スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

コスタリカのカリブ海側の黒人英語とニューギニア・ピジン語

2014-09-25 08:15:53 | パプア・ニューギニア
  コスタリカのカリブ海側には英語のような言葉を話す黒人がいるが、どうやらこの英語のような言葉はジャマイカ・クレオール語(ジャマイカ語)と呼ばれるものらしい。
 ウィキペディアによると、「ジャマイカ語を話すジャマイカ系移民のコミュニティは、マイアミ、ニューヨークシティ、トロント、ハートフォード、ワシントンD.C.、ブラジル、ニカラグア、コスタリカ、パナマのカリブ海沿岸、ロンドンに存在する」とのこと。
 ジャマイカ・クレオールということであるから、混成言語である。ジャマイカは英語が公用語なので、ジャマイカ・クレオールは英語がベースになっている。
 ところで、英語がベースになっているのは、ニューギニア・ピジン(tok pisin) も同じである。ニューギニア・ピジンとの共通点をいくつか挙げる。
 1.I, me ⇒ mi
 2.否定詞 no は動詞の前に置かれる。
 3.pickney または pickiney は「子供」(ピジン語では pikinini)を意味し、元々の形の piccaninny は、「小さい」を意味するポルトガル語の pequeno またはスペイン語の pequeño から借用している。
 4.次のような場合、 /t/ は /k/に変化する。
 little ⇒ likkle, bottle ⇒ bokkle, battle ⇒ bakkle, settle ⇒ sekkle
 ピジン語の liklik (少し)は次にように変化したものだろう。
 little little ⇒ likkle likkle ⇒ liklik

 ピジン語の mi no save(わかりません)はジャマイカ・クレオールとして十分通用すると思うのだが、どうだろうか。
ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パプア・ニューギニアの交通警察とロータリー

2014-09-24 09:40:25 | パプア・ニューギニア
  警察といえば、堅苦しいイメージがあるが、パプア・ニューギニアの警察はそんなイメージはなく、むしろ、頼りない印象を持った。というのは、警察の車(パトカーというわけではない)が、ときどき、道端にひっくりかえっていることがあったようだ。スピードの出しすぎか何か知らないが、日本ではマスコミにむちゃくちゃ叩かれるだろう。
 ところで、1984年ごろは、車も少なく、ポートモレスビーには信号が1か所しかなかった。全国でも1か所だけだったかもしれない。そういうわけで、割りと交通量の多い交差点は、ロータリー式になっていた。日本ではなじみがないが、コスタリカでもメキシコでもペルーでも同様だった。後述するシンガポールにはなかったような気がするが。
 ロータリーは出る車が優先である。入る前には「一時停止」である。英語では“Give Way”と書かれていた。パプア・ニューギニアのロータリーは交通量も少ないので、つい一時停止を怠りがちだが、メキシコ・シティーのロータリーは大変だった。まず入るのが大変。ロータリーに入ってからも、やっぱり大変。ロータリー内部の車線が2つも3つもあるので、ロータリーを出るのに車線変更をしなければならない。交通量が多いので、車線変更も一苦労。慣れないと、ロータリーを何周もすることになるのである。

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

ボマナ警察学校

2014-09-23 10:01:43 | パプア・ニューギニア
  ポートモレスビーからソゲリ高校へ帰る途中、都市部(とはいっても比較の問題)を抜けたところから道が分岐する。このあたりの道路は、カエルの大群が発生する時期がある。夜、ソゲリへと帰る途中、道路の上にたむろしているカエルを踏みつけざるを得なかった。下手に止まると、ラスカルにやられる。ソゲリへは右の道を行くのだが、左へ行くと、ボマナというところに刑務所と警察学校がある。
 この刑務所はよく脱走事件があったようだが、特に身の危険は感じなかった。
 一方、警察学校の方へは青年海外協力隊員が数名派遣されていて、合気道、写真、自動車整備、コンピュータなどの分野で指導していた。警察学校の中に宿舎があり、その一角に日本からの青年海外協力隊員が住んでいたわけである。ポートモレスビーからの帰り道、ときどき寄っていた。
 入り口には当然検問があるが、一度も止められて、身分を照会されたこともなく、すんなりゲートを開けてくれたものだ。いわゆる顔パスである。日本人同士、「ワントク」ということだったのだろう。
 ソゲリには理髪店などはなかった。ポートモレスビーにはあったかもしれないが、見かけたような記憶もない。散髪は知り合いの日本人にしてもらっていたのだが、そのうちの一人に、自動車整備の隊員がいたのである。素人ながら、なかなかの腕で、ずいぶん世話になった。警察学校が床屋だったわけである。

↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

パプア・ニューギニアで車の免許を取った!(5)合格!

