スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

キリストってスペイン人? Sólo Cristo es español

2022-09-26 20:43:23 | スペイン語
 カルメン・リラの作品"Cuentos de Mi Tía Panchita”(パンチータ伯母さんのお話)を読んでいると、次のような一節に遭遇した。

sólo Cristo es español y Mariquita señora...

 文法的には何の問題もない、易しい文である。Mariquita と señora の間には動詞 es が省略されていると解釈される。 
 Mariquita は María の愛称で、手元の「西和中辞典」(小学館)にもちゃんと記載されている。
 mariquita と小文字で書くと、「テントウムシ、インコ、マリキータ(二人が組になって踊るクリオーリョの踊り)」という意味になる。当然、女性名詞だが、これが男性名詞になると、「ホモ、おかま」という意味にもなる(「西和中辞典」)。
  señora は「奥様」だが、Nuestra Señora (「私たちの女主人」の意)となると、「聖母マリア」の意味になる。

 さて、この文の全体の意味は文字どおりには「キリストだけがスペイン人で、マリア様が聖母である」ということだが、何のことか訳が分からない。
 この文の直前に書かれている文を見ないと何とも解釈できない。直前の文の大意は次のとおり。

 玉座に座っている者の方が粗末なベンチに座っている者より偉いと、みんな思っているようだ。

 そうすると、sólo Cristo es español y Mariquita señora の意味は「みんなより偉いのはキリストとマリア様だけ(神の前では王も乞食も同じ)」ということになりそうである。女房殿に聞いてみると、その解釈でいいようであった。

 ただ、「キリストだけがスペイン人」というのがまだ疑問として残る。スペインはカトリックの代表国といってもいいので、このような表現が生まれたのだろうか。
 それにしても、「キリストだけがスペイン人」を逆に言うと、「キリストにあらざれば、スペイン人にあらず」ということになる。そうすると、スペイン人はだれもいなくなってしまうのだが。「キリスト教徒にあらざれば、スペイン人にあらず」なら、まだわかるけれども。

 気を取り直して、スペイン語版の yahoo で検索してみることにした。
 Cristo es español ではヒットしなかったが、Dios es español とやってみたら、ヒットしたのである。
 ABC España というサイトである。
 記事のタイトルは«Dios es español», la frase que retrató la hegemonía militar del Imperio español。
 フランドル戦争におけるスペイン帝国軍の強さを表したフレーズである。
 この記事の中に以下のような記述がある。
  «Tal parece que Dios es español al obrar, para mí, tan grande milagro».
 «Dios es español y está de parte de la nación estos días».
 大意は「神はスペインの側についていた」ということである。

 Cristo es español は Dios es español のもじりのようであるが、意味の上では全く関係がなさそうであった。ただ、「パンチータ伯母さんのお話 」の中の当該のお話の舞台は明言されていないが、スペインを連想させる。そうすると、Cristo es español は「キリストは我々スペイン人とともにある」と解釈できるのではないだろうか。



 
 


 
  
 
 

アヴェ・マリア

2022-09-19 10:08:16 | スペイン語
 キリスト教徒でなくても「アヴェ・マリア」(スペイン語では Ave María)の語句を知らない日本人はいないだろう。しかしながら、「アヴェ」(Ave)の意味を知っている人はそう多くはあるまい。スペイン語には ave という普通名詞がある。意味は「鳥」だが、「アヴェ・マリア」が「マリア鳥」では訳が分からない。
 「アヴェ・マリア」とはラテン語で直訳すると「こんにちは、マリア」または「おめでとう、マリア」を意味する言葉だそうである(ウィキペディア「アヴェ・マリア」)。 
 Ave には「こんにちは」、「おめでとう」等の意味がある言葉ということだが、ハワイ語では Aloha に相当するだろうか。まさか、ハワイ語で「アヴェ・マリア」の祈りが「アロハ・マリア」になっているわけではないだろうが。
 
 さて、スペイン語では Ave María は間投詞としても使われる。驚き、おびえ、不快の念を表し、「おやおや、まあ、おお怖い、嫌だな」という訳語が充てられる。Ave を小文字にして ave María とも綴られる。avemaría と一語になると、「アベマリアの祈り、天使祝詞:キリスト受胎の秘儀に対するラテン文の感謝の祈りの最初の言葉」、「ロザリオの小玉」、「アンジェラス、お告げの祈り」という意味の普通名詞になる。
 
