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スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

コスタリカの州-リモン

2013-11-30 12:58:43 | コスタリカ

【ウィキペディアより:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AB】
 地図の5がリモン州である。リモン(Limón)とは「レモン」の意味である。レモンがたくさんとれるからだろうか。日本でレモンというと、黄色のすっぱいフルーツであるが、薄緑色のすっぱくないレモン(limón dulce、「甘いレモン」の意)もある。

【絵葉書より:リモン市。1980年以前】
 この州はカリブ海に面していて、標高も低く、蒸し暑い。州都のリモン市は州のほぼ真ん中にある港町である。
 カリブというと、「パイレーツ・オブ・カリビアン」のあのカリブ海で、なんとなくあこがれる。筆者も始めてカリブ海(または大西洋)を見たときは興奮したものだが。
ただ、快晴の日は少なく、雨が多い。また、カリブ海の波は高い。
   日本海 晴朗なれど 波高し (1904年)
   カリブ海 晴朗ならず 波高し (1980年)


【5コロン札の裏面。現在はコインになっている。この札は1980年当時の最小額紙幣で、お土産にもぴったりだった。】
 リモンの港から、コスタリカの名産である、バナナやコーヒーが輸出されているが、コーヒーの産地はリモン州ではなく、標高800メートルぐらいの中央盆地である。また、バナナのプランテーションはリモン市内ではなく、リモン市から内陸に入ったジャングル地帯である。
 このお札には間違いがいくつかあるようだが、それについては以下のサイトを参照されたい。
 http://blogs.yahoo.co.jp/h726m/30680449.html

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コスタリカの州-エレディア

2013-11-29 12:45:10 | コスタリカ

【ウィキペディアより:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AB】
 地図の4がエレディア州である。

【絵葉書より:エレディア市の教会。1980年以前】



【絵葉書より:エレディア市の公園。1980年以前】
 エレディア州の北の方はジャングルで、人口のほとんどはサンホセ市に近い中央盆地に集中している。サンホセから北へ、バスで30~40分ぐらいだろうか。エレディア市にはコスタリカ国立大学(Universidad Nacional de Costa Rica)がある。通称、「ナショナル大学」で、コスタリカ大学(Universidad de Costa Rica)と区別している。後者の略称は La U(ラ・ウー)である。U は Universidad の頭文字である。コスタリカ大学方面のマイクロバスには、La U と書かれていた。
 筆者は隣のアラフエラ州にはよく行ったものだが、エレディア州にはあまり足を延ばしていない。新婚旅行はエレディア市の北の方にある山のリゾートに行ったが。
 さて、州の名前のエレディア(Heredia)の意味は辞書を調べても出ていない。そこで、いつもお世話になっている“Diccionario de Apellidos Españoles”(スペイン人名事典)の Heredia の項を引いてみた。
 やっぱり、予想どおり、heredar(遺産などを受け継ぐ)と関係があるとのこと。特に、アンダルシア、バルセロナ、マドリッド、バレンシア地方に多い姓だそうである。
Diccionario de apellidos españoles
 ところで、メジャーリーガーに Heredia という選手が4人、いた(2013年のシーズンにはいない)が、NHKの大リーグ中継では「ハーレディア」と呼んでいた。筆者の記憶にあるのは下の写真の選手である。

 アメリカで生まれ、育ったら、そう呼ばれることに抵抗はないと思うが、この選手はドミニカ共和国(República Dominicana)出身である。英語読みにすれば「ハーレディア」になるのだろうが、アメリカ人アナウンサーの発音を無批判に取り入れているのはいかがなものであろうか。そういえば、「ドン・キホーテ」(Don Quixote)も英語では「ドン・クイクソート」のように発音されることもあるらしい。ちょっと、気持ちが悪い。
 話がそれたが、この州の州都エレディアはオカマが多い街として有名なようで、海外からもその道の人がよく行くらしい。

