スパニッシュ・オデッセイ

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キリストってスペイン人? Sólo Cristo es español

2022-09-26 20:43:23 | スペイン語
 カルメン・リラの作品"Cuentos de Mi Tía Panchita”(パンチータ伯母さんのお話)を読んでいると、次のような一節に遭遇した。

sólo Cristo es español y Mariquita señora...

 文法的には何の問題もない、易しい文である。Mariquita と señora の間には動詞 es が省略されていると解釈される。 
 Mariquita は María の愛称で、手元の「西和中辞典」(小学館)にもちゃんと記載されている。
 mariquita と小文字で書くと、「テントウムシ、インコ、マリキータ(二人が組になって踊るクリオーリョの踊り)」という意味になる。当然、女性名詞だが、これが男性名詞になると、「ホモ、おかま」という意味にもなる(「西和中辞典」)。
  señora は「奥様」だが、Nuestra Señora (「私たちの女主人」の意)となると、「聖母マリア」の意味になる。

 さて、この文の全体の意味は文字どおりには「キリストだけがスペイン人で、マリア様が聖母である」ということだが、何のことか訳が分からない。
 この文の直前に書かれている文を見ないと何とも解釈できない。直前の文の大意は次のとおり。

 玉座に座っている者の方が粗末なベンチに座っている者より偉いと、みんな思っているようだ。

 そうすると、sólo Cristo es español y Mariquita señora の意味は「みんなより偉いのはキリストとマリア様だけ(神の前では王も乞食も同じ)」ということになりそうである。女房殿に聞いてみると、その解釈でいいようであった。

 ただ、「キリストだけがスペイン人」というのがまだ疑問として残る。スペインはカトリックの代表国といってもいいので、このような表現が生まれたのだろうか。
 それにしても、「キリストだけがスペイン人」を逆に言うと、「キリストにあらざれば、スペイン人にあらず」ということになる。そうすると、スペイン人はだれもいなくなってしまうのだが。「キリスト教徒にあらざれば、スペイン人にあらず」なら、まだわかるけれども。

 気を取り直して、スペイン語版の yahoo で検索してみることにした。
 Cristo es español ではヒットしなかったが、Dios es español とやってみたら、ヒットしたのである。
 ABC España というサイトである。
 記事のタイトルは«Dios es español», la frase que retrató la hegemonía militar del Imperio español。
 フランドル戦争におけるスペイン帝国軍の強さを表したフレーズである。
 この記事の中に以下のような記述がある。
  «Tal parece que Dios es español al obrar, para mí, tan grande milagro».
 «Dios es español y está de parte de la nación estos días».
 大意は「神はスペインの側についていた」ということである。

 Cristo es español は Dios es español のもじりのようであるが、意味の上では全く関係がなさそうであった。ただ、「パンチータ伯母さんのお話 」の中の当該のお話の舞台は明言されていないが、スペインを連想させる。そうすると、Cristo es español は「キリストは我々スペイン人とともにある」と解釈できるのではないだろうか。



 
 


 
  
 
 

蟻とキリギリス

2022-09-21 09:06:55 | トリビア
 カルメン・リラの“Cuentos de Mi Tïa Panchita”(パンチータ伯母さんのお話)の著者前書きにイソップの「蟻とキリギリス」の話が言及されていた。イソップの寓話は世界中に広まっているようである。
 イソップはギリシャ語で「アイソーポス」というそうで、英語では Aesopである。スペイン語では Esopo となる。
 イソップはかなりの醜男だったらしい。
 
 【ディエゴ・ベラスケスによって描かれた肖像画】
 イソップの寓話はポルトガル人宣教師によって日本にもたらされ、17世紀初めに仮名草子『伊曾保物語』が成立した。これには伊曾保(イソップ)の略伝も収められているが、やはりかなり不細工だったということである。挿絵もあるが、だいぶ日本化している。
 ちなみに、略伝の部分を読むと、まるで一休さんの話のようである。


