Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

山田和樹/N響

2019年04月21日 | 音楽
 山田和樹が振るN響定期の1曲目は平尾貴四男(1907‐1953)の交響詩曲「砧」(1942)。山田和樹は「平尾の次女、木下まゆみにピアノを習っていた」そうなので(プログラムに掲載されたプロフィールより)、その縁での選曲かもしれない。

 平尾貴四男の作品は、フルートの曲を何か聴いた気がするが、「砧」は初めてなので、事前に音源を探したら、YouTubeに山岡重信指揮読響の音源が見つかった(1971年の演奏)。それを聴くと、日本的な情緒が漂う、のどかな曲だった。そう思って演奏会に臨んだら、印象はずいぶん違った。のどかな、というよりも、引き締まった構成を感じた。今回の演奏の方が、わたしには好ましかった。

 2曲目は矢代秋雄のピアノ協奏曲。ピアノ独奏は河村尚子。多くの方と同様に、わたしも中村紘子の演奏ですりこまれている曲だが、河村尚子の演奏で聴くと、印象はずいぶん違った。スリムでシャープな感じがした。それに比べると、中村紘子の演奏は豪快だったが、もう時代が変わったようだ。今回オーケストラの演奏も鮮烈だった。演奏時間約27分の大曲だが、稲妻が光るように駆け抜けた。

 アンコールが演奏された。心に沁みる日本の曲。懐かしさが胸に広がった。だれの曲だろう。矢代秋雄のピアノ協奏曲で緊張しきった神経が、優しく慰撫された。休憩中にロビーに行ったら、矢代秋雄(岡田博美編)の「夢の舟」(ピアノ独奏版)とのことだった。

 休憩後はシェーンベルクの交響詩「ペレアスとメリザンド」。山田和樹の語り口のうまさが発揮された演奏だ。演奏時間約40分の長大な曲だが、飽きずに聴けた。メーテルリンクの戯曲の筋を追いながら、全体を4部に分けて構成し、(リストの交響詩「前奏曲」と同じように)交響曲のように仕上げた曲だが、曖昧模糊とした経過部も多い。そこで道に迷わずに、全体の流れの中に収めた。

 だが、率直にいえば、語り口のうまさを超えた、もう一段上のレベルのものが欲しかった。それは何だろう。研ぎ澄まされた音色か。むせかえるような官能性か。それとも他の何か、か‥。

 というのは、山田和樹が日本フィルを振って演奏したシェーンベルクの「浄夜」が忘れられないからだ(2014年9月の定期だった)。その演奏には、凄みのある美しさというか、何か突き抜けたものがあった。それから5年たち、山田和樹は格段にうまくなり、またスケールも大きくなったが、名演が生まれるためには、さらに磨き上げてほしいと思うときもある。
(2019.4.20.NHKホール)
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