Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ヘンヒェン/読響

2014年07月16日 | 音楽
 ハルトムート・ヘンヒェン指揮の読響。プログラムがすごい。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」とショスタコーヴィチの交響曲第8番。こういうプログラムを組むこと自体その実力と自信を物語っている。

 実際この指揮者の実力はそうとうなものだ。それがわかったのは新国立劇場の「ヴォツェック」の公演だ。ベルクの音楽が自然な呼吸感をもって、透明に演奏された。あんまりよかったので、もう一度聴きに行った。二度目にはもっと感動した。

 なので、今回の読響も期待していた。まず「運命」。第1楽章冒頭の例のテーマが、意気込んで、ガッツをこめて演奏された。もっと淡々としているかと思った。1度目2度目のフェルマータは長くない。これは予想通りだ。あっさり切り上げて先に進む。テーマをどんどん積み上げていく。その緊密な構築に主眼があるようだ。

 細部でのこだわりもあるのだが、そこに過度に拘泥するのではなく、全体のなかに埋め込んでいく。終わってみると、レンガ造りの構築物のような全体像が現れてきた。楽章単位でもそうだったし、各楽章を束ねた曲全体でもそうだった。

 だが、ショスタコーヴィチでは、そうはいかないだろうと思った。直線的な構成ではない。長い曲線を描いたり、脇道に逸れたり、絶叫したと思ったらおどけてみたり、ともかく一筋縄ではいかない。

 第1楽章冒頭の低弦の序奏が、ガッツをこめて、踏み込むように演奏された。ベートーヴェンと同じ路線だ。長い旋律線を描く第1主題は、もちろん「運命」のテーマのようなわけにはいかないが、それでも質量の重い演奏だった。長大なこの楽章全体が、なにか一つの塊のように、あっという間に演奏された。

 第3楽章が一番凄まじい演奏だった。わたしが密かに考えているパロディ性など、どこかに吹っ飛んでしまった。こういう演奏だったので、第5楽章の最後の、消え入るような終わり方に、ハッとした。わかっているのにハッとした。美しく透明な音だった。

 では、この演奏に納得したかというと、それは微妙だ。この演奏には遊びがなかった。いや、それ以上に、もっと基本的な問題として、ピッチが甘く、もやもやしたところがあった。ピッチにかぎらず、緩さがあった。馬力でそれを押し切った観がある。そこに不満が残った。

 カンブルランが振るときには、こんなことは(絶対に)ないのだが‥。
(2014.7.15.サントリーホール)

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