Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

新国立劇場「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

2021年11月22日 | 音楽
 新国立劇場の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が開幕した。思えば長い道のりだった。新型コロナ・ウイルスと東京オリンピックに翻弄された公演だった。

 当プロダクションは、新国立劇場、東京文化会館、ザルツブルク・イースター音楽祭、ザクセン州立歌劇場(ドレスデン)の共同制作だ。まず2019年4月にザルツブルク・イースター音楽祭で初演され、次いで2020年1月にザクセン州立歌劇場で上演された。そして2020年6月に東京オリンピックに向けて東京文化会館と新国立劇場で上演される予定だったが、新型コロナ・ウイルスのために延期された。2021年8月には東京オリンピックに合わせて東京文化会館で上演する予定が組まれたが、それも中止。そしてやっと今回の上演となった。

 とにもかくにも上演されたことを祝いたいが、心なしか今回の上演では、このオペラに特有の祝祭性が欠けていた。

 前奏曲が始まると、大野和士指揮都響という万全の体制が組まれたにもかかわらず、その演奏は音が混濁していた。わたしは都響の定期会員だが、定期演奏会では聴いたことがない音だ。その後も、少なくとも第1幕は平板な演奏が続いた。目を見張ったのは第2幕に入ってすぐのハンス・ザックスの「ニワトコのモノローグ」だ。そこではみずみずしい抒情性が浮き上がった。それ以降も抒情的な部分では美しい音が鳴った。

 歌手ではハンス・ザックスを歌ったトーマス・ヨハネス・マイヤーがよかった。わたしはこの歌手が新国立劇場で歌ったすべての役を聴いているが、今回が一番よかった。声と歌唱の深みで共感できた。ベックメッサーを歌ったアドリアン・エレートは、ノーブルな声と正確な歌唱で高度な出来だが、妙に淡々としていた。ヴァルターを歌ったシュテファン・フィンケは満足すべき歌唱だったが、華には欠けた。

 イェンス=ダニエル・ヘルツォークの演出は、舞台を劇場内部にとり、ザックスは劇場支配人、ベックメッサーをはじめとするマイスタージンガーたちは同劇場の歌手、ヴァルターはオーディションを受けにきた新人、ダーヴィッドは舞台監督、ポーグナーは大金持ちのパトロンという設定だ。舞台上には化粧部屋、小道具置き場、リハーサル室などがあり、その中でさまざまな動きが起きる。

 いうまでもなくこのオペラの問題点は、ポーグナーの家父長制と、ザックスの排外主義(ナショナリズムの扇動)にあるが、それらの問題点を、最後にエーファとヴァルターが「こんなオペラ、やっていられるか!」と舞台を去ることで解決する。ヘルツォークはそれがやりたくてこのような劇場内部を舞台にした演出をしたのだろう。
(2021.11.21.新国立劇場)

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