スパニッシュ・オデッセイ

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西武ライオンズのメヒア選手(4)父の父姓 Mejía

2019-02-25 18:38:32 | 名前

埼玉西武ライオンズの公式ホームページより】
  西武ライオンズのメヒア選手(Ernesto Antonio Mejía Alvarado)の父の父姓が Mejía だが、アクセントは i の上にある。スペイン語ではアクセントのある母音はやや長く発音される傾向があるので、カタカナ表記としては「メヒーア」が適当である。
 “Historia Apellidos españa”というサイトによると、Mejía 姓のスペインでのランキングは第711位。多くはなくても珍しくもない。世界的な分布を見ると、絶対数ではメキシコ、人口比ではホンジュラスが一番多い。
 Mejía 姓の由来だが、mejía という単語は小学館『西和中辞典』には出てこない。そこで、ウィキペディア“Mejía (surname)”(英語版)に当たってみた。スペイン北西部のガリシア地方にある Muxia という町の名前に由来すると一般的に考えられているらしい。
 他には古スペイン語の Mexia(medicina「薬」の意。英 medicine)に由来するとの説もある。
 さらには、Mejía 姓のルーツは Sephardic とも書かれているが、研究社『新英和中辞典』にはこの語は掲載されていない。『西和中辞典』には sefardí という単語が載っているが、これの英語形だろう。意味は「イベリア半島から追放されたユダヤ人の」である。ユダヤ人の姓をスペイン風に変えるように強制された際、「救世主」を意味する元の言葉(ヘブライ語か)から“Mesía”(英 Messiah)になったとか。現代のスペイン語では「救世主」は“Mesías”で、一見複数形になっている。
 ともかく、Mesía が Mejía に変化したということだろう。しかしながら、ユダヤ教徒とイスラム教徒の子孫はスペインからラテンアメリカの植民地に渡ることができなかったのに、ラテンアメリカに Mejía 姓が多いのはなぜなのか、説明がつかないことも記されている。
 メヒア選手に戻るが、ホームラン王を取るほどの活躍があったので、ここはひとつ「救世主」(Mesías)説を採っておこう。メヒア選手の応援ボードには“Mejía Mesías”と書いてあげれば、気をよくしてホームランを連発してくれるかもしれない。
 Mejía 家の紋章はいろんな種類があるので、“Escudo de Mejía”をご覧いただきたい。
 以下はMejía (surname)”に紹介されているものである。
 
 

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西武ライオンズのメヒア選手(3)母の父姓 Alvarado

2019-02-22 21:42:36 | 名前
 
 埼玉西武ライオンズの公式ホームページより】
 西武ライオンズのメヒア選手(Ernesto Antonio Mejía Alvarado)の父の父姓が Mejía だが、お楽しみは最後に取っておいて、母の父姓 Alvarado を先に紹介したい。
 “Historia Apellidos españa”というサイトによると、スペインでの Alvarado 姓のランキングは第527位。そんなに多くはないが、珍名でもない。現に日本のプロ野球にも広島と横浜に在籍したジオ・アルバラード (GIANCARLO ALVARADO) 投手がいる。3年間で通算12勝なので、あまり印象がない。
 Alvarado 姓の世界的な分布を見ると、絶対数ではメキシコ、人口比ではコスタリカが1位である。女房殿の実家があるコスタリカのグアピレスには Alvarado さんが結構いるらしいが、筆者には Alvarado さんの知り合いはいない。ただ、母の父姓が Alvarado の知人はいるかもしれないが、普通母の父姓までは教えてくれない。別に秘密にしているわけではないが、日常生活では父の父姓だけで十分である。
さて、Alvarado という姓の意味や由来を調べてみることにする。この姓は一見、Álvaro という男子名と関係がありそうであるが、ウィキペディア“Alvarado (apellido)”にはそのような記述はない。
 Alvarado 姓のルーツはスペイン北部のカンタブリア(Cantabria)州と考えている学者が複数いるとの記述がある。また、フランス貴族に淵源があるの言い伝えもあるようだが、真偽のほどは定かではない。
Alvarado 家の紋章には数種類ある。
  
【“linajes.net”より】 【“INSTITUTO DE HISTORIA FAMILIAR”より】
 
 【“ECURED”より】
 このうち3番目の紋章に使われている花柄に注目していただきたい。この紋章図形は“flor de lis”と呼ばれていて、フランスを象徴する紋章である。詳しくは「Rosario 家の紋章」をご覧いただきたい。