 さらに、Ave María は「ごめんください」という意味でも使われていた。さすがに現在ではこの意味では使われていないようだが。Ave María だけではちょっと寂しいので、「純粋無垢の」の意味の purísima という語を付け加えて、Ave María Purísima とも言っていた。
 
 ところで、マリア様はいろいろな所に現れたようで、ラテン・アメリカではメキシコの Guadalupe に現れたマリア様が有名である。カトリック教会公認で、Virgen de Guadalupe(グアダルーペの聖母)という名前で親しまれている(ウィキペディア「グアダルーペの聖母(メキシコ)」参照)。
 
 絵を見てもわかるように、グアダルーペの聖母は「褐色の肌の聖母」として親しまれている。
 Guadalupe という名前は女子名としてよく使われるが、男子名としても使われることがある。やや長いので、愛称として Lupe という形になり、これに縮小辞がついて Lupita (女子名)や Lupillo (男子名)になったりする。
 筆者は Lupe という形は高校2年生のとき、ライチャス・ブラザーズ(Righteous Brothers)の「リトル・ラテン・ルーペ・ルー(Little Latin Lupe Lu)」という曲の中で Lupe という語を知った。歌詞の内容からすると、女子名だろうとアタリをつけていたが、後日、正解だったことを知る。
 それはともかく、コスタリカで「ごめんください」の意味で使われる”Upe”ということばは、このグアダルーペのマリアに由来するそうである(「コスタリカ再訪(194)Upe」参照)

 さて、1920年刊行のカルメン・リラ著“Cuentos de Mi Tía Panchita”(パンチータ伯母さんのお話)の中の一話に、ある男が地獄に行って悪魔どもを訪問する話がある。そこで"Ave María Purísima"と声をかけるわけだが、この挨拶は悪魔どもには「この野郎」とでも言われているように感じられたという一節があった。同じ男が天国に行って、ある場所で"Ave María Purísima"と言ったら、たまたまそのあたりにマリア様ご本人がいて、自分のことを呼ばれたものと思い、出てきたという一節もあった。

スレイマン1世

2022-09-08 12:49:18 | スペイン語

 このお方、カルメン・リラの作品 “Los Cuentos de Mi Tía Panchita”(パンチータ伯母さんのお話)に収録されているお話にも登場する。
 日本語名は「スレイマン1世」。オスマン帝国の第10代皇帝(在位:1520年 - 1566年)である。トルコ語表記では Süleiman で、英語表記では Suleiman である。
 ウィキペディア「スレイマン1世」によると、「46年の長期にわたる在位の中で13回もの対外遠征を行い、数多くの軍事的成功を収めてオスマン帝国を最盛期に導いた」とのことである。
 「1521年からは外征に乗り出し、ハンガリー王国からベオグラードを奪い取り、翌1522年のロドス包囲戦で聖ヨハネ騎士団からロドス島を奪うなど活発な外征を行った」、また、「ウィーン攻略には失敗するもののヨーロッパの奥深くにまで侵攻して西欧の人々に強い衝撃を与えた」との記述もある。ヨーロッパ人(キリスト教徒)にとっては恐るべき敵として認識されていたであろう。
 『パンチータ伯母さんのお話』には悪魔のように恐ろしい人物の譬えとして登場するのである。

 「スレイマン」の英語形は Suleiman だが、筆者はこの語から slay (殺戮する)という語を連想する。slay する人が slayman になってもよさそうなものである(実際には slayer であるが)。
 さて、このお方の名前のスペイン語形は Solimán である。筆者の手元の『西和中辞典』(小学館)には掲載されていない。ただし、solimán という普通名詞は掲載されている。「塩化第二水銀」が原義だが、そこから転じて、比喩的に「毒、毒物」という意味にもなっている。
 「スレイマン1世」はヨーロッパ人には「毒物」と言ってもよさそうな人物であるから、スペイン語圏の人間は Solimán という固有名詞を聞くと、普通名詞 solimán を連想するのだろうか。
 
 「スレイマン」の名前については、ウィキペディア「スレイマン1世」にさらに次のような記述がある。

名前のスレイマン(Süleyman)とは、ユダヤ教やキリスト教と共にイスラム教でも聖典とされる旧約聖書に記録された古代イスラエルの王、「ソロモン王」(英 Solomon)のアラビア語形である「スライマーン」(アラビア語: سليمان‎, Sulaymān)のトルコ語発音である。

 ちなみに、スペイン語形は Salomón であるが、この名前を持つ人物は筆者の知り合いの中にはいない。



 

