スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

コスタリカ再訪(130)Bijagua (ビハグア)の元看護師

2016-09-30 17:39:23 | コスタリカ
  Bijagua(ビハグア)の友人宅でコーヒーをいただきながら、女房殿は久しぶりの再会を喜び、談笑する。筆者も挨拶程度はお付き合いして、家の周りの写真を撮影する。
 
 
 
 【昔ながらのコスタリカの田舎町の風景。幹線道路からものの数十メートル入ったところ。】
 この時期はクリスマス直前なので、当然、この家も飾り付けている。
 
 
 女房殿の友人はさすがにお年を召してきたが、往年の美貌はまだまだ健在である。言い寄る男は山ほどいたようだが、独身を通してきた。というと、聞こえはいいが、実は、結構好色との事で、本人もそれを公言している。
 昔は看護婦(enfermera)もやっていた。好色の美人看護婦というと、いかにもその手の映画の題材になりそうである。イタリア製のピンク・コメディーも36年前、サンホセの映画館でよくやっていた。その中に、“Enfermera Nocturna”(夜の看護婦。「夜勤の看護師」ではちょっとね)というのがあったように記憶している。新聞の映画欄に思わせぶりな広告が載っていた。
試しにネットで“Enfermera Nocturna”を調べてみたが、ホラー映画の方がヒットしてしまった。これは全くの別物である。

 さて、看護婦さんをはじめ、制服の女性は洋の東西を問わず、魅力があるようだ。
 今では「看護婦」ではなく、「看護師」になってしまったが、やっぱりその手の映画にするには「看護婦」のほうがふさわしいのではないか。
 日本では、男性もこの分野に進出するようになって、当初は男性は「看護士」と言っていたものだが、いつの間にやら、男女を問わず、「看護師」になってしまった。
 コスタリカにも「看護士」(enfermero)もいるが、「看護士=オカマ」という偏見が根強いようである。
 ちなみに、enfermera という言葉は、「病気」を表す enfermo の派生語である。nocturna(nocturno の女性形)は英語の nocturne に相当する。「夜想曲、ノクターン」という意味がもっともポピュラーだろう。このことばは noche(夜、ラテン語では noctis) の関連語である。
反意語は diurno (昼の)で、こちらは día(英 day)の派生語のはずである(手元の辞書には明記されていないが)。

 ところで、「婦」から「師」に変わったのは、看護婦ばかりではない。保健婦も保健師になった。
 「婦」の字は女偏に箒を表すつくりがついている。何かの団体によると、この字は女性が家庭に閉じ込められて、家内労働をしているそうである。女性の社会進出を妨げる、とか何とかという理屈で「婦」の字を使わないようにした結果らしい。
 しかし、なかなか「師」にならない職種もある。最近テレビドラマのタイトルにも使われた「家政婦」が「家政師」になったという話は聞かない。そもそも、いまどき、「家政婦」を雇えるような人は一部の大金持ちを除き、ほとんどいない。ということで、「家政婦」は問題にする価値がないのだろう。
 もうひとつ、「慰安婦」も「慰安師」にならない。こちらも「家政婦」と同じ理屈で問題にされないのだろうか。それとも、慰安する人たちは全員女性だから、「慰安婦」のままでいいということだろうか。人によっては、男性の「慰安師」の方がいいという場合もあるだろうに。
 話が変なほうに行ってしまった。
 
 女房殿の友人宅に長居すると、この日宿泊するホテル、Río Celeste Hideaway Hotel (英米人観光客が多いのだろうか、Hideaway 「隠れ家」という英語の名前になっている)に着くのが夜になってしまう。距離は大したことはなさそうだが、また、悪路を行くようなので、4時半においとました。
 


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コスタリカ再訪(129)Bijagua (ビハグア)へ

2016-09-29 17:52:50 | コスタリカ
 
コスタリカの別府の山地獄、Las Horunillas(ラス・オルニージャス) から女房殿のいとこの一人が住む Bijagua(ビハグア)までは直線距離では近い。
   
