Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

広上淳一/日本フィル

2017年07月09日 | 音楽
 広上淳一を初めて聴いてから、いったいどのくらい経つだろうと、過去の日記をめくってみたら、かれこれ30年ほど経っていた。デビュー当時のやんちゃ坊主さながらの様子が目に浮かぶが、今ではすっかり貫禄がつき、百戦錬磨の風貌を示すようになった。京響での成功が自信につながり、かつ地歩を固めたことが大きいだろう。

 広上淳一と日本フィルとの関係は、30年くらい続いているわけだが、そのプログラムは近年ますます自由度を増しているように思われる。両者の関係の成熟度の表れだとしたら嬉しい。

 今回、1曲目はモーツァルトの歌劇「魔笛」序曲。出だしの弦の音が透明で澄んでいた。広上淳一が日本フィルを振るときの特徴として、瑞々しい音と伸びやかな音楽性が挙げられるように思うが、その特徴がこの出だしに表れていた。ただ、後半になると音に翳りが出て、清澄さが失われたように感じるが、どうだろう。

 2曲目はラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」。ピアノ独奏はジャン=エフラム・バヴゼ BAVOUZET。シャンドス・レーベルの専属アーティストでドビュッシーのピアノ曲全集を録音し、またラヴェルのこの曲も録音しているので、まったく危なげのない演奏だった。広上/日本フィルのバックもよかった。とくにミュートを付けたトロンボーンのソロの切れ味のよさが印象的だった。

 アンコールにドビュッシーの「アラベスク第1番」が演奏された。甘くノスタルジックな音楽に心がほっこりした。土曜の午後にふさわしかった。

 3曲目はリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」。艶のある音で甘く歌う部分、テンポを上げて巻きあげる‘めくるめくような’部分、じっくりと沈潜する部分という具合に、どこを取っても焦点の合った演奏だった。それにしても、いつも思うことだが、最後のあの不協和な終わり方は面白い。シュトラウスはよく考え付いたものだ。

 広上淳一は以前リヒャルト・シュトラウスの組曲「町人貴族」で名演を聴かせたことがあるが(調べてみたら2011年10月の定期だった)、今回、それを想い出した。レパートリーの広い指揮者で、わたしはシューベルトの初期交響曲などが好きだが、案外シュトラウスへの適性もあるのかもしれない。

 午後3時半過ぎに終わったので、友人たちと「まだ早いかな」と言いながら飲みに行ったら、居酒屋は満員の盛況だった。
(2017.7.8.東京芸術劇場)

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