わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

雑誌「ロードショー」と淀川長治さんのこと

2009-02-13 18:13:22 | 懐かしい思い出

Img034 昨年11月に休刊になった映画雑誌「ロードショー」に、フリーの編集者として創刊から最終号まで37年間在籍しました。その間、一番印象に残っているのは、連載原稿をお願いしていた映画評論家の故淀川長治さんに、20数年間にわたってお付き合いいただいたことです。淀川さんは、NET(現テレビ朝日)の「日曜洋画劇場」などの解説を担当、番組の最後に手をにぎにぎしながら「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」と挨拶することで人気者になった人。映画の伝道師、映画の語り部、人生の案内人として有名でした。

 その淀川さんの名前を冠した淀川長治賞授賞式が、「ロードショー」誌主催で毎年一回開かれた。映画文化の発展に功績のあった人物(または団体)を選考して表彰する賞で、92年の第1回受賞者、字幕翻訳家の戸田奈津子さんから、最終回(07年)の受賞者、映画プロデューサーの李鳳宇さんまで、16回続きました。その選考委員のひとりとして、山田洋次監督(95年)、北野武監督(97年)、俳優の真田広之さん(04年)、渡辺謙さん(06年)などに受賞インタビューをさせていただいたことも、いい思い出として残っています。

 1998年の晩秋、その淀川さんが入院。連載原稿をいただくことをあきらめていたところ、1026日に電話があり、「いま原稿を書いているから取りにおいで」ということ。東大病院まで出向いて、原稿をいただいたあと「一緒に写真を撮りましょうね」と言われ、お付きのかたに2ショットを撮っていただいた。憔悴しきった淀川さんを見て、ああ、これはお別れのご挨拶にちがいないと思い、胸がいっぱいになって病院をあとにしたことを覚えています。そして、約2週間後の1111日、淀川さんは死去されました。その際の写真と、遺稿になったナマ原稿は、大切に手元に保管してあります。今年は、淀川さんの生誕100年。折りにふれて、淀川さんと「ロードショー」の思い出をつづっていこうと思います。

 


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