スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

電話応対(1)

2014-05-13 08:30:24 | スペイン語
  1980年当時は携帯電話が登場する15年も前のことである。公衆電話や下宿先の黒電話にずいぶんお世話になった。
 こちらからかける時は全然問題ないのだが、受ける時が問題である。
 下宿先や青年海外協力隊事務所にはふつう誰かいるのだが、だれもいないときは受けざるを得ない。最初はものすごく緊張したものだ。
 まず、受話器を取って、“Aló”と言う。日本では、会社に簡単なことを問い合わせる場合は名乗らないこともあるが、一般的には、かけてきた方が名乗るのがマナーであろう。
 ところが、コスタリカではいきなり「あんた、だれ」とでも訳せる“¿Quién habla?”(キエン・アブラ)と言われることがままある。混線が多かった、昔の電話事情が悪いころの名残でもあるとか。ムキになって、「そっちから名乗れ」と応対していた協力隊員を思い出す。
 常識的な人間ならば、まず、「~さん、いますか」とか「~さんをお願いします」と言うだろう。
 スペイン語では“¿Se encuentra~?”、“¿Está~?”または、“¿Podría comunicarme con ~?)と言う。決まり文句である。
 もし、いれば、“Un momento, por favor”または、“Momentito, por favor”(少々お待ちください)と言う。いなければ、“No se encuentra”または“No está”でよい。これで解放されればいいのだが、メッセージをお願いされたら、初心者はパニックになる。そんな時は“No entiendo español”(スペイン語わかりません)で逃げるのである。

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1980年ごろのコスタリカの電話事情

2014-05-12 12:45:01 | コスタリカ
  1980年ごろは携帯もパソコンもなかったので、通信手段は電話と郵便だけだった。ファクスやテレックスというものもあったが、これはビジネス用で、一般庶民のものではない。電報もあるが、緊急事態は発生しなかったので、こちらも利用する機会はなかった。
 電話は家庭用のも公衆電話も普及していて、そう不便は感じなかった。ただ、故障している公衆電話はよく目にした。公衆電話の最低料金は50センティモ(当時のレートで約10円)だった。日本の公衆電話は1円玉や5円玉は使えないが、コスタリカでも同様に5センティモ、10センティモ、25センティモ硬貨は使えなかった。使えるのは50センティモ、1コロン、2コロン硬貨だったが、日本と同様、おつりは出てこない。テレホンカードというものはなかった(日本にもないころである)。
 ちなみに、1コロンは100センティモだが、1センティモ硬貨はもはや使われていなかった。最低額面の硬貨は5センティモだったのである。今ではインフレが進んでいるので、25センティモ硬貨が最低額面の硬貨だそうである(2012年)。
 公衆電話(teléfono público)ボックスは当時、日本では下半身が見えないものが主流だったと思うが、コスタリカでは全身が見えるタイプのものだった。
 なお、公衆電話の通話料金は日本同様、時間が長くなれば高くなるシステムであった。

 

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住居表示

2014-05-11 11:44:35 | コスタリカ
  日本では住居表示は○○町○丁目○番○号のようになっているが、コスタリカではそうなっていない。「有名な(または目印になる)建物から東へ○メートル、南へ○メートルの白い家」のように住所を表すのである。○メートルだが、入る数字はだいたい25、50、75である。ただし、便宜上1ブロックを100メートル四方としているので、50メートルといっても、正確に50メートルではなく、ブロックの半分あたりの意味である。
 女房殿の実家は田舎のパン屋さんなので、都市名の次に「パン屋○○」(Panadería ○○)と書くだけで郵便物が届く。
 州名、県名、市名まで(大都市では地区名まで)書いて、あとは目印になる建物を書くわけである。
「○○町」というのはないので、当然、町内会などというものもない。また、個人の住宅に表札を掲げるということもない。小さな町では郵便配達の人は住民をみんな知っているので、特に問題はないのだろう。
 日本にも私書箱があるように、コスタリカにもあり、日本以上によく利用されている。筆者も暇なとき、青年海外協力隊事務所宛の郵便物を取りにサンホセ中央郵便局へ行ったものだ。コスタリカでは「私書箱」のことは Apartado Postal といっていた。メキシコでは Caja Postal だったかな。
 記念切手を扱っている窓口は別にあって、Sección Filatélica (切手愛好部門)というところに行くと購入できる。オーストラリアのシドニー中央郵便局も同様であった。こちらは、オーストラリア領のオセアニアの小さな島の切手も発行していて、それらの国の切手も購入できた。

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郵便貯金

2014-05-10 12:50:44 | コスタリカ
  日本では「ゆうちょ銀行」と名前を変え、表向きは別会社になっているが、郵便局が銀行業もやっている。コスタリカの郵便局では銀行業務はやっていなかった。メキシコ、ペルー、パプア・ニューギニアでもやっていなかったと思う。シンガポールでは日本同様、銀行業務をやっていて、筆者も口座を作り、キャッシュ・カードも作ったことがある。ところが、キャッシュ・カードの暗証番号は、自分で選ぶのではなく、郵便局側が勝手に「あなたの番号はこれ」と4ケタの番号を指定してくるのであった。1987年ごろの話であるが、今はどうなっているだろうか。
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郵便局(oficina de correos)

2014-05-09 10:30:32 | コスタリカ
 日本では地方都市でさえ、中央郵便局のほかに小さな郵便局や郵便ポストがいくつもあるが、コスタリカでは都市、または地区に一つ中央郵便局があるだけで、小さな郵便局はないし、ポストもない。これはペルーやメキシコでも同様だった。中央郵便局はサンホセでもメキシコ・シティでも、コロニアル調の立派な建物で、天井は高く、中は暗かった。ポストがないので、わざわざ郵便局に出かけなければならない。コスタリカでは郵便配達夫がポストの代わりになっていて、手紙を持っていってもらうこともできた。