2014-09-22 08:55:53 | パプア・ニューギニア
 パプア・ニューギニアの運転免許の試験結果はすぐ出る。親切な試験官のおかげで、難なく合格できた。免許証もすぐ作ってくれたような気がする。これで、Lマークをはがすことができる。ただ、「P」の字のダンボール紙を1年間、車の後部ウインドーに貼らなければならない。「P」とは何かというと、“provisional”の略で、「臨時」の意味である。「仮免」のようなものだろうか。1年間何もなければ、晴れて本免許になるわけである。ただ、特に手続きはなく、「P」の紙をはがすだけだった。
 話は変わるが、ポートモレスビーの港近辺は坂道が多く、坂道発進は当たり前。友人宅を訪問した時、坂道のカーブのバックの車庫入れまでやってのけた。オートマ車ではなく、マニュアル車でこれをやるわけである。昔は、こんな芸当ができたものだが。

↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パプア・ニューギニアで車の免許を取った!(4)

2014-09-21 09:45:10 | パプア・ニューギニア
 同僚の日本人教員もパプア・ニューギニアで免許を取ったのだが、一度落ちたことがあるらしい。結構、シビアな試験かと思っていたら、縦列駐車のとき、試験官は親切にも「もっと右」とか「もっと左」とか言って、誘導してくれるのである。
 後で聞いた話だが、自動車教習所と試験官がどうもつながりがあるようだった。金銭的なつながり(いわゆるワイロ)か縁故(同じ部族)かはわからないが。同僚の日本人教員は自動車教習所に通っていなかったようで、コネができなかったのであろう。 
 復習になるが、パプア・ニューギニアでは同じ部族かどうかは非常に重要である。ピジン語ではこれを“wantok”という。英語の“one talk”に由来する。「一つの同じ言葉」というのが原義であるが、「同じ部族の仲間」という意味で使われる、特に重要な言葉である。「ワントク」はお互いに助け合わなければならないので、いいこともある。その反面、面識のない「ワントク」もいるので、地方から出てきた「ワントク」に転がり込まれても面倒を見なければならない。

↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パプア・ニューギニアで車の免許を取った!(3) L マーク

2014-09-20 07:54:07 | パプア・ニューギニア
  ポートモレスビーはパプア・ニューギニアの首都とはいえ、1983年当時は、まだまだ車は少なかったので、いきなり路上教習などということができたのである。最初はやはり緊張したが、数回やると慣れた。そのうち、オーダーしていた車がディーラーにやってきたので、引き取りに行かなければならない。行きは誰かに連れて行ってもらったが、帰りは自分で運転して、ソゲリまで帰るのである。教習所では「教習中」を示す「L」(learner)と書かれたボール紙を渡され、それを車の後部窓ガラスに貼り付けるわけである。教習中は自分で運転してもいいが、必ず誰かついていなければならないのである。そうはいっても無理を言える人は誰もいないので、一人で運転して帰った。
 そうこうするうちに、試験を受ける日が来た。試験場まで、車を運転していくのだが、誰も付き合ってくれる人はいないので、やはり一人で行く。

↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パプア・ニューギニアで車の免許を取った!(2)

