スパニッシュ・オデッセイ

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エスペラント(25) 結び

2015-11-21 21:52:46 | エスペラント
  母語以外の言語(日本では「外国語」と呼ぶのが一般的だが、多言語国家の場合は、「外国語」とは呼べないことがある)を学習する場合、政治的な動機を持ったり、そのように見られたりすることもある。
 ソ連が健在のころ、ロシア語を学習するということは、社会主義者かそのシンパと見られてもおかしくはなかっただろう。もちろん、社会主義とは関係なく、ロシア文学が好きという理由もあったことだろう。
エスペラントの場合も政治的な動きに無関係ではいられなかった。
 『世界史の窓』には次のような記述がある。

 19世紀後半、経済・文化の面での世界の一体化が急速に進む中、各国・各民族が固有の言語にしばられていることを克服し、世界共通語、もしくは国際的な補助語をつくろうという機運が現れ、1867年の第1インターナショナル第2回大会でも、世界語と表音式正字法を支持する決議がなされている。エスペラント運動は一方で労働者の自由と連帯を求める国際プロレタリア運動と結びつくようになった。1921年には世界労働者エスペラント運動が団結してSATが創立されている。しかしそのような動きは、帝国主義諸国の政府にとっては警戒するところとなり、次第にエスペラントに対する弾圧が厳しきなった。その一方でファシズムが台頭すると、エスペラントは反ユダヤ主義と結びついて攻撃されはじめた。ヒトラーはすでに『わが闘争』の中で、エスペラントをユダヤ人の世界征服のための陰謀と非難していたが、ナチスドイツが政権を取ると、ドイツではエスペラントは禁止され、関連書物は発禁とされた。ザメンホフの子どもたちもエスペラント運動を推進していたが、いずれもユダヤ人であったため強制収容所に送られ、殺害されるなど過酷な弾圧を受けた。

 一方、ロシアでは、ロシア革命の時期にはエスペラントは労働者の国際連帯での共通言語として利用され、エスペランチストも増加した。レーニンの著作もエスペラントに翻訳され、その国際主義の有力な道具とされていた。ボリシェヴィキと対立し、国家や政府の存在を否定するアナーキズム運動とも密接な関係を持つようになり、アナーキストの多くはエスペラントを同志間の言語として用いるものが増えていった。しかし、1930年代後半、ソ連においてスターリンの「一国社会主義論」が勝利を占め、国際主義が退潮したことを受け、エスペラント運動も弾圧の対象となったため、衰退せざるを得なかった。


 筆者の参加した講習会においてもエスペラントで書かれた冊子等が紹介された。また、会場にパネルが掲示されていた。講習会もパネルも政治的には中立というよりも、やはり左翼的な立場に依拠するものであった。 
 

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