オバサンは熱しやすく涙もろい

とてつもなくミーハー。夢見るのはお気楽生活

いつかスカーレット・ヨハンソンになる日

2007-05-30 09:58:37 | 日々のこと
先週の土曜日のことである。

朝、眠い目をこすりながら鏡の前にたった私は、驚きのあまり眠気がふっとんでしまった。
なんと上唇がスカーレット・ヨハンソンになっていたのである。

詳しく言うと、何故か上唇だけスカーレット・ヨハンソンのようにぽってりと膨らんでいたのである。
さらに詳しく言うと、全くかゆみは感じないのだが、上唇を蚊にさされたらしいのである。

ぽってりと腫れた唇は、歯医者で麻酔をうたれたように軽く麻痺していて、変に下唇にあたってなんとも慣れなくて気持ちが悪い。

母のリハビリの手伝いに来た看護師さんは、この変化に気づかなかったようだ。
ワタシの顔を見て「今日は暑いですね」と言っただけである。
そして驚いたことに、家族の誰も私の唇の変化に気づかないのだ。

人間というのは、そんなに人の顔を気にしないものなのか?
見ているようで、実は大まかにしか見ていないものなのか?
この調子で、何ヶ月・・・または何年かかけて毎日少しずつ顔が変化していったら、たとえば最終的にスカーレット・ヨハンソンのような顔になったとしても、誰も気づかないということか?

まあどの段階かで誰かが気づくであろうけれど、誰もワタシの顔なんてちゃんと見ていないのだなーと軽いショックを受けましたさ。
でも父の前歯が抜けたのを一週間も気がつかない娘もいるのだから(←ワタシ)まあ、お互い様といったところか。

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「プレステージ」の試写会に行ってきました

2007-05-26 03:33:14 | 映画・DVD【は】
さて・・・同じようにいい男が二人いて、全てにおいてよくも悪くも互角だったら・・・あなたならどうしますか?

ワタシは本当に困りましたねー。
ヒューを見るべきか、ベイルを見るべきか、どちらの味方をするべきか(いや、別に味方になんなくてもいいんだけどさ)。
まさに愛を試される映画でしたわ・・・。
ってそんな大げさなものじゃないんですけどね、思ったよりダークで重層感のある映画でした。



2006年、アメリカ作品

監督:クリストファー・ノーラン

出演:ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン他


19世紀のロンドン。
若き奇術師アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とボーデン(クリスチャン・ベイル)は、一流の奇術師になるべく中堅どころのミルトンの元で修行をしていた。



だがある日、舞台上にさくらとしてあがったボーデンは、ちょっとした手違いでアンジャーの妻ジュリアを死なせてしまう。
妻の復讐にとりつかれたアンジャーは、とある舞台でボーデンの小指を拳銃で打ち砕くがそこで復讐が終わったわけではなかった。
やがて二人は壮絶な攻防を繰り広げていくことになるのだ。

アンジャーとボーデンはそれぞれ「瞬間移動」という新しいマジックを披露し、名実共に一流の奇術師として世間に認められるようになる。
だがアンジャーはさらなる新しい奇術でボーデンを凌ぐようになった。
そのトリックを見破ろうと、ボーデンはアンジャーのショーの舞台裏に忍び込むのだが、マジックの最中でアンジャーが舞台下にある水槽からの脱出に失敗し、ボーデンの目の前で溺死してしまう。
ボーデンはアンジャー殺害の罪で逮捕され、死刑を宣告される。
鎖に繋がれながら、これはアンジャーが仕掛けた史上最大のイリュージョンではないのか?という思いをぬぐいきれないボーデン。
そんなボーデンの元に驚くべき人物が面会に現われる。
そして刑が執行される日がとうとうやってきて・・・。


あああ~~~!
どこまでどう説明したらいいのやら。
というよりヘタに説明しない方がいいですね。
まあとにかく観てやってください。
男二人の奇術に対する執念というより、ライバルに対する執着を・・・。

