後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔200〕ブログ200号! 追悼、石牟礼道子『苦海浄土』をみんなで読み味わいました。

2018年12月04日 | 図書案内
 読書会のきっかけは、清瀬・憲法九条を守る会の会長のKさんとこんな話をしたところから始まりました。今年の3月ぐらいだったでしょうか。
「石牟礼道子が2月10日に亡くなったこともあり、もう一度、彼女の作品を読んでみたいと思っているんだけど。」
「私はしっかり『苦海浄土』を読んでないので、読書会でもやりませんか。」
 みんなで読むという目標ができることによって、いつもの怠け心を払拭できるということも経験上知っていました。
 最初に設定された開催時期は6月でした。残念ながら彼女の体調が思わしくなく、こちらの都合もあり、11月に延期になったのでした。
 集まったメンバーは8人、清瀬・憲法九条を守る会や清瀬・くらしと平和の会の人が大多数でした。初対面の方もいらして、とても良い刺激になりました。

  私が石牟礼道子に興味を持ったのは、彼女が「サークル村」の活動に参加していて、そこで文章力などが鍛えられたという事実からでした。私はラボ教育センターの言語教育総合研究所に所属しています。そのラボの基礎を築いたのが谷川雁でした。サークル村は上野英信、谷川雁、森崎和江などに主導されていました。参考のためにサークル村【復刻版】について紹介しておきます。

■サークル村【復刻版】全3巻・附録1・別冊1
 安保改定阻止国民会議が結成され三池争議が始まった1958。この年の9月に発刊された九州全県と山口県の地域や職場のサークル相互の交流と連帯を目的として刊行された<サークル交流誌>が本誌である。
 創刊時の編集委員は上野英信、木村日出夫、神谷国善、田中巖、谷川雁、田村和雄、花田克己、森一作、森崎和江。参加した会員は、数十のサークルに所属する200余名であった。
 敗戦直後から全国で展開され、1955年頃が全盛期といわれる無数のサークル運動は、そのまま集団の戦後思想史を形成する。精神の共同体であるサークルが果たした役割とは何か。異質なサークル間での交流はいかに可能であったのか。
 1959年に模索された<全国サークル交流誌>の提案と計画案作成に大きな衝撃を与えた本誌を関連の『労働藝術』『炭砿長屋』『地下戦線』の三誌とあわせて復刻。この運動の火付け役である谷川雁や上野英信だけでなく、サークル村に集った金属工や坑夫、郵便局員、鉄道員、紡績女工、教員、村の若者や主婦、その他もろもろの人々の声に耳をすませたい。


 そもそも石牟礼道子とはどんな人物なのでしょう。ウィキペディアには次のように書かれています。

■石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年3月11日 - 2018年2月10日[1])は、日本の作家。(ウィキペディア)
〔来歴・人物〕
 熊本県天草郡河浦町(現・天草市)出身。水俣実務学校卒業後、代用教員、主婦を経て1958年谷川雁の「サークル村」に参加、詩歌を中心に文学活動を開始。1956年短歌研究五十首詠(後の短歌研究新人賞)に入選。
 代表作『苦海浄土 わが水俣病』は、文明の病としての水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品として絶賛された。同作で第1回大宅壮一ノンフィクション賞を与えられたが、受賞を辞退。
 週刊金曜日の創刊に参画。編集委員を務めたが「手伝いをしただけ」である事を理由に2年で辞任している。
 2002年7月、新作能「不知火」を発表。同年東京上演、2003年熊本上演、2004年8月には水俣上演が行われた。
 2018年2月10日午前3時14分、パーキンソン病による急性増悪のため、熊本市の介護施設で死去。90歳没。
〔備考〕
 合唱曲の作曲家として知られる荻久保和明は、水俣病の恐ろしさを表現した絵本「みなまた 海のこえ」(石牟礼道子・丸木 俊・丸木位里、小峰書店刊、1982年)を題材にした合唱組曲「しゅうりりえんえん - みなまた海のこえ -」を制作した。

