月明かりに照らされて秋の薔薇が咲き乱れる様子を…智明はひとり…ぼんやりと眺めていた。
大きく開かれた部屋の窓を通して…風が香りを運んでくる。
この館には四季折々に咲く薔薇が植えられてあって、年間を通じて花を楽しむことができる。
薔薇だけではなく、手入れの行き届いた庭にはいつも何かしら花が咲いていた。
麗香がこよなく愛したこの部屋の窓から眺められる風景も…今は智明のものとなっている。
ようよう形見分けも終わり…相続の手続きも終わり…部屋を片付け…麗香の想い出だけを残した。
お告げ師の仕事もお伽さまのお蔭で何とか麗香の名を汚すこともなく…順調…。
端は戸惑っていた顧客たちも…智明の持つ独特の雰囲気に惹かれてか…次第に馴染み…それまでと変わらずに通ってくるようになっていた。
ねえ…お姉ちゃま…お姉ちゃまなら誰を選ぶ…?
バラバラなものをひとつに纏め上げることは容易じゃない…。
それだけの力量を持つとなれば…既にどっかのトップになってるはずだわねぇ…。
何れにせよ…お姉ちゃまの提唱した連携組織がようやく実現したのよ。
せっかく産声を上げたんだから…上手く育ってくれるといいわねぇ…。
相変わらず…麗香の前ではスミレになってしまう…。
多分…何年経っても…それだけは変わらないんだろう…。
窓を開け放しておくには…少し風が冷た過ぎる…。
大きく息をした後で…お休み…と呟きながら庭に面した窓を閉じた…。
ノエルの修練に宗主やお伽さまと交代で付き合ってくれていた北殿が、ようよう満足そうに頷いた。
「私が教えてあげられる力については…もう…ほとんど大丈夫だわね。
攻撃も防御もまずまずだわ…。
ただ…あなたはかなりのおっちょこちょいだから…十分気をつけるのよ…。
今現在起こっている状態を映像化して見せることは私にも出来るけれど…過去の映像を再現して大勢の人に見せるなんてことは出来ない…。
この能力に関しては…三人とも不得手なの…。
宗主のお祖父さまが生きていらっしゃれば…何とかなったんでしょうけれど…。
悪いけど自分でコントロールできるように努力してね…。
怪我の治療に関してはここまで…。
さらに高度なことは滝川先生から教えて貰ってもいいけれど…多分…能力的にそこまではいけないと思うわ…。 」
宗主の許可が下りれば…紫苑の許に帰れるわよ…。
女性の方の能力については…すぐには必要ないから…また今度ね…。
北殿はそう言って微笑んだ。
北殿のOKが出て…ノエルは少しばかりほっとした。
ノエルは系統的に北殿の家系の主流だから…北殿は殊に厳しかった。
やっと…帰れる…。 紫苑さんに会える…。
まだ…それほど本家に居るわけではないのに…やたら懐かしく感じられる…。
でも…紫苑さんのことだから…帰ったら…浮気相手が増えてたりして…。
部屋に戻ると吾蘭と来人が飛んできた…。
いつものように…ノエルの疲れた手足を撫で撫でするために…。
「アラン…頼みがあるんだけど聞いてくれる…? 」
ノエルがそう言うと吾蘭は真剣な眼をしてノエルを見つめた。
「アランとクルトのお父さんや滝川先生たちはね…。
みんなを護るために悪い人たちをやっつけようと頑張ってる…。
お父さんたちと一緒に戦えるように…ノエルは訓練をしてたんだけど…やっと宗主さまのお許しが出て…お父さんのお手伝いができることになったんだ…。
ノエルは…お手伝いに行くけど…アランたちは危ないからまだしばらく…ここに居なきゃいけないんだ…。 」
吾蘭はチラッと来人や絢人を見た。
「アランたちは…お留守番…? 」
不安げに訊ねる…。
「そう…。 でも…輝さんや子安さまが一緒に居てくれる…護ってくれるよ。
そこで…アランにはお願いしたいことがあるんだ…アランはお兄ちゃんだから…。
ここでお父さんのお手伝いをしてくれないかな…。
クルトとケント…ふたりの弟を慰めてあげて…。 きっと寂しがるから…。