 【サンホセ市中央郵便局:絵葉書より。1980年以前】
 メキシコでは「郵便配達夫の日」というのがあって、チップをやっていたような気がする。

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両替(3)

2014-05-08 12:03:44 | ペルー
  ペルーで偽札をつかまされたときの手口はこうだ!!
 まず、アンちゃんがレートを提示する。
 こちらがそれに応じ、米ドルを出す。
 アンちゃんは米ドルを受け取り、現地通貨を数え始める。ところが、現地通貨が足りないとか、何とか言い出して、結局、交渉は成立しなくなる。
 そうすると、こちらが払った額を払い戻してもらうのだが、そこで、偽札にすり替えるのである。こちらは、うぶな日本人なので、すぐ信用する。後で、偽札にすり替えられていることに気が付くのだが、あとの祭りというわけである。
 後で、偽札を見ると、ちゃちな出来で、北朝鮮製のものとは雲泥の差があるようだ。北朝鮮製のものは見たことがないけれど。
 メキシコでは、直接、銀行や両替屋で換金したことはない。職場の雑用係にメキシコ人職員がいて、日本人職員の換金を代わりにしてくれている。彼に小切手を渡して、その分をメキシコ・ペソで受け取るのだが、当然、いくらかのチップを渡す。
 何でもかんでもチップだが、給料が安いのだろう。また、払う方も給料以外のチップ収入を当てにしているのではないだろうか。悪徳警官が多いのも、給料の安さゆえだろう。

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両替(2)

2014-05-07 08:13:46 | コスタリカ
 1980年当時は、青年海外協力隊員だったので、月々の手当も210ドルだった。1ドル220~240円ぐらいのころだった。この1か月分の手当を1度に換金していたと思う。こちらは、サンホセ市の中心にある Banco de Costa Rica (コスタリカ銀行)の本店で受け取ったものである。
 このほかに現地の所属先から約100ドル相当の現地通貨での手当をもらっていた。これはコスタリカ大学から小切手(cheque)で受け取り、それを持ってコスタリカ大学の近くにある、コスタリカ銀行のサンペドロ(San Pedro)支店で換金した。これらの手当で十分暮らすことができた。まかないつきの下宿の家賃は100ドルぐらいだっただろうか。家賃を滞納したこともないが、領収書をもらったこともない。
 ペルーでは、JICA専門家で待遇もずいぶんよくなった。手当も1ケタ違った。1989年当時のペルーはハイパーインフレで、1度にたくさん現地通貨に換金すると、1週間もたつうちに、だいぶ目減りしてしまう。米ドルの当座預金を開設していて、必要な分だけ、両替屋で換金していたように思う。だが、一度だけ、街中で立ちんぼうのアンちゃんに引っかかって、偽札をつかまされたことがある。 
 手口については次回。

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両替(Cambio)(1)

2014-05-02 09:20:59 | コスタリカ
  ラテンアメリカでは、やはり米ドルが基軸通貨である。変動相場制に移行してからは、日本円は米ドルに対して何倍にもなるほど強くなったが、ラテンアメリカの通貨は米ドルに対して弱くなる一方である。日本円は存在感がなく、どうしても米ドル頼みになる。
 1980年ごろのコスタリカでは、コスタリカ・コロンは米ドルに対して、安定していた。
日本からのお手当はドル建てなので、コスタリカ・コロンに換金しなければならない。今では高額商品は米ドルで購入できるようだが、日常生活にはやはりコロンが必要である。
 銀行でも換金できるが、交換レートが悪かった。街中に両替屋もあったが、銀行よりはましであったものの、レートはそれほどでもなかった。というわけで、よく利用したのが、立ちんぼうのおじさんである。
 サンホセの町の中心部(コスタリカ銀行本店の近く)では、おじさんたちが“Dólares cambio”(ドル両替)とか、英語で“Dollar, dollar”(ダラ、ダラ)と叫んでいる。何人かと交渉して、その中で最高値を付けるおじさんに両替してもらっていた。のどかな時代だった。今なら、即座に強盗のエジキになるだろうし、今では立ちんぼうのおじさんたちもいないかもしれない。

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コスタリカの銀行(4)

2014-05-01 10:20:29 | コスタリカ
 サンホセ市中心部にあるコスタリカ銀行本店はもっぱら1階部分のお世話になったが、一度だけ2階でもお世話になったことがる。1階部分は普通預金や当座預金を取り扱っていたと思う。2階には米ドルの定期預金(depósito a plazo fijo)を扱う窓口があった。帰国前にある程度まとまった金額(米ドル建て)が振り込まれてくるのだが、それが手違いで2倍振り込まれてきたのである。帰国まで1か月以上あったので、これ幸いとばかり、1か月の米ドルの定期預金にしたのである。コスタリカの通貨コロン建ての利率はべらぼうに高かったが、現地通貨は心配である。米ドルはそれほどでもないが、やはり高利率であった。
 さて、当然、日本の本部も間違いに気づき、返金するよう指示があった。もちろん、返金はしたが、それは定期預金の満期が来てからであった。利息分の返金までは請求されなかったことは言うまでもない。
話は変わるが、日本には金融機関というと、銀行のほかに信用金庫やゆうちょ、さらには JA(1980年ごろは「農協」)もある。コスタリカには信用金庫はなかったような気がするが。「農協」のようなものはあっても、金融業務もしていたかどうかわ不明である。郵便局には金融部門はなかったと思う。郵便局については後日、述べる。 

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