後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔4〕最近の講座・ワークショップ風景です。

2015年01月14日 | 講座・ワークショップ
 第50回教育科学研究全国大会・公開講座(法政大学)で講座を担当しました。その報告を書きました。1つの講座・ワークショップの風景です。            



         公開講座 ドラマのある教室
                    
                     福田三津夫(日本演劇教育連盟、埼玉大学非常勤講師)

  世話人を入れて5人の講座。大学生から中堅、ベテラン教師まで参加者の年齢層は幅広い。少人数ゆえの、身体表現をじっくり楽しめるぜいたくな時間になったのかもしれない。 椅子だけを半円形に並べての講座スタイル。参加者の心身の弾みに応じていかようにでも対応できるのが強みだ。
 簡単な自己紹介の後、早速、講座スタートとなる。
 
 与えられた「ドラマのある教室」とは何か、私の考えるところをまず話す。
 拙著『いちねんせいードラマの教室』『ぎゃんぐえいじードラマの教室』(晩成書房)で使った「ドラマの教室」は学級づくりのドラマと授業の中のドラマを意味している。このことは学級づくりと授業づくり、つまり教育活動全般にドラマが存在しなければならないという主張である。そして、ここでいうドラマは2つの側面を持っている。演劇的身体表現活動そのものとしてのドラマと、教育活動を演劇的に見たときのドラマという位置づけである。次の柳歓子さんの優れた実践記録の一節がそのことを示していてわかりやすい。
 「光あふれる舞台の上で、ドラマが展開される。でも、そのすぐ脇の暗がりのなかにも、ドラマはある。」(「『生命』を見せよう」、『教育』2009年6月号)
 次に演劇とは何かということを問題にした。舞台上の交流と鑑賞者との交流で成り立つ身体表現を伴った芸術とここではごく簡単に押さえる。舞台上の交流を<ことばと心の受け渡し>と私は捉えている。ここで私の「学級づくり・授業づくり十か条」(『ぎゃんぐえいじードラマの教室』より)を紹介する。「人の話を興味を持って聴く」「相手にことばと心を届ける」「学級づくりはコミュニケーションづくり」に触れる。
 <ことばと心の受け渡し>とは、まずは相手のことばと心を全身でしっかり受けとめ、次に、ことばと心を相手に過不足なく届ける、「声で相手のからだにふれる」(竹内敏晴)ということになる。
 ここから実践的な話に移行する。子どもたちとの一日の出会いの朝の会から授業、集会・行事、帰りの会までこの<ことばと心の受け渡し>が意識され、貫徹される必要がある。
私は実際にどう実践したのか、困難だったクラスの顛末のさわりを話すことにした。
さて、<ことばと心の受け渡し>とは何を指し示すのか、具体的な「ワークショップ」を通して理解してもらおう。

①まど・みちおを遊ぶ
 「ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね/そうよ かあさんも ながいのよ
ぞうさん ぞうさん だれが すきなの/あのね かあさんが すきなのよ」
日本人なら誰でも知っているであろう「ぞうさん」の歌を歌ってもらう。昨年100歳になったまど・みちおさんの歌だ。少人数にしてはしっかり声が出ている。これは良い時間が持てそうだ。
「登場人物は何人ですか。」「2人」というのはすぐに出てくる。
「では、誰と誰との会話ですか。」この質問で一時会話は途切れる。どの講習会でも同様だ。幼少時から何度も歌った歌であろうに、すらすら答えが返ってくることはない。最終的には小さい子と子象の会話に落ちついた。2人1組でそれぞれの役を設定して台詞で言ってもらう。役設定はけっこうこだわりがありそうでなかなか会話までは進行しない。でもみんな役になりきり楽しそうだ。終わったら役を交代してもう1度。初対面同士の距離がぐっと近づく。
 最後は1人読みだ。2人組での会話の余韻を残して1人で読む。一人芝居の感覚だ。
 さて「ぞうさん」の数年後に「きりんさん」が書かれた。これも同じような展開で楽しんでみる。さらに数年後の「やどかりさん」。まどさんの詩は優しさにあふれていたり、ちょっと哲学的だったり、ユーモアのセンスをちりばめたり、ひらがなだけの詩で無限の宇宙を感じさせてくれるから凄い。
 ついでに「はひふへほは」も遊んでみよう。もちろん、まどさんの詩だ。
「はひふへほは ラッパに むちゅうで」と私が言ったら「ぱぴぷぺぽ ぱぴぷぺぽ」とみんなに言ってもらう。当然「ぱぴぷぺぽ」はラッパの音のイメージで。ラッパといってもそれぞれの音のイメージを大切に! 自分の好みのラッパの音を出そう。
 「ぱぴぷぺぽは ぶしょうひげ はやし」(私)「ばびぶべぼ ばびぶべぼ」(みんな) これを9連まで繰り返す。教師がリードすれば子どもたちは声を合わせやすいので、わずかな時間で取り組めそう。リーダーを交代すれば詩の雰囲気もがらりと変わるところがおもしろい。数回繰り返せば文字を見ないでも言えそうだ。学習発表会の群読発表にも活用できること請け合いだ。
 「あいうえお」はなかなか素敵なスタートだが、最後は賑やか。「自己紹介」という詩も楽しくて子どもにウケルこと間違いなしだ。