コスタリカのこぶとり爺さん

2022-05-17 16:39:17 | スペイン語
 "Salir con un domingo siete”は日本昔話の「こぶとり爺さん」とそっくりだったが、日本の爺さんのこぶはほっぺたにある。

 ところが、コスタリカの昔話"Salir con un domingo siete”に登場する男(「年寄り」とは書かれていない)のこぶはほっぺたではなく、喉にあるのである。
 この話の中で「こぶ」を表すスペイン語は‟güecho”(グエチョ)であるが、この語は小学館「西和中辞典」には掲載されていない。‟güegüecho”ならある。意味は「甲状腺腫を患っている」の他に「愚かな」という意味もあった。「こぶ」とは書かれていないが、調べてみると、甲状腺腫を患うと喉にコブができるようで、昔は喉に大きなコブを持つ人がかなりいたようである。


 ところで、岩波文庫の「ラテンアメリカ民話集」(三原幸久編訳)には、コスタリカの民話が3編取り上げられているが、いずれも‟Los Cuentos de mi Tía Panchita”に収録されているものである。この話もその中の一つである。参照してみたら、「コブ」と訳されていた。
 ちなみに、タイトルの "Salir con un domingo siete”は「あらずもがなのことば」と訳されていたが、「余計なことをするな」とか「要らんことをすな!」の方がインパクトがあるかと思う。
 それはともかく、解説も丁寧に書かれているので、一読をお勧めする。

 
 前回、 "Salir con un domingo siete”には「思いがけず妊娠する」という意味もあると書いたが、「コブ」がお腹にできたという解釈なのだろうか。

 【お知らせ】
 2022年5月25日に国書刊行会より拙訳本「コスタリカ伝説集」‟Leyendas Costarricenses”が刊行されます。ちょっと値は張りますが、よろしくお願いします。


      

Salir con un domingo siete

2022-05-16 18:18:36 | スペイン語
 1920年に出版された “Los Cuentos de mi tía Panchita” (パンチータ伯母さんのお話)を読んでいる。著者は Carmen Lyra(本名 María Isabel Carvajal Quesada)。詳細についてはウィキペディア‟Carmen Lyra”を参照されたい。スペイン語だが、機械翻訳をかければ大意はつかめるだろう。
 この書籍の中の一つに“Salir con un domingo siete”という話がある。
 タイトルを英語に逐語訳すれば、“Go out with a Sunday seven”になる。「7日の日曜日に出かける」のかと思うが、そうではない。「7日の日曜日」ならスペイン語では“el domingo siete”で、定冠詞を使わなければならない。本文を読むと、“un domingo siete”は「日曜日で7つ」という意味だということがわかる。 話の一部を紹介する。

 魔女たちがパーティーをやっていて、その中で単調な歌を歌っていた。
“Lunes y martes y miércoles tres"(月曜日と火曜日と水曜日で3つ)というフレーズを繰り返すだけで、それが延々と続いていた。
 そこへ、道に迷ったコブ男が迷い込み、盗み聞きをしていたが、退屈のあまり、‟Jueves y viernes y sábado seis”(木曜日と金曜日と土曜日で6つ)という歌詞を付け加えた。魔女たちはそれを聞いて、大いに喜び、男の喉からコブを取り、さらに褒美として金貨を数えきれないぐらい取らせて、家に返してやった。 
 家に帰ると、強欲な隣人(こちらにも喉にコブがある)も金貨が欲しくなり、魔女たちの家に出かけていく。魔女たちはパーティーをやっていた。歌は例の歌で、‟Lunes y martes y miércoles tres. Jueves y viernes y sábado seis”という歌詞をひたすら繰り返すだけだった。そこで、この男は‟Domingo siete”(日曜日で7つ)という歌詞を付け加えたのだが、魔女たちは喜ぶどころか、怒り狂って、この男を踏んだり蹴ったりして、さらに、先に切り取ったコブをこの男の喉にくっつけて、追い払った。

 全く、コブ取り爺さんそのもののお話である。
 さて、何で魔女たちが‟Domingo siete”(日曜日で7つ)に怒り狂ったのだろうか。「月、火、水、木、…」とくると、「日曜日で7つ」とくっつけるのは当たり前ではなかろうか。意味の上では確かにそうなのだが、韻の点から考えると、これではぶち壊しなのである。
 ‟Lunes y martes y miércoles tres” で、音節数は10。[es]音で韻を踏んでいる。“Jueves y viernes y sábado seis”で、音節数は10。韻は完全ではないものの、sábado 以外は[s]音で韻が踏まれている。
 これに対して、強欲男が追加した‟Domingo siete”は音節数が5。さらに韻が全く合わない。それで魔女たちが怒ったのである。
 ここから、‟salir por un domingo siete”は「余計なこと、頓珍漢なことをする(言う)」等の意味の成句になった。さらに「思いがけず妊娠する」という意味も持つようになった。ただし、この成句はラテンアメリカでしか通用しないそうだ。
 You Tube にアニメがアップされている(ただし、スペイン語)。

