オバサンは熱しやすく涙もろい

とてつもなくミーハー。夢見るのはお気楽生活

NSPってご存知ですか?

2011-03-02 23:05:39 | 映画・DVD【あ】
NSPってご存知ですか?

NSPとは70年代から80年代に爆発的に売れた…とまではいきませんがそこそこ売れていた三人組のフォークグループです。



私が高校生だった頃だと思います。
ラジオで深夜番組を聴いていた時に流れてきたのが彼らの「北北東の風」でした。
物語をとつとつと語るように歌う天野滋さんの声と「今日の風 今日の風 北北東の風」という歌詞が耳にこびりつき、8才年上の兄に洗脳され「さだまさし」にとち狂っていた私はいともあっさりNSPに鞍替えしたのでした。
メンバーの中村貴之さんのビジュアルが好みだったということも大きかったのかもしれません。

その当時学生の身分でレコードはなかなか買えなかったので、もっぱらラジオから録音したものをテープで聴いていましたが、すぐにテープはぐんのびてボーカルの天野滋さんの声が間延びして聞こえるくらいになってしまいました。
そしてついには「NSPの曲が弾けるようになりたい」と、なけなしの貯金をはたきフォークギターまで購入したのであります。

当時ガッツという音楽雑誌があったのですが、私はよくNSPの似顔絵投稿したものです。
一度だけ掲載され有頂天になったのを覚えています(そのページを後生大事に切り抜いたつもりだったのですが…どこにいっちゃったのかなぁ…)。

しかし学生というのは移り気なもの。洋楽にかぶれるお年頃でもあります。
洋楽を語らう友を得た私はQUEENやEAGLESへと傾倒してゆきました。
フォークギターも勿論お蔵入り。
冷たいものでそれっきりNSPのことは忘却の彼方と相成ったのです。


ところが30年近くたってからふとしたことで友人とNSPの話題になり「メンバー誰か亡くなったんだよね」と言われました。
ネットで調べてみたら亡くなっていたのはリードボーカルの天野滋さんだということがわかりました。

NSPは1985年に中村さんが脱退し、のちに澤近泰輔さんと深浦昭彦さんが加わったものの、1987年に平賀さんが脱退したのを機に活動を停止したそうです。
その後2002年にオリジナルメンバーで再結成。
日本青年館大ホールで復活コンサートが催されたそうですが、チケットは1時間で完売したそうです。
彼らの気負わない歌詞や歌声が、のんびりいきることがなかなか許されないこの時代にいきる私たちの心を癒やしてくれる存在だったのかもしれません。
なのになのに天野さんは再結成から三年後の2005年に脳内出血で亡くなってしまったのでした。
まだ52才。人生の折り返し地点はすぎたものの、まだまだこれからという若さです。さぞや無念だったと思います。

しかしこの気持ちは何なのでしょう。悲しい…とまではいかないものの、胸に何かがつかえた感じなのです。
もう30年彼らの歌を聴いていないし、ましてや姿も見ていません。友人と話をしなかったら思い出しもしなかったでしょう。
でも学生時代にずっと好きだった人が亡くなったと知らされたような…当時の自分にフィードバックしたようななんとも筆舌しがたい気持ちなのです。

NSP…久しぶりに聴いてみようかな。
そしてちょっとだけ涙ぐんで天野さんのご冥福を祈るとしましょう。
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使い方・・・忘れとる(涙)

2009-11-14 01:01:20 | 映画・DVD【あ】
ごぶさたしてまっす!!

ネットおちしていたのでどうやって記事アップするんかすっかり忘れとる~~~~


あ、でもネットおちしていても見にきてくださる方がいらっしゃるようで・・・ありがたいことです(ぺこり)。



ネットおちしている間に色々なことがあり、色々な方と知り合い、世間知らずだった私もちょっとは大人になれたかな~~なんて・・・アラフォーだからもういい大人だっつーの


みなさまのところを軽くまわってみたら、随分と様変わりしておりました。
この変化にワタシついていけるかしら!?