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西武ライオンズのメヒア選手(2)個人名 Antonio

2019-02-20 18:06:53 | 名前

埼玉西武ライオンズの公式ホームページより】
 埼玉西武ライオンズのメヒア選手(Ernesto Antonio Mejía Alvarado)の個人名は Ernesto の他に Antonio もある。Antonio は日本でもアントニオ猪木やアントニオ古賀などでお馴染みの名前である。ありふれすぎていて、Antonio の意味について考えたこともなかったが、この際、調べてみることにした。
 “Chiquipedia.com”というサイトによると、Antonio の名はギリシャ語の Anthos に由来するのではないかと考えられている。ここからラテン語の Antonius になり、スペイン語の Antonio につながっているわけである。英語形は Anthony である。
 Antonio の意味だが、“hombre valiente que planta cara a los enemigos”と記されている。「敵と戦う勇敢な男」という意味である。
また、ウィキペディア“Anthony (given name)”には次のような記述がある。
 
 Anthony or Antony is a masculine given name, derived from the Antonii, a gens (Roman family name) to which Mark Antony (Marcus Antonius) belonged. There was an ancient tradition that the Antonii gens were Heracleidae, being descendants of Anton, a son of Heracles. (Plut. Ant. 4)
 
 Anthony はローマの Antonii という一族(ラテン語 gens、スペイン語 gente「ヘンテ」〈人々〉の語源)に由来する。古い言い伝えによると、彼らはヘラクレス(Heracles「エラクレス」)の息子の一人、Anton の子孫とのこと。
 ヘラクレスは怪力無双の勇士だが、詳細はウィキペディア「ヘーラクレース」に譲る。
 メヒア選手が怪力かどうかは知らないが、ホームラン王に輝いたこともあるので、名前どおりの活躍をしたことは間違いない。
 

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西武ライオンズのメヒア選手(1)個人名 Ernesto

2019-02-19 16:57:38 | 名前
 久し振りにラテンアメリカ出身のプロ野球選手を取り上げる。今回は西武ライオンズのメヒア選手である。メヒア(Mejía)という姓の選手は広島カープにもいるが、西武のメヒア選手ほどの活躍ぶりではない。
 西武のメヒア選手のフルネームはウィキペディア「エルネスト・メヒア」によると、「エルネスト・アントニオ・メヒア・アルバラード」(Ernesto Antonio Mejía Alvarado)となっている。
 
 【埼玉西武ライオンズの公式ホームページより】
 ベネズエラのポルトゥゲサ(Portuguesa、「ポルトガル女性」の意)州グアナレ(Guanare)出身ということである。
 
 【赤く塗られた部分がポルトゥゲサ州。ウィキペディア「ポルトゥゲサ州」より】
個人名は Ernesto と Antonio の2つで、Mejía は父の父姓、Alvarado は母の父姓である。
 個人名の Ernesto は小学館『西和中辞典』によると、古高地ドイツ語の Ernst(原義は「まじめさ」)に由来するとのこと。英語形はお馴染みの Ernest でヘミングウェイの個人名としても使われている。Ernest は英語 earnest と同じ発音で、名詞としては「まじめ、本気」、形容詞としては「まじめな、真剣な、熱心な」という意味になる。earnest も語頭を大文字にすると、やはり男子名になる。
 メヒア選手は名前どおり、まじめな選手かというと、そうでもないようである。ウィキペディア「エルネスト・メヒア」には「2015年は前年のシーズンオフ中の体重管理を怠ったことと他球団から研究されたことが要因となり、前年に比べて打率を5分ほど落とした。」との記述がある。体重管理ができないようでは、「まじめ」とは言えまい。その後、改心したかどうかはよくわからない。

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コスタリカ 2018年(84)novena その2

2019-02-17 16:16:30 | コスタリカ
 義母は筆者から見ると、熱心なカトリックだったが、実は、novena については信じていなかったのである。義父が他界したときには novena は執り行っていなかった。ということで、義母の novena はもちろん、遺言によるものではない。子どもを9人もうけたが、だれ一人として義母の novena を執り行おうと言った者はいない。言ったのは6人の娘たちのうちの一人の婿だったのである。Ciudad Quesada 在住のその婿は今ではリゾートホテルや高級アパートを経営している金持ちだが、子どものころは貧しくて、おばに育てられてそうである。婿さんも信心深いとは思えないのだが、義母を無事にあの世へ送り届けたいとでも思ったのだろう。
 novena は一人ひとりが勝手に祈るものではない。プロの祈り屋を呼ぶのだが、大体年配の女性のようである。なので、コスタリカでは女性形の rezadora(レサドーラ)と呼ばれている。
 コスタリカのグアピレス地方では、novena が執り行われるのは午後3時ごろからである(他の国や地域の事情は知らない)。食事時ではないから、昼食の準備はしなくてもよさそうなものだが、祈り屋さんや親戚一同にコーヒーや軽食を用意しなくてはいけない。これが9日間も続くのだから、面倒な上、結構な出費にもなる。
 もし、義母が滞在中に他界していたら、筆者も novena を体験できたのだが、残念なことである(と言ってもいいのかどうかよくわからない)。
 