【絵葉書より:エレディアの昔ながらの町。坂が多い。1980年以前】

【筆者撮影の写真:エレディアかどうか不明。1990年以降】

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コスタリカの州-グアナカステ(2) ティララン

2013-11-28 15:15:47 | コスタリカ

【googleマップより】



【絵葉書より:グアナカステ州のビーチ。1980年以前】
 グアナカステは大体が平原で、きれいなビーチがたくさんあることで知られている。ところが、アレナル火山の西にアレナル湖が広がっていて、その西の端の方にティララン(Tilarán)という町がある。火山はアラフエラ州に属すが、アレナル湖とティラランの町はグアナカステ州である。ただ、この町は標高がそれほど低くないので、グアナカステというよりはアラフエラ州のイメージである。町のはずれからはアレナル湖が望め、天気のいい日は絶景を楽しめる。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%8A%E3%83%AB%E7%81%AB%E5%B1%B1 の写真を参照されたい。
 さて、この町に青年海外協力隊から派遣されていた野菜隊員がいた。赴任当初は筆者の住む下宿(サンホセにあるコスタリカ大学の近く)に数か月、語学研修などのために、同居していた。同居とはいっても、部屋は別である。研修期間を終えて,任地のティラランの町に下宿することになったわけである。筆者のコスタリカ滞在中は、ティラランには格段、用事もないし、アレナル火山も活動が低調だったので、行く機会はなかったのである。その後、コスタリカ人の女房をもらい、子どもが小さいうちは、筆者もよく女房の里帰りに同行していた。 そんなあるとき、ティラランに親戚がいるので、訪問することになった。女房殿の母親の兄弟の奥さんが住んでいるとのことであった。母親の兄弟はかなり前に亡くなっていたが、義理のおばとはいえ、親戚づきあいは続いていた。筆者もおばさんの家に一緒に行って、話をしているうちに、筆者の友人もティラランにいたことを話すと、何と、そこが友人の下宿先であったのである。
 人口300~400万人の国である。どこへ行っても、親戚(遠い親戚を含む)や知り合いがいるものである。

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コスタリカの州ーグアナカステ

2013-11-26 11:30:20 | コスタリカ

 グアナカステ州(地図の3番)
【http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AB より】






【絵葉書より:グアナカステ州の典型的な風景。牧畜が盛ん。1980年以前】
 グアナカステ(Guanacaste)とはマメ科の熱帯植物の名前で、「エンテロロビウム」と辞書に出てはいるが何のことかさっぱりわからないが、日立のコマーシャル「この木何の木、気になる木」のあの木によく似ている。てっきり同じものだと思っていたが、どうも違うらしい。それはともかく、この木がたくさん生えていることから州の名前になった。
 グアナカステ この木何の木 ちょと違う
 写真をご覧になってお分かりかと思うが、高原地帯とは違って、標高の低い平原で、暑い。グアナカステ州はこの州はかつて隣国ニカラグアに属していた地域もあり、トルティージャも分厚く、ニカラグア風である。
 世界のどこでもそうだが、大体隣の国とは仲が悪い。コスタリカにはニカラグア内戦による難民もいたが、医療費が無料のため、ニカラグアから出産や病気治療のため、貧乏人がコスタリカにやって来て、そのまま居ついて、犯罪に走るものもいるらしい。また、無料の薬をせしめて、ニカラグアに持って帰って、売りさばくようなのもいるようだ。このようなこともあって、コスタリカ人は一般的にニカラグア人のことをよく思っていない。一方、パナマは隣ではあるが、悪く思っている様子はない。

         
【http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E7%9F%B3%E7%90%83 より】
  コスタリカの太平洋側のジャングルで写真のような石球が多数発見されているが、プンタレーナス州ではなく、グアナカステ州だと思う。サイズは人よりも大きいものもある。ほとんど完璧な球体で、現在の技術でも、完璧な石の球体を作るのは難しいそうである。
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コスタリカの州-プンタレーナス(2)Isla del Coco

2013-11-25 13:00:34 | コスタリカ

 プンタレーナス州は6番。プンタレーナス市は数字7の近く。







【絵葉書より:プンタレーナスのビーチ。1980年以前】
 プンタレーナスには写真のようなビーチがたくさんあり、乾季は特ににぎわう。復活祭のシーズンも同様である。ただ、かつては、復活祭の間は主イエスの復活を祝って、家でおとなしくしていて、海水浴などもってのほかだったようだが。一番下の写真は Mata de Limón という名前のビーチだが、リモン州ではなく、プンタレーナス州にある。てっきり、リモン州にあるものとばかり思い込んでいた。

 プンタレーナス州には Isla del Coco (ココ島、coco はココナッツの意味)もある。あるとはいっても、コスタリカ本土から南西550km、東太平洋上に浮かぶ孤島である(地図のの部分)。コスタリカ人にとっても秘境である。自然を守るために許可なく上陸することはできないようだ。ただ、1999年以降、麻薬密輸業者が利用するのを防ぐために、米軍が駐留しているとのことである。大部隊ではないと思うが。

