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スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

『真珠貝の歌』(Pearly Shells):Pearly Shells は真珠貝ではない!

2025-07-29 09:40:16 | トリビア
 2025年7月、猛暑が続く。暑いときに聴く音楽はハワイアンに限る。来月のジャズのセッションでは、ハワイアンの『真珠貝の歌』を歌おう。
 『真珠貝の歌』はビリー・ボーン楽団のバージョンが有名だが、ドン・ホーやパット・ブーンなども歌っている。
 ところで、『真珠貝の歌』の英語タイトルは”Pearly Shells”なのだが、実は、これは真珠貝ではない。ふと今になって気づいたわけである。真珠貝というのは中に真珠が入っている貝で、主にアコヤガイである。ご覧のとおり、美しくも何ともない無骨な貝である。

 【「ぼうずコンニャク魚貝類図鑑」より】 
 真珠貝にはこのほかにシロチョウガイやクロチョウガイがあるが、いずれも大きな貝で、歌になるような貝ではない。
 『真珠貝の歌』の中の『真珠貝』のイメージは小さくてきれいなキラキラ光る貝だろう。そういうのを英語で pearly shells というわけである。これを「真珠貝」と訳したのである。『真珠貝の歌』はディック・ミネによる日本語バージョンもあるので、相当古い歌である。ただし、日本語詞には「真珠貝」という言葉は出てこない。
 ネットの辞書を調べてみたが、「真珠貝」に pearly shells の意味が記載されているケースは見当たらなかった。
 本物の「真珠貝」は英語では pearl shell または pearl oyster という。  
 ところで、筆者はかつてコスタリカの Playa Conchal というビーチに行ったことがある。そこは小さな貝殻が砂の代わりになっているのである。
 
 【Trip Advisor より】
 この辺にあるキラキラした貝が pearly shells であろう。
 ちなみに貝殻はスペイン語では concha というので、conchal は、てっきりその形容詞形だろうと思っていたが、実はそうではなく、「(絹糸が)最高級の」という意味なのであった。とはいっても、やっぱり concha にかけてあるのは明白だろう。
 
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南京豆売りと相棒とロッキード事件

2025-05-28 11:21:07 | トリビア
 ジャズ中心のセッションに参加しているが、最近、ラテン・パーカッショニストが複数参加することもあって、ノリのいいラテン・ナンバーがよく演奏されるようになっている。そこで、筆者も定番の「南京豆売り(The Peanut Vendor, El Manicero)」の歌詞を覚えることにした。

 最近、「南京豆」という言葉をあまり耳にしなくなったが、「落花生」と「ピーナッツ」は健在である。筆者の語感では「落花生」は殻付き、「南京豆」は殻なしの薄皮つきで、塩なし、「ピーナッツ」は皮なしの塩味といったところである。

 「南京」が付く語には「南京虫」、「南京錠」があるが、最近、「南京虫」に悩まされることはない。「南京錠」もあまり使わなくなった。ウィキペディア「南京錠」によると、日本では近世において、外国由来のものが「南京」を冠して呼ばれたことに由来するとのことである。

 それはともかく、「南京豆売り」は1927年に作曲されたそうで、元々のタイトルはスペイン語で”El Manicero”である。「南京豆」はスペイン語では”maní"(マニ。アクセントは「ニ」の方にある)。それを売るのが”manicero”(マニセロ)である。この語はラテンアメリカで使われる語のようで(小学館『西和中辞典』)、”manisero”とも綴られる。これが英訳されて、”The Peanut(s) Vendor”となった。

 「売る」は英語では"sell”が普通なので、「売る人」は”seller”でよさそうなものだが、しかつめらしく、ラテン語由来の”vend”という動詞から派生した”vendor”という語が使われている(ちなみに、「自動販売機」は”vending machine”)。スペイン語の動詞”vender”は英語の”sell”に相当する日常用語だが、英語の”vend”は「売る」は「売る」でも「行商」、または「土地の売却」の意味になっているようである(研究社「英和中辞典」)。

 ところで、スペイン語の複数形は英語同様、語尾に”e”または”es”をつけるのだが(つけ方の規則は英語とは異なる)、”maní”の複数形は”manís”でも”maníes”でもなく、”manises”という特殊な形である。

 ちなみに、”manís”は「ピーナッツ」ではなく、「相棒」という意味である。たまたま昨夜、BS放送で「相棒」をやっていた。

 また、”maní"には「銭、お足」という意味もある。ひょっとすると、これは英語”money”からの連想であろうか。そういえば、昔ロッキード事件とやらがあって、「ピーナッツ」が「現ナマ」の隠語になっていたことがあった。ピーナッツ1個が何百万円とか、何千万円だったような。
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コーヒー・ルンバ(Moliendo Café)再考(3)el santo Manuel

