Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/都響

2015年01月16日 | 音楽
 都響の「日本管弦楽の名曲とその源流」シリーズの第19回。同シリーズは1月23日(金)の第20回で幕を閉じる。残念だ。名称は何度か変わったが、長年、毎年1月は都響で音楽の‘今’に触れることを楽しみにしていた。これで都響も普通のオーケストラに変わる。経営サイドはホッとしているだろう――と、これはわたしのひがみだ――。

 今回は、川島素晴(1972‐)、ディーター・シュネーベル(1930‐)、マウリシオ・カーゲル(1931‐2008)という顔ぶれ。さすがに集客は難しかった。

 1曲目は川島素晴の「室内管弦楽のためのエチュード」。当初は、いずみホール(大阪)・紀尾井ホール(東京)・しらかわホール(名古屋)の合同委嘱にもとづき、各ホールをテーマにした3曲を書いた。その後、再演の際に、再演の地の前橋と札幌をテーマにした曲を追加し、今回は上野をテーマにした曲を追加した、というユニークな経緯の曲だ。

 結果的に6つの小品から成る組曲になっている。実感としては6つのキャラクターピースの連続といった趣だ。今後も再演の機会に増えるかもしれない。

 個々の曲はアイディア満載だ。でも、(わたしには)それ以上の感想は残らなかった。

 2曲目はシュネーベルの「シューベルト・ファンタジー」。シューベルトのピアノ・ソナタ第18番の第1楽章を素材にして、それを自由に変形し、膨張させた曲だ。同楽章はユニークなファンタジーに満ちている。後期の3大ソナタ(そんな言葉があったかどうか)に入る前のシューベルトの境地が窺える名曲だ。

 同曲は2群のオーケストラで演奏される。オーケストラⅠは旋律部分を受け持つ(旋律といっても、切れ切れの断片だ)。オーケストラⅡは低音部を受け持つ。このオーケストラⅡが面白い。長野麻子氏のプログラム・ノートを引用すると、「オリジナルの低音部で鳴り響く保続和音に基づく音響の層で、5オクターヴに及ぶ自然倍音列風に重ねられた緻密なスペクトルを形成する。」。

 クラシカルな名曲を現代の手法・音響で処理する(現代の‘耳’で聴き直す)という試みが、20世紀後半から見られるようになった。同曲もその一つだろう。今後驚くような作品が生まれるかもしれない。

 3曲目のカーゲルの「ブロークン・コード」は、あまり面白みを感じなかった。なお、以上3曲とも、下野竜也/都響の演奏はきわめて優れていた。
(2015.1.15.東京文化会館)

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