今から晩御飯という時になって…居間の天井に虫がへばりついていると子供たちが騒ぎ出した。
虫ぐらいどうということはないだろ…と思ったが…子供のひとりは大の虫嫌い…肩を竦めてキャーキャー言いながらこちらへ逃げてくる…。
虫は天井に居るのであって…別に追っかけられているわけでもないのに…。
仕方がないのでキッチンから出て見に行った…。
どんな大きな虫かと思いきや…小さな蜂か虻のようだ…。
形からすると…おそらく花蜂か花虻…どちらもそれほど危険な虫ではない…。
マルハナバチ…みたいだな…。
こんなもん…放っといたって大丈夫だ…。
こんな寒い時期にぶんぶん飛び回ったりはしないよ…。
そのままにしておいて…御飯食べよう…そう言ってキッチンへ戻った。
それにしても…こんなに寒くなってから…山茶花の蜜か何かを探して迷い込んだんだろうか…。
この部屋に居れば…凍え死ぬことはないけど…飢え死にするかもなぁ…。
昆虫…と言えば夏休みの宿題…自分たちの頃の小学生の定番だった…。
町中で捕れる虫は限られているけれど…それでも神社や公園に行けば何種類かは手に入る…。
トノサマバッタ…ショウリョウバッタ…オンブバッタ…エンマコウロギ…。
アブラゼミ…ツクツクホウシ…ニイニイゼミ…ミンミンゼミ…。
モンシロチョウ…モンキチョウ…キアゲハ…アオスジアゲハ…カラスアゲハ…シジミチョウ…イチモンジセセリ…。
シオカラトンボ…ギンヤンマ…オニヤンマ…イトトンボ…。
考えてみれば…本当はこの何倍もの種類が居たのだろうけれど…自分の知っている虫の名前が少ないために…これくらいの種類しか思い浮かばなかったのだ…。
今なら図鑑を片手に駆け回るところだが…その頃の自分は虫取りをするだけが精一杯…調べるところまで頭が回らない…。
とにかく宿題の標本さえ作ればOKだった…。
昆虫採集と言えば…実家では遊び好きの親父の出番…長い竹ざおと鳥もち…虫取り網や虫かごを持って…麦藁帽子をかぶり…腰に手ぬぐい…当の子供より楽しげに出かけた…。
鳥もちをご存知だろうか…。
モチノキの樹皮から取れるねばねばとしたもので…竿の先の細い部分につけて鳥や虫を捕獲する。
昔の蝿取り紙を思い浮かべて頂ければ…あっ…蝿取り紙も今は使わないかもしれないなぁ…。
ゴキブリ○イ○イの接着剤みたいなものだと思って頂ければいいかも…。
高い木の上の方に居る蝉を取る時などに便利だが…網のようにカバーするものがないので…素早く行動しないと逃げられる…。
親父の得意分野のひとつ…蝉を狙う親父は少年そのもの…。
その眼を見れば最高にわくわくしているのが分かる…。
親父は何だか他にも小さな荷物を携帯していた。
中に入っているのはパラフィン紙で作った三角紙と毒薬…そして注射器…。
後から見た時には…そこに標本用の昆虫針や三角紙を入れるケース…ピンセットなど昆虫標本用の七つ道具が入っていた。
それらはすべて親父個人の持ち物で…どうやら…若い頃に何度か標本を作ったことがあるようだった…。
昆虫が捕れると親父はすぐに注射器で毒薬を注入し…そっと三角紙で包む…。
親父がお医者さんみたいに注射器を使うのを自分は興味津々で見つめていた。
何匹か…自分でもやったような気がするが…古い話であまり覚えていない…。
最近はクマゼミが増えているが…当時は減少期で希少な蝉…逆に最近減っているシオカラトンボがいっぱい居てオニヤンマが希少だった。
とにかく子供の宿題のことより虫取りに夢中になった親父は好きな獲物を捕りまくり…まあ…それほど多種を確保することもなく帰宅した。
宿題は出せればいいわけで…自分としても文句はない…。
適当に見場のカッコよさげな昆虫をその中から選び出して標本にした。
羽を広げ…ピンで留めて…箱に並べていく…。
手を出すと機嫌が悪くなるので出さない…。
饅頭の空箱…ひと箱分が出来上がったところで透明なセロファンを上から張って宿題終わり…。
同級生の中には…まめなお父さんが学術標本かと思うくらい詳しいものを作って持たせる者もいたが…そうまめでもない親父のことだから小学生が作ったとしか思えない程度の作品を作る。
そう…当時の夏休みの工作や標本は各家庭のお父さんの作品展みたいなものだった。
夏休みが明けるとすぐに保護者の授業参観があって…作品を鑑賞するために親が大勢やって来る…。
子供が作ったのではないことは誰が見たって一目瞭然なのに先生も立派な作品を自慢げに並べるのだ…。
何とも滑稽ではないか…。