ある意味、この二人はそっくりで一番わかりあえていたと思うのですよね。
友情とは違うけれど、ある種の特別な感情が存在していたようにうけとりました。



ラストで驚愕の真実が明らかになるのですが「二人とも奇術のために(そして相手を凌ぐために)そこまでするか・・・」というオドロキと共に、彼らの運命や犠牲にしてきたものの重さが胸にのしかかってくるような結末でした。
誰にも言うことのできなかった秘密を告白しあう、あの瞬間に、互いに認め合い許し合ったのだと思いたい。
なんかねー、ワタシの好きな二人にあんな運命が待ち受けているなんて・・・ちょっと見ていて辛かったです。
まあ、ヒューがこういう役をやるってことは、新境地を開いたってことで、喜ばしいことでもあるのですが。




ところで、一流のマジックはタネや仕掛けのないことを観客に確認させる「プレッジ」、パフォーマンスを展開する「ターン」、そして最後に予想を超えた驚きを提供する「プレステージ(偉業)」の三つのパートから成り立っているそうですよ。

ワタシたちはトリックを見破りたいと思いながら、うまく騙して欲しいと願う。
ちょくら男と女の関係にも似ているかもしれませんなー。
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「舞台よりすてきな生活」

2007-05-21 02:53:07 | 映画・DVD【は】



製作総指揮: ロバート・レッドフォード

監督: マイケル・カレスニコ

出演: ケネス・ブラナー、ロビン・ライト・ペン他

2000年、アメリカ作品


ロサンゼルスの閑静な住宅街に住むピーター(ケネス・ブラナー)は、かつては一世を風靡した脚本家だが、今は泣かず飛ばず状態。
執筆中の舞台の脚本も、登場する10歳の子どもを子供らしく描くことが出来ず、監督や俳優から批判的な意見をあびる毎日だ。

それだけでも彼にとってはかなりのストレスなのに、更に追い討ちをかけるように、妻メラニー(ロビン・ライト・ペン)が「早く子供が欲しい」とプレッシャーをかけてくる(ので夜は大変!)。
夜中にまで吠える隣の犬がうるさくて、執筆が思うように進まない。
同居中の義母は、痴呆のせいでおかしなことばかり言う。

おまけに隣のうちに引っ越してきた足の悪い女の子エイミーが、メラニーを慕ってピーターの家に出入りするようになる。
これは子供嫌いのピーターにとっては、最悪とも言える事態だった。

彼はエイミーを避けるために書斎に閉り、タバコの煙に包まれながら、今度の舞台に登場する子供のことを考えていた。
だが彼の頭の中で、子供は動いてくれない。子供嫌いの彼にとって、子供は理解不可能な未知なる生物でしかないのである。

ところが・・・。
ある時、窓の外でエイミーがおままごとをしている姿を見て「彼女を観察すれば戯曲のヒントになるかもしれない」と思いつく。



早速おままごとに加えてもらったが、大人の会話しかできず、エイミーに呆れられるピーター。しかし、エイミーに合わせて会話をしているうちに、子供の発想の素晴らしさに触れ、それと共に心も触れ合っていく・・・という心温まーるお話なのである。


登場人物がみな何らかのフラストレーションを抱えていながらも魅力的で、エピソードのひとつひとつにちょっとした捻りが見られて面白い作品だ。

とにかくケネス・ブラナーがよい!
彼の英国人らしいシニカルなセリフが見るものをニンマリさせてくれる。
妻との掛け合い漫才も楽しいのだが、彼と義母のかみ合っているようでかみ合っていない会話が特におかしい。
だが、偏屈なユーモアの中にもケネス・ブラナーの暖かさが感じられて、なんとなく優しい気持ちになれるのである。

エイミーとの別れのシーンのケネス・ブラナーの表情は涙なしでは見れまへん。
初めは悲しみを見せずに笑顔で見送ろうとするのだけど、エイミーに抱きつかれ、全身で愛をこめて彼女を抱きしめるんだよね・・・。
あううう、書いていても涙でそう・・・。

これ、ヒュー・グラント(アバウト・ア・ボーイっぽくなっちゃうかな?)や、コリン・ファースがやっても面白かったのではないかなー(これこれ、また自分の趣味をば・・・)?


