Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

バイロイト:ニュルンベルクのマイスタージンガー

2011年08月31日 | 音楽
 1日置いてバイロイト最終日は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。カタリーナ・ワーグナーの演出が激しいブーイングを巻き起こした舞台だ。既にDVDが出ているので、ご覧になった方も多いだろう。わたしはDVDを観る習慣がないので、今回が初めて。

 舞台はある美術学校。マイスターたちは教授陣。皆スーツを着ているが、ハンス・ザックスは黒いダブダブの服を着て、裸足。ほんらい靴屋であるはずのザックスが裸足というのが笑いを誘う。

 そこに型破りの学生ヴァルターが現れる。長髪を肩まで下げた姿は、天井にはめ込まれたニュルンベルクの誇り、画家デューラーの自画像にそっくりだ。ヴァルターが広げて見せる作品は、20世紀の画家ミロのようなシュールな絵。教授たちは不快感をあらわにするが、ザックスは興味をもつ。

 このように、設定こそ美術学校だが、ストーリーは案外台本どおりに進む。ところどころに笑いがちりばめられていて、明るく楽しい舞台だ。

 第2幕の幕切れの大騒動も面白い。教授たちが下着一枚で起きてきて、学生たちに放尿したりして、大笑いだ。この大騒動のなかで、それまで謹厳そのものだったベックメッサーの人生観が変わる。なにかに酔ったように笑いだし、スーツを脱ぎ棄て、ティーシャツ姿になる。これが第3幕への伏線になる。

 第3幕の歌合戦では、ベックメッサーが前衛的なパフォーマンスを展開するのにたいして、ヴァルターは保守的な人形劇をやる。

 そして幕切れのザックスの大演説。照明が暗くなり、ザックスとベックメッサーにスポットライトが当てられる。ザックスの両側には巨大な彫刻が立ち上がる。これはナチスの時代の美学を示唆するもの。かたや「退廃芸術」の烙印を押されたベックメッサーの居場所はもうない。完全にナチスの時代になって幕が下りる。

 この演出はザックスの大演説にひそむ危うさを、真正面から捉えたものだ。カタリーナ・ワーグナーは初演当時まだ20代。だから稚拙というか、深みに欠ける部分があるのは仕方がない。むしろ大胆さや、明るく楽しい感覚に注目すべきだ。

 指揮のセバスティアン・ヴァイグレは、最初こそアンサンブルにまとまりを欠いたが、第2幕のザックスとエヴァの二重唱あたりから滑らかに進行し、瑞々しさを加えた。

 ザックスはJames Rutherford。味わい深いザックスだった。ヴァルターは予定されていた歌手が「急病」で、Stefan Vinkeがピンチヒッターに立った。歌はもちろん、動きの激しい舞台に溶け込んで、なんの違和感もなかったのは驚きだ。
(2011.8.24.バイロイト祝祭劇場)

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