アランも寂しいかもしれないけれど…お家に帰れる時が来るまで待っていて…。
そうしたら…お父さんも先生もノエルも頑張れる…アランがここで弟たちを看ながら待っててくれるんだから…。
それが…アランにできるお父さんのお手伝いなんだ…。 」
吾蘭はじっと考えている…。 理解しろ…と言う方が無理なんだろう…。
だって…吾蘭はまだ二歳を過ぎたばかり…。
「解った…。 アラン…お手伝いする…。 」
大きく頷きながら吾蘭は言った。
優しく微笑みながらノエルは吾蘭を抱きしめてやった。
手を伸ばしてきた来人も…そして…僕も…と駆け寄ってきた絢人も…。
「仲良く…待っていて…迎えに来るまで…。 」
そう言ってノエルは三人の息子たちに代わる代わる頬ずりした。
くすぐったさに肩を竦めながらも小さな息子たちは嬉しそうに声をあげて笑った。
自社ビルの正面玄関を出て迎えの車に乗り込もうとしたところで、誰かがじっと自分を見つめているのに祥は気付いた。
少し前に滝川が運転中に襲われた話を聞いていたが…なるほど…と納得した。
この視線の主ならば…場合によっては…寸前まで気付かれることなく行動できるだろう…。
悪意も敵意も感じさせず…ただの通りすがりのように近付いて…瞬時に動く…。
運転中ではあるし…余所事に気を取らでもしていたら…攻撃されるまで分からないかも知れない…。
慎重派の滝川にしては珍しいことだが…。
「どう…出てくるか…。 」
車の後部座席に乗り込みながら祥は思った。
どうやら…敵はその場に居るわけではないようで…視線はずっと祥の行方を追っている。
これは…業使いだな…。 そう感じた…。
業使いならば…寸前まで気配を感じられないのも無理はない…。
攻撃を受けた後なら、こちらも意識を集中するので、それなりに力さえあればキャッチできるかもしれないが…。
祥の車の運転手は護衛を兼ねた選りすぐりの能力者だが…業使いの気配は特殊なので…その気配に触れてみた経験がなければ瞬時には捉えられない…。
ここからふたつ目の交差点を左折すれば自宅へ向かう道…信号で停止していた祥の車の方へ対向車線から大型トラックが信号の変わり目に強引に右折。
周りの車が一斉にクラクションを鳴らした。
このあたりは高速のインターチェンジが近い関係で頻繁に大型車が通る。
これもそこから下ってきたトラックだろう…。
思う間に…祥の車目掛けて突進してきた。
祥は咄嗟に運転手と自分の周りに強力な障壁を張った。
同時に運転手がトラックを止めようとした。
トラックは祥の車のフロント部分を捥ぎ取るように吹っ飛ばして横転した。
運転手の力で方向が逸れて直撃だけは免れたが…その衝撃で車は路側帯を飛び越えて歩道の植え込みへと乗り上げた。
障壁に護られた座席部分は壊れず…乗り上げた際に受けた軽い打撲程度で…ふたりとも自力で車から外へ出た。
「御大…大丈夫ですか…? お怪我は…? 」
運転手が急いで祥の具合を訊ねた。
「おお…大丈夫だ…。 きみは…? 」
平気です…と答えながらもちょっと首の辺りを気にしているようだった。
失敗だったな…と祥は少しばかり反省した。
業使いの動きは捉え難い…。
相手の業に先んじて封じておくべきだった…と…。
飯島病院の特別室…この数年…西沢家はこの部屋の常連さん…。
ほとんど毎年のように…誰かしら…ここに世話になっている…。
祥は齢が齢だから…一応…大事を取って事故後の精密検査の為に入院しているのだが…取り立てて悪いところがあるはずもなく…結果を聞いたら即日退院しようと考えていた。
心配なのは運転手の方で…少し鞭打ち気味らしい…と院長から聞いた。
やはり…失敗だったな…と反省しきり…。
祥の力なら…トラックくらいもう少し穏やかに止められたかもしれない…。
障壁を張るより…トラックを吹っ飛ばした方が良かったか…。
部屋に近付いてくる足音で…紫苑だ…と気付いた怜雄が扉を開けた途端に…西沢が血相変えて飛び込んで来た。