 上の地図ではわかりにくいが、近道はある。ただ、この縮尺の地図では表示されていない。表示されないだけのことはあって、未舗装のでこぼこ道である。いい道を行こうと思ったら、パン・アメリカン・ハイウェイに出るか、または、北に向かって別の幹線道路に出るかしなければならない。
 レンタカーは普通の乗用車である。ランドクルーザーのような車ならいいのだが、この種の車は高い。長期間借りると、結構な差が出る。
 道は悪いが、乗用車で行けないことはなさそうである。
 Las Hornillas を出たのは正午少し前である。すぐに空腹を覚えたので、昼食にする。昼食は前日の夕方 Bagaces の町で買ったチキン弁当がまだ残っている。前日のホテルの冷蔵庫に入れていたので、まだ腐ってはいない。車内で昼食。
 昼食後、再び、Bijagua を目指す。でこぼこ道ではあるが、道に迷うことはない。10キロぐらいの距離だが、時間がかかる。30~40分ぐらいかかっただろうか。1時間かかったような感覚だが、実際はそうでもなかったようだ。
 正確な記録が残っていないので、よくわからないが、2時前には着いたと思う。
 Bijagua は小さな町で、人口は2000人ぐらいだそうである。それでも途中に大きな町はなかったので、この程度の町でも都会に見える。幹線道路沿いに店もある。
 女房殿のいとこは、町のはずれに自動車修理工場か何かを経営している。正確な場所を覚えていなかったので、町の人に聞くと、すぐ教えてくれた。
 ものの数分で工場に到着。筆者は初対面である。
 この町には筆者の結婚式のときに、参列し、披露宴で詩(自作だったかな)を朗読してくれた、女房殿の友人も住んでいる。こちらの方は電話連絡できたようで、まっすぐ家に向かった。
 


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コスタリカ再訪(128)Las Hornillas ーコスタリカの別府の山地獄

2016-09-28 16:15:11 | コスタリカ

  11時10分に Hotel Río Perdido をチェックアウト。まずは、Hornillas (オルニージャス、horno 「こんろ、窯」に縮小辞がついた形の複数形)というところを目指す。
 
 ホテルからは、さほど遠くない。道に迷うことなく、30分で到着。時刻は11時40分である。受付で入場料を支払う。2人で約3000円であった。もちろん、カード払いでOK。
 写真をご覧いただくとわかるように、いわば、コスタリカの別府の山地獄である。なるほど、名前どおり Hornillas(窯)がたくさんあるように見える。
 ちなみに horno(オルノ) という語は英語の furnace (炉)に相当する。
 
 
 これらは筆者の撮影によるものだが、画像が多数紹介されているので、興味のある方はそちらもご覧いただきたい。
 晴天で強からは強い日差し、下からは熱湯が湧いているので、ダブルで暑い。
 画像にあるようにクジャクの姿も見られる。また、火山の泥パックもできる。Hotel Río Perdido でも泥パックができたが、ここの泥を持っていっているのかもしれない。欧米人観光客(おばさんたち)が泥パックをしていて、筆者たちも薦められたが、すでにやっているので、丁重にお断りした。 
 この日も先を急ぐので、写真をしっかり撮って、11時50分に出発し、次の目的地 Bijagua(ビハグア)に向かった。
 辞書で Bijagua という語を調べてみたが、見当たらない。bija(ビハ、「ベニノキ」)という語があったが、関係あるのだろうか。
 
 
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コスタリカ再訪(127)温泉が湧く川へ

2016-09-27 18:05:43 | コスタリカ
  9時に部屋を出た。温泉が湧く川へ降りていく。お天気はいい。まだ朝のうちなので暑くはない。森の中なので、木が直射日光を遮ってくれる。
 階段になった坂道を降りていくのだが、案内板もあるし、道も舗装されている。降りること5分ぐらいだろうか。無事、到着。
 
 【ホテルのホームページより】
 ちょうど上の写真のところである。ここより上流には行けることは行けるが、道が悪い。下流には道はない。ちょうどこのあたりが水深も程よく、岩が少なくなっている。
 他に人はいなかったので、遠慮なく楽しめる。ただし、いつ人が来るかわからないので、スッポンポンにはなれない。水着着用である。
 バスタオルはその辺の木にかけておく。足元には体に塗る火山性の泥があった。刷毛も置いてある。
 
 このあたりは火山があるので、そこらへんから持ってくるのだろう。
 さて、まずは、川に入ってみる。水温もちょうどよい。ホテルの温泉プールより、いくらか温かい。足元は砂になっている。しばらくのんびり浸かってから、今度は泥を体に塗る。すぐに泥を落とさないで、乾燥するまで待たなければならない。長時間ではないが、手持ち無沙汰である。
 20分ぐらいして、乾燥したので、今度は泥を落とす。そのまま、また川に入って流すだけでよい。川はゆっくり流れているので、泥で汚れてしまう心配はない。結局、部屋に戻るまでの80分間、だれも来ず、至福の時を過ごしたわけである。究極の露天風呂であった。また訪ねる機会があるかどうかわからないが、可能なら、また来たいものである。
 10時20分に部屋に戻り、11時10分にチェックアウトした。このホテルではいろいろなアクティビティを用意しているが、時間の関係で断念せざるを得なかった。
 チェックアウトするとき、ウェイターも兼ねているスタッフから「“Esta es su casa”(逐語英訳 This is your house)、いつでも戻ってきてください」と言われたが、ずいぶん家賃が高い家である。普通、“Esta es su casa”というフレーズは友人宅を訪れたとき、友人が言ってくれるセリフである。
 ただ、普通は次のように習う。
“Esta es mi casa y suya también”(逐語英訳 This is my house and yours too)
 英語では“Make yourself at home”(どうぞ、ごゆっくり)ということである。コスタリカ人の友人にはよく言われたが、ホテルで言われたのは初めてであった。
 