2025-02-22 09:57:23 | トリビア
 「コーヒー・ルンバ」(Moliendo Café)の歌詞の中の el zambo Manuel(黒人のマヌエル)に代わって el santo Manuel (聖者マヌエル)になっているバージョンがあったが、この el santo Manuel (聖者マヌエル)とは一体、何者だろうか。
 ネットで検索してみたら、Andalucía というサイトに出くわした。el santo Manul の本名は Manuel Cano López という。1912年生まれで、1984年に没している。スペイン南部の Jaén(ハエン)県の生まれである。「体と魂の病気を治すことができた」そうである。詳しくは同サイトを参照されたい。まさに聖者そのものの生活をしていたようで、スペイン全土でも有名だったらしい。
 
 【写真嫌いで、これが現存している唯一のもの。”SANTO CUSTODIO”より】
 しかし、こんな聖者が「コーヒー・ルンバ」(Moliendo Café)のスペイン語原詩にあるように、夜中にコーヒー豆を挽いていたとは想像しがたい。それに、昔の聖者の食事はパンと水というのが相場である。現代では、こんな食事では栄養失調で死んでしまいそうである。現代の聖者なら、コーヒーぐらい飲んでもいいとは思うが、el santo Manuel が夜中に疲れ切った体でコーヒー豆を挽く図はどうもしっくり来ない。
 やっぱり、コーヒー豆を挽くのは聖者ではなく、コーヒー農園で働いている黒人の方がふさわしいのではないだろうか。
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コーヒー・ルンバ(Moliendo Café)再考(2)

2025-02-21 09:14:44 | トリビア
 「コーヒー・ルンバ」(Moliendo Café)のスペイン語原詩に「黒人」を表す zambo(サンボ)という語がある。西和中辞典(小学館)によると、この語には「X脚の」という意味もあるが、この場合、「X脚の Manuel」 というわけでもあるまい。X脚ではない zambo は本来、「黒人とインディオとの混血」という意味だが、あまり細かいことは言わずに、単に「黒人」という意味でも使われるようである。スペイン語ではこの語は黒人に対する侮蔑的なニュアンスはないのだが、英語にも取り入れられて黒人に対する蔑称になってしまった。綴りも zambo と sambo の2種類ある。
 zambo (sambo) が英米で差別用語になったので、我が国でも「ちびくろサンボ」という有名な児童書(筆者も愛読したものだ)が絶版になったりした。詳しい経緯についてはウィキペディア「ちびくろサンボ」を参照願いたい。
 
 ところで、筆者が”Moliendo Café”の歌詞を調べるために歌詞検索サイト”Lyrics.com”にアクセスして、最初にヒットしたのがスペインの姉妹デュオ Azúcar Moreno(アスカル・モレーノ:「黒砂糖」の意)のバージョンで、歌詞の一部が一般的なものと違っていた。
 
 【若き日の Azúcar Moreno。今では立派なおばさまである。
 ”el zambo Manuel”(黒人のマヌエル)が”el santo Manuel”(聖者マヌエル)になっていたのである。早速 YouTube で Azúcar Moreno版を聞いてみたが、ちゃんと”el zambo Manuel”と歌われているのである。これはどういうことか。 
 彼女たちはヨーロッパだけではなく、アメリカでも人気が出たようであるが、アメリカでは zambo (sambo) という語は差別用語とみなされるので、アメリカやイギリスで歌うときや、英米版のレコードやCDを出すときに、自主規制して zambo を santo に変えたのだろうか。それとも、単に"Lyrics.com”のスタッフが歌詞を聞き間違えただけなのだろうか。
 それはともかく、今度は el santo Manuel が問題になってくる。「聖者 Manuel」 というときは、普通、San Manuel になるはずであるが、このような名前の聖者は聞いたことがない。ただ、聖者も大勢いるので、こういうお方もいるのかもしれない。聖者になるにはカトリック教会に認定されなければならないのだが、正式に認定されていなくても聖者のような人物もいるはずである。
 カトリック教会公認の聖者は男性なら、名前の前に San がつけられる。San Francisco, San José などが有名である。ただし、Tomás, Tomé, Toribio, Domingo の前では Santo となる。Santo Domingo や Santo Tomás が有名であろう。女性なら、Santa が名前の前につく。Santa Ana (マリア様の母、イエス様の母方の祖母。一語になると Santana)や Santa María(通常 Santamaría と一語で書かれる)が代表格である。女性でもないのに Santa がつくのはクリスマス・プレゼントを持ってくるあのお方だけである。
 さあ、それで、この el santo Manuel とはいったいどんな人物なのだろうか。それは次回のお楽しみに。

 
   
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コーヒー・ルンバ(Moliendo Café)再考(1)

