スパニッシュ・オデッセイ

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「中米のスイス」と呼ばれるコスタリカ

2012-12-07 11:19:16 | コスタリカ
 なぜ、中国語では受身表現と使役表現が似ているのだろうか。また、なぜ、日本語の受け身形と使役形の違いが[r]と  [s]の違いでしかないのだろうか。
 ここで、コスタリカの別称「中米のスイス」について考えてみよう。観光案内の文句にも「中米のスイスと言われているコスタリカ」などの表現を目にするが、いったい誰が「中米のスイス」と言い出したのだろうか。誰かが言い出したから、そう 「言われる」ようになったのではないのか。別の言い方をすれば、誰かがコスタリカを中米のスイスと「呼ばせたかった」のではないのか。
 筆者自身もコスタリカでは「エルビス」と呼ばれていたが、もとをただせば、自分で「エルビスと呼んでくれ」と言ったのであって、勝手に呼ばれたわけではないのである。まず、自分からそう「呼ばせた」のである。最初に「呼ばせた」からそう 「呼ばれる」ようになったのである。つまり、最初の行為は使役で、その結果、受け身になって自分に跳ね返ってきたのである。使役は外(他者)への働きかけで、受け身は内(自分)に対する働きかけである。働きかけという作用は同じでも向きが違うだけのことである。
 中国語では、向きに関係なく、働きかけを表す言葉を使うのに対して、日本語では作用の向きを区別するのである。
 このように、使役と受け身は表裏一体の関係にあると言える。
 固い話はここまで。次回は柔らかく。
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中国語における受け身と使役

2012-12-06 11:11:38 | トリビア
 ここで、目を中国語に転じる。中国語では、受け身文に使われる言葉に「譲、叫、給、被」などがある。一方、使役文に使われる言葉に「譲、叫、使」などがある。これらのうち、「譲」と「叫」は受け身文と使役文の両方に使われている。
 以下に例を示す。
 「譲」を使った受け身文
   衣服譲樹枝挂破了
  (服が木の枝に引っかかって破れた)
 「叫」を使った受け身文
   這個謎語叫小学生猜着了
  (このなぞは小学生に当てられてしまった)
 「譲」を使った使役文
   媽媽不譲我去看電影
  (お母さんは私に映画を見に行かせてくれない)
 「叫」を使った使役文
   媽媽叫弟弟去買醤油
  (お母さんは弟に醤油を買いに行かせた)
 こうしてみると、中国語話者には日本語の使役形と受け身形の区別がつきにくいのももっとものように思える。
 注:中国語の表記は日本の新字体を用いた。簡体字はキモイ。
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受け身グループと使役グループ

2012-12-05 11:22:19 | トリビア
  日本語では[s]音-[r]音の対立によって、他動詞と使役形に親近性が見られ、自動詞と受身形に親近性が見られるのに対し、スペイン語では自動詞表現と受身表現に親近性が見られるのである。
 わかりやすくいうと、「使役と他動詞」がひとつのグループを形成し、「受身と自動詞」が他のグループを形成するということである。
 そういえば、他動詞の特徴のひとつに「他者に働きかける使役性」というのがあるが、使役形「いかす」が「かっこいい」という意味に使われるのは、他者への心理的働きかけによるからだろう。
 「いかれる」のように受け身形が悪い意味に使われるのは日本語の受け身の用法に「雨に降られる」のように、いわゆる「迷惑の受け身」があることからも首肯できる。
 ついでに、「しめた」と「しまった」の対立もある。前者は「チャンスだ」の意味で、後者は「へまをしでかした」の意味であるが、前者は他動詞形、後者は自動詞形である。他動詞形がプラスイメージへ、自動詞形がマイナスイメージへ転化しやすいことの例と言えよう。
 受け身文も筆者の印象では、「お金を取られた」のようなマイナスの使い方の方が、「先生の褒められた」のようなプラスの使い方より多いような気がする。