 
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コスタリカ再訪(126)Hotel Río Perdido での朝食

2016-09-26 16:48:38 | コスタリカ
 12月16日(水)晴れ
 6時半ごろ目覚めた。爽快である。7時半に朝食をとりにレストラン(テラスになっている)へ行く。昨晩下から見上げたレストランである。
 
 
 朝になるとすっかり様子が変わっている。周りはジャングルで、絶景が楽しめる。本来なら、一番外側の席がいいのだが、すでに日が高くなり、日が当たっている。日陰は涼しいが、日なたはさすがに暑い。そういうわけで、比較的外側だが、日が当たらない席を選んだ。
 写真を見るとわかるが、ジャングルの海にぽつんと豪華ホテルが浮かんでいる。
 
 写真の下のほうに川が見える。ここが温泉が湧いているという川で、これがホテルの名前にもなっている Río Perdido (失われた川)だろうか。朝食のあとで行ってみる。
 さて、席に案内されたわけだが、ウェイトレスではなく、ウェイターばかりだったような気がする。数は7~8人だろうか。
 朝食はアメリカン、コンチネンタル、ナショナル(コスタリカ風)の中から選べたと思うが、記憶が曖昧である。パンとコーヒー(または紅茶)のみのコンチネンタルは論外である。名前だけ聞くと、なんだかかっこよく思えるが、一番質素な朝食である。当然、コスタリカの朝は gallo pinto(ガジョ・ピント)でなければならない。ということで、ナショナルを選ぶ。
   
 【米飯にもパンがつくのは当たり前】
 コスタリカのちょっとしたホテルは朝食込みの料金なので、懐具合を気にする必要はない。
 さすがに高級ホテルだけあって、昨日のプンタレーナスのリーズナブルなホテルの朝食より美味であった。食後のコーヒーもいただき、部屋に戻り、テラスのハンモックでくつろぐ。
 
 おもむろに水着に着替えて、9時ごろ、温泉が湧く川へ降りていった。
 
 【このタイプの部屋に宿泊。朝食の写真以外はすべてホテルのホームページより。すっかりホテルの回し者になってしまった。】
 

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コスタリカ再訪(125)Hotel Río Perdido で温泉プールにつかる

2016-09-25 19:31:33 | コスタリカ
 ホテルに到着したのは6時半だったが、冬(コスタリカではこの時期を verano 「夏」と呼ぶ)なので、すでに日は暮れてすっかり暗くなっていた。といっても、寒くはないが。まずは、部屋で少し休憩。それから、温泉プールに向かった。
 
 このプールにはだれもおらず、貸切状態だった。とはいっても、スッポンポンになるわけには行かない。このプールの真上にレストランがある。もし、見られたら大変である。ということで、おとなしく水着着用のままつかっていた。
  
 湯はぬるめで長時間入っていられる。晴れていたので、星を見ながらのんびりつかった。
 このプールのそばにも真ん中にバーがある温泉プールがある。こちらは一回り小さいが、欧米人らしき客がバーで談笑していた。こちらのプールのほうがいくらか温度が高い。 
 温泉プールで約1時間過ごし、部屋に戻り、買ってきた夕食の残りをいただく。
 この日は移動距離が長く、老体には堪えたので、10時ごろ床に就いた。静か過ぎるぐらい静かで、グアピレスの実家と比べたら、本当に天国と地獄の差である。ホテルの敷地内の散策が翌日の楽しみである。 


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コスタリカ再訪(124)Hotel Río Perdido にて

2016-09-24 17:03:28 | コスタリカ
 Hotel Río Perdido に着いた時には、日はとっぷり暮れていたが、あとで記録を調べてみると、まだ6時半だった。
 来るまでに道に迷ったわけではないが、迷いそうにはなった。
 