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映画『誰が為に鐘は鳴る』

2021-12-03 17:26:38 | スペイン語
  昨日、テレビで『誰が為に鐘は鳴る』を見た。以前見たような気がしていたが、実は初めてだった。
 原題“For whom the bell tolls”は16~17世紀のイギリスの詩人ジョン・ダン(John Donne)の詩からとられていることはあまりにも有名だが、 ここでは触れない。
 『誰が為に鐘は鳴る』の舞台はスペインなので、当然スペイン語についてのトリビアについて述べる。
 主人公ロバート・ジョーダンの個人名のロバート(Robert)のスペイン語形がロベルト(Roberto)なので、映画でもそう呼ばれていた。この程度のことでわざわざ記事を書くには及ばない。
 山賊パブロ(Pablo、英語形は Paul)の女房のピラー(Pilar、スペイン語読みはピラール)がロベルトに呼びかけるときの言葉について述べる。その前にピラール(Pilar)について一言しておく。ウィキペディア「ピラール」には次のように記述されている。

 ピラールはスペイン語圏、ポルトガル語の女性名、また姓。原義は「柱」で、ピラールの聖母にちなんで人名に用いられるようになった。

 ピラールの愛称は Pily という形が一般的なようである。
 
 さて、映画の中でピラーがロベルトとの会話の最後に「イングレス」と言っていた。エディ-・マーフィーが「~、man」というようなものである。日本語字幕では“man”は訳されないが、「イングレス」も日本語字幕には訳語は現れなかった。
 「イングレス」というのは「イギリス人、英語」という意味のことば “inglés" である。ロベルトはイギリス人ではなく、アメリカ人なのだから “inglés" ではなく、“americano” でなくてはならない。しかし、イギリス人にしろ、アメリカ人にしろ、英語 “inglés" を話すのだから、細かいことは気にしなかったのだろう。

 次に「エルソルド」または「ソルド」という登場人物について述べる。これは本名ではない。スペイン語表記すると、“El Sordo”、“Sordo” で、英語にすると “(The) deaf” で、「聴覚障碍者」という意味である。当然映画の中でも耳が遠い人物として描かれている。
 で、日本語字幕はどうなっているかというと、翻訳しないで、カタカナで「エルソルド」、「ソルド」となっていた。映画の本筋とはあまり関係がないので、それでもかまわないのだが、日本での公開当時(1952年)は今では差別用語とされている「つ〇ぼ」と訳されていたのではないかと推測する。字幕としては「聴覚障碍者」よりは「エルソルド」の方がましであろう。
 
 原作者のヘミングウェイはキューバともゆかりが深いので、ヘミングウェイ研究者にとってはスペイン語学習は必須であろう。『誰が為に鐘は鳴る』に限らず、西部劇でもアメリカ先住民(昔は「インディアン」と言っていたものだが)がスペイン語を話す場面がある。英語学習も大事だが、ある程度英語を習得したら、是非簡単なスペイン語でいいから、学習してほしいものである。   



ドン・ガバチョ(Don Gabacho)

2021-02-03 14:38:52 | スペイン語
 メキシコ時代の友人が書いた作品をご紹介します。さまざまな資料を基に再構築した武蔵です。是非ご一読ください。『巌流島の決闘』はあっと驚く結末です。
   
 コスタリカの昔話にはわけのわからない単語がたくさん出てくる。辞書なしにはとても読めない。辞書があっても、掲載されていない言葉もあので、ネットで調べたり、女房に聞いたりしないと、読み進めない。そんなわけで辞書は手放せない。
 で、ふと gabacho という単語が目に入った。発音は「ガバチョ」だが、1960年代半ばのテレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』の大統領の名前が「ドン・ガバチョ」だった。声はインチキ外国語を操る怪優「藤村有弘」。日活アクション映画では中国人(?)の悪役が印象に残っている。
 