ただ物語が同じような調子で淡々と進みすぎるため、やや盛り上がりにかける展開になってしまったような気がする。それだけが残念。


はい。またいい男見つけました(というか好みの男)。
舞台俳優役で登場するジョナサン・シェックでございます。
ケネス・ブラナー演じるピーターに殴られるんだけど、その姿がまた可愛いの~~♪
彼は写真によって随分感じが違うんですよね。


若い頃。なんとなくアイドルしてますね。
ちょっとジェームズ・マーズデンにも似ている?

 
同じく若い頃。
右側がジョナサン。なんなんだ、この衣装は。

 
現在の彼。やけにおっさん臭い。
今日からあなたも300のメンバーっつーくらいいい身体。
しかし濃い顔だなー。
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「ザ・シューター 極大射程」の試写会に行ってきました

2007-05-18 03:06:45 | 映画・DVD【さ】
先日は美しいキム様に魂抜かれて「ほ~~~~っ」っとなっていたワタシですが、本日はキム様と似ても似つかぬ動物系俳優、マーク・ウォルバーグ主演の「ザ・シューター 極大射程」の試写会に行ってきました。
麗しい系もよろしいのですが、むさ苦しい系も好きなんですわ、ワタシ。



2007年、アメリカ作品

出演:マーク・ウォルバーグ、ダニー・グローバー、ケイト・マーラ他


元海兵隊のスナイパー、ボブ・リー・スワガー(マーク・ウォールバーグ)は、アフリカで相棒のドニーを死なせたことに責任を感じ、一線を退いて広大な自然が広がる山岳で隠遁生活をおくっていた。

このスワガーという男は、とにかくすごい。
なにせ2キロ先の標的を1発で射抜く能力を持っているのだ。
そんでもって爆弾の製造も仕掛けも自分でこなしてしまうし、銃創も自身で応急措置してしまうのだ。
ゲリラ戦はおちゃのこさいさい。相手の一瞬の隙も見逃さない。
ともかくサバイバル能力は抜群で、軍に叩き込まれた以上のものを身につけている、冷静沈着なスナイパーなのである。



ある日、そんなスワガーの元に、元米軍大佐ジョンソン(ダニー・グローバー)が姿を見せる。「遊説中の大統領の暗殺計画が発覚したので、狙撃手の立場から暗殺の場所を特定してほしい」と言うのだ。
初めは拒んだスワガーだったが「愛国心」がうずき結局その仕事を引き受けることに。
スワガーは綿密に下調べをし、現場を割り出し、当日は監視を手伝うことになった。

ところが監視中に、演壇する大統領に向けて発砲音が響き、さらにスワガーも背後から狙撃されてしまう。

銃創を負いながら逃げるスワガーの耳に「ヤツを捕まえろ!」という声が響く。
「ジョンソンにはめられた!」と悟ったスワガーだったが後の祭り。
逃走する途中で、スワガーはFBIの新米捜査官メンフィスと出くわし、銃と車を奪う。
そしてメンフィスに「自分は無実だ。はめられたんだ」と告げる。

FBIの本部に戻ったメンフィスは「銃と車を奪われるとは恥ずかしいヤツだ」とみんなから叱責され、スワガーの言葉は忘れろと釘をさされる。
スワガーの言葉がどうにもひっかっかるメンフィスは、独自の調査でもう一度事件を洗いなおそうとする・・・。