何はともあれまたぼちぼち記事をアップしていこうかな~~なんて思っておりますのでよろしゅうに。
ぼちぼちって・・・どのくらいのペースなのか自分でもわかりませんが、ハイ。
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「アイム・ノット・ゼア(I’m Not There)」

2008-04-28 01:43:38 | 映画・DVD【あ】


実はワタクシ、ボブ・ディランについての知識は全くと言っていいほどございません。
だもんで、そう言った意味ではこの映画・・・ワタクシにとってはちょっとキツイ映画でございました。

勿論彼の名前はよく耳にしますし、歌も何曲かは耳にしたことがありますが、プログラムで和久井光司氏や浦沢直樹氏が語るように「ファンである僕たちには御馴染みのネタがちりばめられていてわかりやすいのだけれども、一般的にはわかり辛いかも」という作りになっているのです。
これは決してワタシがオバカで理解力に欠ける・・・というだけではないと思われるのです。

6人の俳優(ベン・ウィショー、マーカス・カール・アフランクリン、クリスチャン・ベイル、ヒース・レジャー、ケイト・ブランシェット、リチャード・ギア)が演じる、時代も人種も違う、一見なんの繋がりもなく見える6つのストーリーは、実はデビュー前からのディランのイメージを、モデルに投影し描いたもの。
この6つのストーリーの紡ぎ方がワタシには難解で・・・(汗)、物語に入り込めなかった原因のひとつかと思われます。
ただ彼は一粒の種が何処かの土地に根付き、その土地に順応しながら成長していく・・・というタイプの人間ではないのだということはよくわかりました。
それから今もなお音楽シーンに多大な影響を与えている偉大なアーティストだということも。



彼の歌声は決して心地よいものではなかったけれど、何かこう心を揺さぶるような響きは感じられました。
でも「吟遊詩人」と呼ばれる彼の詞が日本語に訳されてしまうと、微妙なニュアンスを伝えることができないと思うのですよね(こういう時、英語が出来ないのが悔やまれます・・・)。
それでもちりばめられた詩的なセリフの中にも(勿論訳されたもの)、ちょっと感動するものがありましたね。

ボブ・ディランなんて全く知識がないと言いながら、何故この映画を見ようと思ったのかというと、クリスチャン・ベイルとケイト・ブランシェットと今は亡きヒース・レジャーの演技が見たかったから。あ、ベン・ウィショーも興味はありました。

それぞれを演じた俳優たちの演技はやっぱり素晴らしかったです。
ワタシが最後までこの映画を見れたのは、彼等の演技があったからこそ。
どの俳優もよかったのですが、ワタクシ個人としてはベイルの姿が本物のシンガーに見えて、なんだかぞくぞくするような色気を感じましたね。
モノクロ写真もよかったです。彼はモノクロの映像が似合う人なんだ~~と新たな発見。
ケイト・ブランシェットも中性的な雰囲気をうまくかもし出していたと思います。むしろベン・ウィショーの方が女性的でした(笑)。



ヒース・レジャーの姿は・・・見たら泣いちゃうだろうなあと思っていたのですが、涙は出ませんでした。
彼の姿をぼんやり見ていたら・・・何故かこの撮影をしていた頃の彼はとっても辛く孤独だったのではないかなあと思えてきて(死んでしまったからそう感じただけなのかも知れませんが)胸が苦しくなりました。
スクリーンに映し出されたヒースは、物分りのいい大人とやんちゃな少年を混在させ、不思議な魅力を放っておりました。

この肉体がこの才能がもうこの世には存在しないのかと思うとやはり辛い・・・。そして未だに信じられない自分がおります。
この映画をきっかけに、また彼の作品を見ることが出来るようになればいいなあと思っていたのですが、まだしばらくはムリそうです・・・自分にはね・・・。
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「アメージング ハイウェイ60」

2008-04-06 01:15:37 | 映画・DVD【あ】
本日「スルース」を鑑賞してきました。
で・・・見事なまでに寝ました。
映画館で寝たのは久しぶりですわ、わははははは。
一体何がいけなかったんでしょーか?
寝不足のせいだと思いたい・・・・・(汗)。


で・・・昨夜はレンタルした「アメージング ハイウェイ60」を観ました。
エドワード王子・・・ではなくこの方が主演です。


(最近マースデンちゃんが織田裕二に見えてしょうがないのですが・・・)




22歳の誕生日を間近に控えたニール・オリバー(ジェームズ・マースデン)は悩んでおりました。

自分の誕生日の食事会にネクタイを締めていくべきか?
コンラッド・コンクールに自分の描いた絵を応募してみるべきか?
画家になる夢を諦めて、父親のコネで法律学校に進むべきか?
夢の中に出てくる、実在するかどうかわからない自分の理想ともいえる美しい女性を探すべきか?

