Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ブロムシュテット/N響

2014年09月22日 | 音楽
 ブロムシュテット指揮N響のCプロ。1曲目はモーツァルトの交響曲第40番(クラリネット入りの版)。厳格に構築された演奏だ。音楽から、感情とかなんとか、すべての夾雑物を削ぎ落として、‘音’だけ残したような演奏。その音を厳格に構築した演奏。

 繰り返しはすべて行われていたのではないか。えっと思うような繰り返しもあった。このように演奏されると、長大な、堂々とした音楽に聴こえる。堅固な骨格を見ているようだ。でも、どことなくこわばった、青ざめた顔色のようにも思える。

 ブロムシュテットの今を如実に伝える演奏だったと思う。この数年間感じてきたブロムシュテットの今を端的に表す演奏。感心する部分と、疑問に思う部分との、その種明かしを見るような演奏だった。

 2曲目はチャイコフスキーの交響曲第5番。音は一変した。輝きをもった暖かい音。ホッとした。やはりこういう音の方が安心して聴ける。

 ブロムシュテットらしい張りのある演奏だ。だが、そう思って聴いているうちに、いつしか、緩みを感じるようになった。第4楽章ではとくにそうだった。これはブロムシュテットの演奏というよりも、N響の演奏ではないか。ブロムシュテットはもうN響に任せてしまっているのではないか――。いつものN響のペースが(底辺のところで)感じられるようになった。

 とはいえ、N響も、ブロムシュテットも、目指すところは一致していた。闘争から勝利へというドラマトゥルギー、音の隅々をきっちり合わせるアンサンブル、そういったドイツ・モデルの演奏だ。また、曲そのものも、チャイコフスキーの中ではこれ以上見事な例はないというくらいにドイツ・モデルの作品だ。

 でも、これがチャイコフスキーだろうかという、一種のもどかしさを拭えなかった。会場は沸きに沸いたが、その興奮の渦から、取り残されてしまった。

 翌日、ドイツ・モデルから離れた、ロシアの原理原則に則ったチャイコフスキーを聴きたくなった。ナクソス・ミューッジク・ライブラリーを覗いた。「悲愴」の下記(↓)の演奏を聴いてみた。第1楽章第2主題のたっぷりした歌い方。テンポが伸び気味になる。でも、そんなことはお構いなしだ。これがチャイコフスキーではないだろうかと思った。少なくとも几帳面なドイツ・モデルからは遠い。第2楽章の中間部も個性的だ。第4楽章は推して知るべし。
(2014.9.20.NHKホール)

↓バシュメット指揮ノーヴァヤ・ロシア国立響の「悲愴」
http://ml.naxos.jp/work/999804

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