Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ヴォルコフ/読響

2018年05月31日 | 音楽
 イラン・ヴォルコフは2017年9月のサントリーホール・サマーフェスティヴァルでツェルハ、ハースなどの現代曲を振った(オーケストラは東響)。力のありそうな指揮者だと思った。わたしは注目した。そのヴォルコフが読響の定期に初登場。先日の「ウンスク・チンの音楽」(コンポージアム2018)は聴けなかったので、この定期が楽しみだった。

 1曲目はプロコフィエフの「アメリカ序曲」。そんな曲があったのか、と思ったが、1926年にアメリカの某社の依頼で書かれた由。原曲は17人の奏者のための作品で、1928年にオーケストラ版が作られた。

 プロコフィエフのモダニズムがよく表れた曲。交響曲でいえば第2番と第3番との中間の時期の作品なので、明るい活力に溢れている。ヴォルコフ/読響の演奏は、そのような曲想を的確にとらえて、この珍しい曲の紹介役を果たした。

 2曲目はバーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」。ピアノ独奏は河村尚子。河村尚子は2017年6月のN響定期でサン=サーンスのピアノ協奏曲第2番の堂々たる演奏を聴かせた(指揮はパーヴォ・ヤルヴィ)。そのときと同様に、今回も存在感十分の演奏。大器の風格が漂った。

 だが、文句をいうわけではないのだが、2018年1月の日本フィル横浜定期での小曽根真の演奏に比べると(指揮は山田和樹)、クラシック畑の正統派であることは事実で、エンタテイメント性には乏しかった。小曽根真とは対極にある演奏。そのためだろうか、今回はこの曲のエンディングがラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」を参照しているように感じられて、それがおもしろかった。

 3曲目はショスタコーヴィチの交響曲第5番。ヴォルコフの個性がよく出た演奏。ヴォルコフは贅肉がない細身の体型だが、その体型通りの(といったら語弊があるかもしれないが)針金のように強靭な演奏。ヒロイズムとか、苦悩とか、そんな思い入れはまったくない硬質な演奏。音の構造体が透けて見えるような演奏だった。

 そういう演奏だからか、ヴィオラのフレーズが(思いがけず)聴こえてきたり、チューバの動きが聴こえてきたりと、そんな瞬間があった。ヴォルコフがそれらのパートを強調しているわけではないので、聴き手のわたしが、何かの拍子に、それらの音に気が付いた、ということのようだ。

 ヴォルコフは1976年イスラエル生まれ。個性派指揮者だ。
(2018.5.30.サントリーホール)

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