「お父さん…大丈夫ですか…? 大事ありませんか…? 」
西沢は飛びつかんばかりに祥の傍らへ駆け寄った。
祥は嬉しそうに頷いた。
「紫苑…誰が知らせたんだね…? 心配するから黙ってろと言っておいたのに…。」
西沢は心配そうに養父…祥の顔を見つめた。
「お母さんから…。 お母さんもひどく心配していましたよ…。
申しわけありません…。 僕のせいですね…。 お父さんをこんな眼に遭わせてしまった…。 」
取り乱した養母から知らせが入ったのはつい先程のことだった。
滅多に外出できない病身の養母美郷にとっては…自分の代わりに西沢を見舞わせることが祥への思い遣りなのだろう。
「それは違うよ…紫苑…。 おまえのせいではない…。
実はな…内々の話だが…新しい組織の責任者に…との打診が来ていたんだ…。
もう…この齢なのでな…。 断ろう…と考えていた矢先のことだった…。
奴等がどうやってそのことを知ったのかは分からんが…そのせいだろう…。
要らぬ心配をかけてしまったな…。 」
西沢の手を取って祥は笑顔でそう言った。
可愛い紫苑…何も心配することはないのだよ…。
おまえは…おまえの思うように動けばいい…。
「お父さんが…責任者に…? 」
西沢は少なからず驚いた。 確かに…西沢本家は裁きの一族と同族ではない。
西沢本家と西沢の実家木之内家とが同族で…養子に入った西沢が裁きの一族の主流の血を引いているからその部分において関わりがあるだけで…。
養子とは言っても西沢は西沢本家の跡取りではないし、裁きの一族はこの養子縁組を認めていないので、裁きの一族においては西沢は未だに木之内紫苑のままだ。
それでも他の家門に対しては、西沢を養子にしているというだけで十分過ぎるほどの権勢を誇ることができた。
それから考えれば…同族ではない祥が選ばれても不思議はない…。
有力な家門の長であり、本人の能力も優れている。
少々政略家ではあるが…悪い人間ではなく…むしろ組織の上に立つ者はそのくらいの切れ者でなければものにはならないだろう。
ただ…祥はすでに60歳を越している。
至って元気ではあるが…新しい組織を率いるとなれば…責任も仕事もハード…。
西沢本家の本職は怜雄や英武に任せておけばいいとしても…相当にきついのではないだろうか…。
西沢は宗主の考えを量りかねた。
「なあに…私を選んだと言うよりは…私をトップに据えておいて…実際には若手を動かそうと考えているのだろう…。
私を飾りにしておけば…後は誰が動こうと文句は出ないだろうからね…。
おそらく…庭田智明あたりを組織の要に…と宗主は考えておられるのだろう。
庭田は名門ではあるが…他の家門に顔が利かないから…私にそのあたりを介添えさせるおつもりなのだろうな…。 」
祥はカラカラと笑った。
それも…面白い…。
敵に脅されて…怯えて引っ込んだとあっては西沢本家の長の名が泣く…。
押しも押されぬ組織の要を…この西沢祥が育ててご覧に入れようかな…。
なあ…紫苑…。
面白そうな遊びを見つけた少年のように…祥は…殊更…楽しげに笑った…。
次回へ
大きく開かれた部屋の窓を通して…風が香りを運んでくる。
この館には四季折々に咲く薔薇が植えられてあって、年間を通じて花を楽しむことができる。
薔薇だけではなく、手入れの行き届いた庭にはいつも何かしら花が咲いていた。
麗香がこよなく愛したこの部屋の窓から眺められる風景も…今は智明のものとなっている。
ようよう形見分けも終わり…相続の手続きも終わり…部屋を片付け…麗香の想い出だけを残した。
お告げ師の仕事もお伽さまのお蔭で何とか麗香の名を汚すこともなく…順調…。
端は戸惑っていた顧客たちも…智明の持つ独特の雰囲気に惹かれてか…次第に馴染み…それまでと変わらずに通ってくるようになっていた。
ねえ…お姉ちゃま…お姉ちゃまなら誰を選ぶ…?
