後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔18〕まど・みちお「ぞうさん」はいろいろなことを考えさせてくれますね。 

2015年03月09日 | 図書案内
  まど・みちおさんが大好きです。104歳で亡くなられたけど、私の中では今も生きています。
  偶然『こんにちはまどさん』を手に入れて、次のような文を書きました。常体で少し読みにくいかもしれませんが読んでみてください。


   まど・みちお「ぞうさん」をめぐって
    福田三津夫

 ブックオフで『こんにちはまどさん』(まど・みちお詩集、伊藤英治編、村上康成絵、理論社)と『点子ちゃんとアントン』(エーリヒ・ケストナー、高橋健二訳、岩波書店)を買った。(100円+消費税)×2冊=216円、マイレージのつくJALカード払いである。安くて、きれいで、良い本を孫たちにせっせと買い溜めしているのだ。年金生活者の知恵である。
 はてさて、なぜこの2冊だったのか。それぞれ微細に語りたいことがあるのだが、今回は『こんにちはまどさん』の話をしたい。
  幼稚園年中の孫に、谷川俊太郎、阪田寛夫などのことば遊びの書かれた子ども向けの本を多少オーバーに読んであげたところ、とても喜んだ。小学校、大学の授業やラボ教育センターなどのワークショップで鍛えた話術や仕草が受けたことは間違いない。「お爺ちゃん大好き。」などと言ってくれるようになった。
『こんにちはまどさん』は、そんなことから買い求めたのだ。この本は、同じ名編集者の伊藤さんが編んだ『まど・みちお全詩集』(長新太絵、理論社)から選んだものである。こちらの本は小学校教師を辞してから、アマゾンで買い求めたものだった。もちろん今までまど・みちおの詩は大好きで、山ほど読んできたのだが、この本は大部で、高価なので購入を手控えてきたのが真実だった。
 心静かに『まど・みちお全詩集』を全編読み通したら、さまざまな発見があり、今ではこの本からおもしろい詩を抜粋しながらワークショップに活用させてもらっている。

 さて『こんにちはまどさん』に話を戻す。「うたう うた」「ことばのさんぽ」「やさしい景色」として3部に構成されたまどさんの詩を読んでみると、またまた新しい発見がある。考えさせられたのは伊藤さんのあとがきだった。
 伊藤さんは、霜村三二さんを介して、「演劇と教育」の特集「まど・みちおを遊ぶ」のときにひとかたならぬお世話になった方だ。まどさんや工藤直子さんの私的な写真を貸してくれたり、巻頭の「ドラマの眼」を書いてくれた。まどさんの新刊本を送ってもらったこともある。しかし、残念ながら『阪田寛夫全詩集』の刊行を見ず亡くなられたのだった。その丁寧な仕事ぶりは高く評価されている。『工藤直子全詩集』をも視野に入れられていた方でもあった。
 彼があとがきにこう書いている。

ぞうさん 
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ
 なかよしの、おかあさんぞうと子ぞうの歌だと思うでしょう。しかし、こんな読みかたもあります。子ぞうがだれかに、「なぜ、そんなにはなが長いんだ。」と悪口をいわれます。すると、子ぞうは、「いちばんすきな、」かあさんも長いのよ」と、ほこりを持って答えます。からだが大きくて、はなが長くなくては、ぞうではありません。まどさんは、「ぞうは、ぞうとして生かされていることが、すばらしいのです」といっています。

 「ぞうさん」は私がワークショップで必ず取り上げる定番の詩である。「きりんさん」「やどかりさん」と続けて、最も大切にしている詩である。誰が誰に話しかけているのか、それはどのような思いなのか。そうしたことをからだを通しながら、実際に演じながら探っていき、<ことばと心の受け渡し>について考えてもらうのが私の常套手段である。
  この詩はもちろん次の詩とセットになった2連の詩であることは言うまでもない。

ぞうさん 
ぞうさん
だあれがすきなの
そうよ
   かあさんが すきなのよ

 伊藤さんは「わたしたちは、おなじ詩を読んでも、一人ひとりちがうかんじかたをします。それはとても大切なことなんです。」と書いているが、そのことは認めるが、それにしても多少の違和感が残るのだ。
 冒頭の「なかよしの、おかあさんぞうと子ぞうの歌だと思うでしょう。」をどう解釈するか。お母さん象と子象の対話から構成された詩という意味であればそれは違うと言うしかない。お母さん象と子象の関係を歌った詩ということであれば、それはそうだ。伊藤さんはたぶん後者を考えていたのだ思う。そうなると「しかし」という逆接の接続詞が意味をなさなくなる。ここは順接になるはずなのだ。
  この詩は2連連続の、誰かが誰かに呼びかけている詩だと考えられる。あるいは2人の対話だといってもいい。では、誰と誰なのか。
 「ぞうさん ぞうさん。」と呼びかけているのは象以外の誰かで、当然お母さん象と子象の対話ではない。動物園で来園した幼稚園生ぐらいの幼子が子象に話しかけるというのが自然なとらえ方なのだろう。では、話しかけるのは人間以外には考えられないだろうか。木の上の小鳥や、兎や犬でもかまわないだろう。あるワークショップで小学生が風と言ったことがあった。そう、木や雲、太陽でもいいではないか。

 では、この詩は何を言いたいのだろうか。やはり、象は象であること、自分は何物にも代えがたい自分なんだということ、そして自分自身を誇りに思うということなのではないだろうか。
 おなじ詩集に「くまさん」「うさぎ」がある。繰り返し、貴方は貴方でいいのだと言ってくれているのがまどさんだったのだ。

   くまさん

はるが きて
 めが さめて
くまさん ぼんやり かんがえた
さいているのは たんぽぽだが
ええと ぼくは だれだっけ
だれだっけ

はるが きて
 めが さめて
くまさん ぼんやり かわに きた
みずに うっつた いいかお みて
そうだ ぼくは くまだった
よかったな


うさぎ

うさぎに うまれて
うれしい うさぎ
はねても
はねても
はねても
はねても
うさぎで なくなりゃしない

うさぎに うまれて
うれしい うさぎ
とんでも
とんでも
とんでも
とんでも
くさはら なくなりゃしない

そして最後にだめを押す。ずばり、こんな詩もあるのだ。

ゾウ2

すばらしいことが
あるもんだ
ゾウが
ゾウだったとは
 ノミではなかったとは


 *次の詩には曲がつけられている。「ぞうさん」(團伊玖磨作曲)「くまさん」(鈴木敏朗作曲)「うさぎ」(大中恩作曲)


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