彼には決断力がなかったのです・・・。

おまけに弁護士である父親に心では反撥しながらも、波風を立てるのを避けたいために父親のいいなりになる日々をおくっておりました。
そんな優柔不断で行動力がないニールはとある日、アルバイト先で夢に出てくる女性が写っている看板を発見するのです。

 ←ちょっと老けた22歳ですが

何か不思議な力が自分に働きかけているのを感じたニールは、看板に記載されている電話番号に電話をかけてみることに。
その電話がもとでニールは、地図にのっていない州間道60号を通って、地図にのっていない場所まで荷物を届けて欲しいというへんてこりんな依頼を受けるはめになります。


いざ車を走らせるニールですが、地図にのっていない州間道60号なんてどうやって探していいのかわからない。
しかし目の前に再び夢の中の女性が写った看板を見つけ「南への道を選べ」という文字を目の当たりにした時、彼は州間道60号が存在することを確信するのです。


州間道60号にたどりついたニールはそこで、不思議な人々や不思議な街に出会います。
話としてはここにたどりつくまでの間、少々テンポが悪いような気がするのですが、作品としては結構面白いと思います。
ニールは州間道60号を進む間に、有り金をぶんどられたり、留置所にぶちこまれたり、死にそうな目にあいながら、自分には何が必要なのかを悟り、人間的に成長していく・・・というファンタジックなロード・ムービーであります。

その不思議な人々のうちの一人がクリス・クーパー。
いやいや、もー笑っちゃうくらいにこのクリス・クーパーがよいのですわ。
長い間広告業界にいてウソをついてきたのですが(広告に偽りアリってやつですな)、そのウソの広告がもとで少年が死んでしまったために深く後悔し、残りの人生はウソのない正直な人生をおくろうとするおっさんなのです。
そのために他人のウソも許せない!相手を脅してでも約束したことを守らせるという過激なおっさんなのですが、この役がヒジョーに魅力的。



その他に猿の顔が彫られたパイプを常に銜えている「願いをひとつだけかなえてあげよう」と言うナゾに満ちたおっさんにゲイリー・オールドマン、合法ドラッグで人々を薬漬けにし、自分のいいように操ろうとするイヤラシイ男アイブス警部にカート・ラッセル、冒頭で考えなしの願い事をしたがためにあっというまに死んでしまう男ベイカーにマイケル・J・フォックス、ニールに届け物の依頼をする不思議な男レイにクリストファー・ロイド、ニールが見る夢に出てくる女性にエイミー・スマート・・・と豪華な出演者たちが顔をそろえております。
マイケル・J・フォックスとクリストファー・ロイドといやあ、なんたって「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ですよねえ。
それもそのはず、監督・脚本はボブ・ゲイルなんざますよ。


州間道60号でニールは、人間が長い人生をかけて経験するようなことを、いっぺんに経験することになるのですが、それぞれのエピソードにはっとするようなメッセージがこめられているような気がしますね。
ワタシが一番気に入ったのはレイのセリフ。
「脳の配線は高速道路と同じ。慣れたルートは走りやすい。だが道をはずれたところに気づかぬものが沢山転がっているんだよ」
な~~んてなんとなく素敵な言葉だとは思いませんか?
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「アメリカを売った男」

2008-03-25 02:59:43 | 映画・DVD【あ】


対ソ情報関係の優れた分析家であり研究家だったロバート・ハンセン。
彼はFBI捜査官でありながら、20年の長きに渡り、FBIやCIAの国家の安全保障に関わる重要な機密をソ連、ロシアに流し続けていた。
彼のせいで、KGB内部でアメリカのために情報活動にあたっていたスパイも相次いで逮捕され処刑されたという。
その数は現在わかっているだけでも50人をくだらない。
一体何が彼を二重スパイという暗黒の道に追いやってしまったのか。