親父の作品はそれほど悪くもなく良くもなく…違和感なく飾られてあった。
当時…親父が使っていた標本用の道具…これはおそらく昭和前期に出たものだと思うが…現在の見方では怪しげなものらしい…。
特にあの毒薬を注射するという方法がおかしげなことなんだそうだ…。
酢酸エチルとかの薬剤を滲み込ませた脱脂綿を入れた殺虫管とか毒壷で殺すというのが正しい方法のようである…。
昭和も終わりになると…昆虫採集は残酷だとか希少な虫を保護するとかいうことで学校では夏休みの宿題にはしなくなった。
都会では標本にするほど虫が捕れなくなって宿題にはできなくなった…ということもあるんだろう…。
まだ宿題だった頃に標本用の昆虫がデパートなどで売られていたり…すでに標本となって商品化されているのを見た…。
お父さんたちが作れなくなったから…代わりにということなのかもしれないが…標本作りはともかく虫ぐらいは自分で捕らなきゃ…意味ないね…。
そういう点では宿題がなくなったのをよしとしよう…。
標本は作らなくても…虫取りをするだけで子供には十分な勉強になると思うよ。
ただ…世の中が危険になって子供をひとりで外に出せないとか…親が忙し過ぎて看てやれないとか…昆虫と触れ合える場所がないとか…最近はなかなか虫と遊べる機会がないんだよね…。
だから…花蜂如きにキャーキャー言っちゃうんだ…。
あの時の親父のように眼を輝かせた少年は…もうここには居ないんだろうかなぁ…。
鳥もちの竿を片手にわくわくしながら駆けて行く…昭和の夏の少年…。
虫ぐらいどうということはないだろ…と思ったが…子供のひとりは大の虫嫌い…肩を竦めてキャーキャー言いながらこちらへ逃げてくる…。
虫は天井に居るのであって…別に追っかけられているわけでもないのに…。
仕方がないのでキッチンから出て見に行った…。
どんな大きな虫かと思いきや…小さな蜂か虻のようだ…。
形からすると…おそらく花蜂か花虻…どちらもそれほど危険な虫ではない…。
マルハナバチ…みたいだな…。
こんなもん…放っといたって大丈夫だ…。
こんな寒い時期にぶんぶん飛び回ったりはしないよ…。
そのままにしておいて…御飯食べよう…そう言ってキッチンへ戻った。
それにしても…こんなに寒くなってから…山茶花の蜜か何かを探して迷い込んだんだろうか…。
この部屋に居れば…凍え死ぬことはないけど…飢え死にするかもなぁ…。
昆虫…と言えば夏休みの宿題…自分たちの頃の小学生の定番だった…。
町中で捕れる虫は限られているけれど…それでも神社や公園に行けば何種類かは手に入る…。
トノサマバッタ…ショウリョウバッタ…オンブバッタ…エンマコウロギ…。
アブラゼミ…ツクツクホウシ…ニイニイゼミ…ミンミンゼミ…。
モンシロチョウ…モンキチョウ…キアゲハ…アオスジアゲハ…カラスアゲハ…シジミチョウ…イチモンジセセリ…。
シオカラトンボ…ギンヤンマ…オニヤンマ…イトトンボ…。
考えてみれば…本当はこの何倍もの種類が居たのだろうけれど…自分の知っている虫の名前が少ないために…これくらいの種類しか思い浮かばなかったのだ…。
今なら図鑑を片手に駆け回るところだが…その頃の自分は虫取りをするだけが精一杯…調べるところまで頭が回らない…。
とにかく宿題の標本さえ作ればOKだった…。
昆虫採集と言えば…実家では遊び好きの親父の出番…長い竹ざおと鳥もち…虫取り網や虫かごを持って…麦藁帽子をかぶり…腰に手ぬぐい…当の子供より楽しげに出かけた…。
鳥もちをご存知だろうか…。
モチノキの樹皮から取れるねばねばとしたもので…竿の先の細い部分につけて鳥や虫を捕獲する。
昔の蝿取り紙を思い浮かべて頂ければ…あっ…蝿取り紙も今は使わないかもしれないなぁ…。
ゴキブリ○イ○イの接着剤みたいなものだと思って頂ければいいかも…。
高い木の上の方に居る蝉を取る時などに便利だが…網のようにカバーするものがないので…素早く行動しないと逃げられる…。
親父の得意分野のひとつ…蝉を狙う親父は少年そのもの…。
その眼を見れば最高にわくわくしているのが分かる…。
親父は何だか他にも小さな荷物を携帯していた。
中に入っているのはパラフィン紙で作った三角紙と毒薬…そして注射器…。
後から見た時には…そこに標本用の昆虫針や三角紙を入れるケース…ピンセットなど昆虫標本用の七つ道具が入っていた。
それらはすべて親父個人の持ち物で…どうやら…若い頃に何度か標本を作ったことがあるようだった…。
