
心臓に悪いかもしれないので…怖がりの方はスルーしてくださいね…。
一昨日いつもより遅くに家を出たdoveは下流側に向かいました。
目指すはこの前でっかいカムルチーに出会った場所…。
その近くの中洲の際に、ここ数日、水の底でじっとしているカムルチーが居るのです。
そこに居るカムルチーも結構大きめ…目が白っぽく…体表面の模様のくっきりした綺麗な個体です…。
さらに、あのでかいカムルチーの居た場所のすぐ傍の壁際にも大小数匹居ます。
カムルチーは寒くなると姿を見せないので、まだ居るかどうか不安でした…。
先ずは…とこの前の場所を覗き込んだ途端…ドキッ!

居るじゃありませんか…!
赤い眼を爛々と輝かせたどでかいカムルチーが…。


顔…怖っ!
えっ…赤い眼…?
この前のカムルチーは赤い眼じゃないし…中洲の際のカムルチーは白っぽい…。
赤い眼のカムルチーはこれが初めて…。

体表の色は黒っぽく…模様は不鮮明…。
動かん…な…。
そう…ピクリとも動かないのです…。
数分経っても…まったく微動だにする気配もなし…。
doveの子供の頃に公園で見た…大きな石の上で死んだように動かなかった雷魚の記憶が甦りました…。
親父が小石を投げると、物凄いジャンプを見せ、逃げて行った雷魚…。
陸上で呼吸していたのですが…この雷魚も呼吸のためにじっとしているのでしょうか…?

気になるのは…眼の色だけじゃない…体表面の色の濁り具合…。
死んでるのだろうか…?
胸鰭さえ動かさないカムルチー…そのまま待っていても仕方がないので出直すことに…。
帰り際…ふと辺りを見回すと…中洲には木々の伐採の跡…。
この川に人が入った形跡です…。
う~ん…此処も切られたか~…モズのとまるところがなくなったな~…。
そんなことを思いながら…その場を後にしました…。
そして…翌日の今日…同じところに行ってみました…。
カムルチーがあの場所から他へ移動していることを祈りながら…。
もし…あのカムルチーがそこに居れば…死んでいるのです…。

…残念なことに…死んでました…。
カムルチーの見える部分に傷らしいものは見当たりません…。
窒息…したのでしょうか…。
だとすれば…原因は…?
何があったんだろう…?
どうして死んだんだろう…?
何だか無性に腹が立ってきました…。
間違っているかも知れませんが…どうも伐採と関係があるように思えてならないのです…。
あのニシキヘビのような模様の…でっかいカムルチーを見た人間が…どういう行動にでるだろうか…。
そう考えると…。
カムルチーはそこに棲んで餌を待ちながら生きていただけです…。
そのカムルチーに…いったい…何が起こったのでしょう…?
理由が分からないから、あれやこれや想像してしまって、余計に腹立たしいのかも知れません…。
疑いながら…それでいて…カムルチーの死が人間の仕業でないことを祈りながら…溜息つきながら…家路につきました…。
ないでしょうか?
それともエサに例の化学物質とか。
人間の性ですよ。
ライギョには他にも種類があるので、カムルチー⊂ライギョの関係です。
ここまで育ったカムルチーが死んでいるところを見るのは悲しいです…。
また、ルアー釣りにおいて釣れた場合、あの凄い歯がある口から無理にルアーをはずそうとして、結果死なせてしまうこともあるとうです。
ナマズの場合は、やはりあのヌメリのある体から釣れた場合に持つところが無く、さらにライギョほどではないものの、固い口からルアーを無理にはずそうとして死なせてしまうことが少なくないようです。
釣り人には悪いのですが、やはりキャッチ&リリースよりリバーウォッチングの方が自然にはやさしいと私には思えますが。
目のおかしなカムルチーは何とも不思議ですね。
死亡した原因が人為的なものであれば、ただでさえバスやギルに駆逐されたりして激減している魚ですから、今後ますます数が減ってしまうのではないでしょうか?
カムルチーの死
どうしてなのでしょう?
もし人間の仕業であれば心が痛みますね
キャッチされた魚はリリースしても傷の化膿や感染で死ぬことが多いと聞きます。
釣堀や用水路で、doveも昔、食べない魚を釣って遊んだことがよくありましたが、今考えると可哀想でしたね…。
釣った魚はできるだけ食べてやらないと…ね…。
ホントはこの川でも釣りをして、どんな魚が居るのか調べてみたいのですが、水質が良くなくて食べられないと思うので、手を出さないことにしています…。
釣りたい気持ちと…可哀想だという気持ちの板ばさみ…つらいところです…。
ちょっとばかり…露出をいじくってみました…。
小魚が死んでいても…可哀想だな…って思うのですが…これだけ大きくなったのに…ってエコヒイキな感情もあって…。
来年の春にもこいつに会いたいと思っていただけに…残念です…。
キャッチ&リリースをされ続けた結果ですね。
神奈川県の内水面試験所の芦ノ湖のバスの調査でもキャッチ&リリースさたことが多い魚ほど死亡の確率が高いとか。
釣り人の言うキャッチ&リリースの意味がわかりません。
また、ネット上でもバスに限らず、釣れたライギョやナマズを炎天下のコンクリートに置いて写真を撮っているものを見かけます。
釣った人の神経を疑います。
TVなどで釣り番組等でバスのトーナメントの一部を放送していたことが以前結構ありましたが、釣れて持ち帰り、検量終了後魚を放すのはいいのですが、どう考えても死んでいるようにしか見えない魚まで放しているとしか見えない光景は見ていて呆れます。
釣り人が言うキャッチ&リリースとは魚が生きていようが死んでいようが関係ないとしか私の目には写りません。
ルアー釣りにおいてトリプルフックに加えルアーにフックが二つ付いているものがありますが、魚も必ずしもうまくルアーをくわえるとは限らないため、フックが目に刺さっていたり、どうもルアー釣りは魚を痛めつけているように感じます。
doveさんのように観察といった形で生き物に接することが出来ないものでしょうか?
学生の頃までのdoveの愛用の竿はカーボンの細身の渓流竿でした…。
父親の葬式の後、釣り好きの弟が釣り道具一式とともに持って行ったので、今は釣竿も釣り道具も持っていません…。
父親の釣りの御供だったに過ぎないdoveが持っていても使わないからね…。
今は観察のみを楽しんでいますが…釣りたいという気持ちはあるんですよ…。
でも…それはゲームじゃなくて…他人との競争でもなくて…見世物でもなくて…どう表現したらいいのかな…。
魚と根競べして釣り上げて料理して食べる…っていうdove自身のワクワクするような動物的な満足感かなぁ…それも魚殺しの言いわけに過ぎないけど…。
罪悪感持ちながらも…釣堀に行ったりしますしね…。
彼等と実質的には変わりないことをやってはいるわけです…。
…にしても…TVの釣り番組に向かっては…生き延びられないリリースするならちゃんと喰えよ…って…いつも思ってます…。
でもどんな小さな魚でも釣ったからには持ち帰って
食べますよ
doveさんの言われるように、供養と感謝の気持ちからです
(食べられない魚は別ですけど)
人間は植物であれ動物であれ、命を奪って生きていかなければならないのだから・・・・・
魚に対する礼儀…かもしれない…。
命ある魚を釣って殺すからには…食べられないものを除いて…有り難くちゃんと食べるのが自然に護られて生きる者の為すべきこと…だと思うんですよね…。