2025-02-20 13:08:06 | トリビア
 先日、月に一度のジャズ・セッションに参加した。ラテンのパーカッショニストが3人も参加していて、ラテンナンバーを中心に盛り上がった。そこで取り上げられた曲の一つが『コーヒー・ルンバ(Moliendo Café)』である。この曲についてはこのブログでも一度取り上げているので、まずはそちらを参照いただきたい。「スペイン語との出会い(7)コーヒールンバ
 セッションではこの曲はボーカルではなく、テナーサックス奏者が中心になって演奏された。次回、チャンスがあれば私がボーカルを担当したいと思っている。そこで、ちゃんと歌詞を覚えようと思って調べてみた。原題は”Moliendo Café”(コーヒーを挽きながら)というので、ワークソングかと思っていたが、ちょっと違うようである。一般的なスペイン語歌詞は次のとおり。
*Cuando la tarde languidece renacen las sombras
En las que tú los cafetales vuelves a sentir
Escucharás esta canción de la vieja molienda
Que en el letargo de la noche parece decir
* repeat
Una pena de amor una tristeza
Lleva el zambo Manuel en su amargura
Pasa la noche cansado moliendo café
* repeat

翻訳はベネズエラ大使館のホームページから引用するが、一部間違いがあったので訂正する。

日が落ちると
影が息を吹きかえす
コーヒー農園の静けさの中で
また聞こえはじめる
寂しげな恋の歌のような
古びたコーヒー・ミルの音が
夜のまどろみのなかで
うめいているようだ

恋の苦しみ、寂しさ
黒人のマヌエルが胸にいだく
その苦悩のなかで
疲れることもなく(⇒正:疲れ切って)夜を過ごす
コーヒーを挽きながら

 コーヒーミルといえば、家庭用の小型のもの、電動式のものを連想するが、この曲が作られたのは1958年で、歌詞の内容からして、コーヒーミルはかなり古いタイプのものではないかと思われる。一般家庭用なら以下のようなものがある。材質は写真では木材だが、石のものもある。
 
  
(Consejos Disfrutabox より)
 もし、業務で夜もコーヒー豆を挽くのなら、下のような大型のものもある。

(アンティーク・ショップ Re:come across より)


 

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マック・ザ・ナイフ

2024-02-24 11:37:59 | トリビア
 『マック・ザ・ナイフ』(邦題『匕首(あいくち)マック』)。物騒なタイトルである。歌詞も同様に物騒である。ボビー・ダーリンやエラ・フィッツジェラルド等、多くの歌手が歌っているが、歌詞は微妙に異なる。以下にエラ・フィッツジェラルド版の「マック・ザ・ナイフ Mack the Knife 歌詞の意味 和訳 ジャズ 」より引用する。

鮫はすごい歯を持ってる  その歯は真珠のように白く光る
まさにマックヒースが持ってた  鋭い刃のジャックナイフ
彼はそれを隠し持ってる 

鮫がその歯で噛みつくと  赤い波が広がり始める
マックヒースは洒落た手袋をして  一滴の赤い痕跡も残さない

歩道の上で  日曜の朝に
血まみれの犠牲者
曲がり角で誰かがこっそり逃げてる
あいつがマック・ザ・ナイフじゃないか?

川岸のタグボートから  セメント袋が降ろされてる
あのセメント袋とちょうど同じ重さ
中に隠れたマックが  町に戻ろうとしてるのかも

ルイ・ミラーの噂を聞いたか?  奴が姿を消したって
荒稼ぎした金をすべて引き出した後に 
マックヒースは船乗りみたいに過ごしてる
ウチの奴らが何か軽率にやらかしたのか?

ジェニー・ダイヴァー  スーキー・トードリ  ロッテ・レーニャ
ルーシー・ブラウン  ずらっとそろって
ついにあのマックが  町に戻って来た

 これはブレヒト作の『三文オペラ』の冒頭で殺人事件について歌われる歌である。歌うのは大道芸人である。
 ところで、『マック・ザ・ナイフ』はソニー・ロリンズの演奏バージョンでは『モリタート』というタイトルになっている。この「殺人事件を歌う大道芸人(艶歌師)」はドイツ語で Moritat と呼ばれているのである。この語は筆者の英和辞典には見当たらない。ラテン語に”Memento mori”(死を思え)という有名な警句がある。mori が「死」なので、Moritat の語源になっているのかもしれない。

 さて、歌詞について、2点、解説しよう。

 マックヒースは洒落た手袋をしているが、手袋には血の跡がついていないという。岩波文庫版『三文オペラ』によると、マックは真っ白のなめし革の手袋をしている。なめし革には撥水性に優れているものがあるようで、そのような手袋をしているので、血痕が残らないのであろう。

 ジェニー・ダイバー以下の人名について。ボビー・ダーリンのバージョンでは次の順に出てくる。
スーキー・トードリー(ジェニー・ダイバーを自宅にかくまう)
ジェニー・ダイバー(マックの愛人の一人。マックを裏切って居所を警察にたれ込む。演じた女優はロッテ・レーニャ)
ポリー・ピーチャム(乞食集団のボスの娘、マックの愛人)
ルーシー・ブラウン(警視総監タイガー・ブラウンの娘。マックの愛人。マックと警視総監は戦友で無二の親友)