バラバラなものをひとつに纏め上げることは容易じゃない…。
それだけの力量を持つとなれば…既にどっかのトップになってるはずだわねぇ…。
何れにせよ…お姉ちゃまの提唱した連携組織がようやく実現したのよ。
せっかく産声を上げたんだから…上手く育ってくれるといいわねぇ…。
相変わらず…麗香の前ではスミレになってしまう…。
多分…何年経っても…それだけは変わらないんだろう…。
窓を開け放しておくには…少し風が冷た過ぎる…。
大きく息をした後で…お休み…と呟きながら庭に面した窓を閉じた…。
ノエルの修練に宗主やお伽さまと交代で付き合ってくれていた北殿が、ようよう満足そうに頷いた。
「私が教えてあげられる力については…もう…ほとんど大丈夫だわね。
攻撃も防御もまずまずだわ…。
ただ…あなたはかなりのおっちょこちょいだから…十分気をつけるのよ…。
今現在起こっている状態を映像化して見せることは私にも出来るけれど…過去の映像を再現して大勢の人に見せるなんてことは出来ない…。
この能力に関しては…三人とも不得手なの…。
宗主のお祖父さまが生きていらっしゃれば…何とかなったんでしょうけれど…。
悪いけど自分でコントロールできるように努力してね…。
怪我の治療に関してはここまで…。
さらに高度なことは滝川先生から教えて貰ってもいいけれど…多分…能力的にそこまではいけないと思うわ…。 」
宗主の許可が下りれば…紫苑の許に帰れるわよ…。
女性の方の能力については…すぐには必要ないから…また今度ね…。
北殿はそう言って微笑んだ。
北殿のOKが出て…ノエルは少しばかりほっとした。
ノエルは系統的に北殿の家系の主流だから…北殿は殊に厳しかった。
やっと…帰れる…。 紫苑さんに会える…。
まだ…それほど本家に居るわけではないのに…やたら懐かしく感じられる…。
でも…紫苑さんのことだから…帰ったら…浮気相手が増えてたりして…。
部屋に戻ると吾蘭と来人が飛んできた…。
いつものように…ノエルの疲れた手足を撫で撫でするために…。
「アラン…頼みがあるんだけど聞いてくれる…? 」
ノエルがそう言うと吾蘭は真剣な眼をしてノエルを見つめた。
「アランとクルトのお父さんや滝川先生たちはね…。
みんなを護るために悪い人たちをやっつけようと頑張ってる…。
お父さんたちと一緒に戦えるように…ノエルは訓練をしてたんだけど…やっと宗主さまのお許しが出て…お父さんのお手伝いができることになったんだ…。
ノエルは…お手伝いに行くけど…アランたちは危ないからまだしばらく…ここに居なきゃいけないんだ…。 」
吾蘭はチラッと来人や絢人を見た。
「アランたちは…お留守番…? 」
不安げに訊ねる…。
「そう…。 でも…輝さんや子安さまが一緒に居てくれる…護ってくれるよ。
そこで…アランにはお願いしたいことがあるんだ…アランはお兄ちゃんだから…。
ここでお父さんのお手伝いをしてくれないかな…。
クルトとケント…ふたりの弟を慰めてあげて…。 きっと寂しがるから…。
アランも寂しいかもしれないけれど…お家に帰れる時が来るまで待っていて…。
そうしたら…お父さんも先生もノエルも頑張れる…アランがここで弟たちを看ながら待っててくれるんだから…。
それが…アランにできるお父さんのお手伝いなんだ…。 」
吾蘭はじっと考えている…。 理解しろ…と言う方が無理なんだろう…。
