Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

日本フィル横浜定期第300回

2014年09月29日 | 音楽
 日本フィル横浜定期第300回。節目の定期だが、お祝いムードはなかった。淡々といつもの定期をこなした感じ。それも悪くはないが、最後の「ローマの松」がいい演奏だっただけに、ローマ三部作でもやってくれたら華やかになったのに、と。

 指揮は三ツ橋敬子。これで2度目だ。前回の記憶はあまりないが、今回は鮮明な印象を受けた。音をきちんとコントロールしている。各楽器間のバランスがよく、トゥッティの鳴り方もよく配慮されている。指揮者としての才能の表れだ。

 ただ、今のところは(というか、今回の演奏は、というべきか)慎重すぎるような気がした。もっと自分を‘開放’してもよいのではないか。ヴェネツィア在住とのことだが、オー・ソレ・ミオ!のイタリアではなく、たとえていえばピエロ・デッラ・フランチェスカのような、精妙な構築感のあるイタリアだ。

 曲目は、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」序曲、モーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」(ピアノ独奏:菊池洋子)、プッチーニの「マノン・レスコー」から第3幕への間奏曲そしてレスピーギの「ローマの松」。アンコールにレスピーギの「ボッティチェッリの3枚の絵」から「ヴィーナスの誕生」が演奏された。この曲を演奏会で聴く機会は(皆無ではないとしても)あまりない。その辺にも三ツ橋敬子の志向が垣間見えるような気がした。

 唯一、第300回らしい趣向として、プログラムに過去の演奏記録が載っていた。これは懐かしかった。翌日は、家でゴロゴロしながら、その演奏記録を眺めていた。わたしは定期会員だが、いつからだったか、はっきりしなかった。日記(といっても、メモ程度のもの)を見たら、第71回(1986年3月)からだった。

 記念すべき第1回は1973年5月だ。日本フィルが分裂し、争議に入った翌年だ。あの頃は演奏会の確保に四苦八苦だったと思う。窮余の一策だったのか――。わたしが東京定期の方の会員になったのは1974年3月だ。まだ大学生だった。

 なので、当時の空気は少しわかる。マスコミに乗って華やかだったのは新日本フィルの方だが、日本フィルを支援する人たちも確実にいた。日本フィルの楽員たちは、そういう市民と交流しながら、日本フィルを存続させてきた。

 そういう市民が今でも聴衆として残っている。若い楽員には(今の聴衆を知る意味で)当時のことも知ってほしい。
(2014.9.27.横浜みなとみらいホール)

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