1980年当時は、青年海外協力隊員だったので、月々の手当も210ドルだった。1ドル220~240円ぐらいのころだった。この1か月分の手当を1度に換金していたと思う。こちらは、サンホセ市の中心にある Banco de Costa Rica (コスタリカ銀行)の本店で受け取ったものである。
このほかに現地の所属先から約100ドル相当の現地通貨での手当をもらっていた。これはコスタリカ大学から小切手(cheque)で受け取り、それを持ってコスタリカ大学の近くにある、コスタリカ銀行のサンペドロ(San Pedro)支店で換金した。これらの手当で十分暮らすことができた。まかないつきの下宿の家賃は100ドルぐらいだっただろうか。家賃を滞納したこともないが、領収書をもらったこともない。
ペルーでは、JICA専門家で待遇もずいぶんよくなった。手当も1ケタ違った。1989年当時のペルーはハイパーインフレで、1度にたくさん現地通貨に換金すると、1週間もたつうちに、だいぶ目減りしてしまう。米ドルの当座預金を開設していて、必要な分だけ、両替屋で換金していたように思う。だが、一度だけ、街中で立ちんぼうのアンちゃんに引っかかって、偽札をつかまされたことがある。
手口については次回。
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