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デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

銀巴里の灯は消えて

2012-10-14 07:56:54 | Weblog
 毎週日曜日の朝、記事をアップするころラジオから美輪明宏さんの声が聞こえる。リスナーから寄せられた人生の悩みに最良と思えるアドバイスをしたり、歯に衣を着せない時評や昔話で構成された「薔薇色の日曜日」という美輪さんの冠番組だ。思い出話でよく登場するのは銀座にあったシャンソン喫茶の草分けである銀巴里で、美輪さんをはじめ多くのシャンソン歌手がここを登竜門として育っている。

 60年代初頭、そのシャンソン喫茶で毎週金曜日の午後にフライデイ・ジャズコーナーと呼ばれたセッションが開かれていた。当時はレコードを主体とするジャズ喫茶は多数あったたものの、定期的に生演奏を聴かせる場所はなく、意欲的な演奏を発表する場がない。そんな現状と若いプレイヤーの熱意に打たれて場所を提供したのが本来ジャズとは関わりのない銀巴里で、そこに集まったのは新世紀音楽研究所という集団である。高柳昌行や金井英人をはじめ、菊地雅章、富樫雅彦、日野皓正、山下洋輔という今ではビッグネイムのプレイヤーが勉強を重ね、自身のスタイルを模索し、切磋琢磨した熱いグループだ。

 当時の音を持ち込んだテープレコーダーで録音したのはドクター・ジャズこと内田修氏である。モカンボ・セッションと並んで日本のジャズの変遷が記録された大変貴重なものだ。このアルバムは63年に行われたライヴの模様を収録したもので、新世紀音楽研究所というおどろおどろしい名前からはフリージャズを思わせるが、「グリーンスリーブス」をはじめ「ナルディス」や「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」というスタンダードを中心に演奏しているのが驚きだ。「グリーンスリーブス」は高柳のギターをフューチャーしたものだが、美しいメロディを損なわないテーマ処理ながら弦は鋭く、徐々にその音が増幅するあたりは日本のジャズの広がりを見るようでもある。

 銀巴里といえば、先月29日に札幌ススキノの銀巴里が閉店した。銀座の銀巴里から唯一のれん分けされた由緒あるシャンソンの店である。経営者の浅川浩二さんは銀座「銀巴里」の総支配人だったおじのもとで修業された人で、ご子息はジャズピアニストの浅川太平さんだ。ススキノでシャンソンを聴ける店はなくなったが、ジャンルを越えて音楽文化がつながってゆくのは心強い。今夜もススキノの賑わいは変わらないが、心なしかネオンがかすんで見える。

一部敬称略
コメント (18)
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