スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

部分冠詞

2014-07-31 09:53:56 | トリビア
  パンについて述べているうちに、ふとフランス語の「部分冠詞」というものを思い出した。筆者はスペイン語の学習の前に、大学の第二外国語でフランス語を取っていたのである。
 フランス語の学習で引っかかるのは、筆者にとっては、70以上の数の数え方と部分冠詞である。
 70は“sixty-ten”で、80は“four-twenties”、99は“four-twenties nineteen”のような言い方で、初めは覚えるのが大変だった。いったん覚えてしまうと、何の抵抗もないらしいが。
 部分冠詞というのもわけがわからなかった。
「パンを食べる」というのを“manger du pain”という。“manger”は「食べる」、“pain”は「パン」である。英語なら“eat bread”でいいし、スペイン語でも“comer pan”でいい。このフランス語をそのまま英語に移しかえると、“eat of the bread”となり、スペイン語では“comer del pan”となる。
 フランス語の“du”はスペイン語では“del(de + el )”に相当する。“de”は前置詞で、英語の“of”に相当する。“el” は男性単数の定冠詞である。この“du”が部分冠詞(女性形なら“de la”となる)というものだが、初めて部分冠詞なるものに遭遇したときは、「前置詞と定冠詞が一緒になったものが何で冠詞なんだ!また、パン1個(日本の袋入りの菓子パンのようなものを念頭に置いている)食べるのに何で、部分しか食べないと言えるのだ!」と憤っていた。
 あるイタリア語のテキストには「“a part of”の“a part”が省略されたようなものだと考えてください」と書いてあった。まあ、分かったような気もするが、やはり釈然としない。
 消化不良の状態が続いたが、消化不良が解消した次第は、次回に。


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パンと会社

2014-07-30 07:51:28 | トリビア
  中学の英語の授業で習うことだが、「パン」“bread”は数えられない名詞になっている。これが不思議だった。日本ではパンは1つ、2つと数えられるではないか。日本のパンは小さくて、一つずつ袋詰めされているから、数えられるのが当然である。英米ではパンを数えるのに“a loaf of bread”などという。菓子パンのようなパンは別の数え方があるのだろうが。
 スペイン語でもパンは数えられない名詞である。これはイタリア語やフランス語でも同様である。
 何で、欧米ではパンは数えられない名詞なのか。米が数えられない名詞というのはまだわかる。米を食べる時、スズメならともかく、1粒、2粒と数えて食べる人はいないだろう。長年疑問に思っていたのだが、昔ながらのパンを見てやっとわかった。長さが1メートルもあり、中身がぎっしり詰まった重いパンを1人で丸ごと1つ食べるのは無理である。パンは一部分を切ったり、ちぎったりして食べるものなのであった。
 ここから、「パン(pan)とともに(con)」つまり「パンを一緒に食べる」という意味の“compañía”(英語では“company”)という語ができた。日本でいえば、同じ釜の飯を食う「仲間」(スペイン語では“compañero”)である。そこから、「同僚」という意味にもなり、発展して「会社」という意味にもなったのである。
 ところで、パンは焼きあがった状態では、しっかりした固体であるが、焼きあがる前の生地は、粘土のように、どうとでも形が変えられる変幻自在の状態である。固体とはいっても、水のような液体に近いといえるだろう。水が数えられない名詞なので、パンもそれに準じて数えられない名詞と考えられたのかもしれない。
それにしても、液体と固体の境目はどの辺にあるのだろうか。


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メキシコの大手製パン業者の工場

2014-07-29 06:59:56 | トリビア
    メキシコ滞在中は、勤務先の日本メキシコ学院より社会科の授業の一環として、パン工場の見学に同行する機会を得た。メキシコで一番大きな製パン業者の工場である。広い敷地に大きな工場が建っている。コスタリカの義父のパン屋と違い、すべて機械化している。これはこれで、立派な社会科の授業ではあるが、パン作りの苦労はなかなか分かるまい。
 お土産にパンとビニール製のパン屋の帽子をいただいた。かなり儲かっているようだが、名前はビンボー(Bimbo)である。社名の由来は「小鹿のバンビ(Bambi)とビンゴ(bingo)を組み合わせたものだ」と、社員が説明してくれた。ネットで検索すると、“Bimbo”のマスコット・キャラクターが見られる。

 そういえば、昔、ビンボー・ダナオというフィリピン人歌手がいた。また、英語では“bimbo”は「美人だが、おつむが弱い女」の意味もあるとか。マリリン・モンローを連想させるが、実はIQは高かったらしい。
 日本語が少しわかるメキシコ人はよく“Yo bimbo”(わたし、ビンボー)と言っていたものだ。
    ビンボーパン 売って会社は 大儲け(?)