この映画は実話に基づいて、ロバート・ハンセンが逮捕されるまでの二ヶ月間を描いている。



地味ながらもなかなか見ごたえのある映画だった。
狡猾で人を信用しないハンセンを監視し、彼の逮捕に大きく貢献したFBI訓練捜査官オニール役にライアン・フィリップ。
そしてウェブスター元FBI長官に「500年に一度の大洪水」と言わしめた、国家に対する裏切り行為を行ってきたロバート・ハンセンにはクリス・クーパー。
ロバート・ハンセンを監視するようにオニールに命ずる、仕事一筋の上司役にローラ・リニー。
この三人はまさしく適材適所といった感じで、この映画を見てしまった後では彼ら以外の配役は考えられないほど。

特にクリス・クーパーは、ロバート・ハンセンを単なる二重スパイとしてではなく、心に本人にも説明できない何かを内包した、哀れな男をうまく演じている。
ライアン・フィリップも、国を欺き続けたハンセンを欺かねばならないという複雑なポジションにいた、悩める青年オニールを好演している。
ライアン・フィリップは、決して派手ではないけれど、これからますます活躍していきそうな予感がするなあ。



ロバート・ハンセンは64歳になる今も服役中だというが、スパイになった動機は未だにわかっていない・・・というか公表されていない。
能力のある自分に対するFBIの待遇が悪かったからだとか、父親の虐待に近い厳しい躾のせいだとか色々言われているが、あらゆる要因が複合した結果であって、本人にも説明できない複雑なものなのだろう。

ジェイソン・ボーンシリーズなどを見ても思ったけれど、つくづくアメリカという国は大きくなりすぎてしまったのではないかと思う。
そして自分たちの国は一番だというおごりが、世界中にクモの巣のような網をはりめぐらせる。
だがどんなに丈夫なクモの網でも必ず何処かにほころびはできるものなのだ。

ロバート・ハンセンが逮捕され、オニールも自身の仕事に疑問を持ちFBIを辞するのだが、最後にエレベーターでこの二人が鉢合わせになる場面がある。
その時のクリス・クーパーの・・・というよりロバート・ハンセンの闇のような真っ黒な瞳・・・。
彼の心を映し出したようなその瞳がひときわ印象に残ったラストであった。
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「アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生」

2008-03-12 02:24:56 | 映画・DVD【あ】
みなさんお気づきかと思いますが、私は物事の本質やよしあしを見る目を持ち合わせておりません。

映画でもオトコでも、服や小物にせよ、他人に「どうしてあんなものを」とか「あまり趣味がよくないね」と言われることが実に多いのです。
私が「よかった」と言う映画は世間で評判がよくないことも多々あるし、「じゃあどこがよかったのか」と問われると「自分が気に入ったから」としか答えられません。
インスピレーション。それだけ。
見終わった後で自分で「見てよかった」と思えれば、自分にとっていい映画。それだけだから。



という訳で、この映画。
この映画が人様にオススメできるドキュメンタリー映画なのかどうか私に正しい判断はできないのですが、私はこの映画というか彼女の作品がとっても気に入りました。
半休をとり、映画を二本観るつもりでいたのですが、この映画を観た後で、他の映画を観て帰る気にはなりませんでした。
彼女の生き様、そして彼女の素晴らしい芸術作品を観た後で、言葉は変だけれど嘘くさいものを見たくなかったし、銀座のざわざわした人の中に自分の身をおきたくなかったのです。

私は写真を撮るのも撮られるのも嫌いです(自分のブログにはガンガン人様の写真を載せているくせにね~)。
カメラ付き携帯を持っていながらも、今まで撮ったのは自分の愛犬と友人の数回くらいなので、カメラ機能なんていらないと思っているくらい。
その私がこの映画の予告を観て、アニー・リーボヴィッツの撮る写真に激しく心を揺さぶられました。

例のごとくうまく言葉がでてこないのですが、何か心に迫ってくるものがある。
その一枚に物語が感じられ、その一枚に時代の空気が感じられ、その一枚に魂が感じられ、その一枚に想像力をかきたてられる。
まさに芸術と呼ぶにふさわしい作品の数々。
たった一枚の写真がかくも雄弁に語れるものかと感心することしきり。
彼女の作品を観るだけでも、この映画を観る価値があると思います。

セレブリティたちからは、楽しい「アニーとのエピソード」を聞くこともできます。
私の大好きなミハイル・バリシニコフが思った以上に登場し、思った以上に彼女と関わりがあったのを知れたのも嬉しかったですね。
そして60にもなろうかという彼のあの若々しさ。
そして相も変わらないしなやかで美しい動き。無駄のない芸術的とも言える身体。
それを見れただけでも私は大満足でした。
「アニーが『いいアイデアがあるの』という時は危険なんだ。僕は断ることにしている」とにこやかに語るミーシャに、彼らの信頼と友情を垣間見ることができて(またこのミーシャが可愛くて)、思わず大笑いしてしまったdimでした。




