今年は別宮貞雄(1922‐2012)の生誕100年、没後10年の記念年だ。そこで都響が定期演奏会でオール別宮貞雄プロを組んだ。曲目はヴァイオリン協奏曲(1969)、ヴィオラ協奏曲(1971)とチェロ協奏曲(1997/2001)。指揮は下野竜也。
いまわたしは3曲を作曲順に並べたが、じつはプログラムはチェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンの順に並べられた。作曲順をさかのぼる形だ。それが意外だった。なぜ作曲順とは逆の順序で演奏するのだろう。その答えは演奏会を聴くとよくわかった。チェロ協奏曲は他の2曲にくらべて音楽の密度が薄いのだ。チェロ協奏曲では演奏会が締まらない。一方、ヴィオラ協奏曲とヴァイオリン協奏曲は、作曲年代が近いせいか、ともに密度が濃いので、どちらが最後であっても構わないようだ。
で、1曲目に演奏されたチェロ協奏曲だが、チェロ独奏は才能ある若手演奏家の岡本侑也が務めた。だが、さすがの岡本侑也をもってしても、この曲のどこをどうしたらよいのか、つかみかねたような演奏に聴こえた。それはオーケストラも同様で、なんとも所在無げな様子だった。
2曲目のヴィオラ協奏曲では音楽の密度が一挙に高まった。わたしは当夜初めて音楽を聴く手応えを感じた。濃密な音楽のテクスチュアに時折東欧風の音調が混じる。小室敬幸氏のプログラムノート(いつもながらたいへん優れた解説だ)に「旋律やリズムについてはバルトークからの影響が大きい」と書かれているが、その部分だろう。
ヴィオラ独奏はティモシー・リダウトTimothy Ridoutが務めた。1995年ロンドン生まれだ。外国人が別宮貞雄の曲を?と思わないでもなかったが、プロフィールをよく読むと、今井信子に師事したとある。今井信子はこの曲の初演者(放送初演と舞台初演の両方の初演者)なので、その師弟関係からくるのかもしれない。ともかく演奏はこの曲の細部まで完璧に弾きこなす見事なものだった。
3曲目のヴァイオリン協奏曲では、ヴァイオリン独奏を南紫音が務めた。アグレッシブに攻める演奏でこれまた見事だった。南紫音の演奏はいままで何度か聴いたことがあるが、今度の演奏で決定的な印象を受けた。この曲は2楽章構成だが、両楽章をつなぐブリッジのような形で長大なカデンツァが入る。その演奏の濃さに思わず惹きこまれた。
下野竜也指揮都響は、どの曲も出番が少ないので、手持無沙汰のように見えた。それは曲のためなので仕方ないのだが、聴くほうの側からいっても、オーケストラの演奏会としては多少物足りなさが残った。
(2022.9.30.東京文化会館)
いまわたしは3曲を作曲順に並べたが、じつはプログラムはチェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンの順に並べられた。作曲順をさかのぼる形だ。それが意外だった。なぜ作曲順とは逆の順序で演奏するのだろう。その答えは演奏会を聴くとよくわかった。チェロ協奏曲は他の2曲にくらべて音楽の密度が薄いのだ。チェロ協奏曲では演奏会が締まらない。一方、ヴィオラ協奏曲とヴァイオリン協奏曲は、作曲年代が近いせいか、ともに密度が濃いので、どちらが最後であっても構わないようだ。
で、1曲目に演奏されたチェロ協奏曲だが、チェロ独奏は才能ある若手演奏家の岡本侑也が務めた。だが、さすがの岡本侑也をもってしても、この曲のどこをどうしたらよいのか、つかみかねたような演奏に聴こえた。それはオーケストラも同様で、なんとも所在無げな様子だった。
2曲目のヴィオラ協奏曲では音楽の密度が一挙に高まった。わたしは当夜初めて音楽を聴く手応えを感じた。濃密な音楽のテクスチュアに時折東欧風の音調が混じる。小室敬幸氏のプログラムノート(いつもながらたいへん優れた解説だ)に「旋律やリズムについてはバルトークからの影響が大きい」と書かれているが、その部分だろう。
ヴィオラ独奏はティモシー・リダウトTimothy Ridoutが務めた。1995年ロンドン生まれだ。外国人が別宮貞雄の曲を?と思わないでもなかったが、プロフィールをよく読むと、今井信子に師事したとある。今井信子はこの曲の初演者(放送初演と舞台初演の両方の初演者)なので、その師弟関係からくるのかもしれない。ともかく演奏はこの曲の細部まで完璧に弾きこなす見事なものだった。
3曲目のヴァイオリン協奏曲では、ヴァイオリン独奏を南紫音が務めた。アグレッシブに攻める演奏でこれまた見事だった。南紫音の演奏はいままで何度か聴いたことがあるが、今度の演奏で決定的な印象を受けた。この曲は2楽章構成だが、両楽章をつなぐブリッジのような形で長大なカデンツァが入る。その演奏の濃さに思わず惹きこまれた。
下野竜也指揮都響は、どの曲も出番が少ないので、手持無沙汰のように見えた。それは曲のためなので仕方ないのだが、聴くほうの側からいっても、オーケストラの演奏会としては多少物足りなさが残った。
(2022.9.30.東京文化会館)