だって…吾蘭はまだ二歳を過ぎたばかり…。
「解った…。 アラン…お手伝いする…。 」
大きく頷きながら吾蘭は言った。
優しく微笑みながらノエルは吾蘭を抱きしめてやった。
手を伸ばしてきた来人も…そして…僕も…と駆け寄ってきた絢人も…。
「仲良く…待っていて…迎えに来るまで…。 」
そう言ってノエルは三人の息子たちに代わる代わる頬ずりした。
くすぐったさに肩を竦めながらも小さな息子たちは嬉しそうに声をあげて笑った。
自社ビルの正面玄関を出て迎えの車に乗り込もうとしたところで、誰かがじっと自分を見つめているのに祥は気付いた。
少し前に滝川が運転中に襲われた話を聞いていたが…なるほど…と納得した。
この視線の主ならば…場合によっては…寸前まで気付かれることなく行動できるだろう…。
悪意も敵意も感じさせず…ただの通りすがりのように近付いて…瞬時に動く…。
運転中ではあるし…余所事に気を取らでもしていたら…攻撃されるまで分からないかも知れない…。
慎重派の滝川にしては珍しいことだが…。
「どう…出てくるか…。 」
車の後部座席に乗り込みながら祥は思った。
どうやら…敵はその場に居るわけではないようで…視線はずっと祥の行方を追っている。
これは…業使いだな…。 そう感じた…。
業使いならば…寸前まで気配を感じられないのも無理はない…。
攻撃を受けた後なら、こちらも意識を集中するので、それなりに力さえあればキャッチできるかもしれないが…。
祥の車の運転手は護衛を兼ねた選りすぐりの能力者だが…業使いの気配は特殊なので…その気配に触れてみた経験がなければ瞬時には捉えられない…。
ここからふたつ目の交差点を左折すれば自宅へ向かう道…信号で停止していた祥の車の方へ対向車線から大型トラックが信号の変わり目に強引に右折。
周りの車が一斉にクラクションを鳴らした。
このあたりは高速のインターチェンジが近い関係で頻繁に大型車が通る。
これもそこから下ってきたトラックだろう…。
思う間に…祥の車目掛けて突進してきた。
祥は咄嗟に運転手と自分の周りに強力な障壁を張った。
同時に運転手がトラックを止めようとした。
トラックは祥の車のフロント部分を捥ぎ取るように吹っ飛ばして横転した。
運転手の力で方向が逸れて直撃だけは免れたが…その衝撃で車は路側帯を飛び越えて歩道の植え込みへと乗り上げた。
障壁に護られた座席部分は壊れず…乗り上げた際に受けた軽い打撲程度で…ふたりとも自力で車から外へ出た。
「御大…大丈夫ですか…? お怪我は…? 」
運転手が急いで祥の具合を訊ねた。
「おお…大丈夫だ…。 きみは…? 」
平気です…と答えながらもちょっと首の辺りを気にしているようだった。
失敗だったな…と祥は少しばかり反省した。
業使いの動きは捉え難い…。
相手の業に先んじて封じておくべきだった…と…。
飯島病院の特別室…この数年…西沢家はこの部屋の常連さん…。
ほとんど毎年のように…誰かしら…ここに世話になっている…。
祥は齢が齢だから…一応…大事を取って事故後の精密検査の為に入院しているのだが…取り立てて悪いところがあるはずもなく…結果を聞いたら即日退院しようと考えていた。
心配なのは運転手の方で…少し鞭打ち気味らしい…と院長から聞いた。
やはり…失敗だったな…と反省しきり…。
祥の力なら…トラックくらいもう少し穏やかに止められたかもしれない…。