さて・・・
1949年に空軍大佐の父とモダン・ダンサーの母の間に生まれたアニー。
彼女のうちは大家族で、家族で車に乗り移動(旅?)することが多かったようです。
その車の窓からさまざまな景色を見ていたことが、今のフレームを覗く自分に繋がっているのだと彼女は言います。

1975年にローリングストーン誌のチーフ・フォトグラファーになった彼女はローリングストーンズのツアーに同行し、彼らと友情をはぐくむことになりました。
ローリングストーンズは、彼女はまるで空気のような存在で、そばにいることが全く苦にも気にもならなかったと言います。
そんな関係が生み出した彼らのツアー写真や楽屋でのショットは、彼らの内側までも赤裸々にうつし出しており、他の誰もこんな写真はとれなかっただろうと思わせます。

その後、ヴァニティ・フェア誌に移籍した彼女は、撮影対象をミュージシャンからセレブリティ全般に広げていき、順風満帆ともいえる人生を送っているかのように思われていたようですが、実は自分の作品をよりよくするためにどうしたらよいのか常に悩み、さまざまな試みをし、写真評論家からの厳しい批評にうちのめされたこともあったようです。

初めはただそこに存在する被写体をレンズと言う眼を通してみていた彼女も、後には大掛かりなセットを用意させ、そこに自らの考え出した物語を投影させるようになり、より画家的になっていったような気がしました。
彼女の作風は時代と共に変貌を遂げていったようにも思われますが、作品の根底に流れるものは一貫して変わっていないようにも思えます。
それは表面的なものではなく目に見えない内面的なもの、被写体さえ気づいていない魂の輝きをその一瞬におさめたい・・・そういう思いなのではないでしょうか?

アメリカを代表する知識人であったスーザン・ソンタグはアニーの最愛のパートナーだったのですが、彼女の最後を看取る時も、また最愛の父親を失った時もアニーはカメラを離しませんでした。
その時の写真を見ながら涙する彼女に、彼女とカメラ(写真)との絆、彼女の強さと弱さを同時に見たような気がします。そしてその強弱のバランスも彼女の作品に反映されているのだと思いました。

彼女は自分が死にゆく時も写真を撮っていたいと言います。
その最後の時に彼女はレンズの向こうに何を見るのでしょう?
まあ私が四の五の言っても始まらないので、兎に角彼女のこの映画、もしくは写真集(あるのかな?)で、常に前進し、チャレンジし続ける彼女の作品を観ていただけたらと思います(著作権の問題もあるようだし、こんなアホなブログに彼女の素晴らしい作品を載せるのもはばかられるので写真はあえて載せませんでした)。
何か感じるものがきっとあるはず(この鈍感な私でさえ感じられたのだから)。
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「いつか眠りにつく前に」

2008-02-25 02:30:30 | 映画・DVD【あ】


いや~久々に(でもないけど)泣いた~~。
「うんうん、よーわかるわー」とめちゃめちゃ泣いた~~。
これは若い人とワタシらの年代の人との受ける印象がかなり違うかも知れないなあ・・・といい年したおばはんは思ったのだった。


人生の折り返し地点まできた人間は、一度は自分の人生を振り返り「もっと違う人生があったかも知れないよなあ」とか「こんなはずじゃなかったのになあ」と思う時があるんだよねえ(オイラだけか?)。
後悔とも違うんだけれど、色々シミュレーションしちゃうんだよねえ(またまたオイラだけか?)。
今の状態が最悪だとは思わないけれども、何かが足りない。納得がいかない。
でも何が足りないのか、どうしたらいいのかよくわからない。


死の床に臥せっているアンもそんな風に考えていた。
最愛の人ハリスと結ばれて、幸せになるはずだったのに。
それがあんな過ちを招く結果になるなんて。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
私の人生は失敗と後悔の連続になってしまった・・・。

母親アンがうわごとのように繰り返すハリスという名前。
アンの看護をする二人の娘には全く聞き覚えのない名前だった。
一体母の過去に何があったのか?