2014-09-19 08:19:32 | パプア・ニューギニア
  パプア・ニューギニアの自動車教習所は、日本のように専用の敷地で基本を練習するわけではない。教習所の事務所から、スタッフが運転する車で空き地へ行く。当時、ポートモレスビーの人口は10万人ぐらいだったかと思う。港近辺は4~5階建てのビルも建っていたが、新たに開けたところは、原則平屋である。せいぜい2階建てがいいところであった。教習所も新開地に事務所があった。ここから、町のはずれの映画館のほうにある空き地に行くわけである。
 交通規則の講習はなし。いきなり、実地である。当時はオートマ車は少なく、マニュアル車で練習する。エンジンのかけ方、ギアの入れ方などから始める。ギア・チェンジが最初はスムーズに行かず、ガックンガックンしていたが、2日か3日で、何とか覚えた。そして、直線をローギアーで50メートルほど走る。ギア・チェンジもスムーズにできるようになると、セカンドやサードで100メートルほど走ってみる。直線だけではなく、左右にハンドルを切って、ターンする。バックの練習もをしたり、縦列駐車の練習をしたりして、大体できるようになったら、いきなり路上教習である。
  町はずれの空き地には坂はなかったので、坂道発進もいきなり、路上教習であった。

↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パプア・ニューギニアで車の免許を取った!(1)

2014-09-18 08:09:49 | パプア・ニューギニア
 ソゲリ高校は首都ポートモレスビーから約30キロの山間にある。公共交通機関はPMVというマイクロバスがあり、生徒たちは週末、ポートモレスビーに行くときに利用している。しかしながら、夜間は運行していないし、ポートモレスビー市内に着いてからの移動がまた大変だし、1週間分の買い物をするにも不便である。そういうわけで、車は必需品である。
 筆者は、日本では都市生活者であり、車の免許は必要ではなかった。また、コスタリカでは青年海外協力隊員で、車の所有は認められていなかったし、市内のバス路線は充実していて、車の必要性を感じなかった。
 ということで、パプア・ニューギニアに赴任したときは、免許がなかった。日本の原付免許を提示して、パプア・ニューギニアの四輪の免許をもらった人もいたようだが、筆者はそれすらなかった。
 当初、同僚の世話になっていたが、自分の好きなときに好きなところへ移動するにはどうしても免許が必要になった。そういうわけで、ポートモレスビーにある自動車教習所へ通うことになったのである。

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

1984年ごろのパプア・ニューギニアの諸事情

2014-09-17 09:32:13 | パプア・ニューギニア
  パプア・ニューギニア人は外見からしても(特に山岳部族)恐ろしいというイメージを持つかもしれないが、実際は、ラスカル以外はいい人たちなのである。女性は、乙女の恥じらいを感じさせる人も多かった。男も特に山岳部族にこのような傾向があった。
 オーストラリアに駐在する日本国大使館か領事館付きの医師がパプア・ニューギニアにも巡回に来ていたが、来るたびに、ニューギニアの女性の性格の良さをほめていた。見た目は白人の姓の方がいいかもしれないが、ニューギニア人女性と結婚している白人も結構いた。逆のケースは一例しか知らない。
 海岸部の人たちは他部族との接触も頻繁だったのだろう、オープンな性格の人が多かったような気がする。
 一度、パプア地方東部の Milne Bay 地方へ同僚のオーストラリア人と一緒に行ったことがある。ポートモレスビーから飛行機(ジェットだったと思う)で約1時間ぐらいだっただろうか。空港というより飛行場といったほうがよさそうな空港だったが、そこをでると、見知らぬおじさんがフルーツをくれたのである。都会では見知らぬ人がなれなれしく話しかけてくると警戒しなければならないのであるが、このときは、おじさんはのんびりした様子で、ほかに仲間もいないようだった。おじさんは、「よその人がきたら親切にするものだ」というようなことを英語で言って、フルーツをくれたのだが、何か要求されるようだったら、返してしまえばいいと思って、受け取った。おじさんは何も言わず、そのまま立ち去ってしまった。このときのことは30年近くたっても、ありありと情景が浮かぶ。
 1984年ごろは、まだ携帯電話などない。固定電話はポートモレスビーなどの都市部の高級住宅街にはあったが、ソゲリ高校は田舎なので、学校の事務室と校長宅にあるだけだった。携帯電話があれば、すぐにでも買っただろうが、電話などなければないで済むものである。
 ラジオ放送はあったが、テレビ放送はまだなかった。ビデオ機器はあるので、若い教員の中にはポートモレスビーのビデオ屋で1週間分のビデオを借りてきて、見ている人もいた。
 日本人は首都ポートモレスビー近辺に50人ぐらいいただろうか。週末はソフトボールやテニス、スカッシュなどのスポーツをしたり、集まって、酒盛り、カラオケをしたりするのが主な娯楽だったと思う。ポートモレスビーにはゴルフ場もあり、1度プレーしたことがあるが、ゴルフは炎天下でするものではない。熱中症の心配もあるが、日本の夏の方がずっと暑い。35度以上の猛暑日になることは、まずなかったような気がする。 