 「ドン・ガバチョ」という名前だが、「ドン」はスペイン語では個人名の前につける敬称 don で日本でもお馴染みである。「ガバチョ」は放映当時は「ガバガバ儲かる」のように使われていた「ガバガバ」をスペイン語風に「ガバチョ」にしたものだろうとしか思っていなかった。
 それが、スペイン語にも gabacho という語があるのである(ただし、アクセントは ba にある)。ウィキペディア「ドン・ガバチョ」にもスペイン語 gabacho について次のような記述がある。

  スペイン語でドンは男性に対する尊称であり、en:Gabacho(ガバチョ、バにアクセント)はフランス人に対する蔑称である。

 ただし、小学館『西和中辞典』には次のように書かれている。
 
 形容詞 1 ピレネー山脈に住む、ピレネー山脈の
     2 (口語)《軽蔑》フランス人の、フランス語の
     3 (ハトが)大形で足に羽毛の生えた
     4 (コロンビア)うまくいかない、逆効果の
 名詞  1 ピレネー山脈に住む人
     2 (口語)《軽蔑》フランス人、フランス野郎、フランスかぶれのスペイン人
     3(北米)《軽蔑》アングロサクソン系白人
 男性名詞 1(口語)フランス訛りのスペイン語
      2(メキシコ)外国人、よそ者

 こうしてみると、gabacho はもともとは「ピレネー山脈に住む(人)」の意味だったようだ。さらに、スペインから見れば、ピレネー山脈の向こうはフランスだから、「フランス人」の意も生じたのだろう。さらにアメリカにわたると、「アングロサクソン系白人」の意味になるのが興味深い。hispanic に対する語として、gabacho が使われるようになったのだろうか。
 「フランスかぶれ」の意味になるのはスペイン人に限られるようで、フランスで活躍したピカソなどが Don Gabacho の名にふさわしい。日本人のフランスかぶれは残念ながら、 Don Gabacho とは呼んでもらえないのである。       

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[d] 音の脱落

2020-09-13 12:00:00 | スペイン語
 Leyendas Costarricenses(コスタリカの伝説)全267ページのうち、145ページまで読んだ。
  【挿絵から】
 今回のお話は幽霊話だが、昔の教養のない人のことばが出てくるので読みにくい。コスタリカ特有の語彙や表現もあるが、そちらは女房殿の助けが要る。助けがなくても想像がつくのは [d] 音の脱落である。わかりやすい例としては、過去分詞形 -ido, -ado の d が落ちている形である。
 例えば、perdonado(perdonar、許す)⇒ perdonao がある。ほかにもいくつかこのような例がある。
 次は onde という語である。文脈から、これは donde(英 where)だということは想像できる。この onde という語は立派なポルトガル語である。実は、この語は40年以上前から知っている。ボサノバの歌詞によく出てくるので、覚えてしまったのである。
 [d] 音の脱落といえば、スペイン語の動詞 oír(聞く)もそうなのである。この語源となるラテン語は audire(イタリア語と全く同じ)で、audire → auire → oir または audire → odire → oir と変化したのだろう。詳しくはスペイン語学者にお任せする。
 ver(見る)も同様の変化をしたはずである。語源となるラテン語は videre (イタリア語形は vedere)である。関連語の video は [d] 音の脱落はない。 
 creer(考える、思う)もやはり [d] 音の脱落がある。ラテン語形は credere(イタリア語形も同じ)である。スペイン語を習い始めたころ、英語 incredible(信じられない)をそのままスペイン語読みして、間違いを正されたことがある。スペイン語形は d が脱落して、increíble となる。
 元サッカー選手の中田英寿がイタリア語での会見で、“Credo che~”(クレド・ケ、I think)と言っていたのをよく覚えている。スペイン語では “Creo que”(クレオ・ケ)である。
 今度は逆に不要な [d] 音が入る例を紹介する。
 vido という語だが、こんな言葉は小学館『西和中辞典』にはもちろん掲載されていない。動詞の活用形だから、ないのは当然だが、文脈から判断して、vido は3人称単数直説法点過去の活用形のようである。そうすると、原形は規則動詞なら、vidar ということになるが、やはり見当たらない。
 どうもこれは、文脈から判断して ver(見る)の3人称単数直説法点過去形 vio に余分な [d] 音が入ったもののようである。今でこそ余分な [d] 音だが、[d] 音が脱落する前の古い形だったのかもしれない(詳細はやはりスペイン語学者のお任せする)。
 幽霊話の中に出てくる [d] 音の脱落に気を取られて、つい怖さを忘れてしまった。   

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悪魔(diablo)の別名(1)