夢も希望も沢山あったのに、過去の呪縛がもとで思うように生きれなかった母。
そしてそれぞれに悩みを抱え、自分の生きるべき方向が見えなくなっている娘たち。
そんな母と娘が、互いの心をさらけだし自分の人生を見つめなおす。
母と娘の心の再生を描いた、地味ではあるが心温まるドラマだ。

スーザン・マイノットの全米ベストセラー小説を映画化したものである。
出演はクレア・デインズ、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、メリル・ストリープ、グレン・クローズ、トニ・コレット、ナターシャ・リチャードソン、パトリック・ウィルソン、ヒュー・ダンシー、メイミー・ガマーといった面々。


ヴァネッサ・レッドグレイヴとメリル・ストリープの二人だけのシーンは、さすがに重みが他と違う。
ただこの二人が同じ年頃・・・という設定は結構ムリがあるような気はしたけれど。
メリル・ストリープ演じる、アンの親友ライラの若き日をメリルの実の娘メイミー・ガマーが演じている。
やはり親子だから顔がそっくりということもあり、過去と現在という時間の隔たりがあっても違和感なく観れた。
初めはアンの方が強い女性だと思っていたけれど、実はライラが一番自分と言うものをよく知っていた強い女性なのではないかな。



そしてそしてワタシのお目当ては勿論パトリック・ウィルソン。
「オペラ座の怪人」の時よりは、やっぱり年をとってつるっとなった気がするけれど、相変わらずいい男っす!!!(ちょっと太りましたか?気のせい?)
今回は「ハサミを持って突っ走る」のように数秒だけの出演(怒)ということもなく、彼の魅力が堪能できたのでよかったわ~。
でも何故に相手がクレア・デインズなの(自分、あまり好きではないらしい)???



今回この映画で泣いたのは、彼女たちに自分の人生を重ね合わせたから。
自分の母親も寝たきりでいつ死んでもおかしくない状態だから「喋ることさえままならないうちの母も、娘のワタシが知らないことをあれこれ思い出しているんだろうなあ」と結構感情移入してしまった・・・ということもあるのだけれど、実はこの男の存在が大きい↓。
あまりにも可哀想すぎるのではないかい(涙)?
彼の心の痛みがひしひしと伝わってきて、彼の運命に「そりゃないだろー!」と心の中で叫んだのは言うまでもない。



ヒュー・ダンシーは役の上では一番年下っぽい設定になっているけれど、実はクレアよりも年上でウィルソンとは二つしか違わない。
ウィルソンがおっさん臭いのか?ダンシーが幼いのか?
それとも両方なのか?

ハイ。じゃあおっさん臭いウィルソンの極上の笑顔を。



ああ・・・すいません。
一人でにやけています・・・。

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「エンジェル」

2007-12-24 16:32:32 | 映画・DVD【あ】


2007年、ベルギー、イギリス、フランス合作

監督:フランソワ・オゾン

出演:ロモーラ・ガライ、シャーロット・ランプリング、サム・ニール、ルーシー・ラッセル 、マイケル・ファスベンダー 他


原作は20世紀半ばに活躍した英国の女流作家エリザベス・テイラーの小説「エンジェル」だそうな。オゾン監督にとっては初の英語作品である。

1900年代初頭のイギリスが舞台。
下町に住む上流階級にあこがれる16歳の少女が、念願の人気作家となり、富も名声もそして、愛する男までも手に入れる。
彼女は夢を全て実現させたかのように見えたが、思いがけない落とし穴によって、数奇な人生をたどることになる。



なんてイヤなオンナなんだろうと思った。
母親や伯母に対する、わがままで高慢ちきな態度。
滑稽に見えるほど過剰な自信。
夫に対しての自己満足と言う名の愛情。

「こんなヤツとは絶対に友達にはなりたくない~~!!!」と思う。
だがそう思いながらも、どこかで彼女を受け入れ、共感さえ覚えている自分がいた。
それは彼女が誰にも媚びず、夢をかなえ、自分の気持ちのままに生きたある種の潔さが感じられるからかも知れない。
エンジェルは嫌悪感を抱かせながらも人を惹き付けてやまない、両極性の不思議な魅力を持っている女性であった。
ロモーラ・ガライはこの多面性を持ち合わせたエンジェルにぴったりだった。