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コスタリカの田舎のパン屋(2)

2014-07-28 07:09:46 | トリビア
  日本の市販のパンは大体、ふわふわしている。押せばかなり圧縮できる。これは脂肪分が多いせいだ。一方、コスタリカの義父(今は息子の一人が継いでいる)のパン屋で作られるパンは、日本のパンと比べると硬いが、それは中身が詰まっているからだ。硬くて噛めないという意味ではない。
 甘いパンもあるし、甘くないのもある。日本の食パンのようなパンは作っていないし、フランスパンのようなものも作っていない。ジャムパンやクリームパン、あんパンのような詰め物があるパンも作っていない。この手のパンは作るのに手間がかかる。ましてや、餡のようなものはコスタリカでは甘くないのが常識である。むしろ塩味である。
 パンのサイズだが、菓子パンは割りと小さめのものもあるが、日本のものと比べて、概してサイズは大きい。食事時に食べるパンは大きい。昔は長さが1メートルもあるパンを焼いていたようだ。今ではさすがにこんなに大きいパンは作っていないが、それでも日本のパンよりずっと大きい。
 日本のスーパーのような大規模店ではパンは袋に入れて売っているが、専門店では、袋に入れ図に、店頭に並べられているのが普通のようだ。昔は、食パンは1斤、2斤といって、店頭で切って売っていたものだが。
 義父のパン屋はもちろん、専門店なので、袋づめはしていない。
 食パンは中華料理屋以外では、お目にかかった記憶がない。いったいどこで作っていたのだろうか。また、スーパーでもパンを買った記憶がないが、パンは扱っていたのだろうか。今では mini super と呼ばれる pulpería (昔の日本の「よろず屋」のようなもの)では、買った覚えがあるが。 

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コスタリカの田舎町のパン屋

2014-07-27 06:10:49 | トリビア
  女房殿の実家はパン屋である。「パン」はスペイン語でも“pan”だが、「パン屋」は“panadería”という。「パン職人」は“panadero”(女性形は“panadera”)である。女房殿も家業のパン屋を子供のころから手伝っているので、立派な“panadera”である。
 義父がパン屋を構えていたのは、Limón 州の Guápiles(グアピレス)という町である。義父は10年ぐらい前に亡くなり、今は息子の一人が継いでいる。今では首都のサンホセから山を通りぬけていく高速道路ができたので、車で1時間ぐらいで行けるが、昔、高速道路がないころは、バスや汽車で山岳地帯を避けて大回りして行っていたものである。さらには飛行機まで飛んでいたのである。今回はコスタリカのパンについてである。
 日本に限らず、大手の製パン業者は機械化していると思うが、義父のパン屋は昔ながらの個人のパン屋で、年代物のパン焼き釜がある。仕事は夜始まる。パンの生地を作って、釜で焼くのだが、生地を作るのが結構大変である。そして、午前4時には店を開ける。熱帯地方では朝が早い。日が高くなったら、暑くてかなわない(最近の日本の猛暑の方がずっと暑いが)。グアピレスではほかにパン屋がないので、独占企業である。
 というわけで、郵便物は“Panadería Don Chumino, Guápiles”と書かれていれば届く(「何丁目何番地」などというものはない)。パン屋の仕事は大変だが、パンは毎日食べるものなので、儲かる。


