毎年かかさずに母の日にはプレゼントを贈っている。もう20年ほどになる。
小物の類から、観葉植物、健康食品、そのたびごとに、今年はどうするかと悩んできた。
最近は、ネタも尽きて、あっさり現金を送っている。
好きなものを買ってもらったり、父と旅行に行くとか自由に使えるので、それはそれで助かっているようだ。
全て「金で解決する」という風潮に、侵されてしまっているのかな。
誰かのために苦労すること、思いを何らかの形で伝えること。お金もその一形態だろうが実に侘しい限りだ。
と、思いながら今年も結局、お金になりそうな感じがする。
「かあさんの歌」もうあまり歌われることもなくなっているんだろう。
日本でこんな風景はもうない。僕たちの心象風景にとどまるのみ。
炊事をする母が、あかぎれのため、患部に生味噌をすり込み痛みを抑える。
日本に、そんな時代も確かにあったのだ。
かあさんが 夜なべをして
手ぶくろ 編んでくれた
こがらし吹いちゃ つめたかろうて
せっせと編んだだよ
ふるさとのたよりはとどく
いろりのにおいがした
かあさんは 麻糸つむぐ
一日 つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
おまえもがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめて ラジオ聞かせたい
かあさんの あかぎれ痛い
生味噌をすりこむ
根雪もとけりゃ もうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞える
なつかしさがしみとおる
母の日は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。
日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。
例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧では5月の最後の日曜日に当たる。
イギリスにおける起源は17世紀の「Mother's day」「Mothering Sunday」(奉公中の子ども達が年に一度、教会で母親と面会出来る、復活祭のちょうど40日前の日曜日)にまで遡る。
アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。
ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。
ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。
ジャービスの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、翌1908年の5月10日には同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった赤いカーネーションを手渡した。このことから、赤いカーネーションが母の日のシンボルとなった。
アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。1914年に「母の日」はアメリカの祝日になり、5月の第2日曜日と定められた。
日本では、昭和時代に皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)に行われていたが、1949年ごろからアメリカの例に倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。
小物の類から、観葉植物、健康食品、そのたびごとに、今年はどうするかと悩んできた。
最近は、ネタも尽きて、あっさり現金を送っている。
好きなものを買ってもらったり、父と旅行に行くとか自由に使えるので、それはそれで助かっているようだ。
全て「金で解決する」という風潮に、侵されてしまっているのかな。
誰かのために苦労すること、思いを何らかの形で伝えること。お金もその一形態だろうが実に侘しい限りだ。
と、思いながら今年も結局、お金になりそうな感じがする。
「かあさんの歌」もうあまり歌われることもなくなっているんだろう。
日本でこんな風景はもうない。僕たちの心象風景にとどまるのみ。
炊事をする母が、あかぎれのため、患部に生味噌をすり込み痛みを抑える。
日本に、そんな時代も確かにあったのだ。
かあさんが 夜なべをして
手ぶくろ 編んでくれた
こがらし吹いちゃ つめたかろうて
せっせと編んだだよ
ふるさとのたよりはとどく
いろりのにおいがした
かあさんは 麻糸つむぐ
一日 つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
おまえもがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめて ラジオ聞かせたい
かあさんの あかぎれ痛い
生味噌をすりこむ
根雪もとけりゃ もうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞える
なつかしさがしみとおる
母の日は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。
日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。
例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧では5月の最後の日曜日に当たる。
イギリスにおける起源は17世紀の「Mother's day」「Mothering Sunday」(奉公中の子ども達が年に一度、教会で母親と面会出来る、復活祭のちょうど40日前の日曜日)にまで遡る。
アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。
ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。
ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。
ジャービスの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、翌1908年の5月10日には同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった赤いカーネーションを手渡した。このことから、赤いカーネーションが母の日のシンボルとなった。
アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。1914年に「母の日」はアメリカの祝日になり、5月の第2日曜日と定められた。
日本では、昭和時代に皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)に行われていたが、1949年ごろからアメリカの例に倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。