 
 私が初めて石牟礼道子に出合ったのは、絵本『みなまた 海のこえ』が出版された時のことでした。丸木俊、位里夫妻の絵にも興味を持ち、早速購入し、クラスの子どもたちに読み語ったのです。しゅうりりえんえん、というような、独特の擬態語、擬声語が耳底に残っています。
 2度目の出合いは、砂田明さんの一人芝居「天の魚」でした。口を大きく開けた仮面をつけた砂田さんの熱演が記憶に深く刻まれています。「天の魚」は「てんのいお」が正しいようですが。
 『苦海浄土』に進みましょう。


■苦海浄土(くがいじょうど)
 石牟礼(いしむれ)道子の聞き書きの形をとった小説。『空と海のあいだに』という題で1960年(昭和35)1月『サークル村』、65年12月~66年12月『熊本風土記(ふどき)』などに断続連載。69年1月『苦海浄土――わが水俣(みなまた)病』の題で講談社刊。54年ごろから熊本県水俣を中心とする八代(やつしろ)海(不知火(しらぬい)海)沿岸漁民は、新日本窒素水俣工場の排水に含まれる有機水銀によって「水俣病」の症状を現し始める。手足がしびれ言語等に障害をきたし、衰弱、死に至るか、かならず後遺症を残す病である。著者は患者たちに寄り添い無告(むこく)の患者にかわって、不知火海がまだ美しかったころから現状に至る思念を方言を生かした語り体でつぶさにつづり、文明の行き着いた地点を現場から激しく呈示、批判する。しかし、聞き書き、ルポならぬまさに著者の「私小説」と評される。続編に『天の魚(うお)』がある。[橋詰静子]
*『苦海浄土――わが水俣病』(講談社文庫)
*出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)


 今回私が手にしたのは新装版『苦海浄土―わが水俣病』(講談社文庫)でした。オビには「追悼 石牟礼道子さん」とあり、2018年3月23日29刷発行となっています。この本は岩波書店が発行を了承せず、講談社からの出版になったということをSさんが教えてくれました。この新装版では「解説 水俣病の五十年 原田正純」を加えたということでした。 

■新装版『苦海浄土――わが水俣病』(講談社文庫)
第1章 椿の海     山中九平少年 細川一博士報告書 四十四号患者 死旗
第2章 不知火海沿岸漁民  船の墓場 昭和三十四年十一月二日 空へ泥を投げるとき
第3章 ゆき女きき書    五月 もう一ぺん人間に 
第4章 天の魚 九竜権現さま 海石
第5章 地の魚 潮を吸う岬 さまよいの旗 草の親
第6章 とんとん村 春 わが故郷と「会社」の歴史
第7章 昭和四十三年 水俣病対策市民会議 いのちの契約書 てんのうへいかばんざい 満ち潮
 
解説 石牟礼道子の世界  渡辺京二
解説 水俣病の五十年   原田正純


 今回『苦海浄土―わが水俣病』を読み終えて私が得心が行ったのは、石牟礼道子は優れた「劇作家」であるということです。あるときは水俣病患者に成り代わってその思いを語り、あるときは新聞記者よろしく闘争現場を描き、ときには「細川一博士報告書」を報告するというように、変幻自在にその語りをかえるのです。学校演劇では構成劇という分野が湯山厚さんによって確立されたのを思い出します。さらに、演劇界では木下順二の「子午線の祭り」が平家物語を群読の手法で再構成し、源氏や平家、語り手などを登場させます。また、鎌田慧さんの『大杉栄』や『残夢』などの評伝文学にもドラマチックで劇画的な色彩を感じとることができます。『苦海浄土―わが水俣病』をそれらと比較検討するというのはとても興味深いことだと私には思われるのです。
 『苦海浄土―わが水俣病』全三部が藤原書店から出版されています。この大冊の解説を数人が書いていますが、その一人が鎌田慧さんでした。その鎌田さんは『サンデー毎日』にも追悼文《「小さな命」の仇討ちに賭けた生涯》を寄せて、「自然の声、水俣患者たちの声を、こころで聴き、地方住民の現実の言葉で描く、あたらしい石牟礼文学が誕生した。」と書いています。