2020-08-18 09:39:38 | スペイン語
 コスタリカの伝説集を読んでいる。
 先住民の話が多かったが、今回は時代的にも新しく、キリスト教の悪魔が登場する。
 悪魔と一口にいっても、いろいろな悪魔がいるようである。キリスト教以外にも悪魔がいるが、この項ではキリスト教の悪魔に話を限る。
 
 それでもいろいろな悪魔がいるようだが、悪魔のボスは「サタン」(Satán)である。もともとは光の天使「ルシファー」(Lucifer、英西同形)だったが、地獄に落ちて改名したとのこと。
 さて、スペイン語で「悪魔」というと、diablo が一般的だが、El Diablo(英語に直訳すると The Devil)とやると「魔王、サタン」を表わす。
 小学館『西和中辞典』の diablo の項に詳しい説明があるので、引用する。

 diablo は、元来は神に背いたために地獄におとされた天使で、Lucifer 「堕天使」はその頭領。demonio は、ギリシア語の「(守護)霊」に由来し「善神」「悪神」双方を指したが、やがて総称として「悪魔」を指すようになった。ヘブライ語源の Satán, Satanás は、「敵対する者」の意味で、キリスト教に入ってから「悪魔」を指すようになった。demontre, diantre, patas, pateta などは「悪魔」という言葉を避けた言い方で、間投詞または成句の一部として用いられている。なお、「悪魔」を指す図形は逆三角形か逆五角形である。

 婉曲な言い方の demontre は demonio(英 demon)に由来し、diantre は diablo に由来するのだろう。patas は『西和中辞典』には Patas と大文字で項目が立てられているが、普通名詞 pata の複数形でもある。一般的には「(動物の)足」の意味で用いられるが、「(人間の)足」の意味でも使われる。悪魔の足にはかかとがない(ウィキペディア「悪魔」より)ようなので、それで「動物の足」の patas が悪魔の意味で用いられるようになったのだろうか。pateta も大文字の Pateta で項目が立てられている。これも pata の関連語 patear「蹴りつける」と関係がありそうである。
 
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おばさん殺し

2020-07-24 20:37:34 | スペイン語
 今回はおばさんたちに死んでいただく。「おばさん」というと、年配の女性の意味にもなるので、「おば」といったほうが正確である。「おば」はスペイン語では tía という。ちなみに「おじ」は tío だが、殺されるのは「おば」だけである。matatías という恐ろし気な言葉で、単複同形の男性名詞である。意味は「金貸し、高利貸し」であるが、「おば殺し」との関連が全然わからない。おばたちが悪徳高利貸しの餌食になって、自殺でもしたのだろうか。小学館『西和中辞典』には何の説明もない。
 そうすると、頼りになるのはネットである。matatías と入力したが、ヒットしたのは大文字で始まる Matatías である(スペイン語版ウィキペディア “Matatías”)。念のためにカタカナで「マタティアス」とやったら、日本語版「マタティア」が出てきた。スペイン語版ほど詳しくはないが、読みやすい。
 
 それによると、紀元前2世紀に「マカバイ戦争においてユダヤ人を指導した祭司。マタティアとその息子たちはセレウコス朝からの独立戦争を戦い、ハスモン朝の基礎を築いた」とのこと。
 偉人のようだが、金貸しではなさそうである。
 調べを続けていくうちに、“Enciclopedia Católica”(スペイン語) というサイト行き当たった。これによると、聖書には Matatías という名の人物が10人登場する。前述の「マタティア」もその一人だが、金貸しの Matatías は見当たらない。陰でこっそり金貸しをしていた Matatías もいたのだろうか。 
 結局、力及ばず。おばさん殺しは迷宮入りである。

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ガリシア人殺し

2020-07-19 15:51:04 | スペイン語
 今回の殺しは「ガリシア人」である。

「ガリシア」(Galicia)とはスペイン北西部の地方で、南に下りるとポルトガルになる(ガリシアについてはウィキペディア「ガリシア州」を参照されたい)。ガリシアにはガリシア語(gallego「ガジェゴ」、「ガリシア人」の意にもなる)があるが、スペインの標準語であるカスティーリャ語(castellano)よりもポルトガル語に近い。
 スペイン語の定冠詞は el (男性単数)、los (男性複数)、la(女性単数)、las(女性複数)なのに対して、ガリシア語ではそれぞれ o, os, a, as となり、ポルトガル語と完全に一致している。  
 さて、ガリシア人を殺すことになるわけだが、ウィキペディア「ガリシア州」にはスペイン人がガリシア人を殺しまくったというような記述は見つからない。
 「ガリシア人殺し」はスペイン語でいうと、“matagallegos” で、小学館『西和中辞典』には男性名詞で単・複同形『植』「ヤグルマギク属の一種」と記載されている。
 