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コスタリカ 2018年(83)死後9日間の祈り(novena)

2019-02-16 16:26:54 | コスタリカ
(承前)
 義母の死去のあと、9日間(nueve días)の祈りが捧げられた。仏教では故人が三途の川のほとりに到着するのが死後7日目で、初七日といって、法要を執り行うが、それを連想させる。
“nueve días”で検索してみたら、“Los nueve días”(スペイン語版)に行き当たった。これはユダヤ教の行事で、エルサレム(Jerusalén「ヘルサレン」)の神殿が破壊されたあと、9日間喪に服したのが起源のようである。
 これはカトリックの死後9日間の祈りとは違うが、このユダヤ教の行事がその起源になったのだろうか。
 カトリックの死後9日間の祈りは“novena”と呼ばれている。詳細はウィキペディア「ノベナ」に譲るが、カトリックだけではなく、聖公会、東方正教会、プロテスタントのルター派教会でも行われているそうである。ノベナには4つのカテゴリがあるとのことだが、ウィキペディア「ノベナ」より引用する。

1.喪中、または葬儀の前
2.教会の祝日の前または晩の典礼の終わり(教会で行うことが必要となる場合が多い)
3.個人または集団による請願や罪の償い
4.免償 (ゆるしの秘跡を受けており、教会で行うことが必要となる場合が多い)

 いろいろ書かれているが、義母の場合は1に相当する。
 さて、祈りにもいろいろな種類があるが、ロザリオの祈りというものを唱えるのである。この祈りの中に「天にましますわれらの父よ」(西 Padre Nuestro, que estás en el cielo)で始まる有名な一節がある。これだけは信者でなくても唱えられそうである。仏教を信仰していなくても「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」を知っているのと同じである。 
 それはともかく、女房殿の話によると、死者が無事にあの世へと旅立てるように、9日間祈ってあげるのだとか。

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コスタリカ 2018年(82)義母他界の知らせ

2019-02-11 17:19:09 | コスタリカ
  コスタリカから帰国したのは9月7日(金)だったが、その後すぐに義母が入院したとの連絡が入った。いったん退院したものの、9月11日に他界したという続報が入った。
 8月19日に催した母の日のパーティーが最後の贈りものになったわけである(「コスタリカ 2018年(14)母の日のパーティー」参照)。
 葬儀は翌12日に行われた。死後24時間しか経っていない。女房殿に聞くと、コスタリカではこれが一般的とのこと。日本では死後、通夜・葬儀まで数日かかるのが一般的のような気がするが。
 それはともかく、コスタリカはカトリックが国教であり、国民の多くがカトリックである。最近はプロテスタントも増えてきているらしいが。ということで、葬儀は土葬が一般的である。
 義母は義父の眠るお墓に一緒に入ることになる。義父の墓はグアピレスにあり、2015年の訪問時に、墓参りに行ったことがある。このお墓については「コスタリカ再訪(206)義父の墓参り」、「コスタリカ再訪(207)義父の墓参りー2」を参照されたい。
 この定員6名のお墓に義母が独断で、親戚でもない知人を入れてやったものの、子どもたちに大反対されて、その遺体を関係者に引き取ってもらったことはすでに述べたが、どうやってその遺体を運び出したのか、その後の遺体の行き先はどうなったのか、ちょっと興味があるところである。
 義母もこのお墓に入ったので、入れるのはあと3名である。
  

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コスタリカ 2018年(81)帰国

2019-02-09 18:38:44 | コスタリカ
(承前)
 フードセンターでメキシコ料理の夕食を済ませたが、乗り継ぎ便の出発時間までまだたっぷり時間がある。一度出国手続きをしたのだが、人が多く、くつろげない。いろいろなところを見て回った。
 たまたまエレベーターの近くに行くと、下の写真のボードがあった。
 
 「地震と火災のときに使う」と書いてあるが、そんなはずはない。英語にはちゃんと「使うな」と書いてある。“usar”(英 use)の前にあるはずの“No”が取れたのか、それともいたずらされたのか。
 一通り見終わったので、また出国手続きをして、中に入ることにする。
 すぐ近くにも出国手続きのゲートがあったが、Lと書かれていて、そこはアメリカ行き専用だった。その他の国は別のゲートに行かなければならない。思うに、アメリカ行きは麻薬対策などのために、チェックが厳しいのかもしれない。
 日本行きはKのゲートである。無事、出国手続きを済ませて、出発ラウンジの方に行く。人の少ないゲートに行き、寝転ぶ。人が増えてきたら、また、別のゲートに移る。寝転んでいても、アナウンスがうるさくて、ゆっくり寝ていられない。それでも、何とか5時間過ごした。
 無事に、エアロメヒコの成田行きに乗り込んだ。ほとんど満席だった。メキシコ時間の9月6日(木)午前2時に離陸。15時間も乗っていなければならない。
 まずは寝ることにしたが、15時間も寝ていられない。そのうち食事が出た。2種類のうちから1つ選ぶのだが、そのうちの一つがカツどんだったので、それにした。肉は分厚く、醤油と砂糖も少なく、かなりの薄味だった。隣りに座っていたメキシコ人成年が上手に箸を使ってカツどんを食べていたので、それをきっかけに話が弾んだ。
 朝食は日本時間の午前4時ごろ出た。サンドイッチか玉子だったので、玉子にした。玉子には frijoles(豆)が付いていた。
 成田空港には予定どおり、6時半ごろ到着した。まず、入国手続きである。
 日本人用の入国手続きゲートではパスポートの写真のページをスキャナーに合わせて読み取り、次に正面を向いて写真を撮り、照合するシステムだった。問題がなかったので、扉が開き、そのまま外に出た。帰国のスタンプは残念ながら押してもらえない。
 日本に帰ったことを実感したのはやはりシャワートイレの中だった。