マーク・ウォルバーグが巨大な陰謀に呑み込まれ、絶体絶命の危機におちいりながらも、ひるむことなく相手に戦いを挑んでいく孤高の狙撃手を好演。(←人、殺しすぎって気もするけど・・・まあ映画だからいっか)
初めは地味な人選だった気もしたが、かえって狙撃手という職人っぽさが感じられたし、彼のワイルドさも十分生かされていたので良かったかも知れない。
ちょっとしたロマンスを感じさせる場面もあるが、全体的に男臭さがぷんぷん漂ってくる、硬派な手に汗握る本格アクションである。
ほのぼの映画もいいけど、結末がわかっていながらもはらはらドキドキできる、こういうハードボイルド系もやっぱりいいわ~~。



監督は「トレーニング・デイ」のアントワーン・フークワで、相変わらずいい仕事してますなあ~という感じの仕上がりだ。

発展途上国における先進国のおごりや、政治の腐敗という社会問題も描かれてはいるが、これは単純に、息をも抜けないような畳み掛けるストーリー展開と、スワガーというかマーク・ウォルバーグのかっこよさを楽しめばいいんじゃないかな?
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「ゴスペル」

2007-05-12 04:40:50 | 映画・DVD【か】
日々、IL DIVOのハーモニーの美しさ(と見た目の男前さ)に心癒されているワタシ。
で、ハーモニーとはちょっと違うかも知れないけれど、ゴスペルが聴きたくなったので、本日はこちらを鑑賞。



2004年、アメリカ作品

監督:ロブ・ハーディ
出演:ボリス・コトジョー、クリフトン・パウエル、ノーナ・ゲイ、オマー・グッディング他


父親を聖職者にもつデイヴィッド(ボリス・コトジョー)は、父と同じ道に進もうとしていたが、教会の仕事を何よりも優先し母の最期をみとらなかった父親を許すことができず、家を出る。
数年後、R&B歌手として成功を収めたデイヴィッドのもとへ、父親が倒れたという連絡が入る。
デイヴィッドは父のために自分のツアーを休み、老朽化した教会の建て直しの資金集めと、教会離れした人々を呼び戻すために、音楽仲間とゴスペルのライブを行うと言い出す。

疎遠になっていた父親の死や、親友だったフランクとのすれ違いなど、様々な問題に苦悩しながら、自分の歩む道を模索していくデイヴィッドの姿を、ゴスペルを織り交ぜながら描いている。

ストーリー的には説得力に欠ける部分も多々あるし、主人公の苦悩みたいなものがあまり伝わってこなかった。
たとえばツアーをキャンセルし本来の仕事をほったらかしにするデイヴィッドの無責任な態度は大人としてどうよ~と思うし、野心家だったフランクがいとも簡単に改心するのも納得がいかなかった。
が、しかし父親と息子が和解するところでは、やはり涙・・・。

ゴスペルはどれも美しく、時にはパワフルで、彼らの心からの賛美に魂が揺さぶられる。
「え?これもゴスペルなの?」と思うような、多様な曲調があるのには驚いた。
時代や人と共に曲調も変わる・・・ということで、ゴスペルが彼らの生活そのものだということがうかがい知れる。

この作品には、本物のゴスペル歌手が多数出演しているので、彼らの声やパフォーマンスを楽しむことができる。
ヨランダ・アダムス、フレッド・ハモンド、へゼキア・ウォーカー、ドニー・マクラーキン、ノーナ・ゲイといった面々が、それぞれ素晴らしい歌を披露してくれる。


ワタシは知らなかったのだが(ハイ、知らないことだらけでスイマセン)、主人公のデイヴィッドを演じるボリス・コトジョーはオーストリア生まれで、モデル出身だとか。
どうりでいい身体してると思ったわ。



こんな顔です。
ドラマではちょっと平井堅に似ていると思ったけど、↓こんなのを見るとちょっと雰囲気が違うかな。

 

この作品で、彼はちゃんと自分の声で歌っているそうな。
見た目もかっこいいけど、歌の実力も相当なもの。
歌う姿は、ちょっとオーバーな平井堅といったところでしょうかね(笑)?
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「キンキーブーツ」