【ウィキペディアより】
 ココ島は映画『ジュラシック・パーク』シリーズの恐竜が生息する架空の島、ソルナ島とヌブラル島のモデルだと言われているそうだ

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コスタリカの州-プンタレーナス

2013-11-24 11:32:38 | コスタリカ

 プンタレーナス(地図では6。州都プンタレーナス市は地図の数字7の近くにある。)





【絵葉書より:州都プンタレーナス市。1980年以前】
 チリには Punta Arenas いう町があるが、コスタリカのほうは Puntarenas で、これは Punta Arenas の縮約形である。意味はarenas(「砂」、英語ではアリーナと発音し、それが日本語にも入ってきたが、意味は「砂」ではなくなっている)の punta(英語では point 岬)。つまり、「砂州」である。ここは港町で州都は文字通り、「砂州」になっている。さすがに熱帯の海岸部は暑い。ただ、カリブ海側よりも天気がいいので、気持ちはいい。
 ご覧のように砂州そのものである。サンホセからここまで太平洋鉄道がとおっている。ただ、列車のスピードは遅いので、サンホセからはバスで行くのが一般的である。バスで2~3時間だっただろうか。鉄道については後日、述べる。
    
【天野芳太郎氏。天野博物館公式ページより。http://www.museoamano.com/jp/museoamano.html】
 プンタレーナスはペルーのリマに「天野博物館」を作った天野芳太郎氏が若いころ活躍したところで、天野氏所有の漁船の「天野丸」が後にコスタリカの切手にも描かれた。この切手は天野氏の孫に当たる現天野博物館の館長さんも、天野氏の伝記の著者もお持ちではないのだが、なんと筆者は持っているのである。
      
 天野氏はこの切手が発行された時、サンホセの中央郵便局まで出向いて、入手したとのことである。

【絵葉書より:サンホセ市中央郵便局。1980年以前】
 筆者が滞在していたのは1980年ごろだが、この切手が発行されたのは、ずっと前のことである。ひょんなことから、青年海外協力隊のパーティーで知り合ったコスタリカ女性から古い切手をアルバムごといただいたことがあるが、その中の一枚で、そう気にも止めていなかったのだが、天野氏の伝記の「天界航路」をたまたま読んでいたら、その切手の写真が目に留まり、早速調べてみたら、そのアルバムにあったというわけである。
天界航路―天野芳太郎とその時代 (1984年)
 1980年当時はまだ流通が悪く、首都サンホセではあまりいい魚が手に入らなかった。それで、プンタレーナスでは新鮮なシーフードを食すのが楽しみだった。
 プンタレーナス州にはきれいなビーチも多く、筆者もよく行ったものである。
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コスタリカの州-アラフエラ(4) サン・ラモン(San Ramón)、教会の前の公園の鳥居

2013-11-23 09:45:21 | コスタリカ

【絵葉書より:サンラモンの近くの滝】
 首都サンホセからプンタレーナスに行く途中に、San Ramón(サン・ラモン、アラフエラ州)という町がある。だいぶプンタレーナスに近くなっているが、まだ高原地帯であり、ここはアラフエラ州に属す。
 この町には、何と、教会の前の公園に日本の神社の鳥居としかいえないものがある。いつ、だれが建てたのかよくわからない。もちろん、鳥居の奥には拝殿などはない。
 以下のサイトには次のような説明があった。
 http://www.geocities.co.jp/milkyway/4202/costarica8912.html
(教会にある鳥居は、珍しくコスタリカ人で太平洋戦争に行って米国側で戦い、日本人を沢山殺した人が、その供養の意味で作ったそうだ。)
 サン・ラモンにはコスタリカ大学の分校があるようで(筆者滞在中は分校はなかった)、このブログによれば、大学の先生の奥さんは日本人とのことである。上記のかっこの中の記述であるが、だれがそのような発言をしたかは不明である。大学の先生か奥さんがまた聞きしたものだろうか。
 しかしながら、筆者はこの説には納得できない。確かに大東亜戦争(「太平洋戦争」はアメリカ側の呼称。これをスペイン語に直訳すれば、Guerra del Pacífico。ただし、これでは1879年から1884年にかけて、ボリビア共和国およびペルー共和国とチリ共和国の間で行われた戦争のことになる)では、コスタリカも日本に対して宣戦布告している。戦争終結後も、日本とコスタリカの間に講和条約は結ばれていないようだが。
 それはともかく、写真をご覧いただくと分かるだろうが、日本にあるのと変わらないような、りっぱな鳥居である。建設費だけでも莫大な金額を要する。さらに、町の一等地に、それもカトリック教会の前に、異教の施設を作るのである。市の許可なく、一介の元兵士がこんなものを建てられるだろうか。
 さらに、供養するなら、キリスト教式でいいのではないか。また、供養するなら、慰霊塔の方がいいのではないかと思うが、そのようなものは見当たらなかった。
 さらにさらに、コスタリカからわざわざアメリカまで出かけて行って、米軍に入隊して、「自由と民主主義」の大義のため(コスタリカのためではない)に、戦うコスタリカ人が果たしているものだろうか。
 そのうえ、わざわざ敵だけを供養するほどの殊勝なコスタリカ人がいるのだろうか。
 筆者の推測だが、町の一等地に、役所の許可を得て、大金をかけてこんなものを作れるのは、ペルーのリマにある天野博物館の創設者である天野芳太郎氏以外に考えられないのだが。天野氏はコスタリカのプンタレーナス州でも活躍していたが、天野氏についてはプンタレーナス州のところで詳述する。
      サンラモン 鳥居をくぐり 教会へ
 実際には、鳥居をくぐらなくても教会へ行けるのだが。
天界航路―天野芳太郎とその時代 (1984年)