 ホテルの名前、Río Perdido は英訳すると、Lost River である。「失われた川」または「迷った川」という意味である。確かに、ホテルの敷地内に温泉が湧く川がある。ただし、地図には出てこない。そうすると、これが Río Perdido なのだろうか。
 Perdido ということばはジャズが好きな方なら聞いたことがあるはずである。デューク・エリントン楽団などが演奏している、ジャズのスタンダード・ナンバーである。ただし、発音は英語風に「パーディド」となっていて、このホテルの案内の日本語版も「パーディド」と書かれている。英米人ならともかく、ここは正しく「ペルディード」と発音してもらいたい。
 ジャズの名曲の「パーディド」については、「スペイン語タイトルのジャズの名曲:Perdido」、「Perdido (2)」をご覧いただきたい。
 さて、ホテルのスタッフに出迎えられたとき、「このホテルの名前どおり、やっぱり道に迷った(perdido)よ」と軽口を飛ばした。途中、ホテルの案内看板はあったが、夜は特にわかりにくい。
 夕食はすでに購入済だったし、ホテルの夕食は高そうだったので、断った。部屋に案内されて一休み。部屋は独立したシャレーである。一泊300ドル以上(2人で)の高級リゾートである。クリスマス休暇中なので、料金はハイ・シーズン料金で、ますます高くなっているが、いたしかたない。また来るかどうかわからないので、思い切って奮発した次第である。シャレーとシャレーの間は広く、あまり客もいないようだったので、静かである。
 
 

 夜だったので、ホテルの建物近くしか様子がわからない。様子がわかったのは翌日である。
 温泉が湧く川は夜道で、照明もないので、翌朝行くことにして、この夜は温泉プールに入ることにした。
 
 【写真はすべてホテルのホームページより。】


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コスタリカ再訪(123)夜道を Hotel Río Perdido へ 

2016-09-23 17:40:12 | コスタリカ
 Casona de Santa Rosa を約30分間、見学したあと、この日の宿泊地である、Hotel Río Perdido を目指す。立派なリゾート・ホテルであることは、後日ホームページを見てわかった。行くまでは、高いホテルということしか知らなかった。
 場所はカーナビに入力したので、何とかなるだろうと思ったが、これが大変だったのである。
  ホテルにしろ、レストランにしろ、近くのしか表示されない。サンタ・ロサ国立公園からはかなり離れている。ホテルの所在地もわからない。そもそもコスタリカには「何丁目何番地」という住居表示はない。
 それでも、近くまで行って、カーナビに入力するしかない。
 
 まずは、サンタ・ロサ国立公園からリベリア方面に引き返す。リベリアを過ぎ、バガセス(Bagaces。bagazo「サトウキビの搾りかす」の関連語か?)まで戻り、そこからパン・アメリカン・ハイウェイに別れを告げ、支線に入っていく。交通量がずいぶん少なくなる。
 そろそろ日が暮れかけてきた。ホテルの食事は高そうなので、途中で夕食をとることにした。ただ、まだ夕食にはちょっと早い。そこで、チキンでもテイクアウトすることにした。バガセスは小さい町だが、テイクアウトできるぐらいの店はある。チキンのほかに野菜やご飯もあったので、うまい具合に夕食弁当ができた。「早い、安い、うまい」と三拍子そろっている。車の中で少し食べ、残りは夜食にする。
 簡単な夕食のあと、いよいよホテルを目指す。距離にしてみれば、あと少しである。すぐ着くだろうと思ったが、大間違いであった。実は、かなり北のほうまで舗装された幹線道路を進み、それからまた南へ戻るのであるが、この道が舗装されていなかったのである。これが立派なリゾート・ホテルへ続く道とはとても思えず、不安が募る。ナビも大体の場所は示してくれるが、正確な場所がわからないので、これまた不安である。
 そうするうちに、だんだん暗くなってきた。ホテルの案内板はあるにはあったが、小さいので見落としてしまいそうであった。地図で見ると一本道になっているが、実際に行ってみると、わき道もある。だんだんでこぼこがひどくなってくる。雨季だと道がぬかるんで、とても進めないような道になってくる。
 それでも何とかかんとか、ホテルの標識を見つけ、やっとのことでゲートまでたどり着いた。ゲートに人がいたので、ホテルまでの道を聞く。ゲートからまだホテルは見えない。一応ホテルの敷地には入ったので、後はそう心配は要らない。ホテルの明かりも見えてきた。ただ、ホテルとはいっても、普通のホテルではない。高層のリゾートホテルではない。シャレーが点在する形式である。まずは、駐車場に車をとめて、フロントに向かうのだが、駐車場には照明がなく、真っ暗である。
 それでも何とか、フロントにたどり着いた。チェックイン手続きを終え、部屋に案内されて、やっと一息ついた。 