2007-05-09 02:11:19 | 映画・DVD【か】
なんでだかね、この映画、ワタシはず~っと「モンキーブーツ」だと思っていたのだよね。
で、「モンキーマージック~♪モンキーマージック~♪」って、全然関係ないこの人たちを思い出したりしてたの。



ああ~スティーブ、かっこよかったよなあ~~~(←この頃から目力男が好きだったのね)。
先日TVでみたら、昔とあまりかわりなくかっこいいおじさんになっていたわ・・・。

って、みなさんご存知でしょうが、この映画は「モンキー」とは全然関係なく「キンキー」なんだよね(ご存知なかったのはワタシだけ・・・)。
キンキーとは「変態の」とか「性的に倒錯した」という意味で、「キンキーブーツ」というのは、ドラッグクイーン御用達のセクシーブーツのことを言うのだ。

この作品はどこまでがそうなのかわからないが、実話に基づいているらしい。




2005年、アメリカ=イギリス作品

監督:ジュリアン・ジャロルド

主演:ジョエル・エドガートン、キウェテル・イジョフォー、サラ=ジェーン・ポッツ他


幼い頃、女の子の靴を履いて踊るのが好きだったサイモン少年は、父親に性的倒錯者という理由で勘当されたが、今はソーホーのカリスマ・ドラッグ・クイーン「ローラ」として注目をあびていた。

そして、かたや老舗の靴工場の4代目のチャーリーは、幼い頃から工場のあらゆる機械を使えるようにと教育されたが、靴作りの才能が全くなく、家業を継ぐつもりもなく、ロンドンでマーケティングの仕事をしようと考えていた。
だが父親が突然他界したことから、火の車状態の靴工場を相続することになる。

会社の再建に頭を抱えていたチャーリーは、とあることがきっかけでローラーと出会う。
ローラが無理矢理女性用の靴を履いているのを見たチャーリーは、ドラッグクイーンご用達のセクシーブーツを作ることを思いつく。



ローラは試作品を見るためにチャーリーの工場に姿を現すのだが、保守的な職人たちは、ドラッグ・クイーンである彼女に対して冷ややかな態度をとる。
そして二人の大胆な発想に難色を示す。
だが「ドレスを脱ぐと弱気になる自分」に苦悩するローラと「常に父親と比較され、工場でも浮いている存在」の自分を恨めしく思うチャーリーの間に次第に友情が芽生え、二人は大奮闘しながら試作を重ねていく。



チャーリーは社運を賭け、ミラノの見本市にキンキーブーツを出品するために、工場だけでなく、家財産までも抵当に入れる。
そして父親が生前、工場の売却話をしていたことを知っても「ボクは父親とは違う。みんなをクビにしたくない」と、売却話にも耳を貸さない立派な経営者になっていく。
初めはイヤイヤ家業を継いだ男が、ドラッグ・クイーンのローラと共に、様々な困難を乗り越えて、自信をつけ成長してくという心温まるお話。
彼らだけでなく、彼らの周りの偏見に満ちた人たちもどんどん成長し、彼らの味方になってゆく。

やたらたくましいのに、なんだか女らしくて情が深くて可愛い、それでいてゴージャスなローラ役のキウェテル・イジョフォーがいたからこそ、この映画は成功したと言えるだろう。
一見大胆に見えるが、実は傷つきやすく内に苦悩を抱えているローラは、誰よりも細かい演技を要求されると思うのだが、彼は十分にその期待に応えていたと思う。
初めは冴えなく見えたジョエル・エドガートン扮するチャーリーが、会社の再建を目指して奮闘しているうちに、段々いい男に見えてくるんだから、あら不思議。
いい女に見えるもいい男に見えるも、やっぱり気持ちの持ちようなのね。