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コスタリカの州-アラフエラ(3)

2013-11-22 08:30:34 | コスタリカ
 
 アラフエラ州(図の1)は気候温暖でコーヒー栽培に適していることもあり、昔ながらのコスタリカのイメージが強い州である。州都のアラフエラから北西に向かっていくと、グレシア(Grecia、「ギリシャ」の意。アラフエラ市から約25キロ)とナランホ(Naranjo、「オレンジの木」の意。「オレンジ」は女性形の naranja)の間に Sarchí という町がある。ここでは土産物をつくっている。小さなものから家具のような大きなものまである。土産物屋の看板がわりにきれいに塗られた牛車(carreta)の車輪(直径数メートル、もちろん、実用品ではない)が置かれている。


     
【Carreta:装飾用。土産物屋には車輪の部分が置かれていた。】
 コスタリカではかつて主に農耕用に牛車が使われていた。きれいな模様の牛車の置物がコスタリカの代表的な土産物である。
 グレシアでは友人の庭でコーヒー摘みもさせてもらったこともある。

【絵葉書より:サルセロ。1980年以前】
 ナランホからさらに北へ20キロばかり行くとサルセロ(Zarcero)という町がある。(猟犬)のテリアという意味である。この町の教会の前の公園の木はいろいろな形に刈られていて、目を楽しませてくれる。いつも同じではなく、行くたびに形が変わっている。
 アラフエラ州の地名で不思議に思ったことが一つある。サルセロからさらに北へ25キロほどいったところに、Ciudad Quesada (ケサダ市)というちょっとした町がある。もちろん何回か連れて行ってもらったことはあるのだが、「Ciudad Quesada に行こう」と言われたことはない。地図には Ciudad Quesada と書かれているのだが、一般的には San Carlos と呼ばれているのである。Ciudad Quesada は San Carlos 地区の中心なので、San Carlos の名前のほうで呼ばれているそうである。
 アラフエラ州に限らず、中央高原はまっ平らではない。海に向かってだんだん標高が下がっていくのだが、それでも場所によっては上がったり下がったりである。幹線道路はともかく、地方の道路は山間を縫うように、くねくねと上り下りを繰り返す。景色はいいのだが、移動に時間がかかる。
 ともかく、アラフエラは筆者にとってはコスタリカで一番好きな州である。

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コスタリカの州-アラフエラ(2)、コスタリカの火山

2013-11-21 13:50:06 | コスタリカ

 これまでに触れた州ではサンホセ州が7、カルタゴ州が2で、アラフエラ州は1である。ご覧のとおり、中央盆地からニカラグアとの国境までの広い州である。
 下の写真はアラフエラ市からさほど遠くないところにあるポアス火山の頂上にある火山湖である。コスタリカには有名な火山がいくつかある。一番高いのはサンホセ州にあるチリポ火山であるが、ここはあまりアクセスがよくないので、筆者も行ったことはない。カルタゴ州にあるイラス火山はカルタゴ市から近い、行きやすいところにあるのだが、行く機会がなかった。
 写真の火山にはコスタリカに着いてすぐに語学学校の教師と生徒「アメリカ人が多かった」と一緒に行った。こんなに空がきれいに晴れていることはまずない。大体霧がかかっている。もちろん、筆者が行った時もそうだった。
 女房殿の母親の実家がポアス火山のふもとの村で、この辺りの人とはだいたい親戚だそうである。