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パプア・ニューギニアのスポーツ

2014-09-16 10:30:28 | パプア・ニューギニア
 まず、オリンピックについて言えば、筆者は1984年にはパプア・ニューギニアでロサンゼルス大会を、1992年にはメキシコでバルセロナ大会を迎えることになるのだが、パプア・ニューギニアでは全くといっていいほど、ニュースにならなかったような気がする。メキシコではいくらか報道されたかと思うが、国民が熱狂するようなことはなかったと思う。
 さて、パプア・ニューギニア全土かどうかはわからないが、首都ポートモレスビーではソフトボールが人気で、アマチュアチームが結構多くあり、新聞のスポーツ欄で報道されていた。日本人も“Fuji”というチームを結成していて、筆者も数試合に出たことがある。

 【本当は右利きです】
 パプア・ニューギニア人は部族によっても違うが、一般的に、それほど背が高いわけではない。しかし、体格は立派なのである。田舎に住んでいる人は靴を履かないので、立派な足をしている。足の指が大きく開いている。これでは靴は窮屈で履けない。
 ソフトボールの試合でも裸足のまま、プレーしている人も大勢いた。ピッチャーも速い球を投げるので、なかなか打てない。バッターにもすごい人がいた。右打者の場合、右手が上で、左手が下になるようにバットを握るが、これが逆になっている人がいたのである。それでもちゃんとヒットを打つから大したものである。
 サッカーはソゲリ高校の生徒がしているのを見たことはあるが、それ以外には見た記憶がない。ただ、上の写真にはサッカーのゴールネットが写っているから、やる人はいたはずである。今は盛んになっただろうか。
 オーストラリア人も多かったから、クリケットをする人もいたようだが、見た記憶はない。
 スカッシュも白人がよくやっていたが、ニューギニア人も金持ちがしていたかもしれない。
 このほかにテニス・コートやゴルフ・コースもあるが、やはり外国人が中心だったようである。

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ポート・モレスビーの映画館からの帰り道

2014-09-15 08:40:12 | パプア・ニューギニア
 パプア・ニューギニアの首都ポートモレスビーで映画を見たあとの帰り道は山道になるが、くねくね曲がった、急傾斜の坂道もある。帰り道の場合、左側が断崖になっていて、断崖の下に何台か車の残骸があった。崖下には道もなさそうなので、たぶん崖から落ちたものと思われる。処理費用も大変なので、そのままになっていた。

 普通、こういう場所では気をつけるものだが、たぶん酔っ払い運転だったのだろう。パプア・ニューギニアでは、土器が発達しなかったので、地酒のようなものはなかったはずである。そんなところへ、欧米の文化とともに、アルコール類が入ったきた。酒の正しい飲み方を知らないものだから、飲んだら、酔っ払うまで飲んでしまうのである。ということで、現地の人たちには酒を飲ませるなというようなお達しが当時、出ていたような気もする。
 さて、昔、日本の映画館ではニュース映画やCMを映画上映前に流していたと思うが、コスタリカの映画館でも、CMがあった。ポート・モレスビーの映画館(ドライブインも含む)ではCMはなかったような気がするが、記憶は確かではない。

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パプア・ニューギニアのドライブイン・シアター(2)

2014-09-14 10:30:44 | パプア・ニューギニア
  ポート・モレスビーの普通の映画館は1本立てだったと思うが、ドライブイン・シアターは2本立てで、1本目は少し古い映画が上映される。2本目がメインである。1本目をパスして、2本目から見に来る客もいる。筆者は大体1本目から見ていたが、1本目がお目当てだったことが1回ある。それは、エルビス・プレスリーの“Kissin’ Cousins”「いとこにキッス」で、長い間見たかった映画である。
 エルビスが二役で、いつもの黒髪のエルビスと、金髪のエルビスである。金髪のエルビスには、イメージが狂ってしまったが。
  
