アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

620 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  73番  妙満寺

2019-05-23 08:57:03 | 日記

73番 妙満寺

 

京都市左京区岩倉幡枝町91

山号  妙塔山

宗派  顕本法華宗

開山  日什

本尊  三宝尊

洛中法華21ケ寺

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京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

洛北には数少ない法華宗寺院である。洛中法華21ケ寺の一つであり開山は日什が、室町時代に六条坊門室町に法華堂を建立したのが始まりだ。その後の変遷は、60番台で多くの法華宗寺院で紹介した通りで、火災によりすぐ綾小路東洞院に、応仁の乱後は四条堀川に、そのあと有名な天文法華の乱で多くの法華宗寺院と共に泉州堺に移る。その後すぐ後奈良天皇の許しを得て四条堀川に復帰する。そして秀吉の命令で寺町に移り幕末の禁門の変まで何度も火災に合うが復活し、現在の岩倉の地には戦後で昭和も43年になってからだ。現代の寺と言っても過言ではない。近年はつつじの花が数千本植えられ「花の寺」とも言われる。

見所は、方丈内の「雪の庭」である。松永貞徳作庭のこの庭園は、京の「雪月花」の3庭園の一つである。清水寺の「月の庭」と共に二つのみが現存している。いずれも成就院という名の塔頭にある。因みに「花の寺」は北野成就院にあったが現在は廃寺となっている。妙満寺の雪の庭は清水寺と比べると小規模だが趣向を凝らした手の込んだ中庭で本当に雪が積もったら写真マニアが殺到する。

また、こちらは安珍清姫伝説の『鐘』を保有している。紀州道成寺から秀吉家臣の仙石秀久が京都に持ち帰る時にその重さで途中投げ出したものを妙満寺が引き取った。実物を拝見できるが、そんなに巨大なものではなく鐘の中に変身した清姫が閉じ込められるほどの大きさではない様に見えた。

筆者は、12月8日の釈迦が悟りを得た事を祝う「成道会」に訪ねて「大根炊き」の接待を受けたことがある。お揚げと大根の質素なものだが寒空には有難かった。境内は広く、仏舎利大塔や巨大な方丈など新しい建造物が多く、歴史というより法華信仰者の多さや資金力を感じた。


619 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  72番  圓通寺

2019-05-22 08:55:29 | 日記

72番 圓通寺

京都府京都市左京区 岩倉幡枝町389

山号  大悲山

宗派  臨済宗妙心寺派

本尊  聖観音

開基  文英尼公

別称  幡枝御所  

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

圓通寺も庭園が必見の寺だ。実相院からは車で5分ほどで、近くには宝ヶ池など散策場所も多く昔から富裕層の居住地域でもある。

瀟洒なたたずまいの地域に広大な敷地を誇る圓通寺だが、見どころは比叡山を借景にした方丈前庭園だ。借景庭園の王者と言っても過言ではない。本尊の聖観音像のある本堂から比叡山の方向に平面の庭園が視野に広がる。高縁の柱やまっすぐ伸びた杉の大木を通して見ると、あたかもそれぞれ額縁に収まったような絶景である。真東の比叡山の頂上を正面に眺めると、あたかもこの庭園に取り込んだのようなこの景色を見る為だけに来たようなものだ。

借景庭園

寺は、後水尾上皇が営んだ「幡枝御所」のあとで、近くの修学院に離宮を完成させた後、門跡寺院として正式に禅寺とした。上皇からは大悲山圓通寺の勅願を賜り、その後霊元天皇の勅願寺として発展した。本尊の左右には江戸時代後半の天皇の位牌が並ぶ。

受付に座る住職としばし歓談する。やはり皇族とは関係が深く、上皇(平成天皇)・上皇后陛下の退位式典にも招かれたらしく、その時、陛下には「退位後は京都にお戻りいただくよう申し上げた。」との事だった。もとより筆者も賛成だ。空気の悪い千代田の地ではなく現在も「王城の地」である京都に「還幸」してもらいたいものだ。皇室関係の話題で大いに盛り上がり、5月始まりの新天皇の「令和カレンダー」を購入して気分よく本日の訪問を終えた。

因みに京都では、東京遷都は正式には発表されていず、今でも天皇は一時東京に行幸しているに過ぎないと解釈している。1200年以上の平安京の歴史からすれば、明治以降120年など大したことではない。なにせ「先の大戦」とは、「応仁の乱」なのだから。


618 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  71番 実相院

2019-05-21 07:53:59 | 日記

71番 実相院

 

京都市左京区岩倉上蔵町121

宗派  単立寺院

山号  岩倉山

本尊  不動明王

開基  静基

別称  岩倉門跡・実相院門跡・岩倉実相院

四脚門

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

いよいよ洛北のお寺を巡る。実相院は枯山水庭園と床緑(床もみじ)が主目的である。鎌倉時代の創建だが、江戸時代初期に後陽成天皇の中宮にこの寺に入山していた室町幕府最後の将軍義昭の孫の母が入り親王を儲けた事から一気に皇室との関係が深まった。後水尾天皇や東福門院和子もしばしば訪れた。因みに修学院離宮も近い。またその後、東山天皇の中宮宜秋門院から自らの住まいである大宮御所の建物を賜り今日に伝わる。その遺構の一つ、山門の四脚門をくぐり車寄せ・客殿に入る。