【絵葉書より:ポアス火山。1980年以前】

【絵葉書より:アレナル火山(右)。1980年以前】 
 アラフエラ州にはもう一つ有名な火山がある。アラフエラ市からニカラグア方面へ約100キロ向かったところにある。1980年ごろは火山活動はあまり活発ではなかったが、1990年ごろ訪問した時には、毎日ちょっとした噴火があった。今でも同じだろう。夜になると、火山の火がよく見えるようである。
 あれなるは コスタリカ富士 登るけえの
(アレナルは コスタリカ富士 のボルケーノ)

 と一句ひねってはみたものの、噴火のため、登山は禁止ではないだろうか。

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コスタリカの州-アラフエラ

2013-11-20 10:15:26 | コスタリカ

【絵葉書より:アラフエラの教会。1980年以前】
3.アラフエラ
 首都サンホセの玄関口である、フアン・サンタマリア(Juan Santamaría)空港はアラフエラ州にあり、州都アラフエラまで車でものの10分程度である。州の名前である、アラフエラ(Alajuela)はalajú(アラフ、アーモンド・クルミ・はちみつなどの入った菓子の名前)と関係があるのだろうか。
 空港の名前になっているフアン・サンタマリアは19世紀中葉にニカラグアに侵攻したアメリカ人ウィリアム・ウォーカーが他の中米諸国をも支配下に置こうとして、コスタリカにもその手を伸ばしてきたが、断固としてはねのけた救国の英雄の名前である。その彼の出身地がアラフエラである。町の中心部にはその銅像も立っている。4月11日は「フアン・サンタマリアの日」として祝日になっている。
 フアン・サンタマリアは、黒人の血も入っている。詳しくは以下の書籍を参考にされたい。
  コスタリカの歴史 (世界の教科書シリーズ)



【絵葉書より:アラフエラ市内にあるフアン・サンタマリアの像。1980年以前】
 コスタリカはコーヒーの産地でもあるが、コーヒーは熱帯の標高800メートル前後のあたりが栽培に適していて、アラフエラ州はこの条件にぴったりのところである。昔ながらのコスタリカのイメージを残している州である。
 カルタゴは標高が高く、寒い。また、人々も保守的な感じがする。一方、アラフエラのほうが温かく、開放的な感じである。
 筆者自身も1987年にアラフエラ市内の立派な教会で結婚式を挙げた。女房殿も学生時代はアラフエラ市の郊外に住んでいたり、コスタリカに到着早々通ったスペイン語学校の先生もアラフエラの人で、アラフエラにはよく遊びに行ったものである。
 女房殿が住んでいたコヨル地区には怪奇現象が多く、女房殿も兄弟たちも怪奇現象を経験している。筆者は残念ながら、経験できなかった。怪異譚については後日じっくり紹介する。

【絵葉書より:コーヒー豆の天日干し。1980年以前】
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コスタリカの州-カルタゴ(2)、オロシ溪谷

2013-11-19 11:30:25 | コスタリカ




【絵葉書より:オロシ(Orosí)溪谷。同じ場所だが、上が雨季、下が乾季のようだ。1980年以前。】
 カルタゴの郊外の景勝地である。最近の記事は他のブログ等をご覧いただきたい。 

【絵葉書より:オロシ溪谷の展望台よりオロシ溪谷を望む。1980年以前。】

【絵葉書より:1980年以前】
 オロシ溪谷を降りていくと、小さな教会がある。この教会はあまり古くないようである。中はちょっとした博物館になっていた。昔ながらのコスタリカのイメージである。
  教会に 谷間の風が 吹きおろし
【絵葉書より:地震により破壊された教会跡。1980年以前】

【絵葉書より:教会跡。1980年以前】
 いかにも絵葉書用の写真である。1980年ごろにはもうスカーフをつけている女性はまず見かけなかった。1950年代の雰囲気がぷんぷんしている。

