Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

高関健/東京シティ・フィル

2021年03月27日 | 音楽
 高関健が東京シティ・フィルの常任指揮者に就任してから6シーズンが経過した。コロナ禍で各オーケストラが不安定な活動を続けるなかにあって、東京シティ・フィルが比較的安定しているのは、高関健の存在が大きいにちがいない。当夜のプログラムは、当初はヴェルディの「レクイエム」が予定されていたが、さすがにこの状況では大規模な声楽を伴う曲は無理ということで、後述するプログラムに変更になったが、その場合でも手綱を緩めずに、オーケストラに緊張を強いる曲を選ぶのは、いかにも高関健らしい。それがこのオーケストラのモチベーションの維持につながっているのだろう。

 「オーケストラに緊張を強いる曲」とは、2曲目に演奏されたショスタコーヴィチの交響曲第8番のことだが、その前にモーツァルトの交響曲第31番「パリ」が演奏された(第2楽章は初稿)。高関健がプレトークでふれていたように、モーツァルトがパリでの成功を願って、音型もオーケストレーションも派手に書いた部分をあえて強調した演奏で、わたしは「この部分がそれかな」と思いながら楽しんだ。

 ショスタコーヴィチの交響曲第8番は、冒頭の低弦の深々として悲劇的な音色からして、「おおっ」と思わせた。高関健と東京シティ・フィルの並々ならぬ意欲はもちろんだが、それが先走らずに、響きの練度を上げていく演奏姿勢が伝わった。長大な第1楽章での多彩な音色を聴くと、オーケストラの音の抽斗が(高関健のもとで)ずいぶん豊富になったことを感じた。第2楽章と第3楽章での鋭い音も見事だった。また全体を通して、ファゴット、トランペット、ホルンなどのソロも安定していた。

 最終楽章(第5楽章)でちょっとしたアクシデントがあった。すでに多くの人がSNSで発信していることだが、チェロの首席奏者の弦が切れた。隣の席の奏者が首席奏者と楽器を交換して(そのとき高関健は休止を心持ち長めにとった)、その奏者が舞台裏に引きさがる一方、首席奏者は演奏を続けた。その直後に首席奏者のソロがあった。危機一髪だ。聴衆が固唾をのんで見守るなか、そのソロの艶やかな音色が響きわたった。

 盛大な拍手が起こった。アクシデントがあったにせよ、充実した演奏を展開した指揮者とオーケストラへの心のこもった拍手だった。楽員が解散してからも拍手が鳴りやまず、高関健がふたたび舞台に登場した。その拍手には高関健への東京シティ・フィルの聴衆のたしかな支持が感じられた。

 高関健は新国立劇場での新制作のストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」とチャイコフスキーの「イオランタ」の急な代役の仕事が舞い込み、そのリハーサルと並行してこの演奏会のリハーサルを進めた。ハードな状況だったろうが、見事な成果をおさめた。
(2021.3.26.サントリーホール)

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