 このときは、平日で、翌日朝から授業が入っていたので、2本目は見ないで、早々に切り上げ、片道30分の道(途中から山道)をひとり、車を運転して帰っていった。今では、治安が悪くて、とても映画を見に行けないだろう。実際、1985年の末には首都ポートモレスビーに「夜間外出禁止令」が発令された。夜間といっても、夜10時か11時から、翌朝5時までだっただろうか。「夜間外出禁止令」は英語では“curfew”というが、こんな言葉は学校で習った覚えはない。フランス語から入った言葉のようで、“cur”は“cover”、“feu”は“fire”に相当する。「火を覆う」ということから、「晩鐘」という意味になり、「夜間外出禁止令」にまで意味が拡大したようだ。ちなみに、“curfew”はスペイン語では“cubrefuego”に相当するが、一般的には“toque de queda”という。幸いなことに、コスタリカでも、ペルーでも、メキシコでも、筆者滞在中は「夜間外出禁止令」が発令されることはなかったので、この語にお目にかかったことはない。
 さて、パプア・ニューギニアは英語も公用語なので、英語の映画には字幕は入らない。上映される映画もほとんどがハリウッド製である。ドライブイン・シアターの場合は、特にスピーカーの音が明瞭ではなかったので、せりふがよく聞き取れなかった。たとえ、聞き取れたところで、後になってほとんど忘れてしまうので、関係ないが。特に、エルビス映画はお姿を拝見して、歌が聞ければ、それでいいのである。

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パプア・ニューギニアの首都、ポート・モレスビーのドライブイン・シアター

2014-09-13 08:50:25 | パプア・ニューギニア
  コスタリカの首都サンホセのドライブイン・シアターは郊外にあったが、車がなかったので、行く機会はなかった。ドライブイン・シアターなるものに初めて行ったのは、パプア・ニューギニアにおいてだった。首都ポートモレスビーは当時、人口が10万人ぐらい。映画館はドライブイン・シアターを入れて、2軒だけだった。どちらにしても車がないと行けないようなところにあった。 PMVという名のマイクロバスが庶民の交通手段だったが、映画は夜に上映されるので、そんな時間にPMVが走っているかどうか、わからない。マイカーが来るまでの間、一度だけ乗ったことがあるが、乗客たちの体臭がきついので参った。
 普通の映画館は座席指定で、前に大柄な人が来ると、よく見えなくて困った。新しくて、清潔な感じだったが、あまり行かなかった。むしろ、ドライブイン・シアターのほうがお気に入りだった。アメリカの青春映画などで、ドライブイン・シアターなるものに一度入ってみたかったが、やっとパプア・ニューギニアで夢がかなったわけである。
 入り口で料金を払って、スピーカーを受け取り、それをウインドーのところにひっかけて音声を聞くわけである。晴れていればいいのだが、雨が降り出すと、雨が入ってくるので、大変だった。車のエンジンは切っておかなければならないので、蒸し暑くて困った。
 首都ポートモレスビーの雨は、大体夜に降る。昼間、雨の中を歩いたことはない。標高600メートルにある、勤務先の国立高校では夕方、夕立になることはあったが。
 ドライブイン・シアターの楽しみはスナックである。映画が始まる前に、売店で買うのだが、パプア・ニューギニアには行列を作るという習慣はないようで、カウンターにべったりと客が張り付くのである。行列を作る習慣のある白人たちは、自分の方が先に来ていると、しっかり自己主張していたが。
 スナック類であるから、簡単なものしかないが、中でもお気に入りはケバブ(串焼肉)と、イギリスの国民食と言ってもいい、Fish and Chips だった。後者は味を覚えて、自分でも作るようになった。イギリス料理はまずいという評判だが、これはうまい。
 ちなみに、一度、ニュージーランドに旅行した時、Fish and Chips を注文したが、店の人の発音が何だか違う。「フッシュ・アンド・チュップス」のように聞こえた。 

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パプア・ニューギニアの国立高校(9)教員宿舎

2014-09-12 18:14:42 | パプア・ニューギニア
 ソゲリ国立高校は言ってみれば林間学校のような環境である。学校の敷地は切り開かれているが、教員宿舎は森の中にある。校舎も教員宿舎も高床式になっていた。一階部分がガレージとして使われるが、吹き抜けである。高床式だが、床がそれほど高くない場合は、もちろんガレージにはならない。その代わりに、金網フェンスを張って、その中に犬を飼っている人もいた。