■全三部『苦海浄土』藤原書店
全三部作がこの一冊に! 普及完全決定版!
「水俣病」患者とその家族の、そして海と土とともに生きてきた不知火の民衆の、魂の言葉を描ききった文学として、“近代”なるものの喉元に突きつけられた言葉の刃。半世紀の歳月をかけて『全集』発刊時に完結した三部作、第一部「苦海浄土」、第二部「神々の村」、第三部「天の魚」を一冊で読み通せる完全決定版。

◆鎌田慧・米本浩二 20180220 「追悼・石牟礼道子さん――「小さな命」の仇討ちに賭けた生涯(鎌田慧)/「パーキンソン病との闘い」と「ペン」(米本浩二)」(『サンデー毎日』2018年3月4日号)


 読者会の言い出しっぺの一人のKさんは、実に丁寧なレジメを作ってくれ、全編にわたっての「解説」を付けてくださいました。彼女は「ゆき女きき書 五月」がとりわけ好きで、この場面が秀逸であると言います。夫婦で魚を捕る状況が手に取るように活写され、それを読み解く彼女の語りが実に見事でした。石牟礼道子が乗り移ったような上質な語りの世界が出現しました。
 読者会を終えて、『苦海浄土』をさらに深く読み味わいたいと思いました。さらに、『苦海浄土』の朗読会を開いたらおもしろいかもしれないとも考えました。紹介された石牟礼の『椿の海の記』を読まないとどうにも収まりがつきそうにありません。


 最後に、参考として新聞記事や、私が目にした追悼文を紹介しておきます。

■石牟礼さん悼む「天の魚」 水俣でひとり芝居上演〔西日本新聞〕
 10日に90歳で死去した作家石牟礼道子さんの代表作「苦海(くがい)浄土」を基にしたひとり芝居「天の魚(いを)」が18日、石牟礼さんが育ち暮らした熊本県水俣市で26年ぶりに上演された。胎児性患者の孫を持つ年老いた漁師の一人語りを通して、水俣病の不条理と近代文明の矛盾を問うた作品を、多くの市民が鑑賞し、水俣を愛した郷土作家の死を悼んだ。
 「天の魚」は、石牟礼さんに影響を受けて水俣に移り住んだ舞台俳優の砂田明さん=1993年に65歳で死去=が脚本を手掛け、556回にわたり公演した。2006年に砂田さんの弟子だった川島宏知(こうち)さん(71)=高知県=が復活させ再び全国を巡回している。
 「杢(もく)は、こやつぁ、ものをいいきらんばってん、ひと一倍、魂の深か子でござす」。舞台では、川島さん演じる仮面の男が自宅を訪れた「あねさん」に水俣弁で語り掛ける。大きく開いた仮面の口から発せられる老漁師の独白は、肉体と精神を冒された患者や、絆を引き裂かれた家族の苦しみ、無念さを深く訴え掛けた。会場には、孫のモデルになった半永一光さん(62)の姿もあった。
 公演は市民グループ「水俣病を語り継ぐ会」が企画。石牟礼さんの死去後、初の舞台となった川島さんは「先生がこの舞台に引っ張ってくれたと思う。水俣病には背を向けられない」と話し、芝居を続ける覚悟を語った。=2018/02/19付 西日本新聞朝刊=

■石牟礼道子追悼
・「石牟礼道子の影」池澤夏樹、朝日新聞夕刊、2018/04/04
・「石牟礼さんと皇后とパソコン」辺見庸、「生活と自治」2018/04
・「浄土へ」田口ランディ、「生活と自治」2018/04
・「美しい人 かばい続けた半世紀」瀬戸内寂聴、朝日新聞朝刊、2018/06/14

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