パンフレットから

堂内はそう広くなく、すぐにお目当ての床緑が見える。撮影できないのでその前の座布団にしばらく座りその情緒を堪能する。黒光りした光沢のある床に移る青葉の見事さに感動する。反対側の本尊不動明王を拝み。高縁から枯山水庭園を見る。いずれも紅葉の季節に再び訪れたい。

庭園

洛北のお寺は多くが名園を保有している。難しい講釈は抜きに心の安らぎを求めに行きたい。次はすぐそばの圓通寺へ行く。


617  アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  70番 浄福寺

2019-05-20 08:33:17 | 日記

70番 浄福寺

 

京都市上京区浄福寺通一条上がる笹屋町2

山号  恵照山

宗派  浄土宗

建立  班子女王

本尊  阿弥陀如来

別称  村雲寺

 「浄福寺 京都」の画像検索結果

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

浄福寺は西陣地区の西のはずれ千本通に近い地域にある。創建は奈良時代末期と伝わるが、光孝天皇の皇后の班子女王の御願寺として今に伝わる。陽成天皇から数代遡り皇位を継承した為、およそ天皇・皇后への可能性のないお二人には多くの逸話が残る。自ら薪を燃やし米を焚いたり、市井に出て買い出しもしたらしい。班子女王は神としては福王子神社の主祭神となっているが、お寺についてはこちらが御願寺である。

 「班子女王」の画像検索結果福王子神社

この班子女王という女性は、実は「天神」菅原道真と共に怨霊の可能性が高い。宇多天皇の生母である事は書いたが、藤原基経との「阿衡の紛議」で失脚した橘広相を信頼していた。その娘と宇多天皇の間には斎世王という皇位継承者がいた。その后は道真の娘である。分かり易く言うと、班子―宇多―道真―斎世というラインと、醍醐(宇多の子)-基経(阿衡の紛議の勝者)-時平(道真の政敵)ラインとの対立軸である。結果は言うまでもなく道真の左遷で決着し本邦屈指の怨霊となった。班子女王を主祭神とする神社を建立し御願寺も出来たのもうなづける。筆者は怨念をもって死んだ貴人は祟りを成すと言う日本の怨霊伝説がここでも生きていると考える。死者を仇やおろそかには出来ないのである。

浄福寺にはまず、赤門から入る。東京では赤門とは東京大学が有名だが、京都には常照寺の「吉野門(吉野大夫寄贈)」とこちらを覚えておきたい。「東門」の事だが、天明の大火の時この門のところで火災の勢いが止まったと言う。鞍馬の天狗が出てきて大きな扇で風を起こし火を止めたのだ。鞍馬の天狗は昔、洛中に様々な悪さを仕掛けるが、この様に良いこともしている。

また、日本初の違法建築の本堂も見ておきたい。難しい事はさておき柱の数や幅の制限を逃れる為、2棟の建物を巧妙につなげている。規制した幕府も知って知らぬふりをしたのだろう。広い境内は駐車場や幼稚園を経営していて現代の寺院経営の実態を垣間見る。いずれの話も班子女王が今でもお寺を物心両面で支えているのではないか。


616  アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  69番 雨宝院

2019-05-15 08:29:07 | 日記

69番 雨宝院

 

京都市上京区智恵光院通上立売通上ル聖天町9の3番地

山号  北向山

宗派  真言宗泉涌寺派

開基  空海

本尊  大聖歓喜天

別称  西陣聖天

 

西陣の中心地に由緒深い寺があった。雨宝院は東寺(教王護国寺)と並び嵯峨天皇が皇城鎮護の寺として空海が開基したものだ。本尊の歓喜天は空海が、嵯峨天皇の懊悩平癒の為に天皇の等身大に「一刀三礼」をもって自ら彫ったものである。一刀三礼とは一度彫る度ごとにお経を三度唱えると言う。凄まじい手間をかける手法である。

上京区の智恵光院通にある本隆寺の北壁沿いに曲がると小さなお堂がある。四方10mほどのここが皇城鎮護の大寺院であったとは思えない。狭い境内に二台の車が停車していて誠に興ざめであったが、有名な歓喜桜は葉桜の季節だったが満開時には見事な八重桜である。重文の千手観音像も有名だが、こちら大師堂の弘法大師像は東寺と対をなす。「阿」「吽」の阿がこちらで吽が東寺になっていて、こちらはお口が半開きとなっているようだ。なお、前出の歓喜天は秘仏となっている。また、染殿井は西陣5名水の一つで今でも水が湧き出る。無料だが、とにかく狭い中にお堂がいくつか建っていて、井戸も桜も一気に見学できる。町の中に溶け込んだ駐車場も兼ねた?お寺だった。