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コスタリカ 2018年(80)メキシコ・シティーの空港で夕食

2019-02-03 20:19:02 | メキシコ
(承前)
 メキシコ・シティーに到着したのは3時45分であった。コスタリカ出発が12時前なので、4時間かかったことになるが、こんなにかかることはない。メキシコはサマータイムを実施しているようである。
 往路もメキシコ・シティー経由だったが、空港からは出なかった。そのため、メキシコ料理を堪能できなかったので、今度は一度出国手続きをして外に出る。とはいっても、空港の建物からは出ない。メキシコ発成田行きの便は深夜2時の出発なので、10時間も待ち時間がある。空港近くのホテルに行って休むには中途半端な時間である。3時間前にはチェックインしなければならないので、ホテルで休めるのは正味6時間ぐらいだろうか。そのためにお金を払うのももったいない。ということで、往路同様、空港でぶらぶらすることにする。
 夕食の時間までは少し間があったので、建物の中を見て回る。すると、アートのコーナーがあった。メキシコは現代美術の国でもある。気持ち悪いが、おもしろい彫刻が並んでいた。以下の写真はそのうちの一つで、女性の体に黄道十二宮のシンボルがちりばめられている。
 
 そろそろ夕食の時間になったので、フードコーナーに行く。フードーコーナーなので、リーズナブルな値段で食べられそうである。中華もあるし、寿司もどきのコーナーもあるが、せっかくのメキシコなので、メキシコ料理を食べることにする。店の名前は“LA CACHONDITA PIBIL”。cachondita とは形容詞 cachondo(「さかりのついた、発情した、色っぽい、好色な、愉快な、愛嬌のある」等の意。cacho「角」の派生語のようである。cacho の派生語がなぜこんな意味になるかについては「ツノが生える」を参照願いたい)の女性形 cachonda に縮小辞が付いたものである。
 pibil は小学館『西和中辞典』には載っていない。そこで、ネットで調べてみた。
 pibil とはマヤの言葉で、地中に埋めて料理する意味のようである(“What is Pibil?”)。ということで、全体としては「楽しいマヤ料理」といったところだろうか。
 以下のものを注文した。
  
 
 3枚目の写真はお好み焼きっぽいが、ソースはモレ・ソースである。これが食べたかったのである。お飲み物は cas の refresco だっただろうか。
 
 会計は締めて1600円ほど。ここでもカード払いOKだった。メキシコ経由にした甲斐があった。

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コスタリカ 2018年(79)コスタリカからメキシコへ

2019-02-02 20:28:45 | コスタリカ
9月5日(水)
 6時起床。いよいよ帰国の日がやってきた。2週間があっという間に過ぎてしまった。朝食は適当に済ませたようである。記録が残っていない。
 7時半に義妹宅を出る。7時45分にレンタカーの会社によって、車を返す。手続きは簡単に終わり、スタッフに空港まで送ってもらう。空港に着いたのは8時である。
 以前にも書いたが、乗客以外は建物の中には入れない。1981年に2年4か月の滞在の後、帰国するときは見送りに来てくれた人たちと名残を惜しんだものであるが。
 ともかく、中に入る。チェックイン手続きは機械でする。簡単だが、味気ない。その後、カウンターに行って、荷物を預ける。時間が早かったので、あまり人はいなかった。
 まだまだ時間があるので、椅子に座って休む。近くに、木でできたナマケモノのキャラクターが飾られていたので、写真を撮る。身長は2~3メートルである。これは2015年の訪問時にはなかった。
 
 サンホセ国際空港はハブ空港ではないので、発着便数はあまり多くない。アナウンスも少なく、静かである。のんびり過ごして、12時前にメキシコ・シティー行きの飛行機は飛び立った。メキシコ・シティーまでは約3時間なので、機内食はサンドイッチのみ。ビデオもない。寝るだけである。
 

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