 前置きはこれくらいにして、「蟻とキリギリス」の話に移る。
 実は、元の話は「キリギリス」ではなく、「蝉」なのである。
 
 絵を見ると、蝉だかハエだかわかりにくい。蝉ではなく、ハエであるという説もあるらしい。
 
『伊曾保物語(岩波文庫、武藤禎夫校注)付 絵入教訓近道(抄)』より
 左の男の頭には蝉が、その右のキセルを咥えている男の頭には蟻が見える。

 『伊曾保物語(岩波文庫、武藤禎夫校注)』には「蟻と蝉との事」として記述されているが、その中の「注一」には以下のように書かれている。

 地中海沿岸の温暖な所では蝉だが、寒冷の中欧以北では蝉が生息せず、代って多く蟋蟀(キリギリス)を出す。

 同 p. 341 の解説には次のように書かれている。

 徳川幕府が瓦解した御一新後は、欧米からの文明開化の波が押し寄せ、江戸期の国字本伊曾保物語は影をひそめ、英語を主体とした外国語によるイソップ物語が盛んに紹介された。すでに幕末時の新聞にも数話見られるが、時代の先覚者福沢諭吉は、イギリス人チェンバーズの道徳書を翻訳した・・・(中略)・・・第13章「倹約の事」の項に「蟻とイナゴの事」などを載せ(以下省略)

 以上が「蝉」から「キリギリス」に置き換えられた経緯である。

 ギリシャからスペインを経由してコスタリカに伝わったイソップ物語では「蝉」はオリジナルの「蝉」のままである。カルメン・リラの“Cuentos de Mi Tïa Panchita”(パンチータ伯母さんのお話)の著者前書きに言及されているイソップの「蟻とキリギリス」の話も、当然ながら、オリジナルの「蟻と蝉」なのである。



アヴェ・マリア

2022-09-19 10:08:16 | スペイン語
 キリスト教徒でなくても「アヴェ・マリア」(スペイン語では Ave María)の語句を知らない日本人はいないだろう。しかしながら、「アヴェ」(Ave)の意味を知っている人はそう多くはあるまい。スペイン語には ave という普通名詞がある。意味は「鳥」だが、「アヴェ・マリア」が「マリア鳥」では訳が分からない。
 「アヴェ・マリア」とはラテン語で直訳すると「こんにちは、マリア」または「おめでとう、マリア」を意味する言葉だそうである(ウィキペディア「アヴェ・マリア」)。 
 Ave には「こんにちは」、「おめでとう」等の意味がある言葉ということだが、ハワイ語では Aloha に相当するだろうか。まさか、ハワイ語で「アヴェ・マリア」の祈りが「アロハ・マリア」になっているわけではないだろうが。
 
 さて、スペイン語では Ave María は間投詞としても使われる。驚き、おびえ、不快の念を表し、「おやおや、まあ、おお怖い、嫌だな」という訳語が充てられる。Ave を小文字にして ave María とも綴られる。avemaría と一語になると、「アベマリアの祈り、天使祝詞:キリスト受胎の秘儀に対するラテン文の感謝の祈りの最初の言葉」、「ロザリオの小玉」、「アンジェラス、お告げの祈り」という意味の普通名詞になる。
 
 さらに、Ave María は「ごめんください」という意味でも使われていた。さすがに現在ではこの意味では使われていないようだが。Ave María だけではちょっと寂しいので、「純粋無垢の」の意味の purísima という語を付け加えて、Ave María Purísima とも言っていた。
 
 ところで、マリア様はいろいろな所に現れたようで、ラテン・アメリカではメキシコの Guadalupe に現れたマリア様が有名である。カトリック教会公認で、Virgen de Guadalupe(グアダルーペの聖母)という名前で親しまれている(ウィキペディア「グアダルーペの聖母(メキシコ)」参照)。
 