 【ヤグルマギク:ウィキペディア『ヤグルマギク』より】」
 青くてきれいな花だが、ウィキペディア「ヤグルマギク」には次のような記述がある。

 ノヴァーリスの小説『青い花』(邦題;原題は「ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン」)に登場する青い花(ロマン主義の象徴ともされる)はヤグルマギクといわれる〔要出典〕。

 こんな可憐な花がどうして、物騒な名前になったのか、筆者ならずとも気になる。Alfred López という人が記事を書いている。一部、抜粋する。

 Pero ¿de dónde surge dicho término? Pues tal y como el usuario de twitter @Xayme indica, acertadamente, dicho vocablo surgió como alusión a un hierba puntiaguda que crecía entre los cereales la cual provocaba heridas en los brazos y codos de los segadores que solían ser de origen gallego (famosas fueron las cuadrillas de segadores gallegos que acudían a trabajar los campos de Castilla).

 要約は次のとおり。
 ガリシアからの出稼ぎ(gallegos)がカスティーリャにやってきて、畑仕事をする。畑には穀物の他にヤグルマギクが茂っている。ヤグルマギクにはとげがあって、ガリシア人たちは腕やひじを刺されて、難渋する。

 ということから、matagallegos という語ができたらしい。何にしても、ガリシア人が本当に殺されるわけではなかったので、めでたい限りである。

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「チョコレートと蝉」を飲む?

2020-07-18 20:01:53 | スペイン語
 コスタリカの昔話集 “Leyandas costarricenses” を読んでいる。言葉が難しいので、子供の読み聞かせには向かない。
  
 さて、「湿地の丘の伝説」(Leyendas del Cerro del Tremedal)の中に次のような記述があった。

 chocolate y chicharra, que bebían nobles y plebeyos en abundancia

「チョコレートと蝉、貴賤を問わずよく飲まれていた」という意味だが、チョコレートはホット・チョコレート、つまりココアのことで飲み物である。ただし、先住民が飲んでいたチョコレートには砂糖もクリームも入っていない。chocolate(スペイン語読みでは「チョコラテ」)という語はナワトル語の “xocoatl”「ココア」(「苦い飲み物」が原義)に由来するとの記述がある(小学館『西和中辞典』chocolate の項)ように本来は苦いものなのである。
 この苦いココアに蝉を混ぜたものと推測されるが、蝉をそのまま飲み込むのはサイズにもよるだろうが、ちょっとつらい。細かく刻んだものか、炒ったり揚げたりして粉末にしたものを混ぜたものと思われる。これなら飲み物といえる。
 そうすると、“chocolate y chicharra” は「チョコレートと蝉」と訳すべきではない。英語の “bread and butter” が「パンとバター」ではなく「バター付きパン」と訳されるように、「蝉入り(の苦い)ココア」と訳すべきであろう。
 蝉は沖縄でも食用にされているらしいが、アメリカ大陸でも同様であった。筆者はコスタリカでは蝉を食べたことはないし、蝉を食べる人も知らない。
 ネットで “chocolate y chicharra” を検索してみると、何とペルーのネット新聞、“andina” に記事が掲載されていた。
 “Cacaoteros innovan con chocolate con suri y chicharra para combatir la anemia” というタイトルで、「カカオ業者が suri と蝉入りのチョコレートを開発。貧血に効く。」といった意味である。
 suri という語は筆者のスペイン語辞典には掲載されていないが、どうやらペルーの昆虫の一種のようである。女房殿が調べたら、suri gusano とあったから、昆虫の幼虫らしい。バターの味がするのだとか。
 
 筆者には貧血の気はないが、女房殿にはいささかその気があるので、薦めてみるか。

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matajudío

2020-07-13 18:18:35 | スペイン語
 Matamoros は「ムーア人殺し」という意味だが、Matajudíos(マタフディーオス)は「ユダヤ人殺し」という意味である。実際、こういう名前の村があることは以前に紹介した。「Matajudíos(ユダヤ人殺し)という地名」を参照されたい。Matajudios という姓もある。“Forebears”によると、コロンビアに88人いるだけである。 アクセント記号のついた Matajudíos はヒットしなかったが。
  Matajudíos の村は2014年に Mota de Judíos (「ユダヤ人の丘」の意)という名前に変更されている。詳細は英語版ウィキペディア“Castrillo Mota de Judíos”に詳しい。
  【改名前】
 【改名後】
 ここまでは、以前の話題の蒸し返しだが、小学館『西和中辞典』には matajudío という語が掲載されているのである。魚の「鯔(ボラ)」という意味の普通名詞である。さらに、検索サイトに matajudío と入力してみると、別名が mújol(ムホル)ということもわかった。ウィキペディア「ボラ」によると、学名は Mugil cephalus というそうなので、mújol のほうが由緒正しいスペイン語のようである。しかし、どうしてボラが「ユダヤ人殺し」を意味する matajudío になったのかは、まったくわからない。
 