夢を現実に変えるには、犠牲や努力は不可欠だと思う。
彼女も努力はしたのだろうけれど、人を見る目や物を見る目・・・つまり現実を見る目が、夢を見すぎたがために曇ってしまったのかもしれない。
彼女はやがて人々の記憶から忘れ去られていく。

ハッピーエンドでなくてよかったと言うとおかしいのだが、あのエンディングでほっとした。
この長い舞台を見ているような気持ちにさせてくれる映画は、彼女の死によって幕をおろすのである。
ある意味ドロドロした話を、胃にもたれない軽やかなテンポで品よく見せてくれるオゾンはやっぱりすごい。
あっさりしていながら、ちゃんと舌も胃袋を満足させてくれるのがオゾンの映画だと思う。



おめあてのマイケル・ファスベンダー・・・やっぱりかっこいい!
野性味がありながらも、笑うととたんに少年のようになるのがとっても素敵♪
でも300の時は気がつかなかったのだけど、頭がでかいのね。それから頭髪がもうさみしくなりかけている・・・(涙)。
これのエスメ役もよかったが、やっぱり300のステリオスが一番やねん。

それからこちらは2004年にギネスビールのCMに出ていたというYou tubeの映像。
こちらのマイケルも笑顔が可愛い~~♪
と・・・またまた映画とは関係のない話で終わるのであった・・・。
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「ある愛の風景」

2007-12-03 18:44:43 | 映画・DVD【あ】


2004年、デンマーク作品

監督:スサンネ・ビア

出演:コニー・ニールセン、ウルリッヒ・トムセン、ニコライ・リー・コス 他


幸せな家庭が夫の出兵、そしてその夫の死という形によって無残に引き裂かれた。
だが、残された妻、子供、そして夫の弟や両親は悲しみにうちひしがれながらも、その裂け目を必死で繋ぎあわそうとする。
やがてぎこちないながらも前向きに生きようとする家族の元に、夫が生きていたという連絡が入る。

家族の喜びもつかの間、夫はまるで別人のようになって戻ってきた。
心に深い傷を負って・・・。

夫は捕虜となっている間、生きて帰るために人間として決して許されない罪を犯していた。
罪の意識に苛まれ、精神を病んだ夫は、妻と弟の仲を疑い、はしゃぐ子供たちに当り散らす。
そして家族を手にかけようとするほど彼の神経はずたずたに引き裂かれていた。
「自分はこの家族のせいで人間としてあるまじき行為を行ってしまったのだ」
繋ぎ合わされた継ぎ目が再び裂け始める・・・。

だが何度その継ぎ目が裂けようと、結局繋ぎあわすことが出来るのは家族なのだ。
自分を手にかけようとした夫を刑務所に見舞う妻に、今まで押さえていた感情を溢れさせ慟哭する夫。
そして、戦場で捕虜となっていた間自分が何をしたのか、とつとつと語りだす。

かすかな希望を予感させながらも、なんら問題は解決されないまま物語はここで終わる。
スサンネ・ビアは誰にでも起こりうる不幸な出来事あるいは不幸な運命、そして家族の絆を「しあわせな孤独」でも「アフター・ウエディング」でも描こうとしていた。
だがこの映画ではさらに戦争という怪物を介入させ、家族一人一人に鉛のような塊の足かせを履かせている。
日常を切り取りつなぎ合わせたような単調とも言える映像は、かえってリアリティを感じさせる作品に仕上げているような気がした。
「アフター・ウエディング」の時は涙が止まらなかったが、こちらでは涙こそ出ないものの喉につかえたような重い塊が、いくら飲み込もうとしても飲み込めない。
そして「自分が夫の立場だったらどうしていただろう」という自問が頭から離れないでいるのだ。

そんな重いテーマを抱えた映画の中で、(ワタシに)癒しを与えてくれたのが夫の弟ヤニック役を演じたニコライ・リー・コス。

いつか彼をスクリーンで観て見たいと思っていたが、やっと願いがかなった。
彼の肩の力を抜いたような自然な演技が大好きだ。
そして、見る人を捕えて離さない、唇より雄弁に語る瞳も大好き。
ああ「ブレイカウェイ」借りてあるんだ。早く観なくては。