 絵を見てもわかるように、グアダルーペの聖母は「褐色の肌の聖母」として親しまれている。
 Guadalupe という名前は女子名としてよく使われるが、男子名としても使われることがある。やや長いので、愛称として Lupe という形になり、これに縮小辞がついて Lupita (女子名)や Lupillo (男子名)になったりする。
 筆者は Lupe という形は高校2年生のとき、ライチャス・ブラザーズ(Righteous Brothers)の「リトル・ラテン・ルーペ・ルー(Little Latin Lupe Lu)」という曲の中で Lupe という語を知った。歌詞の内容からすると、女子名だろうとアタリをつけていたが、後日、正解だったことを知る。
 それはともかく、コスタリカで「ごめんください」の意味で使われる”Upe”ということばは、このグアダルーペのマリアに由来するそうである(「コスタリカ再訪(194)Upe」参照)

 さて、1920年刊行のカルメン・リラ著“Cuentos de Mi Tía Panchita”(パンチータ伯母さんのお話)の中の一話に、ある男が地獄に行って悪魔どもを訪問する話がある。そこで"Ave María Purísima"と声をかけるわけだが、この挨拶は悪魔どもには「この野郎」とでも言われているように感じられたという一節があった。同じ男が天国に行って、ある場所で"Ave María Purísima"と言ったら、たまたまそのあたりにマリア様ご本人がいて、自分のことを呼ばれたものと思い、出てきたという一節もあった。

スレイマン1世

2022-09-08 12:49:18 | スペイン語

 このお方、カルメン・リラの作品 “Los Cuentos de Mi Tía Panchita”(パンチータ伯母さんのお話)に収録されているお話にも登場する。
 日本語名は「スレイマン1世」。オスマン帝国の第10代皇帝(在位:1520年 - 1566年)である。トルコ語表記では Süleiman で、英語表記では Suleiman である。
 ウィキペディア「スレイマン1世」によると、「46年の長期にわたる在位の中で13回もの対外遠征を行い、数多くの軍事的成功を収めてオスマン帝国を最盛期に導いた」とのことである。
 「1521年からは外征に乗り出し、ハンガリー王国からベオグラードを奪い取り、翌1522年のロドス包囲戦で聖ヨハネ騎士団からロドス島を奪うなど活発な外征を行った」、また、「ウィーン攻略には失敗するもののヨーロッパの奥深くにまで侵攻して西欧の人々に強い衝撃を与えた」との記述もある。ヨーロッパ人(キリスト教徒)にとっては恐るべき敵として認識されていたであろう。
 『パンチータ伯母さんのお話』には悪魔のように恐ろしい人物の譬えとして登場するのである。

 「スレイマン」の英語形は Suleiman だが、筆者はこの語から slay (殺戮する)という語を連想する。slay する人が slayman になってもよさそうなものである(実際には slayer であるが)。
 さて、このお方の名前のスペイン語形は Solimán である。筆者の手元の『西和中辞典』(小学館)には掲載されていない。ただし、solimán という普通名詞は掲載されている。「塩化第二水銀」が原義だが、そこから転じて、比喩的に「毒、毒物」という意味にもなっている。
 「スレイマン1世」はヨーロッパ人には「毒物」と言ってもよさそうな人物であるから、スペイン語圏の人間は Solimán という固有名詞を聞くと、普通名詞 solimán を連想するのだろうか。
 
 「スレイマン」の名前については、ウィキペディア「スレイマン1世」にさらに次のような記述がある。

名前のスレイマン(Süleyman)とは、ユダヤ教やキリスト教と共にイスラム教でも聖典とされる旧約聖書に記録された古代イスラエルの王、「ソロモン王」(英 Solomon)のアラビア語形である「スライマーン」(アラビア語: سليمان‎, Sulaymān)のトルコ語発音である。

 ちなみに、スペイン語形は Salomón であるが、この名前を持つ人物は筆者の知り合いの中にはいない。