デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

デヴィッド・マレイはアイラーの後継者に成りえたか

2011-05-15 08:08:55 | Weblog
 アルバート・アイラーが、1970年に謎の死を遂げたあと、後継者は誰だろう?という憶測がジャズジャーナリズムを賑わしていた。パーカーやブラウニーの例をみるまでもなく天才的なプレイヤーが急逝すると必ずささやかれる話題だ。両者の場合はともにその意志や音楽的方向性から枚挙にいとまがないほど名前が挙がったが、アイラーのときは決定的な名前どころか候補者すら見当たらない。

 それは折りしもフリージャズ・ムーブメントがピークを過ぎ、下火の一途を辿る時代性と、アイラーの強烈な個性によるものだが、未完に終わったアイラーのジャズ理論を引き継ぐ後継者の待望論があったのも確かだ。その待望論も忘れかけた70年代なかばに突如として現れたのはデヴィッド・マレイである。初リーダー作「フラワーズ・フォー・アルバート」のタイトル通り、往時のアイラーを彷彿させる音楽性は、生温いフュージョンに染まったジャズ・シーンにドライアイスを投げ込んだようなインパクトがあり、このスタイルがメインストリームになるとさえ思わせるほどそれは活力に漲っていた。

 デビュー以後、あまりにも多い作品のためマレイが目指す音楽性は曖昧に映るが、アイラーの革新性とジャズ本来の伝統性を重んじながら個性を出しているのは見逃せない。数ある作品でもビッグバンド編成の「サウス・オブ・ザ・ボーダー」は、後者の伝統に基づいた編曲とストレートな演奏で、それは「セント・トーマス」から伝わってくる。パーカッションの躍動的なリズムとラテン・タッチは原曲の持つ明るさを十分に活かしているし、何よりもマレイが無駄な装飾を削ぎ落とし、純粋な音とフレーズで勝負している点だ。仮にアイラーが生きていたとしても「セント・トーマス」を演奏するとは考えられないが、マレイは間違いなくアイラーの意志を継いでいたことに変わりはない。

 後継者といえば、平壌特派員の異名を取る韓国・中央日報記者の李永鐘氏が書いた「後継者 金正恩」(講談社刊)が話題を呼んでいる。自国の権威付けのためには他国への砲撃も辞さない隣国の後継者の素顔を描いたものだ。どうにもこの3代目の後継者は、長兄にさえ牙を剥く怪物王子らしい。いつかはこの後継者と各国の首脳が会談する日もあろう。机の上で握手をしながら下で足を蹴飛ばす後継者だと心得たほうがいい。

コメント (17)
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