【校長宿舎。教員宿舎の中で一番大きい。ただし、校長は独身だった。】
 宿舎は水道、シャワー完備で、キッチンは電気だった。水道水は煮沸せず、そのまま飲めた。時々、停電や断水があったが。停電より断水の方が困った。一度、両方同時なったことがあったが、シャンプーは外に出て、雨水でやったことがある。
 ところで、ポートモレスビーでは雨は夜降る。夕立にあった覚えはない。ソゲリでは、夕立があったので、断水の時には夕立(shower)がシャワー(shower)代わりだった。
パプア・ニューギニアの他の地方、特に山岳部(“Highland”という)では毎晩、雨が降るので、部族によっては、「星」という言葉がないという話を聞いたことがある。
 さて、宿舎は森の中にあるので、朝は小鳥の鳴き声で目が覚める。のどかなイメージだが、実はうるさくて目が覚めるのである。

【教員宿舎の2階から隣の教員宿舎を覗く】
 標高が600メートルあるので、エアコンは不要である。窓を開けておくだけで、気持ちがいい。日本のような左右に開閉する窓ではなく、ブラインド式の窓である。これは防犯の目的でもあるのだろう。
 首都ポートモレスビーには、すでに“rascal”と呼ばれる不良少年たちがいて、窃盗、破壊行為をしていた。赴任早々注意されたことは、道路の真ん中に段ボール箱があったら、決してその上を通らないことだった。中には岩が隠されていて、段ボールを踏んづけると、岩に衝突する仕組みである。車は故障して動けなくなるか、故障しないまでも、一度停車せざるを得なくなる。車が止まった隙に、道路わきに隠れていたラスカルどもが、車を襲う寸法である。幸い、このような事態には直面しなかったが、駐車中にヘッドライトが壊されていたことがあった。ソゲリには「ラスカル」は出没しなかったと思うが、やはり、泥棒には注意が必要である。また、女性も注意が必要だ。たまに、怪しい者が出没していた。
 夜間、同僚の教員宅を訪問する場合、歩いても1分とかからないところへ行くにも、若い女性教員は車に乗って移動していた。

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パプア・ニューギニアの国立高校(8) いろんな訛りのある英語 

2014-09-09 06:43:30 | パプア・ニューギニア
 ソゲリ国立高校では筆者は日本語担当の教員だったのであるが、日本語コースがあるのは、このソゲリ国立高校だけであった。それも必修ではない。選択必修科目である。「社会」、「美術」、「日本語」の3科目のうちから、2科目選ぶのだが、生徒の多くは「社会」と「美術」を選んでいた。
 日本語の授業は週に3時間だっただろうか。この程度では、初級が半分行くか行かないかで終わってしまう。ただ、生徒たちの発音はいい。また、部族語、ピジン語(パプア側ではモツ語)、英語の3つはできるので、日本語を覚えるのにもあまり困難はないようだった。
 日本の「国語」に当たるのが「英語」である。他の教科もすべて英語で授業が行われていた。「英語」の先生以外はかなり訛りのきつい先生もいた。オーストラリア英語は[ei]が[ai](厳密にいうと、この発音記号とは少し違うが)になるのは有名な話である。イギリスにもロンドンの下町は「コックニー」というのがあり、こちらもオーストラリア英語と同様である。というより、元祖であろう。イギリス人教員にも「コックニー」訛りのある教員がいた。しかし、この発音のにはすぐ慣れた。訛りはあってもオーストラリア英語の発音ははっきりしている印象だった。
 スコットランド人やアイルランド人の英語もやはりちょっと違うが、まあ大体のところはわかった。2人いたアイルランド人のうちの1人は“but”を「ブット」のように発音していたが。
 “often”については t を発音しないで、「オーフン」のように発音する、と習ってきたが、オーストラリア人教員の多くは t を発音していた。
 いつまでたっても分かりにくかったのは、イングランド北部出身教員の英語だった。イングランドでも北部以外の出身の教員も同じようなことを言っていた。

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加