去る10月19日の夕方から腹痛を起こし、深夜に救急車で病院に搬送され、緊急入院となった。そのときは、週末の横浜定期に行かれるだろうかと、ベッドの中で考えた。結局、23日に一旦退院となり、横浜定期に行くことができた。その演奏を聴きながら、無事に来れてよかったと思った。
1曲目はベートーヴェンの交響曲第1番。2曲目のピアノ協奏曲第1番もそうだが、交響曲第1番も、実演で聴く機会はめったにない。その意味では貴重な機会だが、交響曲第1番の演奏は少々荒っぽかった。管楽器(とくに木管楽器)と弦楽器とのバランスに違和感があり、木管楽器に比べて弦楽器の鳴りが悪いと感じた。久しぶりに聴くこの曲に意気込んでいたわたしは、満たされない思いがした。
2曲目はピアノ協奏曲第1番。ピアノ独奏はアレクセイ・ヴォロディン。その独奏は圧巻だった。とくに第1楽章のカデンツァは、渦巻くような音の動きで、若きベートーヴェンが髪を振り乱して演奏しているような存在感があった。舩木篤也氏のプログラム・ノーツによると、カデンツァにはベートーヴェンの自作が3つあるそうだが(そのうち1つは未完)、そのどれかだろうか。長大な意欲作だった。
この日のプログラムは長いので、ソリストのアンコールはないだろうと思っていたら、ショパンの「子犬のワルツ」が演奏された。子犬が遊んでいるというよりも、音の連なりがどこかに飛んで行ってしまうような超絶技巧の演奏。それにも驚いたが、もう一曲、ラフマニノフの前奏曲集作品32‐12が演奏されたときには、ヴォロディンの本領の一端に触れる思いがした。
3曲目はドヴォルジャークの交響曲第8番。クリアーな音でよく鳴るオーケストラは、名演というにふさわしい演奏だった。1曲目のベートーヴェンの交響曲第1番で覚えた不満はすっかり忘れた。堂々として、スケールが大きく、オーケストラが安定していた。舩木篤也氏はプログラムに寄稿した文章で、インキネンが「日本フィルとともに成長した」と書いているが、まさにそれを実感させる演奏だった。
インキネンは1980年生まれだから、今39歳。そろそろ脂がのる時期だ。来年はバイロイトの「リング」の新演出を振るので、それも自信につながっているだろう。わたしたちはそのインキネンの30歳代を見守ってきた。想い出が多い。
驚いたことには、オーケストラのアンコールがあった。ドヴォルジャークのスラヴ舞曲作品72‐6。定番のホ短調作品72‐2ではないところがいい。
(2019.10.26.横浜みなとみらいホール)
1曲目はベートーヴェンの交響曲第1番。2曲目のピアノ協奏曲第1番もそうだが、交響曲第1番も、実演で聴く機会はめったにない。その意味では貴重な機会だが、交響曲第1番の演奏は少々荒っぽかった。管楽器(とくに木管楽器)と弦楽器とのバランスに違和感があり、木管楽器に比べて弦楽器の鳴りが悪いと感じた。久しぶりに聴くこの曲に意気込んでいたわたしは、満たされない思いがした。
2曲目はピアノ協奏曲第1番。ピアノ独奏はアレクセイ・ヴォロディン。その独奏は圧巻だった。とくに第1楽章のカデンツァは、渦巻くような音の動きで、若きベートーヴェンが髪を振り乱して演奏しているような存在感があった。舩木篤也氏のプログラム・ノーツによると、カデンツァにはベートーヴェンの自作が3つあるそうだが(そのうち1つは未完)、そのどれかだろうか。長大な意欲作だった。
この日のプログラムは長いので、ソリストのアンコールはないだろうと思っていたら、ショパンの「子犬のワルツ」が演奏された。子犬が遊んでいるというよりも、音の連なりがどこかに飛んで行ってしまうような超絶技巧の演奏。それにも驚いたが、もう一曲、ラフマニノフの前奏曲集作品32‐12が演奏されたときには、ヴォロディンの本領の一端に触れる思いがした。
3曲目はドヴォルジャークの交響曲第8番。クリアーな音でよく鳴るオーケストラは、名演というにふさわしい演奏だった。1曲目のベートーヴェンの交響曲第1番で覚えた不満はすっかり忘れた。堂々として、スケールが大きく、オーケストラが安定していた。舩木篤也氏はプログラムに寄稿した文章で、インキネンが「日本フィルとともに成長した」と書いているが、まさにそれを実感させる演奏だった。
インキネンは1980年生まれだから、今39歳。そろそろ脂がのる時期だ。来年はバイロイトの「リング」の新演出を振るので、それも自信につながっているだろう。わたしたちはそのインキネンの30歳代を見守ってきた。想い出が多い。
驚いたことには、オーケストラのアンコールがあった。ドヴォルジャークのスラヴ舞曲作品72‐6。定番のホ短調作品72‐2ではないところがいい。
(2019.10.26.横浜みなとみらいホール)