【絵葉書より:教会跡での絵葉書用写真の撮影。1980年以前】 

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コスタリカの州-カルタゴ

2013-11-18 11:40:45 | コスタリカ





【絵葉書より:カルタゴ市中心部にある大聖堂。1980年以前。この大聖堂に限らず、コスタリカの教会は、ときどき外壁の色が塗り替えられる。】
2.カルタゴ
 かつてのコスタリカの首都はカルタゴ(Cartago)であった。カルタゴというと、ポエニ戦役で勇名をはせた名将ハンニバルの国である。なんで、コスタリカにカルタゴがあるのか。また、コロンビアにはカルタヘナ(Cartagena)というカルタゴに由来する名前の都市もある。
 最近、「ローマ人の物語」を読んで、謎が解けた。カルタゴはスペイン(現在のアンダルシア地方が主)にも植民地を持っていたのである。ならば、カルタゴからの植民者が故郷カルタゴに由来する地名を付けても不思議ではない。たぶん、スペインには多くのカルタゴがあることだろう。そして、その後、スペインのカルタゴから多くの移民が中南米に入っていったのである。そして、移民たちが故郷をしのんで、自分たちの入植地をやはりカルタゴと名付けたのであろう。
 ところで、コスタリカは白人系が大多数を占めるが、なかでも、カルタゴは白人一色と言ってもいい。かつて、コスタリカは人種差別をしていて、カリブ海側の黒人(元奴隷)は気候のよい中央盆地に行くことは許されていなかった。現在では首都サンホセには黒人系もいるが、カルタゴではめったにお目にかかれない。標高もサンホセより約500メートル高く、冬は朝夕15℃以下になり、結構寒い。静かな保守的な古い町で、コスタリカの京都といったところである。またカルタゴの大聖堂はコスタリカのカトリックの聖地というか、大本山である。昔、教会の裏に聖母マリアが現れたとのことである。祭りの日にはサンホセから徒歩で一晩中歩いて、巡礼する人々もいる。

【絵葉書より: LA BASILICA DE NUESTRA SEÑORA DE LOS ANGELES (ロス・アンヘレス大聖堂)の祭壇。1980年以前】
  ハンニバル コスタリカにも カルタゴが
   スキピオも カルタゴ目指して コスタリカ

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サンホセ(4)サンホセ市郊外の祭り San Isidro Labrador

2013-11-17 12:00:11 | コスタリカ

【絵葉書より:サンホセ市中心部。1980年以前】
 サンホセ市中心部の絵葉書は何点か紹介したが、中心部を離れると、昔ながらのコスタリカが姿を現す。最近は、どんどん市街地が拡大していっていると思うが、以下の写真は1980年以前の Escazú と呼ばれる地域の教会である。この地域は、筆者が滞在していた時から、高級住宅地になっていた。
 これは、San Isidro Labrador の祝日(5月15日)の時のものである。


【絵葉書より】
 San Isidro Labrador とは12世紀のスペイン出身のカトリックの聖人で、農業の守護者のようなものだろう。当然、コスタリカでもカトリックの伝統を受け継いだ祭りが催されている。
 教会の前に集まっているが、次のような掛け声がかけられる。
  San Isidro Labrador, quita el agua y pon el sol
ただ、これはコスタリカ・ヴァージョン(女房殿に教えてもらったもの)であって、以下のものが一般的らしい(ウィキペディアより)。
 San Isidro Labrador, quita el agua y trae el sol
 (聖イシドロ・ラブラドル様、水を取り除き、太陽を連れてきてください)
 注:labrador は形容詞としては「農業の、農民の、(牛・馬などが)労役に適した」という意味で使われるが、名詞としては「農場主、自作農、農場労働者、農民」の意味で使われる。
 次のようなバリエーションもある。
 San Isidro labrador quita el agua y trae el sol.
 San Isidro labrador se lleva la lluvia y trae el sol.
 San Isidro labrador, reparte el agua y el sol.
 何にしても、「雨を止ませて、日差しをもたらしてください」ということである。
 スペインでは5月15日ごろがどのような季節かはわからないが、コスタリカでは雨季に入って、まだ間がないころである。コスタリカの解釈では、午後も農業の仕事ができるように、雨を降らせないでほしいとのことである。
 雨季とはいっても、午前中は晴れていて、午後からスコールが降るのである。雨のあとは気持ちがいい。コスタリカの雨季と乾季については日を改めて述べる。
 写真では牛が見えるが、神父さんが牛を祝福してくれるそうだ。祝福とはいっても、牛が病気になったり、事故にあったりしないようにということだろう。 