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コスタリカ再訪(122)Casona de Santa Rosa

2016-09-22 17:15:57 | コスタリカ
 
 【ウィリアム・ウォーカー。ウィキペディアより】
 フアン・サンタマリアたちの軍とウォーカーの侵攻軍のことについて、簡単に言うと、次のとおりである。
 アメリカ人の冒険家(野心家)であるウィリアム・ウォーカーに率いられたニカラグア軍がコスタリカに侵攻してきたとき、彼らを撃退したのがフアン・サンタマリアたちだったが、彼はこの戦で戦死してしまった。その功績が讃えられ、空港の名前にもなり、出生の地であるアラフエラの町に銅像も建っている。

 【1900年発行の1センティモ切手に描かれたフアン・サンタマリアの銅像。筆者所蔵。1980年には1円玉よりずっと小さい5センティモ硬貨がまだ使われていた。これが当時の最低額の硬貨であった。もはやセンティモ硬貨は使われていない。100センティモである1コロンでさえ、1円の価値もない。】
 
 
 
 【ウォーカー軍との戦争勝利より100年の記念切手3種。筆者所蔵。】
 この時の戦いでコスタリカ軍を率いたのが José María Cañas Escamilla というエル・サルバドル生まれの人物だった。
 カーニャスの町の名の由来はこの人物ではないかと思うのだが、確認が得られていない。
 
 【José María Cañas Escamilla。ウィキペディアより】
 侵攻して来た側のウィリアム・ウォーカーは1987年に映画にもなっているが、残念ながら、見ていない。
 コスタリカ人にとってはコスタリカの独立が守られた聖地と言える場所である。コスタリカに修学旅行のようなものがあるとすれば、必ず訪れなければならないところだろう。
 
 【邪悪な意図を持ってコスタリカを侵略するものは、サンタ・ロサから先へは進めない。】
 サンホセからはかなり遠いので、なかなかここまで足の伸ばす機会がなかった。かつてグアナカステ地方に来たことがあるが、きれいなビーチが目的であった。
 この歴史的建造物からさらに海までの道も続いていて、やはりきれいなビーチがある。しかし、時間の関係で、引き返さざるを得なかったのが残念である。


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コスタリカ再訪(121)Casona de Santa Rosa にて

2016-09-21 16:05:00 | コスタリカ
  リベリアを出て、サンタ・ロサ国立公園の Casona de Santa Rosa を目指す。ここは、コスタリカの国際空港の名前になっている、フアン・サンタマリア(Juan Santamaría)ゆかりの土地である。彼についての説明はゆっくり述べるとする。
 
 リベリアの町から国立公園までは20キロぐらいだろうか。リベリアから先は道路拡張工事はしていなくて、片側1車線のままである。それでも、車はだいぶ少なくなっていて、スイスイ走れた。
 パン・アメリカン・ハイウェイから海側のわき道に入っていく。一応標識はあった。少し進むと、ゲートがあった。ゲートにはだれもおらず、遮断機も上がっていた。入場料を取るようでもなさそうだ。そのまま進む。途中、撮影スポットがあったので、撮影。  
  
 さらに少し進むと、目的地である Casona de Santa Rosa に着いた。午後3時少し前である。この日はリベリア方面へ引き返して、秘境のホテルに宿泊する予定であるので、あまり長居はできない。暗くなったら、道を探すのが大変である。秘境が目的地なので、夜間の道探しはなおさらである。
 さて、Casona とは casa(家)に増大辞がついたものだが、単に「大きい家」という意味ではなく、「古くて立派な屋敷」という意味である。ただ、古くて、立派な屋敷というだけではなく、コスタリカの歴史上、重要な建物なのである。
 
 フアン・サンタマリアたちはここをコスタリカに侵攻してきたウィリアム・ウォーカー軍撃退の拠点にした。砦というわけではない。
 なお、ニューヨークにはジョン・F・ケネディ空港があり、パリにはド・ゴール空港、ローマにはレオナルド・ダ・ビンチ空港、リオ・デ・ジャネイロにはアントニオ・カルロス・ジョビン空港と、有名人の名前を冠した空港がある。このほかにもいろいろあるのだろうが、フアン・サンタマリアも世界的には有名ではないが、その中に名を連ねている。
 ケネディは享年46歳、ド・ゴールは79歳、ダビンチは67歳、ジョビンも67歳なのに対して、フアン・サンタマリアは享年24歳と若い。他にも人名が冠された空港があるだろうが、ひょっとして最年少かもしれない。興味のある方はお調べください。 