②群読「教室はまちがうところだ」(蒔田晋治)
 世話人と私も入って群読に挑戦だ。台本づくりは参加者でやるのが理想だが、今回は私の構成でやっていただく。どこまで迫力が出せるか。
 ソロは機械的に割り振る。1人で5人分ほど。みんな忙しく、緊張感みなぎる群読だ。
 大切なポイントはそれぞれの台詞を誰にどのような思いを届けるかということだ。「どのような思い」の中に個性がにじむ。全員での「教室がまちがうところだ」は声を合わせるのでなく、それぞれの思いをしっかり表現すること。結果的にばらばらでももちろんかまわない。全体よりも個を重視した群読を大切にしたい。こうした取り組みの結果、単なる文字が起き出してくる。文字の立体化だ。
 表現することとならんで重要なのが「聴くこと」「反応すること」。他の読み手の台詞をしっかり共感的に受けとめ、何らかの反応を返すこと。後半は前の人の台詞と重なるようにテンポと思いをアップして畳みかける。ちょっとした演出だ。
 いきなり、途中止めながらの読みに入り、なんと2回目は本番だ。そのできの見事なこと! 30分程度の時間でこれだけの表現を創り出したすべての参加者に感謝、感激する。

③「夕日がせなかをおしてくる」(阪田寛夫)の群読
④朗読劇「はのいたいワニ」(シェル シルバースティン)「ライオンとねずみ」(イソップ寓話)
③と④は時間切れでできなかったものだが、あらためて挑戦できればと思う。

 少しの時間でどれだけ<ことばと心の受け渡し>ということが伝わっただろうか心許ない。最後に世話人の山隆夫さんと参加者の感想で私の拙文を締めくくりたい。ちなみに山さんは大学時代の大親友である。
〔山隆夫さんのメールより〕
 「すごくいい話でした。福田君に頼んでよかったです。ゆっくりと君の哲学の世界に浸らせてもらって、うれしかったです。ことばが軽薄に表面をさらさらと流れていくような時代の中で、ひとことひとことが深く子どもたちの内面と響きあう、ことばの力を回復するような、それは子ども自身の生きる形を確かなものにしていくわけですが、指導や対応のありようを教えてもらったような気がします。
 詩の読み方一つでも、状況設定などふくめて声に本物の力や質、色彩を与えていくような深い意味を伝えてくれてありがとう。参加者のみなさんのあの笑顔と感動!
 同じ時間を一つの君の物語の中で共有できたことに感謝しています。ありがとう。」

〔参加者の感想より〕
「日々の教室の中で、クラスの雰囲気が明るく楽しく集中できる決め手を聞くことができ、とてもよかったです。ひとりひとりを大切にするためには「相手にどのように伝えるかを考えて話す」―。この相手意識と、自分がどのように伝えたいかを持っていることが必要であるのですね。そのことによって個が生かされていくのですね。聞き手は「全身で受けとめる」というイメージを、子どもたちに伝えていきたいと思います。授業での群読の取り組みや、気持ちを込めた表現を積み重ねることで、心が開放されていくように、実践を通して感じることができました。ありがとうございました。」(Hさん)

「『ことばと心の受け渡し』(ことばだけでなく気持ちも届ける)『反応することが大事』ということ、誰に向けて届けるのかを考える。本当にその通りだと思った。
 日々の教室での子どもたちの姿を思い浮かべながら聞く中で、2学期から改めて、子どもたちとの関係づくりを大事にした学級をつくり上げていきたい。先生に教えていただいた実践をぜひ教室でもやってみたいと思います。本当にありがとうございました。
 実践の詩や群読の授業がとてもおもしろかったです。子どもたちが心から楽しんで取り組む姿が眼に浮かび、自分自身もとても楽しかったです。先生が大事にしたいとおっしゃっていたことが、よく伝わってきました。」(Fさん)

「分科会の名前にひかれて参加しました。教室がドラマのような何かが起きるなんて素敵だなぁと思って。でも福田先生の話を聞いて、日頃からドラマがあって、しかも、演出する人がいないとそれができないと言っておられて、あぁ、自分もそのような演出ができる教師になりたいと思いました。
 短い時間でその役になってみて群読をしたのですが、難しくて、なぜそのようなセリフを言うんだろう? とか考えるだけで時間が過ぎていって…。あまり気持ちのこもったセリフを言えなくて悔しかったです。
 よくわからないまま来てしまったけれど、声を出すってやっぱり大人でもおもしろい!
来てよかったです。子どもたちにもやってあげたいなぁと思いました。ありがとうございました。」(学生Gさん)
 *第50回教育科学研究全国大会・公開講座(法政大学、2011.8.6)報告集より。



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