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中南米の中国系住民

2014-07-26 07:44:50 | トリビア
  “Con”じいさんはコスタリカの中国系1世だったが、コスタリカでは中国がらみで、よく“chino cochino”という言葉を聞いたものだ。“chino”は中国人(男性形。女性形は“china”)で、“cochino”は本来は「ブタ」の意味だが、転じて、もっぱら「不潔な人」の意味で使われていた。“chino cochino”は直訳すれば、「不潔な中国人」ということになる。当初、中国人を馬鹿にした、単なる語呂合わせかと思っていたが、衛生観念の乏しい中国移民もいたことだろう。
 中南米の中国系住民の先祖はアメリカの大陸横断鉄道や、パナマ運河建設に従事した中国人苦力(クーリー)だろう。アメリカやパナマで御用済みになったクーリーが中南米各地に拡散したものと思われる。
 シンガポール在住のころ、客が使用した皿をさっと水につけるだけで、再使用する、不潔な屋台があるという話を聞いたことがある。
 さて、コスタリカの中国人移民1世なら、衛生観念の乏しい人もいただろうが、2世以降になると、あまりいないのではないかと思うのだが。
 また、いまでも、中華料理屋ではネズミの肉を出すというような話も時々あるようだが、真偽のほどは定かではない(単なる噂話かジョークだと思うが)。
 中国系住民の多く、特に1世は中華料理屋やヨロズ屋を経営しているかと思われるが、2世以降になると、医者をはじめ、社会的地位の高い者も出てきている。比較的新しくコスタリカにやってきた、富裕な中国人もいて、旅行会社を経営したりしている者もいる。


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フランスでは自己紹介できなかったであろう“Con”じいさん

2014-07-25 08:56:03 | トリビア
  前回まで登場いただいた、お盛んな中国人の“Con”さん。
“con”と小文字で始めれば、英語の“with”に相当するスペイン語の前置詞である。「コンさんといっしょ」は“con Con”となる。
 ところで、フランス語もスペイン語同様、ラテン語の子孫であるが、フランス語で「いっしょに」を表す前置詞は“avec”(アベック)である。かつては、「恋人どうし」の意味で用いられていたが、今では英語の“couple”にとってかわられてしまった。
 それでは、フランス語に“con”という言葉はないのかというと、実はあるのである。
 ところが、“con”はフランス語では、♀自身を表す卑語である(不思議なことに男性名詞であるが)。これは、40年も前に愛読したブラントームの『艶婦伝』(Les Dames Galantes)に頻出していたので、嫌でも(あまり嫌ではなかったが)覚えてしまった単語である。これは英語の“queen”とも語源を同じくするらしい。
 一方、フランス語の“con”と語源を同じくするスペイン語は、やっぱり卑語で、スペインではよく使われているらしいが、コスタリカでは使われていないようだ。家内も知らなかった。で、肝心のスペイン語では何と言うかは、ちょっと書くのがはばかられるので、ヒントを出すだけにしておこう。“co”までは同じ。フランス語同様、男性名詞なので、“o”で終わる。この前に子音字を1つ付け加えるだけでよい。ただし、“cono”ではない。“cono”は英語の“cone”(ソフトクリーム)に相当する言葉である。
 それはともかく、“Con”じいさん、フランスへ行っていたら、とても自己紹介できなかったことだろう。


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“Con”じいさん

2014-07-24 06:19:40 | トリビア
  前回話題になった、中国人の“Con”じいさんはお盛んな方で、まず、中国で、中国人女性との間に子をもうけた。結婚していたかどうかはわからない。その子供の一人がコスタリカにもやってきて、筆者行きつけの中華料理屋“Hoi Fan”(海帆)のオーナーになっていた。そのオーナーが家内の伯父に当たるとは、夢にも思わなかった。
 次に、コスタリカで白人女性との間にも女児を何人かもうけた。これまた結婚していたかどうかはわからない。その子供たちは家内のおばにあたるが、彼女らの姓は“Con”である。
 さらに、黒人女性との間にも子を何人かもうけた。そのうちの一人が家内の父親、嫉妬深い“José Elizondo Martínez” (仮名) である。
 さて、いよいよ謎解きである。この黒人女性(といっても、インディオの血もまじっていたようだが)、かつては、なかなかの美人だったようで、“Con”じいさん同様、お盛んだったらしい。コスタリカの大統領を務めた“José Figueres”(先代)ともお友達だった。単なるお友達か、それ以上の関係だったのかは、もはや知る由もないが。
 この黒人女性が家内の祖母にあたるわけだが、“Con”じいさんと知り合う前にも男出入りがあり、そのうちの一人(直近の一人)が“Elizondo”さんだったらしい。結婚していたかどうかもよくわからない。“Con”さんとは結婚していないので、子供に“Con”を名乗らせるわけにもいかなったのだろう。そこで、直近の男性の姓である“Elizondo”で、息子の出生届けを出したということである。筆者も数十年前から気になっていたことではあるが、つい聞きそびれていたのだが、やっと、家内から聞き出したわけである。


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じいさんの姓は“Con”、息子の姓は“Elizondo”