二人の子役の演技力にも舌を巻いた。
思えば子供が一番複雑な位置に置かれていたような気がするのだが、それをこともなげに演じている。

この映画におけるこの子役たちの功績は大きいだろう。
どんなにすごいかは・・・是非劇場でご覧あれ。
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「アフター・ウエディング」

2007-11-16 03:38:16 | 映画・DVD【あ】
初めてイトシアの中にあるシネカノン有楽町2丁目に行ってきました。
さすがに出来たばかりとあって、綺麗で席と席の間がゆったりしているんだけど、とにかく劇場が小さい。
シアター2の座席数は63ですよ、あーた。
そんでもって今日の観客は23人ですよ。半分も埋まってないんです(涙)。
いい映画だから、もっと沢山の人に観て欲しいと思います。
ドーナツ買うのに2時間並ぶなら、この映画を観るべし!!!
ん?・・・「べし」と言うのはケムンパスでしたっけ?




2006年、デンマーク作品

監督:スサンネ・ビア

出演:マッツ・ミケルセン、ロルフ・ラッセゴード、シセ・バベット・クヌッセン、スティーネ・フィッシャー・クリステンセン、クリスチャン・タフドルップ 他


ひゃあああああ~~~~~!

まいっちゃいました。

こんなに長い時間、泣いていた映画は久々です。

中盤からみごと涙腺決壊。鼻水腺(そんなのあるのか?)も決壊。

終わりまで殆ど、泣きどおしでした・・・。



インドで孤児たちの援助活動に従事するデンマーク人、ヤコブ(マッツ・ミケルセン)。
だが財政難で孤児院の運営が危ぶまれていた。
そんな彼のもとに、デンマーク人のヨルゲン(ロルフ・ラッセゴード)から、巨額の寄付金の申し出が舞い込むのだが、それには条件があった。
ヤコブがデンマークに帰国し、ヨルゲンと直接会って話しをするということだ。

わが子のように可愛がっていた少年に「8日したら帰ってくるから」と言い残し、ヤコブは帰国する。
帰国後、ヤコブは早速ヨルダンに会うが、翌日に娘の結婚式を控えたヨルダンは落ち着きがない。それどころか「明日の娘の結婚式にキミも出席してくれ」と強引にヤコブを誘うのだった。

翌日、遅れながらも会場に到着したヤコブは、そこに昔の恋人ヘレネ(シセ・バベット・クヌッセン)の姿を見つけ、困惑する。
ヘレネは今ではヨルゲンの妻となっていたのだった。
そして花嫁となったヨルゲンとヘレネの娘アナ(スティーネ・フィッシャー・クリステンセン)のスピーチを聞いて、ヤコブは激しいショックを受ける・・・。


家族の絆とはなんなのか、また生きていくとはどういうことなのかをじっくり考えさせてくれる素晴らしい映画でした。
これはスサンネ・ビア監督のどの作品にも共通したテーマですよね。
そしてキャスティングも抜群によいと思います。
みなさんは「↓マッツがよいわ~!!」とおっしゃってましたけれど、ワタシは天邪鬼なんでしょーか。



のっけから強引で顔の肉や腹の肉がたるんだ男、ヨルゲンに妙に惹かれてしまいました。
実はどこかでこの映画のネタばれをしていて、うかつにも読んでしまっていたので(ネタばれしてるって書けよー!)、ヨルゲンの思惑はわかっていました。
なので、映像より先にワタシの気持ちが先走っちゃった感はぬぐえません。
彼がその結論を出すまでの葛藤や迷いや不安や恐怖、そして家族に対する愛の深さ(エゴとも言えるでしょうけれど)を考えた時、本当に辛かっただろうなあと思えて物語の中盤から涙が止まらなくなったのです。
ワタシにも病魔におかされ、寝たきりになった母親がいるので、その辺の精神状態も影響していたのかもしれませんが。

とにかくマッツもよいのですけど、このヨルゲン役のロルフ・ラッセゴードがよいですねえ。大胆でありながらも繊細で、愛情に溢れたヨルゲンの役にぴったりでした。
自分としてはヤコブの役はマッツでなくてもいいけど(わ~~殴らないで!)ヨルゲンの役はロルフ・ラッセゴード以外は考えられません。
冒頭のヤコブが孤児院で子供たちに英語を教えるシーンもよかったですよね。
貧しい中でも子供たちの瞳が輝いているのを観ると、こちらの方が救われる気がします。
コメント (14)
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