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コスタリカ再訪(120)カーニャスを過ぎ、リベリアへ

2016-09-20 16:22:25 | コスタリカ
  パン・アメリカン・ハイウェイを一路、目的地の Parque Nacional Santa Rosa (サンタ・ロサ国立公園)を目指して、北上中である。
 
 車が増えているが、片側1車線のままなので、以前ほどのスピードが出ない。
 プンタレーナスからだいぶ離れて、やっと Cañas (カーニャス、英語の cane に相当。本来は「茎」の意だが、caña de azúcar「サトウキビ」の意味でも使用される。)までやってきた。ハイウェイから分岐する道もあり、プンタレーナスを出てからここまで大きな町はない。
ところで、カーニャスのあたりでサトウキビが栽培されていて、それが町の名の由来かと思っていたのだが、そうでもないようだ。José María Cañas Escamilla というエル・サルバドル生まれの人物に由来するのではないだろうか。詳しくは後日述べる。
 
 【José María Cañas Escamilla ウィキペディアより】
 さて、カーニャスから先、Liberia (リベリア、アフリカにある国の名と同じだが、関係はなさそう。)まで、片側2車線に拡張する工事が行われていた。昔は単に右折するだけであったが、今では、工事に伴い、複雑になっている。カーニャスを通り過ぎる車は交差点の上を立体交差で進み、カーニャスの町に入る車は右側の側道を通るようになっている。
 カーニャスの町の様子は画像をご覧いただきたい。ただし、新旧入り乱れている。道路拡張工事の写真や、道路が渋滞している写真もあるが、これらは最近のものである。
 カーニャスまで来ると、交通量もだいぶ減ってきた。町に立ち寄ることなく、さらに北上を続けて、リベリアの町までやってきた。リベリアはグアナカステ州の首都で、人口も州で最大である。とはいっても、2013年の時点で、6万人に満たない。
 それでも、このあたりでは都会である。ちょうど昼時になったので、町に入って、昼食をとることにした。街中への入り方はカーニャスと同様である。リベリアの様子は画像をご覧いただきたい。ただし、街中の写真は少ない。
 中華料理屋があったので、そこで昼食。chop suey seco (焼きそばのようなもの)を注文したが、味の方はしょっぱいだけで、あまりうまくなかった。田舎の中華はこんなものかもしれない。
 スマホをだいぶ使ったので、料金切れになった。州都なので、当然、スマホの料金チャージができる店はたくさんある。チャージしてから、リベリアを後にして、最終目的地のサンタ・ロサ国立公園に向かった。お天気は晴れ。暑い。


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コスタリカ再訪(119)グアナカステへ

2016-09-19 17:10:53 | コスタリカ
 12月15日(火)
 6時前に目が醒めたが、朝食まで時間があるので、ベッドでごろごろして、7時半に起床。うす曇り。
 ホテルの食堂で朝食。メニューはいつものコスタリカの典型的な朝食、ガジョ・ピント(gallo pinto)である。ウェイトレスは年配の女性で、ニカラグア人のような風貌であるが、コスタリカ人であった。グアナカステのニコヤ(Nicoya)地方はかつてはニカラグア領で、ニカラグア人のような風貌の人も多そうである。コスタリカ人は白人系が多数だが、ニカラグア人の方は先住民(indígena、インディヘナ。indio という言葉はあまり使われなくなってしまった。)の血が濃い。
 ニコヤ地方のコスタリカへの併合の詳細については、「Guanacaste Day」(英語)をご覧いただきたい。コスタリカが武力侵攻したわけではない。
  
 【赤がニカラグア領だった地域】
 グアナカステ州の多くは、もともとがニカラグアの一部だったので、トルティーリャもニカラグア風で、分厚い。
 プンタレーナス州はグアナカステ州の隣なので、先住民の血が濃い人たちも結構いるのだろう。
 朝食後、一休みして、10時20分にホテルを出た。一路、グアナカステに向かう。この日はまず、ニカラグアとの国境に近い、サンタ・ロサ国立公園を訪れる。
 
 道は幹線道路をまっすぐ行けばよいだけなので、道に迷う心配はない。ただ、ちょっと遠い。距離にして170キロぐらいだろうか。ぶっ飛ばせば、2時間で行けそうな距離ではあるが、そう甘くはない。
 プンタレーナスのホテルから、砂州の付け根まで戻って、それから、パン・アメリカン・ハイウェイに入る。パン・アメリカン・ハイウェイは結構、交通量が多い。その上、片側1車線である。昔はこれでもよかったが、何しろ、今は車が激増している。渋滞というほどではないが、前に荷物を満載して遅いトラックがいたりすると、なかなか進まない。
 車が多いと、景色をのんびり楽しめない。昔は、このあたりのドライブは、気持ちがよかったものだが。
 
