コスタリカの太平洋側の港町、プンタレーナス(Puntarenas ⇐ Punta arenas「砂州」の意。チリには Punta Arenas という町がある)はプンタレーナス州の州都である。乾季(大体12月から3月まで。「夏」と呼ばれている)はからっと晴れていて、海水浴にはもってこいの季節である。日がカンカン照るので暑いが、摂氏35度以上の猛暑日になることはまずない。
1980年頃、首都サンホセに住んでいた。コスタリカの学校は乾季になると休みになるので、筆者も勤務先の大学も休みになる。最近の日本の学校は学生・生徒が休みでも教員は学校に行かなければならないようだが、当時のコスタリカではそんなことはなかった。たぶん、今でも同様だろう。
そういうわけで、筆者がプンタレーナスに行くのは「夏」に決まっていた。それが、2017年には雨季(4月から11月。「冬」と呼ばれる)に行く機会があったのである。「冬」とはいえ、太陽の位置が高いので、やはり暑いだろうと思っていたのだが、予想は見事に裏切られた。寒くはないが、全然暑くなかったのである。気温は摂氏25度を下回っていたかもしれない。
さて、コスタリカ在住時には全然知らなかったのだが、このプンタレーナスにまつわる伝説があった。伝説によると、西暦2000年にプンタレーナスは消滅することになっていたのである。消滅といっても水没の意味のようだった。よくあるタイプの世紀末伝説の一つである。
どうして水没するかというと、ペルーの首都リマの外港カリャオ(Callao)に関係しているのである。
【Callao】
史実によると、1746年にカリャオは津波に襲われ、壊滅状態になったそうである。これがコスタリカにも伝わってきたのだが、伝説では、カリャオの町は腐敗しきっていたので、天使の軍団が滅ぼしたということになっているのである。腐敗したカリャオの町にも善良な一家がいて、彼らがプンタレーナスにやって来て、町を作ったという。
しかしながら、神様の気まぐれでカリャオを水から引き上げると、その代償としてプンタレーナスが水没しなければならないのだとか。それが西暦2000年だという話である。
出っ張ったところを押さえつけると、他の場所が盛り上がってくるというコントがあるが、そのような感じだろうか。実際は、カリャオは水没したわけではないが、そう信じられていたのだろう。
雨季の寒々しい夜、漁師たちはそんな話をしていたとか。詳しいことは「コスタリカ伝説集」(国書刊行会)をご覧いただきたい。
ところで、筆者は1989年にはリマに在住しており、仕事でカリャオにもたびたび行っていた。税関から荷物を引き取る業務だが、税関は年中ストライキをやっていたような印象であった。
1980年頃、首都サンホセに住んでいた。コスタリカの学校は乾季になると休みになるので、筆者も勤務先の大学も休みになる。最近の日本の学校は学生・生徒が休みでも教員は学校に行かなければならないようだが、当時のコスタリカではそんなことはなかった。たぶん、今でも同様だろう。
そういうわけで、筆者がプンタレーナスに行くのは「夏」に決まっていた。それが、2017年には雨季(4月から11月。「冬」と呼ばれる)に行く機会があったのである。「冬」とはいえ、太陽の位置が高いので、やはり暑いだろうと思っていたのだが、予想は見事に裏切られた。寒くはないが、全然暑くなかったのである。気温は摂氏25度を下回っていたかもしれない。
さて、コスタリカ在住時には全然知らなかったのだが、このプンタレーナスにまつわる伝説があった。伝説によると、西暦2000年にプンタレーナスは消滅することになっていたのである。消滅といっても水没の意味のようだった。よくあるタイプの世紀末伝説の一つである。
どうして水没するかというと、ペルーの首都リマの外港カリャオ(Callao)に関係しているのである。
【Callao】
史実によると、1746年にカリャオは津波に襲われ、壊滅状態になったそうである。これがコスタリカにも伝わってきたのだが、伝説では、カリャオの町は腐敗しきっていたので、天使の軍団が滅ぼしたということになっているのである。腐敗したカリャオの町にも善良な一家がいて、彼らがプンタレーナスにやって来て、町を作ったという。
しかしながら、神様の気まぐれでカリャオを水から引き上げると、その代償としてプンタレーナスが水没しなければならないのだとか。それが西暦2000年だという話である。
出っ張ったところを押さえつけると、他の場所が盛り上がってくるというコントがあるが、そのような感じだろうか。実際は、カリャオは水没したわけではないが、そう信じられていたのだろう。
雨季の寒々しい夜、漁師たちはそんな話をしていたとか。詳しいことは「コスタリカ伝説集」(国書刊行会)をご覧いただきたい。
ところで、筆者は1989年にはリマに在住しており、仕事でカリャオにもたびたび行っていた。税関から荷物を引き取る業務だが、税関は年中ストライキをやっていたような印象であった。