青年海外協力隊からの派遣先が、エル・サルバドルから中南米の3Cの一つであるコスタリカに変更になった。中南米の3Cというと、美女の産地として有名である。Colombia, Chile と Costa Ricaである。Cuba も C で始まるが、4Cにはならない。キューバに美人がいないわけはないと思うのだが。青年海外協力隊員が派遣される国は発展途上国であるが、コスタリカはチュニジアと並んで、協力隊員が派遣される国の中では発展している方の国であった。それも3Cのうちの一つ。他の2つのCの国へは当時は協力隊は派遣されていなかった。本当にラッキーであった。
ところで、ラッキーと言えば、当時は全然気が付かなかったのであるが、高校時代、筆者は3年間、体育祭の優勝クラスにいたのである。当時は1クラス50人以上、1学年は10クラスであった。生徒は500人以上いた。3年間ずっと優勝クラスに入っていられる確率は10の3乗分の1、つまり1,000人に1人。500人のうち、1人いるかいないかである。3年間ずっと同じクラスだった同級生はいないので、筆者ただ一人である。筆者は運動音痴なので、優勝には何の貢献もしていないのだが、筆者の力で優勝を引き寄せたとはいえる(?)。
さて、コスタリカを振り出しに、パプア・ニューギニア等を渡り歩いたのだが、ラッキーはずっと続いていた。
コスタリカにいた時には、コスタリカからミス・インターナショナルが出た。筆者と懇意のある日本人男性が、どういうわけか、彼女の家族に気に入られ、縁談があったようだが、残念ながら彼には決まった人がいたので、沙汰やみになった。まったく、もてて、もてて困っていたようだ。
パプア・ニューギニアにいた時には筆者が勤めていた国立高校(人口300万人の国に、高校は4つしかない。すべて国立)からミス・パプア・ニューギニアが出た。ただ、同僚のオーストラリア人の担任の教師によると、性格は悪いとのことだったが。そういえば、1年で中退してしまった(パプア・ニューギニアの高校は2年制)。
シンガポールにいた時は、シンガポールがミス・ユニバースの会場になり、シンガポール代表も初めて入賞した。
ペルーにいた時は、ペルー代表がミセス・ワールドに選ばれた。彼女は親しくつきあっていた弁護士の親戚だったようだ。
メキシコにいた時には、メキシコからミス・ユニバースが出た。
とまあ、筆者の行くところ、美人コンテストの賞に縁があったのである。
また、パプア・ニューギニアとメキシコで皆既日食を見ることもできた。メキシコの皆既日食当日は、朝からどんより曇っていて、日食が見られるかどうか心配だったのだが、皆既日食の時間が近くなってくると、太陽の周りから雲がなくなり、皆既日食を拝むことができた。そして、皆既日食が終わるとまた、太陽が雲に覆われたのである。普段の行いがいいというだけでは説明できない、奇跡のようなことであった。
というわけで、筆者は本当にラッキーボーイだったのである。
しかし、ラッキーはここまでで、ペルーの地震防災プロジェクトの調整員をやっていたせいか、新潟県中越地震、及び中越沖地震で震度5弱と震度6強を経験してしまった。東北の大震災に比べれば大したことはないが。それでも、心身の不調が続いた。地震の前には筆者が二重生活をしていた、新潟県と福井県で水害が発生した。筆者の行くところ、災害が起きる。全く、私が「来てから」洪水があったのではなく、私が「来たから」洪水があったといえるだろう。この「来てから」と「来たから」の違いは、日本語教育の初級レベルで扱う項目ではある。
人生、山あり、谷ありである。
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さて、コスタリカを振り出しに、パプア・ニューギニア等を渡り歩いたのだが、ラッキーはずっと続いていた。
コスタリカにいた時には、コスタリカからミス・インターナショナルが出た。筆者と懇意のある日本人男性が、どういうわけか、彼女の家族に気に入られ、縁談があったようだが、残念ながら彼には決まった人がいたので、沙汰やみになった。まったく、もてて、もてて困っていたようだ。
パプア・ニューギニアにいた時には筆者が勤めていた国立高校(人口300万人の国に、高校は4つしかない。すべて国立)からミス・パプア・ニューギニアが出た。ただ、同僚のオーストラリア人の担任の教師によると、性格は悪いとのことだったが。そういえば、1年で中退してしまった(パプア・ニューギニアの高校は2年制)。
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ペルーにいた時は、ペルー代表がミセス・ワールドに選ばれた。彼女は親しくつきあっていた弁護士の親戚だったようだ。
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というわけで、筆者は本当にラッキーボーイだったのである。
しかし、ラッキーはここまでで、ペルーの地震防災プロジェクトの調整員をやっていたせいか、新潟県中越地震、及び中越沖地震で震度5弱と震度6強を経験してしまった。東北の大震災に比べれば大したことはないが。それでも、心身の不調が続いた。地震の前には筆者が二重生活をしていた、新潟県と福井県で水害が発生した。筆者の行くところ、災害が起きる。全く、私が「来てから」洪水があったのではなく、私が「来たから」洪水があったといえるだろう。この「来てから」と「来たから」の違いは、日本語教育の初級レベルで扱う項目ではある。
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