Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

飯守泰次郎/東京シティ・フィル

2020年08月08日 | 音楽
 フェスタサマーミューザで飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルを聴いた。最近流行のショート・プログラムではなく、堂々2時間の通常プログラムだった。やっぱり聴き応えがある。日常が戻った感があった。

 1曲目はワーグナーの「タンホイザー」序曲。冒頭のホルンのテーマが、深々としたドイツの森を感じさせた。コロナ以前だったら、年中オーケストラの演奏会を聴く中で、たまたまこの曲がプログラムに載ったとしても、そんなふうに「ドイツの森」とか何とかは感じなかったろう。数か月ぶりのワーグナーの生音が、うぶになったわたしの感受性に、強く働きかけたのだと思う。

 そのホルンのテーマの裏でハーモニーをつけるクラリネットやファゴットが、わたしには朗々と聴こえた。それも驚きだった。バランスがいつもと違うということではなさそうだった。これもうぶになっているわたしの感受性が発見した驚きだったろう。

 その直後にチェロが奏する嘆きの旋律の、思い入れの深さにも惹きこまれた。飯守さんの共感のこもった歌わせ方のためだろう。その共感がチェロ・セクションに伝わり、聴衆のわたしにも伝わった。久しぶりのワーグナー。その新鮮さを指揮者とオーケストラと聴衆のわたしとが共有した瞬間のように感じた。

 最後の金管合奏による巡礼のテーマは、金管合奏の音の厚みと輝かしさに、体がふるえる思いがした。そんな思いがするとは、夢にも思っていなかった。金管合奏とはすごいものだと思った。ワーグナーが書いた音の効果に開眼した思いだ。

 2曲目はブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(ハース版)。演奏の精度は一段と上がった。飯守さんのブルックナーを熟知している東京シティ・フィルが、飯守さんのブルックナーを、ほとんど理想的に表現した。それはたとえば朝比奈隆のブルックナーのように押し出しの強いブルックナーではなく、アグレッシヴな鋭角性を残しながらも、余計なものを削ぎ落した、純粋で、謙虚で、すべての功名心から遠く離れたブルックナーだ。崇高といってもいいそんなブルックナーを、飯守さんと東京シティ・フィルは、水も漏らさぬ一体感をもって表現した。

 ホルンの1番奏者は、いつもの小林祐治さんではなく、谷あかねさんが務めた。全曲を通してほとんど出ずっぱりのパートだ。細かい瑕疵がなかったわけではないが、それに動揺せずに、最後まで吹ききった。大健闘だ。終演後、ホルンのメンバー全員が谷あかねさんと肘タッチを繰り返した。
(2020.8.7.ミューザ川崎)

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