 【1980年以前のグアナカステの典型的な風景。絵葉書より】
 天気は、うす曇りから、快晴になってきた。暑い。
 

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コスタリカ再訪(118)「マチョ」考

2016-09-18 15:57:13 | コスタリカ
  プンタレーナスの知人のニックネーム(apodo)は「マチョ」(Macho) である。みんなそう呼び習わしていて、筆者の友人たちは誰も彼の本名を知らない。
 普通名詞 macho にはいろいろな意味があるが、代表的なものを記す。
 1. 雄
 2.たくましい男。いわゆる「マッチョ」。
 3.とんま、間抜け
 4.手元の辞書には「(コスタリカ)(金髪の)外国人」とあるが、外国人ではなくても、金髪を macho (女性形は macha)という。
 ニックネームとしては、「とんま、間抜け」はないだろう。陰口ならあるだろうが。いわゆる「マッチョ」かというと、漁師だから、それなりに丈夫ではあろうが、「マッチョ」というほどムキムキではなかったと思う。そうすると、最後の「金髪」が妥当なところだが、日焼け・潮焼けしているので、あまり金髪に見えなかった。顔立ちは白人なので、本来は金髪なのかもしれない。ということで、あまり深くは考えなかった。
 ところが、最近、別の可能性もあるのではないかという、疑問が湧いた。
 女房殿のおじの1人(すでに他界している。おじさんはたくさんいる)は Joaquín (ホアキン)という名前だが、Tío Quincho (キンチョおじさん)と呼ばれていた。手元の辞書を調べてみると、quincho という普通名詞があった。意味は「よしず張り、よしず壁の小屋」(画像参照)とあるが、アルゼンチンやボリビアなど、南米で使われる言葉のようである。
 キンチョおじさんは、こんなところで暮らしていたのだろうか。
 Quincho の名の由来は Joaquín の quín に親しみをこめて cho をくっつけたのではないかと、想像していた。
 実は、マチョの本名を聞いてみたところ、どこにでもいそうな Manuel さんで、姓のほうも“~ez”で終わるありふれたものであった。世界中にこのような名前の人は何十万人もいそうである。
 そうすると、マチョの「マ」は Manuel の Ma で、親しみを表す(?)cho をつけたものではないかとも思えてきた。もし、金髪でなければ、この線がいいところを行っているのではないかと思う。
 ニックネームが cha で終わる別の女性も知っている。
 Lucha さんと呼び習わしていたが、普通名詞 lucha は「戦い、レスリング」の意味である。この女性は確かに体格はよかったが、プロレスまではしていなかったはずである。また、喧嘩っ早いわけでもなかったと思う。
 たぶん、本名は Lucía (ルシーア)さんだったと思う。この名前はイタリア語ではサンタ・ルチアの Lucia (ルチア)で、だんだん「ルチャ」に近づいてくる。
 日本語的な感覚では、「ルシーアちゃん」から「ルチアちゃん」になり、「ルチャ」になったようなものだろうか。
 cho (cha)が本当に親しみを表すのかどうかは、不明である。あくまでも仮説である。


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コスタリカ再訪(117)マチョ訪問

2016-09-17 14:29:33 | コスタリカ
  夕食を終え、いよいよ36年ぶりに知人を訪問する。その当時、40歳前後だったと思う。今では、75歳ぐらいになっている。この日の昼、訪問したグレシアの知人同様、まるで別人になっているだろうか。
 レストランからさらに砂洲の突端の方向へ少し歩くと、教えられた Jirón(ヒロン、「布などの切れ端」、「当て布」、「三角形の旗」などの意があるが、港町なので、たぶん「三角形の旗」の意味だろう)というレストランがあった。このレストランは見覚えがある。ここで食事を取ったこともあると思う。先ほどのレストランよりはもっと庶民的な感じである。
 このレストランのもう一見先の家だそうである。近づいていくと、おじさんたちが数人、家の前にいすを出して、談笑している。
 36年前に撮った写真を見せて、「マチョ」に会いに来たと伝えた。写真を見るまでは、怪訝そうな顔をしていたが、写真を見たとたんに、相好を崩して、歓迎してくれた。
 