 歌詞を見ると、マックは殺人鬼のように思えるが、実は、オペラの中ではマックはだれも殺していない。あらすじについては「ウィキペディア:三文オペラ」を参照されたい。ブレヒトのあとがきによると、マックは殺人を好まない。自分でも不必要な殺人は犯さないし、部下にもそう命令しているのである。
 
 さて、ポリー・ピーチャムを演じた女優ロッテ・レーニャは『三文オペラ』に曲を付けた作曲家クルト・ワイルと結婚、その後、離婚、そして、また結婚している。
 
 【クルト・ワイルとロッテ・レーニャ】
 
 【若き日のロッテ・レーニャ】
 若いころはなかなかの美貌である。その後、映画『007ロシアより愛を込めて』に出演、ソ連の女将校を演じている。
 
 【ソ連の女将校役のロッテ・レーニャ】



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白鯨「Moby Dick」の一等航海士スターバック(Starbuck)

2023-10-10 18:21:48 | トリビア
 ハーマン・メルヴィルの名作「白鯨」(Moby Dick)を読み始めた。エイハブ船長率いるピークオッド号の冷静沈着な一等航海士の名前がスターバック(Starbuck)である。あのスターバックス(Starbucks)の名前の由来になっていることは結構有名な話である。
 一等航海士スターバックの画像を検索してみたが、ヒットしない。岩波文庫版「白鯨」(上)(八木敏雄訳)301ページには Rockwell Kent による挿絵がある。挿絵の著作権登録は1930年で、その後、1958年に更新されている。この挿絵はピッツバーグ州立美術館の許可を得て使わせてもらっていると、訳書の目次の前ページに英文で書かれている。
 著作権について調べてみたが、死後70年間は保護されるとのこと。小説の方はメルヴィルの死去は1891年なので、勝手に引用しても問題はない。ただし、挿絵の Rockwell Kent の死去は1971年なので、まだ保護下にある。勝手に画像をアップすると、お縄を頂戴しなければならない。そういうわけで、ネットに画像が出てこないのである。
 挿絵を見ると、スターバックは陰気くさい痩せた男で、コーヒー・チェーンのスターバックスにはふさわしくないと思う。ここでは掲載できないので、興味のある方は、図書館にでも行って調べてみていただきたい。
 さて、岩波文庫版「白鯨」の第26章でスターバックについて次のように書かれている。

 クエイカー教徒の家系である。背が高く、真摯な男で、寒冷の海岸に生まれたにもかかわらず、熱帯にもよろしく適応しているようで、二度焼きのビスケットのように引きしまった体をしている。

 ここで問題にしたいのは「二度焼きのビスケット」である。そもそもビスケット(biscuit)は二度焼かれるものなのである。一度しか焼かないビスケットがあったら持って来い、である。新英和中辞典(研究社)biscuit の項には【フランス語「二度料理された」の意から】とちゃんと書かれている。それをわざわざ「二度焼きのビスケット」と訳した翻訳者の意図は何であろうか。原文の直訳なのだろうか。メルヴィルはビスケットの語源に疎かったのだろうか。「二度焼き」を強調したいがために、メルヴィルはそう書いたのだろうか。サマセット・モームの「月と六ペンス」の Blanche 同様、悩みが尽きない。

 
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「月と六ペンス」のトリビア(3)女子名 Blanche 

2023-10-08 21:30:55 | トリビア
 「月と六ペンス」に Blanche という名の女性が登場する。
 岩波文庫版(行方昭夫訳、2005年)では「ブランチ」と表記されている。原文で読む場合は、どう発音しようと読者の勝手だが、日本語訳ではカタカナで表記しなければならない。
 Blanche はローマで住み込みの家庭教師をしていて、その後、パリに移っている。国籍は明示されていないが、フランス人かフランス系イタリア人だと思われる。それならば、Blanche はフランス語の女子名で、「ブランシュ」と発音される。blanche と小文字で始めると、「白い」という意味の形容詞 blanc「ブラン」の女性形になる。blanc に定冠詞 le をつけると、Le Blanc 「ルブラン」という姓ができあがる。ちなみに、Blanche のイタリア語形は Bianca 「ビアンカ」である。
 作者のモームはパリ生まれで、10歳の時にイギリスに移ったので、モームにとってはフランス語が第一言語であった。そうすると、モーム自身は Blanche を当然ながら、「ブランシュ」と読んだことだろう。
 原文にはフランス語の短文も頻出するので、訳者の行方昭夫氏もフランス語の知識があると考えるのが自然だろう。それなのに、なぜ「ブランチ」と表記したのだろうか。
 アルクのウェブサイト「英辞郎 on the WEB」で Blanche と入力したら、「人名 ブランチ 女」と出てきた。
 確かに英語読みすれば、「ブランチ」になる。フランス語の知識がなければ、そう読まれるだろう。Blanche というフランス語の女子名が英語圏にも取り入れられ、発音も英語風に「ブランチ」になって定着したのだろうか。それでも、やはりモームにとっては Blanche は「ブランシュ」だろう。まして、フランス人なら「ブランチ」などあり得ない。
 ちょっと目先を変えて、手元の新英和中辞典(研究社)に当たってみた。すると、blanche という語はなかったが、blanch という語があった。発音は「ブランチ」で、古期フランス語「白い」から、blank と同語源とあった。blanchが「ブランチ」なので、英語圏に渡った女子名 Blanche も「ブランチ」と発音されるようになったのだろうか。ちなみに、ブリーチ(bleach、「漂白剤」)は blanch の関連語だろう。
 「月と六ペンス」は映画・舞台・テレビドラマ化されているので、そこで Blanche がどう呼ばれているか確認したいものである。
 ところで、フランス語 Blanche のスペイン語形は Blanca「ブランカ」で、こちらもれっきとした女子名である。個人的にも Blanca という名の女性を知っている。
 Blanca の男性形は Blanco「ブランコ」だが、Blanco という個人名を持つ男性は知らない。ただし、姓として用いられ、日本でプレーしたプロ野球選手にもこの姓を持つ選手がいた。そういえば、White という姓の黒人選手もいた。中国や韓国にも「白」という姓がある。中国には「白」が男子名としても使われている。あの詩仙「李白」である。
 
