象が残り、いつまでも気になる――そんな後味が残った。

 2曲目はショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」だった。やけに長く感じられ、ぐったり疲れた。この数年間に聴いたラザレフ/日本フィルと、カエターニ/都響の名演が想い出された。
(2015.5.13.サントリーホール)

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