特に有名な役者(とかかっこいい役者)が出ているワケではないのに、ウィットに富んだセリフとテンポのよさにぐいぐい引き込まれて見入ってしまった。
見終わった後、元気をもらったような気分になる、気持ちのいい作品だ。
ラストのミラノでのショーは迫力満点で、彼らの魅力を存分に見せつけてくれる。
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「家の鍵」

2007-05-05 05:10:19 | 映画・DVD【あ】


2004年、イタリア作品

監督:ジャンニ・アメリオ

出演:キム・ロッシ・スチュアート、シャーロット・ランプリング他


15年前、出産で恋人を失った衝撃から、生まれてきた我が子パオロを手放してしまった父親ジャンニ。今は新しいパートナーと結婚し8カ月になる息子がいる。
そんな彼が一度も会ったことがなかった息子パオロを、ドイツのミュンヘンからベルリンのリハビリ施設に送り届けることになった。

パオロは重度の障害をもっており、杖がないと歩行できない。
障害を持つ彼を心の隅で密かに恥じ、彼を捨てた負い目、15年という空白の時間などから、どのように息子に接していいのかわからず、戸惑うジャンニ。
パオロも明るく振舞ってはいたものの、ジャンニに対して複雑な思いを抱いていた。父親は自分に対して「同情と負い目」は感じているものの、それは「真の愛情」ではないことを知っていて、寂しく思っていたのだ。

やがてジャンニはリハビリ施設で、重度の障害の娘を介護する「ニコール」という中年女性と知り合う。
ぎこちない父子の関係を見たニコールは、自分が20年間どんな思いで娘を看てきたのか、また、20年の時を経て得ることができた心の平穏をジャンニに語るのであった。

ニコールのアドバイスもあってか、パオロの世話をしているうちに、徐々にジャンニに父親としての情が芽生えてくる。
以前は恐る恐るパオロに触れていたのに、愛情と比例するかのように大胆にキスしたり抱きしめたり、まるで愛しい恋人のよう。
それに答えるかのように甘え、喜びの表情を見せるようになるパオロ。
二人の関係は一見15年の時を埋め、親子の絆を取り戻したかのように見えた。

だが突然、パオロはジャンニの前から姿をくらます。
心が通い始めていたと思っていたジャンニにとっては、これは相当なショックだった。
激しい不安と落胆をから憔悴するジャンニ。
やがてパオロは保護され、ジャンニの元に戻ってくるのだが、何故息子がこんな行動をとるのか理解できない。

多分パオロはジャンニを試したかったのだろう。
どれくらい自分を愛してくれているのか?
どれくらい心配してくれるのか?
それはジャンニに対するパオロの愛情の裏返しでもあったのだ。



終盤、ジャンニとパオロは二人で、パオロの会いたい人が住んでいるノルゥエーの街へと旅に出る。
だが結局会うことが出来ず、二人は学校の校庭にあるテーブルに向かい、土産に持ってきたケーキを食べる。
その幸せそうな二人の姿を見て、なんだか妙に悲しくなってワタシは涙ぐんでしまった。
幸せそうなのに、何故悲しいのか?
これからの二人に試練が待ち受けているんだろうなあと、ワタシはうすぼんやりと考えていたのだ。

「現実から逃げ出すか、辛いなかにも喜びのある体験をするか」というようなセリフをニコールが言う場面があった。
ワタシも寝たきりで、身体を動かすことさえできない母を看ていながら、実はすごい葛藤で胸が苦しくなる時があるのだ。
「いつまでこんな生活が続くのか?いつまで自分を犠牲にして生きねばならないのか?」という不安と不満、そして「でも一番辛いのは母なのだから。なんとか幸せだったと思えるような人生を送らせてあげたい」という気持ちが、交互にそれこそ一日に何度もやってくることもあるのだ。