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「月と六ペンス」のトリビア(2)

2023-10-07 20:39:08 | トリビア
 フランスの画家、ポール・ゴーギャンをモデルとしてサマセット・モームが書いたベストセラー小説は「月と六ペンス」というタイトルがつけられたが、それについて岩波文庫「月と六ペンス」の解説には次のように書かれている。

 「月」は夢や理想を、「六ペンス」は現実を表す。(中略)「月と六ペンス」では主人公は美の理想を追求し続け、そのために、世俗的な喜び、富、名声などを完全に無視し、投げ出す。(以下省略)

 確かにそのとおりだが、イギリスでは、結婚式へと向かう花嫁の左靴の中に6ペンスを入れておくことで「経済的にも精神的にも満たされ、豊かで幸せな人生をもたらす」と考えられていて、現在もその習慣が続いていることから、「六ペンス」は豊かで幸せな結婚生活を表しているとも考えられる。
 ところで、「月と六ペンス」の中での夫婦またはそれに準じる関係は3組である。
 1.画家ストリックランドとその妻
  ストリックランドは証券関係の仕事につき、平々凡々たる生活を送っていたが、突然、画家になるべく家族を捨てて、パリに行く。
  この場合、「月」は芸術、「六ペンス」は平凡だが幸せな結婚生活を表していると言える。
 2.語り手の友人、オランダ人のダーク・ストローブとその妻 Blanche(翻訳書では「ブランチ」と読まれている)。
  ローマのある公爵家で住み込みの家庭教師をしていたところ、そこの息子にたらしこまれ、妊娠するが、結局、追い出され、自殺を図る。だが、ストローブに見そめられ、結婚する。 
 公爵の息子は Blanche とは身分が違い、Blanche にとっては手の届かない「月」のような存在であろう。そんな公爵の息子と結婚するという夢が「六ペンス」といったところか。
 3.画家ストリックランドと Blanche
 Blanche は夫を捨てて、ストリックランドのもとへ走るが、ストリックランドはまるで狂気に取り憑かれたかのように絵のことしか考えず、Blanche は結局、捨てられ、自殺する。
 「月」(スペイン語 luna)は人の気を狂わせると考えられていた。その luna から派生したスペイン語 lunático(英 lunatic)は「精神異常の、気違いじみた」という意味である。
  この場合には、ストリックランドが「月」で表され、男を家庭に縛り付けておきたい Blanche が「六ペンス」で表されていると言えるだろう。 

 
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「月と六ペンス」のトリビア

2023-10-07 11:16:27 | トリビア
 今回はスパニッシュとは関係のない話である。
 1919年にサマセット・モームの小説「月と六ペンス」が刊行され、世界的な人気を博した。日本語にも翻訳されている。
 まずはタイトルの一部の「六ペンス」についての考察である。 
 6ペンスというと、現代の感覚では何とも中途半端な額である。
 イギリスの通貨はポンドだが、1971年に1ポンド=100ペンスに改定され、現在に至っている。現在のイギリスのペンス硬貨は1ペニー、2ペンス、5ペンス、10ペンス、20ペンス、50ペンスの6種で、当然ながら6ペンス硬貨はない。
 1971年以前は12ペンス=1シリング、20シリング=1ポンド、つまり240ペンス=1ポンドという、複雑な体系であった。
 ペンス硬貨には1ペニー、2ペンス(「タペンス」と発音される。ミュージカル『マイ・フェア・レディー』でイライザが歌う歌に「タペンス」が出てくる)、6ペンスがあった。1971年以前は6ペンス=半シリングなので、中途半端な額ではなかったのである。
 ところで、英語圏の童謡である『マザー・グース』の一編に「6ペンスの唄」( "Sing a song of sixpence") というのがある。数ある『マザー・グース』の中でも五指に入るほど愛唱されている唄で、通常愛唱されている唄は4連で構成されている(ウィキペディア「6ペンスの唄」より)。 
 このように6ペンス硬貨はなじみのある硬貨だったのである。
 6ペンス硬貨は、イギリスで1551年から1971年まで製造されていて、コインには歴代の王や女王が刻印されてきた。しかしながら、1971年に製造が中止され、幻の6ペンスとも呼ばれているようであるが、日本でも手ごろな価格で入手可能である。
 