【スペインにあるSan Isidro Labrador の像:ウィキペディアより】
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サンホセ(3)-国立博物館(Museo Nacional)

2013-11-15 12:50:39 | コスタリカ

【絵葉書より:国立博物館前の通り。1980年以前。今では車でいっぱいである。】
 国立博物館は市街地の東側に位置している。かつては郊外だったのだろう。昔の城砦が博物館になっていて、内部はカエルの形の金細工などが展示されている。青年海外協力隊の任期中に訪れた時には、全然気が付かなかったのであるが、任務を終えた後、コスタリカを再訪した時のことである。展示品をじっくり眺めていると、多くの展示品の寄贈者が、筆者がかつて日本語を教えた年配のユダヤ系アメリカ人の名前になっているではないか。いかにも余裕のありそうな年金生活者(pensionado)風だったので、たぶんご本人だと思う。
 ところで、コスタリカ大学での日本語の最初の授業では、自己紹介をしてもらっていた。たいていのコスタリカ人の学生は名前を聞いただけで、つづりが分かるので、あえて板書はしないのだが、そのアメリカ人の場合、ドイツ系の名前なので、念のため、姓の方を板書してみた。Bachman と書き進んだところで、もう一つ n があった方がドイツ語っぽいと思って、Bachmann と書いた。このときのご本人の喜びようが今でも目に浮かぶ。一発で Bachmann と書いてもらったことはあまりなかったのだろう。ご本人いわく、Bach と「魔の山」でおなじみの Thomas Mann の Mannを一緒にした名前だとか。
 野球好きな方で、彼のアパートでワールド・シリーズ(Serie Mundial)を一緒に見たことも懐かしい思い出である。


【絵葉書より:国立博物館の庭】
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サンホセ(2)

2013-11-14 10:40:15 | コスタリカ

【サンホセ中央郵便局:絵葉書のような封書。封書とはいっても中には何も入れられない。はがきより高いが通常の封書より安い。】
 首都サンホセはアメリカのカリフォルニア州の都市サンノゼと姉妹都市であることはすでに述べた。San がつく地名はスペイン語圏にはたくさんある。ポルトガル語では São となる。意味は英語の saintで(「聖」、仏教でいえば「~上人」、「~大師」、「~法師」など)である。San Francisco, São Pauloが特に有名である。To-、Do-で始まる名前の前では Santo という本来の形に戻る。Santo Domingo(聖ドミンゴ、主の日=日曜日の意味。英語圏でも Tuesday とか Wednesday という名前もある)、Santo Tomásが有名。Santoの複数形は Santos。ブラジルの町、コーヒーの名前で有名。
 ところで、José は英語では Josephに相当する。サンホセとは聖ヨセフのことである。María様の御主人の名前が José さんである。その息子が Jesús(ヘスス)である。Jesús さんは中南米では別にありがたくもない、普通の男の名前である。プロテスタント圏では恐れ多くて、使われていないようだが。
 英語の Joseph の愛称は Jo または Joe だが、スペイン語形 José の愛称は Pepe、Chepe、Chepitoなどで、正式名と愛称が全然違う形になっている。José のイタリア語形は Giuseppe(ジュゼッペ)で、最後の pe を重ねれば、やっと Pepe という形ができる。スペイン語形の José にも本来は語末に [p] 音があったのではないかと推察される。カタルーニャ語では Josep (ジュゼップ) である。また、José の女性形は Josefa で、[f] 音が入る。
 カタルーニャを知る事典 (平凡社新書)
 なお、イタリア語ではGiuseppeの愛称は、あの「ピノキオ」だそうである。
 下宿先の女主人(弁護士)が「サンホセへ行く」と言う時に、よく「San Chepe(サンチェぺ)へ行く」と言っていたものだ。初めのうちは何のことやら、全く分からなかったが。
 ちなみに、「パリっ子」のことを Parisien (Parisienne) というように、「サンホセっ子」のことは Josefino という。ただし、男性形はあまり耳にしたことはなく、どういうわけか女性形の Josefina の方になじみがある。 


【絵葉書より:サンホセ市中心部にある Parque Morazán。Parque Japonés という別名もあり、早速行ってみたが、小さな公園のさらにまたその一角でしかなかった。写真で見ると、それなりに立派に見えるのだが。四阿(あずまや)が日本風のような中国風のようなデザインではある。】
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