2014-07-23 06:15:24 | トリビア
 前回、市役所に届け出た名前と、教会に届け出た名前が違うエピソードについて述べた。嫉妬深い父親がでてきたが、名前はすでに述べたように“José Elizondo Martínez” (仮名)としておこう。そうすると、父親の父(女房殿の祖父)の姓は当然、“Elizondo”でなければならないのだが、不思議なことにそうではないのである。祖父は100%の中国人である。コスタリカ国籍を取っていたかどうかは不明だが、姓は中国の姓をそのまま名乗っていた。漢字でどう書くかはわからないが、“Con”さんである。そうすると、父親は“José Elizondo Martínez”(仮名) でなければならない。これはどういうことだろうか。中国系一世が中国名を捨て、“Sancho”や“Sánchez”に改名することはよくあるのだが、“Con”じいさんさんが“Elizondo”に改姓したわけでもない。
 謎解きは次回に。


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市役所へ届け出た名前と、教会へ届け出た名前が違う!

2014-07-22 12:07:11 | トリビア
 再び家内の家族に戻るが、弟の一人は“registro civil”(住民登録、出生届け)では名前は“David Ricardo”(ダビッド・リカルド)となっているが、教会には“Rafael Ricardo”(ラファエル・リカルド)として届けられているのである。どうしてそうなったかというと、担当の産婦人科医が“David”という名前だったのだが、母親がこの産婦人科医の名前にちなんで、弟にこの名前を付けたのではないかと、父親が邪推したらしい。“registro civil”を先に済ませた後だったので、こちらはもう変更ができない。そこで、教会に届ける名前では、“David”を消して、“Rafael”にしたということである。
 “Rafael”は父親の父親(女房殿の祖父)の名前(中国人なので、通称だと思われる)なので、それにちなんだのではなかろうか。ただし、日常生活では、当の弟は“David”とも“Rafael”とも呼ばれることなく、単に“Ricardo”としか呼ばれていないのだが。


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コスタリカにおける出生届け

2014-07-21 08:34:38 | コスタリカ
  スペイン語では戸籍のことを“registro civil”(直訳英語だと“civil register”)というが、これは、市役所に届けるもので、コスタリカでは、カトリック信者は教会にも届けるのである。コスタリカはカトリックが国教になっている。ラテン・アメリカは大体がカトリックの国であるが、カトリックが国教になっている国は意外と少ない。中南米では、アルゼンチン、ペルー、ボリビア、コスタリカなどがカトリックを国教としているにすぎない。イタリアやスペインでは、今ではカトリックは国教ではなくなっている。
 そういうわけで、コスタリカでは、カトリックの影響力は今でも根強い。町の中心部には必ず教会(iglesia)があり、教会の前に公園(parque)があるのが普通の町の様子である。少し大きい町になると、京都にお寺がたくさんあるように、町に教会がたくさんある。


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名前の中の「三位一体」

2014-07-20 08:02:56 | トリビア
  実は、前回述べた家内(仮名)の戸籍は次のようになっている。“María Carmen Elizondo Murillo de La Trinidad”で、“de La Trinidad”が余分にくっついているではないか。パスポートには“de La Trinidad”はついていないのだが。聞いてみると、兄弟はみんなこの“de La Trinidad”がついているのである。それなら、親にも本当は“de La Trinidad”がついているのではないかと思ったら、両親ともついていないのである。
 どうしてこんなことになったかというと、母親が熱心なカトリック教徒で、「三位一体の」という意味の一言である“de La Trinidad”を付け加えたかったからということだった。ただ、“de La Trinidad”は次の世代には引き継がれる必要はないそうだ。もちろん、引き継いでもいいのだが、親が宗教的ではないと、引き継がれないのだろう。
 ちなみに、名前があまりにも長くなるので、戸籍(registro civil)には“de la Trinidad”は“de la T”と略されて書かれている。戸籍なので、略さずに書かれているかと思いきや、何ともおおらかである。スペースが足りなくなったのだろうか。
 ここで、ピカソの名前を思い出したが、あのむちゃくちゃ長い名前が書かれた戸籍原簿を見てみたいものだ。
ピカソの場合は“de la Santísima Trinidad”が姓の前に来ていて、直前の個人名にかかるようにも読めるが、家内とその兄弟の場合は“de la Trinidad”が姓の後についていたのである。ピカソの場合のように、姓の前に置いてもいいのだろうか。
 このようなケースを日本に当てはめてみると、戸籍は「山田阿弥陀仏太郎(または、山田太郎阿弥陀仏)」だが、通称「山田太郎」のようなものだろうか。
 ところで、「戸籍」という語を使ってきたが、厳密に言うと、戸籍制度というものは中国を中心とした東アジア独特のものなんだとか。