 イギリスでは、童謡のマザーグースに出てくるサムシングフォー(“Something Four”和製英語)の歌の歌詞が由来となり、結婚式へと向かう花嫁の左靴の中に6ペンスを入れておくことで「経済的にも精神的にも満たされ、豊かで幸せな人生をもたらす」と考えられ、現在もなお、結婚式のラッキーアイテムとして人々に愛され続けているそうである。唄の詳細はリンクを参照されたい。

 
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蟻とキリギリス

2022-09-21 09:06:55 | トリビア
 カルメン・リラの“Cuentos de Mi Tïa Panchita”(パンチータ伯母さんのお話)の著者前書きにイソップの「蟻とキリギリス」の話が言及されていた。イソップの寓話は世界中に広まっているようである。
 イソップはギリシャ語で「アイソーポス」というそうで、英語では Aesopである。スペイン語では Esopo となる。
 イソップはかなりの醜男だったらしい。
 
 【ディエゴ・ベラスケスによって描かれた肖像画】
 イソップの寓話はポルトガル人宣教師によって日本にもたらされ、17世紀初めに仮名草子『伊曾保物語』が成立した。これには伊曾保(イソップ)の略伝も収められているが、やはりかなり不細工だったということである。挿絵もあるが、だいぶ日本化している。
 ちなみに、略伝の部分を読むと、まるで一休さんの話のようである。


 前置きはこれくらいにして、「蟻とキリギリス」の話に移る。
 実は、元の話は「キリギリス」ではなく、「蝉」なのである。
 
 絵を見ると、蝉だかハエだかわかりにくい。蝉ではなく、ハエであるという説もあるらしい。
 
『伊曾保物語(岩波文庫、武藤禎夫校注)付 絵入教訓近道(抄)』より
 左の男の頭には蝉が、その右のキセルを咥えている男の頭には蟻が見える。

 『伊曾保物語(岩波文庫、武藤禎夫校注)』には「蟻と蝉との事」として記述されているが、その中の「注一」には以下のように書かれている。

 地中海沿岸の温暖な所では蝉だが、寒冷の中欧以北では蝉が生息せず、代って多く蟋蟀(キリギリス)を出す。

 同 p. 341 の解説には次のように書かれている。

 徳川幕府が瓦解した御一新後は、欧米からの文明開化の波が押し寄せ、江戸期の国字本伊曾保物語は影をひそめ、英語を主体とした外国語によるイソップ物語が盛んに紹介された。すでに幕末時の新聞にも数話見られるが、時代の先覚者福沢諭吉は、イギリス人チェンバーズの道徳書を翻訳した・・・(中略)・・・第13章「倹約の事」の項に「蟻とイナゴの事」などを載せ(以下省略)

 以上が「蝉」から「キリギリス」に置き換えられた経緯である。

 ギリシャからスペインを経由してコスタリカに伝わったイソップ物語では「蝉」はオリジナルの「蝉」のままである。カルメン・リラの“Cuentos de Mi Tïa Panchita”(パンチータ伯母さんのお話)の著者前書きに言及されているイソップの「蟻とキリギリス」の話も、当然ながら、オリジナルの「蟻と蝉」なのである。


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怪魚 Peje Nicolás(ペヘ・ニコラス)

2021-02-11 11:51:25 | トリビア
 メキシコ時代の友人が書いた作品をご紹介します。さまざまな資料を基に再構築した武蔵です。是非ご一読ください。『巌流島の決闘』はあっと驚く結末です。
   
