後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔71〕永井愛の芝居「書く女」と小栗康平の映画「FOUJITAフジタ」を見ました。

2016年01月31日 | 語り・演劇・音楽
  1月30日(土)、世田谷パブリックシアターで二兎社公演、永井愛作・演出の「書く女」を連れ合いと鑑賞しました。立ち見席が出るほどの盛況だったのですが、前から数列、ほぼ真ん中の絶好の席でした。この「書く女」は2006年初演で、主演が寺島しのぶでした。10年ぶりの再演ということになります。
  二兎社の公演はなかなかチケットが手に入らないのですが、「歌わせたい男たち」は何とか見ることができました。教育現場の「日の丸・君が代問題」をテーマにした作品で、笑いながらも理不尽な教育状況に思いをはせたものです。
 さて「書く女」ですが、今回の主演の樋口一葉役は黒木華です。連続テレビ小説「花子とアン」や映画「母と暮らせば」に出演しています。そして何より「小さいおうち」でベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を獲得していて、今まさに脂がのりきった女優さんです。

 まずは「書く女」の概要を知ってもらいましょう。

●二兎社公式サイト
 創作の原点となった日記をもとに、樋口一葉が作家として成長していく過程を描きます。
 一葉がもし現代の若い女性だったら、ブログやツイッターで日々の出来事をアップしていたことでしょう。親友のい夏ちゃんやライバル作家の龍子さん、そして桃水先生やイケメン青年文士たちとはメールやラインでやりとりしていたかもしれません。
 しかし、現代との大きな違いは、人と直接会って話をする機会の多さではないでしょうか。一葉の家には毎日のように訪問客があり、一葉も人に会うために頻繁に出かけて行きます。
 一葉は半径わずか数キロの狭い生活圏で生涯を過ごしました。それにもかかわらず、社会の底辺に住む人々から華族出身の令嬢たちに至るまで、多種多様な人々と交流し、想像以上に広い世界を生きました。
 スマホが手放せず、身辺で起きた出来事をつぶやき、匿名のネット空間で充足しがちな今だからこそ、生身の人間どうしが出会い、触れ合う豊かさやダイナミズムを、この舞台で体験してほしいと思います。
 約10年ぶりとなる今回の舞台では、一葉役の黒木華をはじめ、全てのキャストを一新しました。一葉の妹や友人、ライバル、そして樋口家を訪れる青年文士などの若手俳優9名は、全てオーディションやワークショップを経て選びました。舞台を中心に活躍する実力派ぞろいです。
 今回は新演出として、ピアニスト・林正樹の即興による生演奏とのコラボも期待されます。
 瑞々しく生まれ変わった2016年版『書く女』をどうぞお楽しみに!
 作曲・ピアノ演奏 林正樹
 出演       黒木華   平岳大   木野花
          朝倉あき 清水葉月 森岡光 早瀬英里奈 長尾純子
          橋本淳 兼崎健太郎 山崎彬 古河耕史

 可憐で可愛らしい佇まいの黒木華が、徐々に迫力を増して、書くことに執念をみせる女の生き様を見事に演じきっていました。死期が近づいたエンディングは圧巻でした。正面を向きながらの登場人物一人ひとりとのぎりぎりの「対話」は魂の交流といった風情でした。一葉の執念、したたかさを感じ取ることができました。…ただ、寺島しのぶの一葉も見てみたかったですね。
  永井愛さんはおそらく樋口一葉の全作品だけで無く、一葉に関係した本(日記など)を複数、丹念に読み込んで脚本を作ったに違いありません。なにか井上ひさしのドラマツルギーと通底するものを感じました。そういえば井上ひさしは「頭痛肩こり樋口一葉」を書いていますね。「評伝劇のファンタジー」の1つです。
 先日、井上ひさしの「きらめく星座」(こまつ座公演)をテレビで見ました。ピアノを弾く人が登場し、それに合わせて戦前の流行歌などを役者が歌うのです。「書く女」でもピアノ演奏者に合わせて歌を歌ったり、状況に応じた擬音を奏でたりしていました。再演で初めての趣向だということですが。
 「歌わせたい男たち」は日の丸・君が代を教育に強引に持ち込もうとするグループと、それを阻止したいグループの対立の中で、個々人の葛藤を描いた作品でした。集団の抗争が生む迫力を感じたものです。今回の作品は一人の人間の執念や情念といったものを描いた作品と言えるのでしょうか。いずれにしても秀作には違いありません。

  最近、映画「FOUJITAフジタ」を見に行ってきました。日本を代表する画家の藤田嗣治の生き様を描いた作品です。以前の私のブログで戦争責任と絡めて言及したことがあります。(ブログ〔68〕)

●映画「FOUJITAフジタ」
 『死の棘』で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ&国際批評家連盟賞をダブル受賞、『泥の河』『伽?子のために』『眠る男』など海外でも高く評価される小栗康平監督の、十年ぶりとなる最新作だ。パリで絶賛を浴びた裸婦は日本画的でもあり、大東亜の理想のもとに描かれた“戦争協力画”は西洋の歴史画に近い。小栗監督は「これをねじれととるか、したたかさととるか。フジタは一筋縄で捉えられる画家ではない」と語る。戦後、「戦争責任」を問われたフジタはパリに戻り、フランス国籍を取得。以来、二度と日本の土を踏むことはなかった。フジタは二つの文化と時代を、どう超えようとしたのか。
 フジタを演じるのは、韓国の鬼才キム・ギドク監督作品に出演するなど海外での活躍も目覚ましいオダギリジョー。フランスとの合作は本作が初めてである。映画の半分を占めるフランス語の猛特訓を受けて、見事にフジタを演じた。フジタの5番目の妻・君代役には、『電車男』『嫌われ松子の一生』『縫い裁つ人』などで名実ともに日本を代表する女優 中谷美紀。さらに、加瀬亮、りりィ、岸部一徳ら味わい深い個性派が集まった。フランス側のプロデューサーは、世界的大ヒットとなった『アメリ』のほか、アート系の作品も数多く手掛けるクローディー・オサール。静謐な映像美で描く、フジタの知られざる世界が現出した。

 小栗監督は「これをねじれととるか、したたかさととるか。フジタは一筋縄で捉えられる画家ではない」と語ったそうですが、この映画ではそのようには描けてないと思います。 藤田は何事に対しても真摯に全力投球する人間でした。あの乳白色の裸体画でも戦争画でも、「コドモノクニ」の喧嘩している子どもの絵でも、秋田県立美術館の大壁画でもすべて一所懸命の姿をさらしているのです。
 映画はそうした藤田を捉えていません。映像があまりにも美しすぎました。オダギリジョーがあまりに素敵すぎました。だから藤田ではないと思いました。藤田は情念の塊のような人間ではないでしょうか。
 エンディングはランスの教会に描かれた藤田の壁画の映像でした。こちらのカットが妙に説得力を持っているように私には映りました。藤田のすべてを語る迫力をこの壁画に感じることができました。
 「書く女」を見ながら「フジタ」のことを思い出していた私です。