 【1980年ごろ】
 早速、家の中に招じ入れてくれた。漁師の家であるから、豪邸ではない。居間のようなところにはエアコンはなかったが、寝室にはあるのかもしれない。36年前に訪れたときとは、別の部屋だったかもしれない。何しろ、記憶があいまいである。
 上の写真に写っているうちの2人はすでにこの世を去っていることも、残念ながら伝えなければならなかった。1人はプンタレーナスに派遣されていた、青年海外協力隊の漁業隊員で、特に、マチョとは親しくしていた。彼がいなければ、筆者もマチョと知り合うことはなかったはずである。
 マチョに2人のことを思い出してもらったことで、少しは供養になったかと思う。
それはともかく、マチョは最近では「マチョ・バゴ」(Macho Vago)と呼ばれているらしい。vago とは「怠け者」とか「役立たず」の意味である。「曖昧な」という意味もあるが、手元の辞書では、別の見出しになっている。こちらの方は英語 vague の関連語である。
 マチョは今では高齢者なので、十分、怠ける権利はある。昼間から、何もしないで、ごろごろしているような印象を持たれているようだが、実は、芸術家だったのである。
 
 
 上の写真はマチョの作品である。そういえば、宿泊先の Hotel Tioga にも船の模型が飾られていたが、マチョの作品かもしれない。
 漁師を辞めてから、趣味としてはじめたものかもしれないが、意外な才能を持っていたのである。
 翌日は、グアナカステ方面へ行くので、名残惜しいが、今生の別れにならないことを願い、マチョに別れを告げて、ホテルに向かう。
 暑いので、途中でアイスクリームを食べることにした。店の外にベンチとテーブルが置いてある。客もかなりいた。
 
 日本で食べるものとあまり変わらない。こんな店でもカードで支払いができる。後日、確認したら、2人で1,000円弱であった。高くはないが、決して安くはない。味も甘すぎることはなく、日本のものと大した違いはなかった。 

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コスタリカ再訪(116)プンタレーナスで海鮮料理を食す

2016-09-16 18:07:26 | コスタリカ
  プンタレーナスのホテルに到着したのが5時半。部屋に入って、少々休憩。プンタレーナスではエアコンをつけないと、我慢できない。エアコンをつけたばかりなので、まだ熱気がこもっている。落ち着いたところで、夕食に出ることにした。ホテルの中でも食べられるが、近くにもレストランはある。
 プンタレーナスはグアナカステ方面への中継地点である。アラフエラからグアナカステ方面へは幹線道路でプンタレーナスに出て、それからパン・アメリカン・ハイウェイを利用するのが一番早い。
 
 プンタレーナスは港町なので、新鮮な魚介類が楽しみである。36年前は、物流があまりよくなく、首都サンホセでは
新鮮な魚介類はあまり食べられなかった。初めてプンタレーナスに来たとき、食べた魚料理は忘れられない。
 また、知人もいるので、訪問しようと思った。しかし、36年ぶりである。当時、40歳ぐらいだっただろうから、存命なら75歳ぐらい。下手すると、もう亡くなっているかもしれない。それに、大体の場所は覚えているが、正確な住所はわからない。それに名前も知らないのである。知っているのはニックネームだけ。彼を知っている日本人の友人たちも彼の本名は知らない。それでも、小さな町だから、知っている人はいるだろうと楽観していた。
 
 夕食のためにホテルを出るとき、フロントの支配人らしきおじさんに聞いてみた。しかしながら、地元の人間ではないので、わからないとのこと。
 そのまま、近くのレストランに行って、そこで聞いてみることにした。
 ものの5分も歩かないうちに、1軒見つけて、入った。
 
 夜はいくらか涼しくなるので、オープンテラスで食事することにした。中は扇風機だけで、冷房はなさそうである。
 何人かウェイターがいたので、聞いてみると、そのうちの一人が知っていた。自宅もそこから5分もかからないところである。
 さて、海鮮料理は意外とバリエーションが少なかったが、筆者は写真手前の魚丸ごと一匹、女房殿は魚の向こうに小さく写っているエビ料理を注文した。
 
 この魚はたぶん corvina (スズキの一種)で、pargo (鯛の仲間)とともにコスタリカの切手に描かれている。
 
 【corvina】
 
 【pargo、2枚とも筆者所有の切手】
 最近でこそ、サーモンも売られるようになったが、コスタリカで取れる代表的な海水魚はこの2種である。
 久しぶりの魚料理に舌鼓を打ち、カードで支払う。2人で約7,000円だった。昔に比べると、ずいぶん物価が上がった。
 いよいよ36年ぶりの知人訪問に向かう。
 

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