Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カスプシク/読響

2017年09月07日 | 音楽
 ヤツェク・カスプシクの名前はずいぶん昔から(たぶん何十年も前から)聞いているが、その指揮に接するのは初めて。ヴェテラン指揮者だと思っていたが、長身痩躯で颯爽と登場した。後でプロフィールを見たら1952年生まれ。今は指揮者として脂の乗り切った時期だろう。現在はワルシャワ・フィルの音楽監督を務めている。

 1曲目はヴァインベルク(1919‐96)のヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏はギドン・クレーメル。「近年クレーメルが蘇演しにわかに脚光を浴びるようになった」曲(マリーナ・チュルチェワ氏のプログラム・ノーツ)。ヴァインベルク・ルネサンスが起きている。その一環だと思われる。

 全4楽章からなるこの曲の第3楽章アダージョでの、沈潜した、集中力のある演奏が凄かった。クレーメルの独奏はもちろんだが、カスプシクの指揮も同様。息をするのも憚られるような緊張感があった。ライヴならではの緊張感。

 アンコールが演奏された。短い曲が2曲。その2曲目にショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番の冒頭テーマが出てきた。思わずニヤリとした。次のショスタコーヴィチの交響曲第4番への橋渡しを考慮した選曲だろう。クレーメルの選曲の妙に感心した。演奏会が終わってから、出口で掲示を見た。ヴァインベルクの「24のプレリュード」から第4番と第21番だった。

 プログラム後半はショスタコーヴィチの交響曲第4番。前曲でのオーケストラの演奏に引き締まった造形感があり、焦点がよく合った演奏だったので、期待が高まった。

 第1楽章は、曲の各部分が強調され、引き裂かれ、あるいは唐突に移行した。サイケデリックというと言い過ぎだが、現代音楽のような感覚があった。わたしは先年ラザレフが日本フィルを振った名演を想い出した。あのときは整然とした時間の流れの中にあったこの曲が、今はいびつな時間の荒波に翻弄されているようだった。

 第2楽章はストレートな表現だったが、緩徐楽章とフィナーレとが合体された第3楽章の、そのフィナーレの部分で、わたしは幾つもの表象が浮き上がるような、そういう表象からなる音楽を感じた。交響曲第15番でそう感じることがあるが、この曲でそう感じたことは初めて。興味深かった。

 コンサートマスターの荻原尚子をはじめ、ファゴット、イングリッシュホルン、トロンボーンその他のソロの名技を堪能した。
(2017.9.6.東京芸術劇場)

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