障壁を張るより…トラックを吹っ飛ばした方が良かったか…。
部屋に近付いてくる足音で…紫苑だ…と気付いた怜雄が扉を開けた途端に…西沢が血相変えて飛び込んで来た。
「お父さん…大丈夫ですか…? 大事ありませんか…? 」
西沢は飛びつかんばかりに祥の傍らへ駆け寄った。
祥は嬉しそうに頷いた。
「紫苑…誰が知らせたんだね…? 心配するから黙ってろと言っておいたのに…。」
西沢は心配そうに養父…祥の顔を見つめた。
「お母さんから…。 お母さんもひどく心配していましたよ…。
申しわけありません…。 僕のせいですね…。 お父さんをこんな眼に遭わせてしまった…。 」
取り乱した養母から知らせが入ったのはつい先程のことだった。
滅多に外出できない病身の養母美郷にとっては…自分の代わりに西沢を見舞わせることが祥への思い遣りなのだろう。
「それは違うよ…紫苑…。 おまえのせいではない…。
実はな…内々の話だが…新しい組織の責任者に…との打診が来ていたんだ…。
もう…この齢なのでな…。 断ろう…と考えていた矢先のことだった…。
奴等がどうやってそのことを知ったのかは分からんが…そのせいだろう…。
要らぬ心配をかけてしまったな…。 」
西沢の手を取って祥は笑顔でそう言った。
可愛い紫苑…何も心配することはないのだよ…。
おまえは…おまえの思うように動けばいい…。
「お父さんが…責任者に…? 」
西沢は少なからず驚いた。 確かに…西沢本家は裁きの一族と同族ではない。
西沢本家と西沢の実家木之内家とが同族で…養子に入った西沢が裁きの一族の主流の血を引いているからその部分において関わりがあるだけで…。
養子とは言っても西沢は西沢本家の跡取りではないし、裁きの一族はこの養子縁組を認めていないので、裁きの一族においては西沢は未だに木之内紫苑のままだ。
それでも他の家門に対しては、西沢を養子にしているというだけで十分過ぎるほどの権勢を誇ることができた。
それから考えれば…同族ではない祥が選ばれても不思議はない…。
有力な家門の長であり、本人の能力も優れている。
少々政略家ではあるが…悪い人間ではなく…むしろ組織の上に立つ者はそのくらいの切れ者でなければものにはならないだろう。
ただ…祥はすでに60歳を越している。
至って元気ではあるが…新しい組織を率いるとなれば…責任も仕事もハード…。
西沢本家の本職は怜雄や英武に任せておけばいいとしても…相当にきついのではないだろうか…。
西沢は宗主の考えを量りかねた。
「なあに…私を選んだと言うよりは…私をトップに据えておいて…実際には若手を動かそうと考えているのだろう…。
私を飾りにしておけば…後は誰が動こうと文句は出ないだろうからね…。
おそらく…庭田智明あたりを組織の要に…と宗主は考えておられるのだろう。
庭田は名門ではあるが…他の家門に顔が利かないから…私にそのあたりを介添えさせるおつもりなのだろうな…。 」
祥はカラカラと笑った。
それも…面白い…。
敵に脅されて…怯えて引っ込んだとあっては西沢本家の長の名が泣く…。
押しも押されぬ組織の要を…この西沢祥が育ててご覧に入れようかな…。
なあ…紫苑…。
面白そうな遊びを見つけた少年のように…祥は…殊更…楽しげに笑った…。
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