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ピカソの名前の中の「三位一体」

2014-07-19 10:34:47 | トリビア
  Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Crispin Cripriano de la Santísima Trinidad Ruiz y Picasso
 ピカソのフルネームである。詳しい解説は以前述べたので、そちらをご覧いただきたい。この中の“de la Santísima Trinidad”(至高の三位一体の)の部分については、後日述べると言ったが、ここで述べる。
 その前に、スペイン語圏では、親と子供では姓が少しずつ違うことはすでに述べたが、少し復習しよう。例えば、父母が次のような名前だとする。
父 José Elizondo Martínez (仮名)
母   Patricia Murillo Fernández (仮名)
 そうすると、子どもたちは次のようになる。
David Elizondo Murillo (仮名)
María Carmen Elizondo Murillo (仮名)
 複雑な家庭以外なら、子供たちはみんな姓(父方+母方)が同じになる。ここまでは復習である。ところが、最近、新事実が発覚したのである。


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中国における姓と名の間の「の」

2014-07-18 10:39:56 | トリビア
  ヨーロッパでも日本でも姓と名の間に「の」に当たる言葉が入ると貴族または高貴な身分の可能性があることは述べた。それでは、中国や朝鮮などではどうだろうか。なさそうな気がしていたが、中国でもこんな現象があったということを聞かされた。
 『左伝』という書物の中には姓と名の間に「之」が入っているケースが紹介されている。日本語でもこの字は「の」と訓じる。この「之」については、いくつか解釈があるようだ。
1.平仄(ひょうそく)に関係がある。平仄とはイントネーションを2種類に分けたもので、一つは高低の変化がないもの。もう一つは変化があるもの。発音しやすくするために「之」を入れた。
2.尊敬の意を表すため。孔子の「子」のような意味合い。
 『左伝』には「介之推」、「舟之僑」、「燭之武」などの名前が出てくる。最近の中国人には名前の中に「之」が入っている人は、いるのだろうか。
3.方言
 2.の尊敬の意味だと、ヨーロッパの貴族に“de”、“ von”などがつく現象に近いと言える。


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我が国における姓と名の間の「の」

2014-07-17 10:16:36 | トリビア
 スペイン語にも出自を表す“de”がつく姓があり、ドイツの場合、スペイン語の“de”に相当する“von”がつく姓は貴族であることはすでに述べた。そこから、大分脱線してしまったが、本線に戻そう。
 わが日本の場合、藤原道長、源頼朝、平清盛などは、姓と名の間に「の」を入れて読む。姓は天皇が臣下に与えるものであり、姓のあとには「の」を入れる。徳川家康や織田信長の場合は「の」が入らないが、これは「徳川」や「織田」が姓ではないからである。「徳川」さんの姓は、嘘っぽいが、一応「源」ということになっている。織田の方は「平」である。ちなみに、「豊臣」は天皇にいただいた姓なので、本来「豊臣の秀吉」というべきなのだが、習慣として「の」を省いている。これは、「織田」、「豊臣」、「徳川」と並べた場合の語呂を考えた結果だろうか。
 藤原鎌足はもともと「中臣の鎌足」だったが、「中臣」は姓ではなく、氏である。豪族の氏のあとにも「の」を入れるのが慣例だろう。また、貴族とは思えないが、千利休や小野小町なども姓と名の間に「の」を入れるのが通例になっている。確かに「の」が入った方が高貴な感じがする。
 現代人では、綾小路きみまろさんも「の」を入れれば、もっとおもしろいかもしれない。ちなみに、「綾小路」は村上源氏の血を引く実在の貴族名である。藤原紀香さんなどは「藤原の」と「りか」に分けた方がいいのではなかろうか。特に結婚式のときのあの衣装では、絶対にそうだ。
 日本には「~藤」さんが多いが、明治以降、適当に「~藤」を名乗った方々は別として、彼らの姓は「藤原」であって、「~藤」は苗字である。姓と氏と名字、苗字は本来違うものなのだが、今では混同している。


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