帰路で「パオロ、一緒に暮らそう」とジャンニは言う。
だがこれからジャンニを待ち受けているものは、喜びより大きな苦悩かも知れないのだ。激しい葛藤に襲われる日々が続くかもしれないのだ。
ワタシが悲観的過ぎるのかもしれないが、美しい父子の愛に心をうたれながらも、この先を考えると手放しで「よかったね」とは言えないのである。
でもまあそういう道を乗り越えて、家族の絆というのはますます深まっていくものなのだろうけれど。
結構ラストのシーンのように、ピュアな心をもつパオロに逆に励まされながら、二人で色々な障害をクリアしていくのかも知れないな。

戸惑いながらも、息子と次第に心を通わせていく父親ジャンニ役のキム・ロッシ・スチュアート・・・うまいというより、演技を超えてもう「父親」そのもの。
「父親が頑張るの図」に弱いワタシは、終始うるうるしっぱなしだった。



シャーロット・ランプリングが演じるニコールの気持ち、ワタシには少しは理解できたと思う。
葛藤の日々から学んだのは穏やかな気持ちでは決してない。静かな絶望だ。
派手ではないが心に残る、あの繊細な役は彼女だからこそできたとも言えるだろう。
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ケン・ラッセルの「白蛇伝説」

2007-05-03 14:04:33 | 映画・DVD【は】


1988年、イギリス作品

監督 : ケン・ラッセル 
出演 : ヒュー・グラント、ピーター・キャパルディ、アマンダ・ドノホー、サミ・デイビス他


若き考古学者のフリント(ピーター・キャパルディ)は、スコットランドの田舎町で巨大な動物の頭蓋骨を発見する。
とある夜、この地方のかつての領主であったダンプトン家のパーティーに招かれ、若き当主ダンプトン卿(ヒュー・グラント)から、この地に伝わる巨大な白蛇の伝説を聞かされる。
はじめは単なる伝説にすぎないと思っていたフリントであったが、白蛇伝説を聞かされてから、蛇にまつわる不思議な事件が相次いでおこるようになる。
一方、村の「神殿の家」と呼ばれる屋敷にシルヴィアという美女が住んでいた。
実は彼女は蛇の化身で、闇の王ダイオニオン(白蛇)復活をもくろんでいたのであった。


このシルヴィアが蛇の化身だと知ったダンプトンとフリントは、協力しあいヘビ退治をしようとするのだが、その方法がばかばかしくて笑ってしまうのだ。
ダンプトン邸の塔に拡声器を設置し、「ヘビ使いの曲」を流し、シルヴィアをおびき出そうとするのだ。
壷の中で寝ていたシルヴィアはまんまとひっかかり、音楽にあわせて腰をくねらせながら壷の中から出てくるのだよね(爆)。
あ、ありえない~~!その姿は爆笑もんである。
でも停電になり音楽が止まってしまって、結局その計画は失敗に終わる。

次にフリントがキルト姿になって(なぜに正装までする必要があるのか?)、バクパイプを演奏しながらシルヴィアをおびきだそうとするのだ。
シルヴィアの毒牙にかかった警察官が踊りながら出てくるのだが、シルヴィアは二度も同じ手にひっかからなかった。
敵もさるもの。なんと耳栓をしていたのだ(爆)。



結局この作戦も失敗に終わり、解毒剤をうっていたもののフリントはシルヴィアの毒牙に襲われる。



こちらはあまり役にたたなかった(笑)ダンプトン卿。
実生活でもあまり頼りにならなそうなヒュー様が演じております。



むむむ・・・これはゴシック調ホラーではなかったのか?
ブラック・ユーモア満載で、ホラーというよりはコメディに近い、なんとも不思議な後味の残る作品だ。
劇中とエンディングに使われている、おどけた感じの白蛇伝説民謡の歌詞も結構えぐくて笑える。
ラストは思いもよらないような結末が用意されており、最後の最後までユーモアを感じさせてくれる仕上がりになっている。
ちょっとレトロでエロチックな映像が、この映画をかえって斬新に見せていて面白い。
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「ボンボン(BOMBON)」