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スペイン語の受け身と自動詞表現

2012-12-04 11:10:44 | スペイン語
  ここで、スペイン語に目を転じるが、スペイン語では英語同様、自動詞と他動詞で形が変わることはない。ただし、他動詞に“se”という語をつけると自動詞の意味になる。この  “se”はフランス語と同じく、再帰動詞で「行為が自分自身に跳ね返る」ときに用いられる。
 たとえば、「(彼は)ドアを開ける」は“abre la puerta”だが、 「ドアが開く」は“se abre la puerta”となる。受身的な表現といってもいいだろう。この“se”の用法はいろいろあり、結構難しい。大雑把に言うと、「受身」、「完了(てしまう)」、「相互」、  「非人称(一般的に誰でも)」などがあるが、詳しいことはスペイン語入門の本にでも当たってもらいたい。
 とにかく、筆者の言いたいことは、自動詞表現がスペイン語では“se”を使った受身表現と同じ形で表されるということだ。
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自動詞と他動詞

2012-12-03 10:59:47 | トリビア
 日本語を学ぶ外国人にとって、厄介なもののひとつに自動詞と他動詞の区別がある。英語などでは、“open”という動詞は自動詞にも他動詞にも使える。「開ける」にもなるし、「開 く」にもなるのである。ところが、日本語の場合は、形を変える必要がある。「集める-集まる」、「閉める-閉まる」のように、“eru”-“aru”という形で対応する場合もある。
 また、「治す-治る」、「返す(帰す)-返る(帰る)」、「回す-回る」のように他動詞は語幹に「す」を、自動詞は語幹に「る」をつけるというパターンもある。「為す」(現在では一般手的には「する」という)と「成る」もこのパターンで対応する自動詞と他動詞である。
 中には「沸かす-沸く」のように自動詞の使役形が他動詞になっている例もある。
 一方、「生む-生まれる」のように、自動詞形は他動詞の受身形になっている場合もある。これは全く英語と同じで、 「生む」は“bear”、「生まれる」は“be born”と受身形になる。
 ところで、「す」と「る」はそれぞれ、古語の使役と受け身を表す助動詞でもある。
 ここで注意してもらいたいのはやはり音である。他動詞は [s]の音、自動詞は[r]の音である。これは使役形と受身形の対比で見た音の違い―使役形は[s]、受身形は[r]―と同じである。
 
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「いかしたクーペ」と「いかれたクーペ」(2)

2012-12-02 10:56:26 | トリビア
  使役形の「いかせる」に戻るが、かつては、使役形は「せる」ではなく、「す」をつけていた。使役形である「いかせる」の昔の形は「いかす」である。これは半世紀前には石原裕次郎の代名詞といえる言葉であった。「いかす」奴といえば、裕ちゃんだった。「いかしたクーペ」というビーチボーイズの曲もあった(原題は“Little Deuce Coupe”だが)。
 ということで、「いかす」は「かっこいい」という意味で使われていたものだが、今では「いけてる」という可能形に取って代わられてしまった。「いける」という形は今も昔も「うまい」という意味で使われているが。
 また、本人は「いかした」つもりでも、周りから見れば「いかれている」ということはよくあることだ。
 ポイントは使役形はいい意味に、受身形は悪い意味に転用されているということである。  

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「いかしたクーペ」と「いかれたクーペ」

2012-12-01 10:49:45 | トリビア
  外国人に対する日本語教育では、使役形は受身形と相前後して教えられることが多い。受身形とは「れる」、「られる」が動詞の未然形についた形で、「行く」を例にとると、「行かれる」の形である。普通は他動詞の受身形から教えるが、いわゆる迷惑の受身として自動詞の受身も教える。「雨に降られる」、「風に吹かれて」などがその代表例である。
 使役形が「せる」、「させる」なのに対して、受身形は「れ  る」、「られる」で、よく似ている。ローマ字で書くとますます似てくる。“seru”と“reru”だと“s”と“r”の1字違いである。つまり[r]音と[s]音の違いでしかない。
 ところで、「いかせる」は普通の使役の意味だが、「いかれる」は単独で使うと、「だめになる」、「故障する」、「狂う」などの意味になる。「いかれた奴」とか「パソコンがいかれた」などと使う。
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