 コスタリカの伝説に少しだけ紹介されていたのは怪魚“Peje Nicolás” である。
 peje は「魚」という意味だが、一般的に「魚」は pez (ペス)である。ただし、これは自然の状態の魚で、釣り上げられて、食卓に上れば pescado となる。
 英語の fish は関連語である。英語では fish がそのまま動詞にもなるが、スペイン語では動詞は pescar になる。その過去分詞「釣られたもの」pescado がそのまま名詞にもなっている。ちなみに、「漁師」は pescador で、そのイタリア語形がパスタ好きにはお馴染みの pescatore である。
 西洋占星術では「うお座」は英語では Pesces というが、スペイン語では pez の複数形 peces がそのまま星座名にもなる。
 peje という語はメキシコで初めて知った。ミチョアカン州に湖があるが、そこで取れる小魚の名前が pejerrey (ペヘレイ)で、小学館『西和中辞典』には「南米原産。トウゴロウイワシ科に属する魚の総称」とある。から揚げにして食べると美味で、イワシというよりワカサギに近い。
 さて、“Peje Nicolás” だが、『西和中辞典』には記載されていなかった。ネットで調べてみたら、 pez Nicolás でヒットした。
 “Amino”というサイトによると、母と息子の近親相姦によってできた化け物という話があるが、近親相姦の危険を察知した母親が息子をどうこうしたというバージョンもあるらしい。
 画像を以下に紹介する。実在の魚もいるようである。
  
 
  
 
 コスタリカの伝説では次のように述べられている。

 ニコヤ湾の漁師にはよく知られている。サン・イシドロ(San Isidro)山脈の霧深い支脈のビリージャ(Virilla)の東に棲息しているが、悪魔の命令が下ると、海へ下っていき、巨大なイルカに変身して、カヌーを難破させる。悪魔の命令を立派にやり遂げると、オロミナ(グッピーの一種)になって、川を上り、元の山に帰っていく。そして、また悪魔の命令を待つのだ。
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巨大メロの話

2020-10-13 17:07:28 | トリビア
 コスタリカの伝説に巨大メロの話がある。場所はカリブ海の港町、リモン(Limón「レモン」の意)の埠頭である。現在は大型船も停泊できる立派な港である。
  
 さて、メロ(mero)というのはスズキ科の魚である。mero(女性形 mera)という形容詞もあるが、これは英語 mere (単なる)に対応する語であり、魚とは関係がない。巨大メロだから、単なるメロ(mero mero)ではないことは確かであるが。
 メロは正式にはマジェランアイナメというそうで、銀ムツとも呼ばれていた。確かに白身の高級魚である。成魚は全長1メートルを超えるらしい(ウィキペディア「マジェランアイナメ」)。確かに大きいが、物語には全長6メートルとか9メートルと書かれている。いくら何でもこんなに大きくはないだろう。逃がした魚は大きいというので、だんだん大きくなっていったのだろう。
 
 ネットで調べてみると、確かに巨大メロはいる。上の写真で見ると、全長は2メートル以上あるとしても、3メートルまでは届くまい。この2,3倍となると、化け物である。物語の中では、化け物メロの上で作業していても気がつかなかったとある。
 ところで、巨大メロの体の色は rocillo とあったが、こんな言葉は小学館『西和中辞典』には載っていない。-illo は縮小辞の一つでもあるので、縮小辞のつかない形として rozo という語が想定されるが、見つからない。rozar (こする)という動詞があったが、こちらも関係なさそうである。
 上の写真を見ると、体はピンクがかっている。そうすると、rocillo は rosillo の間違いではないかと気がついた。これなら、辞書に載っている。「ピンク色の」という意味だが、この意味では rosado が一般的である。
 ラテンアメリカでは[θ]音が[s]音になる。ci も si もどちらも[si]と発音されるので、十分教育を受けていないとつづりを間違えやすい。
 ちなみに、日本語でも、英語の th で表される無声音 [θ] はサ行音の子音[s]または[ʃ]になるので、ラテンアメリカのスペインと同じ現象が起きている。
  [θ]音を持たない言語で、[θ]音がいつも[s]音で代替されるかというと、必ずしもそうではない。インド英語やフィリピン英語では[t]音で代替されていたように思う。意外なところでは[f]音で代替しても結構通じるようである。日本人英語の“I think”が“I sink”になると本場では通用しないだろうが、"I fink”のように発音しても結構通じるらしい。 [θ]音では上の歯が舌に当たっているのに対して、[f]音は上の歯が下唇に当たっているので、似たような音として捉えられるのであろう。

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悪魔2

2020-08-19 18:47:04 | トリビア
 コスタリカの伝説に戻るが、その中で使われている「悪魔」を表わす言葉を列挙する。
 diablo, Don Sata, Luzbel, el señor dictador de infiernolandia, el señor que nos pintan con cuernos y cola larga, socio, pisuicas
 diablo については述べない。Luzbel は Lucifer の別名。“el señor dictador de infiernolandia”は 「infiernolandia の独裁者」だが、普通に「地獄」というときは infierno でよい。「ディズニーランド」はコスタリカでは Disneylandia というが、他のスペイン語圏諸国でも同様だろうか。infiernolandia は infierno(ポ inferno → キリシタン用語:インヘルノ)を茶化した言い方だろう。言うなれば、「地獄ランド」である。
 “el señor que nos pintan con cuernos y cola larga”は直訳すると、「角と長いしっぽで描かれるお方」で、悪魔の典型的なイメージである。
  