昆虫が捕れると親父はすぐに注射器で毒薬を注入し…そっと三角紙で包む…。
親父がお医者さんみたいに注射器を使うのを自分は興味津々で見つめていた。
何匹か…自分でもやったような気がするが…古い話であまり覚えていない…。
最近はクマゼミが増えているが…当時は減少期で希少な蝉…逆に最近減っているシオカラトンボがいっぱい居てオニヤンマが希少だった。
とにかく子供の宿題のことより虫取りに夢中になった親父は好きな獲物を捕りまくり…まあ…それほど多種を確保することもなく帰宅した。
宿題は出せればいいわけで…自分としても文句はない…。
適当に見場のカッコよさげな昆虫をその中から選び出して標本にした。
羽を広げ…ピンで留めて…箱に並べていく…。
手を出すと機嫌が悪くなるので出さない…。
饅頭の空箱…ひと箱分が出来上がったところで透明なセロファンを上から張って宿題終わり…。
同級生の中には…まめなお父さんが学術標本かと思うくらい詳しいものを作って持たせる者もいたが…そうまめでもない親父のことだから小学生が作ったとしか思えない程度の作品を作る。
そう…当時の夏休みの工作や標本は各家庭のお父さんの作品展みたいなものだった。
夏休みが明けるとすぐに保護者の授業参観があって…作品を鑑賞するために親が大勢やって来る…。
子供が作ったのではないことは誰が見たって一目瞭然なのに先生も立派な作品を自慢げに並べるのだ…。
何とも滑稽ではないか…。
親父の作品はそれほど悪くもなく良くもなく…違和感なく飾られてあった。
当時…親父が使っていた標本用の道具…これはおそらく昭和前期に出たものだと思うが…現在の見方では怪しげなものらしい…。
特にあの毒薬を注射するという方法がおかしげなことなんだそうだ…。
酢酸エチルとかの薬剤を滲み込ませた脱脂綿を入れた殺虫管とか毒壷で殺すというのが正しい方法のようである…。
昭和も終わりになると…昆虫採集は残酷だとか希少な虫を保護するとかいうことで学校では夏休みの宿題にはしなくなった。
都会では標本にするほど虫が捕れなくなって宿題にはできなくなった…ということもあるんだろう…。
まだ宿題だった頃に標本用の昆虫がデパートなどで売られていたり…すでに標本となって商品化されているのを見た…。
お父さんたちが作れなくなったから…代わりにということなのかもしれないが…標本作りはともかく虫ぐらいは自分で捕らなきゃ…意味ないね…。
そういう点では宿題がなくなったのをよしとしよう…。
標本は作らなくても…虫取りをするだけで子供には十分な勉強になると思うよ。
ただ…世の中が危険になって子供をひとりで外に出せないとか…親が忙し過ぎて看てやれないとか…昆虫と触れ合える場所がないとか…最近はなかなか虫と遊べる機会がないんだよね…。
だから…花蜂如きにキャーキャー言っちゃうんだ…。
あの時の親父のように眼を輝かせた少年は…もうここには居ないんだろうかなぁ…。
鳥もちの竿を片手にわくわくしながら駆けて行く…昭和の夏の少年…。
必ずカブトムシやクワガタを手に入れることができた。
テレビで、都会の子供たちがデパートでカブトムシを買っている映像を見て、子供心に「この子達って
なんか変・・・!」って思ったのを覚えている。
でも、いま、坊に「カブトムシ買ってー」とせがまれて、ホームセンターに買いに行かざるを得ない自分がいる。
ああ、「カブトムシを捕まえられる環境に帰りたい
(田舎に移住したい)」とつくづく思う。
教育レベルをどれほど上げたとしても…机上で学ぶことには限界があると思います…。
最近のニュースをみていると
虫さんの生き方を今人間が見習わなくては
ならないのではと思ってしまいます。
きちんと群れをなし
協力的に暮らし
確かにいろいろな争いや一見残酷に見えるピラミッドもあるけれど…
もちろん人間に捕られるという危険も・・
でも、それは「自然の法則」ですよね・・。
子供の死をおもしろおかしくHPに載せるセンセイ、
級友を見殺しにする生徒、
子供をレンアイの邪魔だからと殺す親、
親をむかつくといって傷つけるコドモ…。
いったいどうなっちゃってるんでしょうね…。
dove-2さんのお話の内容とは
まったく違ったコメントになっちゃったけど
最近ニュースを見るのがいやでたまりません・・。
doveが最も胸を痛めるのは…幼い子供たちが実の親に殺されている…という現実です…。
勿論…子殺しは遠い昔から在りました。
親による虐待も今に始まったことではありませんが…。