 【ボラ】
 ボラは旧 Matajudíos 村(現 Mota de Judíos 村)の特産品かと思ってみたが、この村は海から約100キロ内陸に入った丘陵地帯にあるので、この線はなさそうである。
 ユダヤ教徒はウロコのない魚は食べてはいけないというタブーがあるが、ボラにはウロコがあったはずである。たまたまボラを食べたユダヤ人が急死したような事件でもあったのだろうか。
 謎は深まるばかりで、夜も寝られそうにない。

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matamoros

2020-07-12 19:31:25 | スペイン語
 前回、matasano という木について述べた。
 mata(殺す)+ sano(健康な)の合成語だが、辞書を見ると、ほかにも“ mata+~”という語がたくさん見つかった。
 筆者にお馴染みなのは matamoscas (matar + moscas「ハエ」)で、「ハエたたき」という意味である。2018年にコスタリカに行ったとき、グアピレス(Guápiles)にある女房殿の実家の近所にある mini super で買ったが、プラスチック製ですぐダメになったことを思い出す。
 固有名詞では Matamoros も有名である。スペインをイスラム教徒であるモーロ人(ムーア人、moros)から救った Santiago Matamoros が有名で、このブログでもすでに扱っている(“Santiago Matamoros”、「島原の乱と聖ヤコブ」参照)ので、そちらをご覧いただきたい。

【http://52.183.37.55/artworks/7825】
 Matamoros はあまりにも有名なので、辞書を引くこともなかったのだが、今回 matasano の語を調べたついでに、「mata+~」の語を調べているうちに、matamoros という普通名詞があることもわかった。辞書(小学館『西和中辞典』)には「形容詞:空威張り屋の、虚勢を張る、名詞:空威張り屋」とあるだけで、Santiago Matamoros との関連は全然書かれていない。中辞典なので、紙面に制約があるのだろうか。Matamoros という大文字の見出しもない。 
 とにかく、Santiago Matamoros はウルトラマン並みに強かったのであろう。虎の威を借りる狐ぐらいの意味で matamoros という普通名詞ができあがったのであろう。

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Matasano

2020-07-11 18:02:07 | スペイン語
 “Leyendas Costarricenses" (レジェンダス・コスタリセンセス、「コスタリカの昔話」)という本を読んでいる。Elías Zeledón(エリーアス・セレドン、1953-2014)という人による編纂(compilación)である。
 この中に “el árbol matasano”という言葉が出てきた。 árbol は「木」なので、何かの木ではあるのだが、何の木かよくわからない。
 辞書(小学館『西和中辞典』)を調べてみた。matasanos という見出しはあるが、matasano はない。
 matasanos は単複同形で「やぶ医者、へぼ医者」という意味の俗語である。これは「 matar(殺す)+ sano(健康な)」が語源だろうということは容易に推測できる。
 そうすると、“árbol matasano”は有毒の実がなる木かとも思う。辞書を見てもしようがないので、ネットで調べてみた。
 学名は “Casimiroa edulis”というそうで、俗に “ zapote blanco”(サポテ・ブランコ、「白いサポテ」)というらしい。この別名が matasano とのこと。スペイン語版ウィキペディア “Casimiroa edulis”によると、やはり毒があるようである。猛毒ではないようだが、toxicidad (毒性)についての記述がある。
 
【http://luirig.altervista.org/pics/index5.php?recn=35481&page=1】

【https://www.youtube.com/watch?v=Ci6Mt3Rb8eY】
  blanco ではない普通の zapote はコスタリカでもおなじみで、食用になる。大文字で Zapote とやると、地名(サンホセ市の郊外)にもなる。闘牛場(牛から逃げ回るだけで、殺さない)があった(今でもあると思うが)。見た目は似ているが、zapote と zapote blanco は全然別物である。毒があるので、matasano といったほうが親切であろう。
 

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