【右:ミケランジェロ作「大アントニオスの苦悩」。ウィキペディア「悪魔」より】
 Don Sata も「西和中辞典」に掲載されていない。Don は男性個人名につける尊称である。Sata というのは男性個人名のはずだが、こんな名前は辞書に載っていない。Satán の愛称っぽい。Don Satán が Don Sata になったのだろう。これも「悪魔」を茶化した言い方であろう。言うなれば、「悪魔どん」か。そもそも「悪魔」に Don は付けないだろう。
 ちなみに、Sata という個人名はアフリカを中心にある(“Forebears”参照)。日本にも727人いる。ただし、スペイン語圏諸国にはほとんどいない。
 socio には「悪魔」という意味はない。英語の society, social などの関連語で、「会員」という意味でよく使われるが、商業用語として「提携者」という意味もある。契約を結んで提携した人ということだが、この場合は「悪魔」の方を指していることが文脈からわかる。
 pisuicas は「西和中辞典」には掲載されていない。これはコスタリカの俗語である。pisotear「踏みつぶす」と関係があるのだろうか。まさか pis「おしっこ」とは関係はないだろうが。

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電話機のシャープ記号はシャープではない

2018-10-15 17:49:52 | トリビア
 日本では電話メッセージを残すとき、大体最後にシャープ記号を押すが、スペイン語ではシャープ記号のことを numeral (数の、数詞)というらしい。小学館『西和中辞典』(1990年)には numeral という語に「シャープ記号」という訳語は載っていない。
 ところで、電話機の記号 # は、実は音楽のシャープ記号ではない。電話機で使われているのは、番号記号である。以下にウィキペディア「番号記号」より引用する。

 番号記号(ばんごうきごう)は、「井桁」(いげた)や「スクエア」とも呼ばれ、番号を示す数字の前に置かれる記号である。14世紀頃、古代ローマで重さの記号として使われていた lb に横棒を引いたものが、手書きのためだんだんと崩れて今の形になったと言われている。
 日本ではこの記号の代わりにヌメロ (numero, No.) を使って「ナンバー」と読むのが一般的である。
 
 そういえば、アメリカのヒットチャートでは第1位は # 1 と書くのが一般的ではなかろうか。
 ちなみに古代ローマで重さの記号として使われていた lb とは libra のことだろう。現代のスペイン語でも libra には「古い重さの単位」という意味もあるが、「(重さの単位の)ポンド、約454グラム」や「(イギリスの通貨単位)のポンド」という意味にもなっている。イギリスの通貨単位のポンドを表す記号£がLの字に似ているのもこれで納得がいく。
 Libra と大文字で始めると「天秤座」という意味になる。
 この lb が崩れて、# の形になったということであるから、£と#は親戚ということになる。
 さて、# は英語では number sign や hash とも呼ばれるが、スペイン語では numeral(英語も同形)なのである。
 留守電録音メッセージを残すときに、numeral ではなく、シャープ記号といってくれればすぐわかるのだが、欧米では通用しないようだ。また、シャープ記号は # ではなく、♯ である。横線が斜めになっている。
 シャープは英語 sharp からだが、スペイン語では diesi(仏 dièse、伊 diesis)という。音楽でもやっていないと、こんな言葉はわからない。diesiという言葉を聞くと、そのあとに seis (6), siete (7), ocho (8), nueve (9) が来るものと思ってしまう。ラテンアメリカでは diesi は dieci = diez y(「10と」の意)と発音が同じになる。
 「半音上がっている」という意味の sostenido という言葉もあるが、これは 動詞 sostener(英 sustain 支える)の過去分詞形である。ただし、sostener という原形だと、「半音上げる」という訳語は見当たらない。常に過去分詞形で使われるのだろうか。
 ともかく、sostenido が「シャープ、半音高い」の意味だとは専門に音楽をやっていないとわからない。
 sostener の2人称単数の命令形は sostén になる。「下から支えろ」という意味だが、「支え」、「支柱」、「大黒柱」、「食糧」という意味にもなる。さらに、女性の胸を下から支えるもの、つまり「ブラジャー」という意味もある。ただし、最近はこんな言い方は聞かない。コスタリカでは英語 brassiere (元はフランス語)が一般的に使われているようだが、読み方はスペイン語読みになっている。sujetador(スヘタドール)という語もあるようだが、コスタリカでは聞いたことがない。
 ついでに、フラット記号(♭)についても記しておく。フラットは英語 flat からだが、イタリア語ではベモーレ(bemolle)、フランス語ではベモル(bémol)、ドイツ語ではベー(b, Be)と呼ばれるとのこと(ウィキペディア「フラット(記号)」。スペイン語では bemol という。英語以外の「フラット」を表す主要なヨーロッパの言語では be- で始まっている。だから、記号は b に近い ♭なのだろう。
 ちなみに、「半音下げる」はスペイン語では bemolar という。

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