2007-05-01 02:42:54 | 映画・DVD【は】
いつの頃からか、映画に出ている犬の姿を見ただけで涙ぐむようになってしまった。
「さよならクロ」なんて予告を見て、涙が止まらなかったし、「子きつねヘレン(こりゃ犬じゃないが)」の予告でも「クイール」の予告でも、ハンカチを必要とするくらい泣いた。


うちにも犬がいる。
14年前、保険所で処分されそうなのを、妹が引き取ってきたのだ。
最近は右足の付け根に腫瘍が出来て歩行が困難になってきた。それに加え、心臓がかなり肥大していて、いつ死んでもおかしくない状態だと医者は言う。

「この犬が死んだら自分はどうなるのだろう」と最近よく考える。
10年以上前、避妊手術をするため、2日ほど病院に入院させていた時、小屋にいるべき犬がいないのがとっても奇異な感じがした。
2日後、手術を終えて帰ってきた犬は、よろよろしながらワタシのそばにきて弱々しくしっぽを振った。
人間の勝手で手術をさせたのに、恨むことなく飼い主を慕う健気な犬。
その姿に涙がとまらなくなり、私はただ「ごめんね、ごめんね」と言いながら、泣くしかなかったのだ。

その時、自分にとって犬がどれほど大切な存在か思い知らされたのだ。



さてこの映画の主人公はどうだろう?



アルゼンチン、2004年作品


アルゼンチン、南のパタゴニア。
この映画の主人公であるフアン・ビジェガスは、20年勤めたガソリンスタンドを解雇されてしまった、ついていない男だ。
新しい勤め先も見つからず途方にくれるフアンだったが、ひょんなことから白く大きな犬「ボンボン」を飼うはめになる。
娘夫婦の家に居候していたフアンは、娘に犬を飼うことを反対され、やむなくボンボンを連れてあてのない旅に出るのだが、行く先々で犬好きな人々の注目を集め、ボンボンは素晴らしい犬だと賞賛される。
紹介されたトレーナーによりトレーニングを受けたボンボンは、初めてのショーで3位入賞を果たし、種付けの依頼もくるようになり、次第にフアンの運命は好転し始めたかのように見えた。
だが種付けに失敗し、医者からも「生殖本能がない犬だ」と言われ、途方にくれるフアン。
トレーナーに「オレが犬を預かるから、しばらくしたら出直して来い」といわれ、フアンはボンボンを預けるのだが、一人になって初めてボンボンが自分にとってどんなに大切な存在か気づくのであった。

初めは儲けるための手段であったボンボンが、いつの間にか孤独な初老の男の心に明かりを灯す存在になっていた・・・という心温まる話だ。
ラストでは思わず泣き笑いというか笑い泣きしてしまって、身体の力が抜けてしまった(笑)。

お世辞にも可愛い顔とは言えないボンボンと、いかにも人のよさそうなフアンが「ここで心を通わしたんだな」と思えるようなシーンはない。
だが二人(といっていいのか)が並んで車に揺られている後ろ姿を見ると、明らかにそこに何かが存在しているのがわかる。
自分を愛してくれる主人がいない犬と、仕事を失い家族からは厄介者としか見られていない男。その二人の間には何か通ずるものがあったに違いない。



主人公を演じたフアン・ビジェガスは、実生活では20年駐車場に勤務していたという(この映画の撮影が終わった後、また駐車場勤務に戻ったらしい)。
その朴訥で人のよさそうなフアン・ビジェガスを監督自らスカウトしたのだが、これが大正解のキャスティングだったと思う。
「このおじさんには幸せになって欲しいなあ。でもこんなにいい人なんだからきっと幸せになるよね」と、見る人に思わせてしまうおじさんなのだ。

このおじさんと、ちょっとやる気のなさ気なボンボン、そしてどこまでも続く埃っぽい長い道と青い空。じめじめした気分を吹き飛ばす、乾いたような空気を感じさせる映像。
それらを見ていたら心がほっこり温かくなり、ちょっと力を抜いて生きてみようかという気持ちになったのであった。
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